2012年12月17日 (月)

勝者なき選挙

読みにくい部分のない契約書(マニフェスト)
なんて、馬鹿が作った書類だ。
金儲けの秘訣 ・第253条)



選挙が大好きである。
というより、選挙速報が好きである。
衆議院や参議院の選挙があると、
またテレビで選挙速報がみることができる、
と思うだけで、わくわくする。

しかしながら、結果がでてしまうと、
またしばらく選挙を待たなければならない。
今回のように、自民党が圧倒的に多くの議席を獲得してしまうと、
衆議院ではしばらく選挙はあるまい

選挙速報マニアとしては、これは、実に寂しい限り、
な事態なんである。

そこで、過ぎてしまった選挙を惜しんで、
今回の衆議院選挙を総括してみよう。

今回の選挙は、自民党が300近くまで議席を戻し、
公明党も議席を増やした。
それに比べて、民主党は、惨敗、というよりは、
壊滅的な減り方であった。

結果だけ見ると、そういう風なことになるのだが、
石破幹事長を始め、自民党の人々は、
どうも喜び方の歯切れが悪い
民主の人たちが、顔面蒼白、だったり、意識朦朧だったり、
するのんは、当然であるが、
単に、民主が負けて、自民が勝った、というような、
単純な構図、では必ずしもないようなのだ。

実は今回、どおも、勝者なき選挙
とでもいう様相だった感じがする。

それを思い当たったのは、
選挙翌日の今朝、テレビをみていたときだった。

自民党の細田博之元幹事長がなんでか出演していて、
例の如く、ぼそぼそ話していた。

そのなかで、

比例では、さほど増えていない

という主旨の発言があり、調べてみると、
前回の議席数は55で、今回は57

つまり、比例での得票率は、自民が歴史的大敗だった前回と
あんまり変わんなかったのんだ。
自民党が選ばれたわけではない、といっていたのは、
本当に謙遜ではなかった、わけだ。

たまたま小選挙区で、自民党よりも票を得られる候補が
他にいなかったために、大勝ちしただけで、
しっかり選んでもらえるようにならないと、
次回以降また前回と同じことになる可能性がある、ということは、
自民の人たちは、ひっそりと意識していたのだろうな。

では、同じく議席を増やした公明党は、
確かに自民党よりは、うれしそうだったけれど、
自民党が数を圧倒的に増やしたことで、
自らの存在意義が減った、ともいえなくもない。
政策の実現に関して、自分たちの無理が通りにくくなった、
可能性もあるわけだ。
とくに、憲法改正やその他、必ずしも一致する政策ばかり
ではないのんだし、本当に自民党が行いたい政策を、
部分的に維新と組んで自民党が行うことも
今後起こるかもしれない、
という心配は持たなくてはならんだろう。

維新はというと、数は増えたものの、
一時の勢いの圧倒的な勢いはなく、
石原慎太郎氏と組んだことで、
今後、党として本当にうまくやっていけるのか、
という感じが、選挙期間中、すでに見えていた。
胴体がひとつなのに、首が複数の、
キングギドラ状態がうまくいかないのは、
民主の政権時代に、みんな思い知ったわけだしね。
しかも、自公で安定多数なわけだから、
多少衆議院で数が増えても影響力は行使できない、のだし。

夏には参議院選挙がある。
早く次の選挙速報が見たいもんだなー、と思いつつ、
今日もこたつで丸くなる、おっさんであることだよ。

▼今年もあとわずか。
世間は、まもなくクリスマス。
あっしには、関係ないけれど。
バンコクで見かけたサンタねーさんでも貼っときますです。

メリークリスマス。

Santa

2012年6月 3日 (日)

家庭内分業

チャリティはいいことだ。俺の財布を巻き込まない限りは。
金儲けの秘訣 ・第144条)


以前から何度か書いたことがあるけれど、
家庭内分業は、ぼくの人生におけるひとつの研究テーマである。
もちろん、学術的な研究ではなく、個人として興味がある、
てえのに過ぎないが。

現状、日本のシステムは、この家庭内での分業を否定する
方向に向かっているような気がしている。
夫婦共働きで、子どもがいれば、家族以外の機関に預け、
分業を社会が肩代わりすることを求めるヒトたちが
増えている、と感じるのんだ。
もちろん、よその家庭のことに口を出すつもりはない。
家庭ごとに好きにすればよい、のであるが、
ぼくのように独り者には分業を実践する機会もないのは
残念なことだ、と常々思ってきた。

しかしながら、あるとき自分ひとりで分業ができる方法、
があることをに気づいた。
期間による分業の実践、である。

つまり、人生の期間を主に働く期間補助的に働く期間
に分けるのである。
あるいは、専業の家庭人として、働かない期間も設ける。
その後他の人々と同様に、老後を迎える、というわけだ。

どの期間がどの程度の長さになるか、というのは、
長らく自分でもわからなかった。
しかしながら、上記のことを考えながら生きてきた結果、
最近では、どうも主に働く期間の終焉が見えてきた、
ように感じている。
あと7年、というのが現状での見通しである。
そうとう努力をすれば、2年くらいは短縮可能かな、
とも思うが、主に働く期間でも、人生に喜びは必要だし、
あんまり無理をするのは破綻のもとだ。
自分の人生の責任をとれるのは、自分だけなのだし、
このへんは慎重にすべきだろう。

逆に7年後、状況が変わっていたり、
人生観が変わっていたりすれば、
この期間は延長されることになる。

ただ、最近増税の話が出てきているが、
働きもせずに、生活弱者である、という理由だけで、
多大な保護を受ける人々の存在は、
ぼくの労働への意欲を大きく減じている
今はかれらのために働いて税金を払うのが、苦痛でさえある。
独り者は、仕事も、家事も、基本的にでんぶ自分で行なって、
それでいて税金は、人一倍払わねばならない。

ぐれない方がおかしい、とは思いません?

たんに、もてなかった罰、としては、
重すぎる、と思うのだけれど。。。


▼あるいは、生活弱者のための、福祉があるように、
その他の弱者のためにも、福祉的事業
を考えるべきかもしれない。

もてない者にはもてるための福祉を、ということだ。

毛髪に難のある人にはかつらを手当し、
顔面に難のある人には覆面を支給し、
体重に難のある人には痩せて見える鏡を支給する。。。

なんか根源的な解決策になってませんなー。

でも、生活弱者のための、たとえば、生活保護は、
根源的な解決策になってますかー???
 
 
 

▼実はこの記事は、ぼくがまだ体重に難のあった時代、
2~3年前に書いた後、
アップせずにたなざらしになっていたものだ。
適当な写真がみっからないまま、忘れていた、
というのが真相に近いのだが、
最近の生活保護不正支給問題で思い出したので、
遅ればせながら、アップしてみたのだが、
やはり適当な写真を探すのが面倒なので、
別な意味で適当な写真を乗っけてみる。

バンコクでみた、日本語シャツ。

Photo

ちなみに、あっし、毛髪に難はないが、
顔面の難は未解決である。
政府が証明書を出せば、覆面をつけて生活できる社会は、
今日現在、まだきていない、よに思う。。。

2012年5月26日 (土)

十万

馬鹿の歴史は古い。
金儲けの秘訣 ・第143条)


100000、である。
99999よりも1多く、100001よりも1少ない、
あれである。
むかし、たくさんあることの表現に、ごまんとある
とかいったものだが、その2倍である限り、100000もまた、
そうとうかなり、ごまんの2倍くらいは多い数であるに違いない。

しかしながら、一口に十万、といっても、
単位によってはたいしたものだが、
単位によってはたいしたものではない、という意見もあろう。

たとえば、下落しているとはいえ、
ユーロ、であれば、ちょっとした財産だが、
ジンバブエドルなら、きっとパンも買えまい。
人、なら、大人数であるが、
大腸菌、とかなら、あんまり多くない、ような気もする。
10万円金貨、なら、昭和天皇在位60周年だし、
10万馬力なら、初期の鉄腕アトムである。

ここで、話題にしている、十万の単位は、回である。
このブログを閲覧された回数が、十万回になった、
ということを記念して、10万について記述しているのんだ。

もちろん、1回見て、そのまま画面を移動せず、
しばらく時間を置いて、もう一度見た者もあろうし、
1回のクリックで、たくさんの記事を読んだ者、
もいるかもしれないから、実際は十万回よりも多いかもしれない。
あるいは、ここのページに来たものの、
読みもしないで、瞬時に閉じた人もいるだろう。
どっちか、というと、そちらの方が多いように思う。
また、10万回のうちの、数千回は、自分の閲覧であろうし、
実際には、10万にはるかに及ばぬ閲覧数かもしれないが、
せっかくだから、10万回、を祝ってみよう、
と書いてみたのんだから、まあ、とりあえずそういうことだ。

少なくとも、自分が脳をしぼって記事を書いたことにより、
自分も含め、誰かが、10万回、
PCやら、携帯電話やらをいじって、
このページをモニター上に表示させた、ということは、
考えれば、たいしたものだなー、と思う。

検索や、記事の閲覧を含め、
1回につき、仮に平均20秒かかった、としても、
のべ200万秒、つまりは、約3万分、つまりは、約555時間、
つまりは、23日間くらいの時間を誰かに使用させているわけだ、
このぼくが。
もし、1回につき、平均1分であれば、10万分、
約1600時間、約69日、つまり、のべ2ヵ月以上、
ということになる。

またここで得た情報で、人生に若干の影響を与えられた、
と言い張る人がいるかもしれないし、
あるいは、違う人生を歩き始めた、と主張する人がいたとしても、
まあいないだろうが、責任を取るつもりはない。
ただ少なくとも、ぼくのところに嫁に来たい、
という申込みがなかったことだけは大声で断言できる。

まあ、これからも、ぼちぼち更新しないでもないかな、
と思わないでもない、いまや10万回馬力のおっさん
なんであることだよ。

▼鉄腕アトム、といえば、いつだったか読んだ、
PLUTO、は面白かった。
ノース2号のくだりがとても好きだったなー。

Pluto

▼ちなみに、記念すべき10万を保存してみる。。。

100000

2012年2月26日 (日)

コンプライアンス病

取り引きが公正で合法なら、無益な復讐は違法である。
金儲けの秘訣 ・第167条)


もうだいぶ前のことになるが、
ある平日の午後、たまたま休暇だったので、
実家でごはんを食べながら、テレビをみていたら、
たぶん、ちちんぷいぷい、
という関西ローカルの番組だったと思うのだけれど、
茂木健一郎氏がインタビューのなかで、
興味深いことをいっていた。

今の日本には、コンプライアンス病、
とでもいうべき病が蔓延
している。
地震の前に問題になっていた、首相や閣僚の外国人献金問題だが、
ほんとうに辞めなければならないほど、重大な問題だったのか。
地震とともに、すっかり棚上げになっているが、
もし、ほんとうに重大な問題なら、なにがあろうと、
棚上げになどしていてはいけないだろうと。
要は、焼肉屋のおばはんが、
近所のにーちゃんを個人的としてちょっと応援しただけだろう。
そのおばはんが、たまたま外国籍だったからといって、
そんなに目くじらをたてなければ、
ならないことではなかったのではないか。

これはもちろん、一例ではあるのだろうけれど、
政治の世界に関わらず、これに類することで、ご同様のことは、
死屍累々、といった感じなのは、ぼくにもよくわかる。

続けて、茂木氏は、言っていた。

また地震が起こってからも、なにかというと、
被災地の状況を考えろ、とか、
被災者の気持ちをどう思っているのだ、とか、
そんな論調の苦情を述べるひとがいるけれど、
そのヒトは被災者の気持ちを考えて、
そんなことをいっているのだろうか、と。

はっきりとはいわなかったけれど、
実は苦情がいえれば、それでいいのではないのか
という主旨がそこにはあったように思う。

以前にも書いたけれど、
このヒトは、うつけ、なところがあると思う。
最近では、納税の義務をきちんと果たしていないことがばれて、
某国営放送の仕事を降ろされたような事件もあったしさ。
しかしながら、上記に関して、確かに理解できる、
部分はあるように思うのだ。

かれは、納税の申告に関して、ずいぶんと叩かれたから、
だからこそとくにそう思ったのだろうが、
ただ献金問題の政治家に関しては、
野党時代、そもそも自分たちがそういう手法で、
当時の与党や自民党政府を叩いていたのだから、
自業自得、あるいは、因果応報ともいえるよな。
むしろ、当時のマスコミの有り様を考えれば、
まだまだ手ぬるいかもしれない。

かれが述べた、コンプライアンス病的状況は、
確かに生産的でないようには思える。

むかしテレビで、相手を批難するばかりのメールを、
野党メール、といって、
親が子どもに一番書いてはいけないメールだ、
というのを娘の立場で述べているシーンを見たことがあるけれど、
いまや一億総野党メール時代であり、
一億総コンプライアンス病時代、なんであろう。
そして、そういった状況に敢然と立ち向かい、
支持を受けているのが、
橋下大阪元府知事・現市長なんであろうな、と思う。

むかしの日本という国は、なあなあ、でまわっていたように思う。
政治家は賄賂をもらい、就職は情実で決まり、
飼いネコの名前で銀行口座を開設して、マル優制度を悪用し、
税金を払わない、というようことができたりもした。
セクハラ、なんてことばも存在しなかったしさ。
そういう時代がよかったのか、と訊かれれば、
必ずしも、そうではないかもしれない。

しかし、茂木氏がいうように、コンプライアンス病に陥って、
本質的でないことばかりで、消耗戦をしつづけることがよいのか、
といわれれば、それもまた否であろう。

この問題解決の回答はまだ持ち合わせていないのであるけれども、
なんでこんな、社会がある意味ヒステリックな状況に
なってしまったのか、
そのあたりからもう一度分析してみることで、
解決の糸口を探さなくてはならないのかも、
と思うおっさんであることだよ。


▼コンプライアンス病、というテーマで、探した写真は、
そう、テンプラ、だったのだが、
残念ながら、みっからなかったのんで、
代わりの写真は、タイのソニー売り場にいた別嬪さんを。
テンプラの写真よりも、別嬪さんの写真が好物なのは、
あっしだけではないはず、、、かな。

Bepp

2012年1月20日 (金)

塊魂

誰であれ、魚を水から自由には出来ない。
金儲けの秘訣 ・第153条)



塊魂、というゲームがある。
これのPS3用、塊魂TRIBUTE、
という名称だったと思うが、そこそこ長い人生で、
はじめて最後まで到達できた、ビデオゲームだ。
最後の面をクリアすると、
マツザキシゲル氏の朗々たる歌唱が流れる。
だからどう、というわけではないが。
とくにうれしくもないし。
そもそも本来ゲームを趣味でするわけでもなかったのんだ。

ところで、人生もまた、ゲームのごとき、
1面ずついろんな課題をクリアしていくような側面がある。
ぼくがゲームをしないのも、この達成感、とでもいうべきものに、
あまり意味を見出せないゆえかもしれぬ。

普通の男子なら、結婚や配偶者の出産、子供の入学卒業受験就職、というようなことがそれにあたったのだろうが、
縁がなかったもので。
また、そんなステップが自らにとって、とても重要である、
とか、とても必要である、とか、思えなかったせい、
でもまたあるのだろう。

ただ、そういうステップと完全に無縁に生きていく
ということもまた無理だろう。

とくに、人生の半ばをたぶんすでに迎え、これからのぼくは、
けっこうそういう節目が増えていくように思う。

ぼくにとって、最近迎えたひとつの節目は、
年金加入期間が25年を超え、受給権を取得したことだ。
年金制度について、破綻するかもしれない、というのが、
ひとつの合言葉になって久しいが、破綻するかもしれない、
ということは、破綻しないことが前提である、ということだ。

しかも、税金とは、別に掛け金を取って維持させるべく
作られた制度が破綻する可能性がある、ということは、
それ以前に、税金などで、維持されようとしている
各種福祉制度
は、まず現状同様、維持できない
と考えるのが正しかろうと思う。
さすれば、年金制度が破綻している日本の社会は、
歳を取ったぼくたちにとって、
どんな風になっているのだろうか。
また、税金による福祉は破綻しても、年金制度だけは、
掛け金をとっているのだから、細々とでも存続している、
という可能性もあろう。
むしろ、ぼく的にはそっちの方が自然に思えるし。

それゆえに、とりあえず年金の受給権を得ることのできる期間、
働き続けることができた、ことは、ぼくにとっては、
1面クリア、という感慨ヒトシオだったわけだ。

そしてここ数年のうちに、
これに類するいくつかの節目がやってくる。

今の職場であとどれだけ働くことができるのか、
正直わからないけれど、
マツザキシゲル氏の朗々たる歌唱が聞こえる、そのときまで、
とりあえず自らにもう一鞭、というところなんだろうかな。

 
 

▼さてぼくがなんでこんなにも老後を望んでいるか、というには、
働くのがが嫌い、ということもあるが、最近、体力が失せてきた、
というのも、その大きな理由のひとつである。
以前は立つときだけ必要としていた、よいしょ、という掛け声を、
ここ数年は座るときにもしている、らしい。
知的能力や肉体的能力がひとそれぞれであるように、
老化のスピードも、ひとそれぞれ、なんだよな。

 

P1030521

▼ネコはいーなー、寝るのが仕事、でさ。
でも、向こうのタイ人女子も寝るのが仕事???

 

2011年5月28日 (土)

見えざる手

儲けには限度がある。しかし損に限界はない。
金儲けの秘訣 ・第45条)


神の見えざる手、という概念を、
初めてその著書で、世に示した人は、国富論、
を書いたアダム・スミス、という学者だった、ということだ。

どんなものにも、応用の利きそうなこの考え方は、
最初は、経済学の分野で、世に現れたわけだ。

ところが、本家の経済学に分野のおいては、必ずしも今日、
この考えに沿った経済政策がとられているわけではなく、
ことに最近は、自由放任しようにも、
世の中が複雑になりすぎているようだ。

神の見えざる手、というのが、機能していそうなひとつの分野に、
自然状態における、食物連鎖、というのがあげられる。
たとえば、一番下位の食われるものが、増加すれば、
そのスケールにあわせて、上位の食う方が増え、
上位の食う方が増えすぎれば、下位の階層が減って、
食う方も減らざるをえない。

何十億年と、このスタイルで、自然界はやってきたわけだ。

ところがこれも、最近はあまり機能していないのかもしれない。
人類、という存在がのさばってきたからで、このものたちは、
食物連鎖を超えた存在、といえなくもないだろう。

まあ、別にぼくはそれが悪いともいいとも思っていない、
けれども、さ。

ところで、いつだったかテレビをみていて、神の見えざる手、
というものが機能しているな、と思った瞬間があった。
石坂浩二と島田紳介が司会をしている、なんでも鑑定団、
という番組での出来事だ。

この番組ではよくあることらしいけれど、
どっかで社長をしている金持ちが、
自信満々で持ってきた骨董品が、実は無価値の偽物であった、
という放送をみたのである。

人間、というのものは不思議なもので、金がデキルと、
芸術なんぞに目覚めるようで、わかりもしない、掛け軸や壺に、
惜しげもなく大金を投入したがる、ものらしい。

1千万の自己評価に対して、番組の誇る鑑定士は、
5千円、の値段をつけたのだった。

不思議なもので、今まで、価値あるもの、と信じてきたものが、
専門家によって、無価値、と決めつけられると、
もの自体には変化はないにもかかわらず、
なんとなくそのものに対する、いとおしさ、
のようなものまで失ってしまうのは、
やはり、人間という存在の弱さ、なんだろうな。

そういえば、以前北野武さんだったかがいっていたのだが、
どっかの金持ちが、クラブのホステスをものにしてやろうと、
大金をかけたけれど、なかなかいうことを聞かない。
で、モノにできなまま、いなされ続けていたある日、
気分転換にもっと露骨なサービスが売り物の、
風俗店へ出かけていったその金持ちは、
そこでアルバイトしていた、かのホステスをあってしまう。
ためしに規定のサービス料を支払うと、
ちゃんとそれなりの露骨なサービスが受領できた。
なんのために、クラブで大金かけて、くどいてたか、てな話だ。

ま、これは、神の見えざる手、とはあんまり関係ないな。

                  

 

 

▼サッカーの分野でも、神の手ゴールなる概念が存在してるよね。
審判も人の子、誤審もあるだろうが、
それも試合の味付け、ですかいな。

▼写真は、バンコクの道端におられた、セクシー系(?)の神様。
こんな神様なら、毎日拝んでみようか、と思う。

Photo

ついでに、その近所でみかけた、猫。
売りもんではない、と思う、たぶん。。。

Nekoko

2011年3月 7日 (月)

ダ・タロー

もし敵の秘密を知ったら、友達へも話すな。
金儲けの秘訣 ・第97条)

 
 

Mozart

 

人生は謎に満ちている。
ここで繰り返し、述べてきたフレーズだ。

そんな謎のなかで、いつまでも謎のまま、のものもあれば、
ある日突然、解けてしまう、ものもある。
今日のんは、突然ぼくの脳内で閃きがあり、
解けたような気がした、謎の話だ。

浪花のモーツァルト、の名をほしいままにする、
とある作曲家の頭髪が不自然だ、ということは、
関西人の、共通の認識になっていることであるが、

なんで不自然であるか

これはさしたる問題でない、とぼくは思っている。

問題は、

なぜ不自然にもかかわらず、
あのようなものをかぶっているのか、
あるいは、かぶらねばならないのか、

ということにある。

これに関しては、決定的な学説も解もないまま、
今日に至っていたのであるが、元来繊細な問題である。
本人に訊けば、簡単に解けるかもしれない、
というのもまた真理であろうが、
そんな繊細な性質のものをかぶっているヒトに、

なんでかぶってるの?

と訊くのは、かなり無神経なヒトでも勇気がいるだろう。
それよりは、黙ってよそのヒトがその謎を解明する日を
待った方がよい、というのも、また自然な発想である。

そういう日常のなかで、ぼくのなかで、
まるで天啓のようにひとつの考えが浮かんだのだ。

なんであんなものを頭に乗っけているのんか。

そのヒントは、かれの別名のなかにあった。
そう、浪花のモーツァルト、それに、だ。

ここにも書いたことがあるのだが、
ぼくの好きな映画のひとつに、アマデウス
というのがある。

そのなかに、こんな場面が確かあった。

かれがそれを販売している業者と話しているときに、
たくさんのそれを気に入り、選びかねて、

頭が3つほしい

という冗談を言ったのだ。

音楽室にかけられていた、昔の音楽家の肖像画は、
みんな重そうな頭をしていたが、
実はあれは当時のおしゃれ、であって、
正装ではそれをかぶっていたのんだ。
今でもイギリスの裁判官は、
同様にそれをかぶっていたと記憶しているが、
そう、浪花のモーツァルトたるかれも、
音楽家としてのたしなみ、というか、
偉大な作曲家としての証左、というか、
そのための正装として、かぶっていたに過ぎなかったわけだ。
それが意識的にしろ、あるいは、
無意識に、だったにしろ、だ。

そんなこともわからないぼくたちの、
なんと無粋で、下世話だったことだろう。

ただぼくたちに、多少弁解の余地があるとすれば、
音楽室の山田耕作氏は、つるっぱげだったことだ。
あれは、正装前の姿だったのか、それとも、
髪はあったにもかかわらず、禿ヅラをかぶっていたのんか、
それは別の研究結果を待ちたいと思う、
まだまだ解くべき謎の多い、おっさんなのであることだよ。

▼ちなみに、バンコクで見かけたこの看板のヒト、
少し浪花のモーツァルトに似てはいませんかい?

Kida

2011年2月13日 (日)

レス

セックスと収入はどちらも長続きしない。
金儲けの秘訣 ・第4条)


最近日本では、夫婦間で長期にわたって、
ある行為が行われないような事態が数多く起こっている、
という話を聞く。
ぼくは独身者で、当事者になりたくともなれない、
わけであるけれど、他人事ながら、
それが双方が望んで発生している場合を除いて、
深刻な悩みになるだろうことくらいは想像ができる。

当事者による、理屈はいろいろとあるようだ。
それについては、ぼくは意見を述べるつもりはない。

興味があるのんは、なんでそういうことが発生するに至ったか、
という背景の方だ。

以前からきっとそのような事態は発生していて、
ただ表立ってはいなかったのだ、という見方もできるだろう。
そうでない可能性もあるだろう。
そうでないのなら、なんで今、そんな事態が蔓延しているのんか、
ぼくはそれを知りたいと思ったわけだ。

こういう場合、ぼくのスタンスとして、とりあえずこう考える。
ヒト、も動物の一種である。
動物行動学的な視点で考えて、答えは出ないものか。

思いついたのは、ヒトには発情期はない、ということだ。
年柄年中発情している、ともいえる。
ほとんどの野生動物は、一番都合のいい時期に発情し、
子を設けようとするのに対し、
ヒトはこの件に関しても異端の存在といえる。
例外は、一部のサルの仲間だけらしい。

なんでそういうことのなったのか、について、
たしかこのようなことを聞いたことがある。

ヒトのオスはなるべくたくさんのメスに子を孕ませたいが、
メスの方は産んだ子を確実に育て上げたい。
産ませる性と産むの性の性質の違い、である。
子育て期間の間も他の発情したメスのところへ行かせず
自分と子どものためにえさを取ってくるように仕向けるため、
ヒトのメスは、さも子が産める状態であるかのごとく、
ずうっと発情し続ける、という戦略生物として選択した、と。

そしてここで、日本における今日的な、
男女関係の状況を考えてみる。

今や日本では、人類の歴史上、かつてなかったほど、
子を持った女性にとって、
配偶者であるオトコの必要性が、薄くなっている。
かれが他の女性の元に走ろうとも、
法律や社会が子育てに必要なモノを与えてくれたり、
カノジョと子どもの権利を守ってくるようになっているのんだ。

ヒトのメスも、自分の子どもが、
配偶者がいなくともきちんと成長するのであれば、
別の配偶者を得て、違うY遺伝子を使い、
子孫を残した方が、生物学的には有利、だという。
そんな戦略に打って出る、メスがいてもおかしくない、
ということだ。

そのような状況のなかで、配偶者であるオスに対して、
発情をやめてしまう個体がでてきた、というのはある意味、
生物として自然な流れかも知れんね、
とか、考えてみたんだが、で、どうするよ、
あれ、あんまり自分の人生には影響ないなー、
月に吠えてみる負け犬系おっさんなんであることだよ。



▼ちなみに、負け犬、という言葉はあるが、
負け猫、とか、負け馬、とか、負け鶏、とか、負け豚、とか
いうフレーズはあまり使わない。
きっと存在していると思うのだがね。
村上春樹氏の「日出る国の工場」によると、牧場における、
負け牛(という言葉は使われていないが)の末路、は、
ヒトのオス、よりもさらに不幸そうだ。
勝ち牛(種牛ということになるが)も、
負けず劣らず、不幸そうだが。
なんで、シーシェパードやグリンピースは、
行動したり、発言したりしないんだろね、牛だと、さ。
わざわざ南氷洋までいかんでも、
オーストラリアにたくさんいるだろよ。

▼写真は、バンコクで見た、薄幸そうな犬。
しっぽがポイントだな。
なんとなくヒトで言う、肩を落とした感じがでてるよね。

Photo

2011年1月 1日 (土)

犍陀多

盗品は、100%利益になる。
金儲けの秘訣 ・第14条)


若いころ、好きだった作家のひとりに芥川龍之介がいる。
杜子春だの、芋粥だの、といった短編は、
こどものころから知っていたし、
南京の基督、や河童、は今でも好きな話だ。

高等学校の現代国語の教科書には、羅生門、も載っていたな。
職を失い、盗人になるしかない、と思いはじめていた下人が、
死人の髪を抜いて売ろうとしていたばーさんの、
生きていくためにはしかたないのだ、
というセリフを聞いて、自らばーさんの着物を剥ぎ取って、
最後、下人の行方は、誰も知らない、で終わっていた話だ。

授業だったので、当時の先生はぼくたちにこんな問いかけをした。

盗人はいったいどこに行ったのか?

その問いに対して、剥ぎ取った服を売りにいった、という解答で、
受けていた同級生のことを思い出した。
もう30年ほども前のことなのに、妙なことを覚えているものだ。

懐かしくなって、青空文庫で読み返してみると、
最後の文章が記憶と違った。
調べてみると、最後の結びの一文は変更されているようだ。

初出では、

下人は、既に、雨を冒して、
京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。

となっていたのが、最終稿では、

下人の行方は、誰も知らない。

となったらしい。

さては、先生、初出の最後の文章を知っていて、
ぼくたちにあんな質問をしたのだな。
年を経て、わかった恩師の見識、ってか。

蜘蛛の糸、という話もあった。
悪人だったが、それでも蜘蛛を踏み潰さず、
命を助けたことのある、犍陀多(かんだた)というオトコを
お釈迦さんが極楽浄土へ助け上げてやろう、
としたが、自分だけ助かろう、とするセリフを他の罪人に
かれが投げかけたとたん、蜘蛛の糸が切れて、
元の地獄にまっさかさま、というような話だ。

これには、お釈迦さんは、ほんとうは最初から犍陀多氏を
助ける気がなかったのではないか、という、
お釈迦さん意外とやなヒト説、という見解を思い出す。
助ける気なら、さっさとひとりだけ助けりゃいいし、
①お釈迦さんはあとから来る亡者が全員極楽に亡命するのを
ほんとに認める気だったのか、
それとも、
②犍陀多氏が極楽に着いた後、お釈迦さんが蜘蛛の糸を
御みずから切っちゃう気だったのか。

①だとしたら、極楽が構成員的に地獄と同じようになってしまう
(外国人の犯罪者を受け入れるのが好きな今の日本みたいだ)し、
②だとしたら、お釈迦さん、あんまり人格的に褒められない、
犍陀多氏とかわらないよね、やってることが。

そんなくだらないことを考えているうちに、
ふと自分が今置かれている状況が、
犍陀多氏とかぶって見えてきた。

ぼくの生活で、よく訊かれることに、
タイでいったい何をしているのだ、という質問がある。

ここの記事を読んでくれているヒトには、あんまりなんにもせず、
ぼぉーと日々を過ごしているのがばれているけれど、
正直なところ、いやいや働く、ある意味、地獄的日常から、
なんにもせずに、仕事のストレスのない、
バンコク、という天界に、逃走している、のんだ。

ところが、しばらくバンコクにいると、
だんだんあまりにストレスのない日常が辛くなってくる。
しんどくても、まだ仕事をしている日常、
こんなぼくでも多少は必要とされている状況
恋しくなってくるのんだ。
怠け者で、仕事を一刻も早くやめたいと強く希望している、
このぼくでさえ。

そんな自分の在りようを考えるにつけ、
犍陀多氏は、もし自分だけ天上に這い上がれたとして、
幸せになれたのだろうか、とか考えてしまう、
ぼくの元旦だったことだよ。


▼ちなみに、芥川龍之介、は子どものころ、
養子にいって芥川姓になったようだが、本名だという。
写真を見ると、けっこう男前だし、
ほとんど誰も大学にいけない時代に東京帝国大学、を卒業して、
作家として成功も収め、おまけに、キョコンだったらしいし。
自殺で自分の人生に幕を引いたようだが、何に不満だったんだか。

 

▼ところで皆様、新年明けましておめでとうございます。

Photo
バンコク、サイアムパラゴン前にいたうさぎ氏

2010年8月17日 (火)

第三的厠所

知識はラチナム。
金儲けの秘訣 ・第222条)


以前、人生における謎、について、言及したことがある。
そのなかで、おかまさんが行くのは、男子用か、女子用か、
それとも、未知なる第3のトイレがあるのんか、
とぼくは書いた。
もちろん書いたときは冗談半分で、たぶん女子用か、男子用か、
本人や周囲に違和感のより少ない方を使用しているのだろう、
と推定していたのだけれど、このあいだ、テレビを見ていたら、
この第3のトイレについて、実際に存在することがわかり、
驚いたのだった。

その存在がわかったのは、某国営放送のアジアスマイル
という番組が、タイの高等学校で自らの存在に悩む、
レディボーイを特集した回で、
その高校には実はレディボーイ学生用のトイレがある、
という報道、というか、放送をしていたからだ。

やはり、世の中は広いなー、と思ったのだけれど、
この第3のトイレも、それぞれの性的な位置によって、
さらに細分化されなければならない可能性もあり、
そう考えるとけっこうたいへんだし、ある意味、
パンドラの箱をあけてしまったのかもしれない、
ともいえるよな。

さてこの番組に出てくる、レディボーイのひとりは、
将来国語の先生になりたい、と思っていて、
その学校に在籍する、おかまの先生に、
そのことを相談しているシーンがあった。
相談者の高校生は、今風に、レディボーイ、と表現していたが、
被相談者の先生は、古風に、カトゥーイ(おかま)
を連発していた、のが印象的であった。

そんな流れもあってか、その高等学校に
在籍するレディボーイ軍団は、番組の最後に、
将来の自分の夢を、ボードに書いて出していた。
同じ某国営放送のサラリーマンネオの最後の場面を
思い出してもらえばいいかもしれない。

客室乗務員、国語の先生などに混じって、
ある者は警察官になりたい、と日本語の字幕には出していた。
しかも、なんとなく本人が横に描いていたイラストが、
警察官、っぽくない。

本人が述べていたのは、タムルワットイン。
タムルワットは、警察、インは女性のこと。
つまり、本人は将来の夢は、警察官、ではなく、
婦人警官、とより限定的に書いていた
のんだ。

そのまんま字幕に出さないところが、国営放送の良識と限界か?
とか思った、良識も限界に近づきつつある
おっさんであることだよ。


▼この話を知り合いにしたところ、
スーパー銭湯の男湯で人工的に作られた胸をもつヒトが、
連れ合いの男性(たぶん)といちゃいちゃしていたのを見た、
という話をしてくれた。
日本ではまだ、第3のトイレも、第3の浴場も
準備されていなかったために起こった、
悲劇(これもたぶん)らしい。
ちなみに、その知り合いが蛮勇を奮って確認したところ、
人工胸子さんの身体の別の地点はまだ工事されておらず、
男湯に入る資格のある状況(?)にはあったとのことだ。

▼写真は、とある事情があり、10数年ぶりに昨日行った、
バンコクの名門お釜ショー、カリプソで。

Oka

▼業務連絡。
ただいま無料で試し運転中のエアポートリンクに乗った。
想像以上に、いい
空港から、たったの22分。
どうも開業の23日からBTSのパヤタイ駅と、
接続させるつもりらしい。
タイ人の仕事にしては妙に段取りよいが、
BTSが混むから、個人的にはやめてほしい。
詳しくは、また。

Aji

窓からエアポートリンクと味の素ビルが見える。。。

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