2011年7月10日 (日)

タンホイザー

自分の医者を相続人に任命する奴は馬鹿である。
金儲けの秘訣 ・第93条)


通勤の途中、愛車のハードディスクから流れてきた音楽は、
ワーグナーワルキューレの騎行だった。
おそらくは、ムラビンスキー指揮のレニングラードフィル、
の演奏かな、と思うけれど、
読込みの際に文字情報を入れるのが億劫でしてないゆえに、
実際には演奏者はわからない。
同時にワルター指揮コロンビア交響楽団と
カラヤン指揮ベルリンフィルの序曲集も読込んだので、
そのどちらか、の可能性もなくはない。

運転しながらワーグナーを聴いていて、いろんなことを考える。
運転中が物思いに耽る時間であることは以前にも書いたとおりだ。

まず考えたのは、白い巨塔、のことだ。
ここんところ、昔の作品にもかかわらず、
山崎豊子さんの小説がドラマ化されたり、映画になったりして、
ちょっとした流行、とでもいえる現状が続いているが、
その端緒になったのが、唐沢寿明が財前教授を演じた、
ドラマ版の白い巨塔、だったように思う。
この作品の中で、唐沢財前が、手術のイメージトレーニングを
するときに、流されていたのが、
ワーグナーのタンホンザー、だった。

なんで、ワーグナー?

と当初思っていたのだが、原作ではまだ東西冷戦の真っ最中で、
そんななかドイツの学会に招聘された財前教授が、
東独の高名な医者を尋ねるシーンがあった。
ベルリンの壁が東西ドイツの間に立ちはだかっていた時代の話だ。

ドラマでは時代的にそのまま描写しても意味がない、ので、
アウシュビッツの収容所跡を訪ねる内容に差し替わっていた。
アウシュビッツの収容所跡、にテレビカメラが入る許可が
なかなかおりないところ、今回は特別に、
というのもドラマの売り文句だったように記憶しているが、
それ故に、人命よりは、自分の栄達をより重視する医者
だった感のあるかれのテーマが、ワーグナー、
になったということなのだろう。

多くの日本人には、あんまりぴんと来ないかもしれないが、
ワーグナーは、ナチスドイツの指導者だったヒットラーが
愛した作曲家であり、ユダヤ人にとっては、第2次大戦後、
忌まわしい記憶とともに、語られる音楽になってしまったわけだ。

ヒトラーが愛したからといって、
ワグナーにどんな罪があるというのか?

さだかな記憶ではないが、たしか、松本零二氏のマンガに
そんなセリフがあったように思う。
ひょっとすると、別の人の作品だったやもしれない。

それはともかく、財前教授のタンホイザーは、
アウシュビッツでのロケが初めにあって、
その伏線として使用されていた、
という風に考えるのが自然なんだろう。

次に考えたのが、村上春樹氏による、パン屋襲撃、
という小説のことだ。
これはざっとあらすじを書けば、腹を空かせた2名の若者が
パン強奪を目的にパン屋に強盗に入ったが、
パン屋のおやじの提案で、クラシック音楽を聴く代わりに、
パンをもらう話
、ということになる。

こんな風に書けば、味もそっけもないが、
ここでパン屋のおやじが強盗である若者たちに聴かせた音楽、
というのが、たしかワーグナー、だった。

舞台は、東京だった、と思うけれど、パン屋と若者たちが
どこの国の人、という記述はなかったから、
パン屋のおやじがドイツ人で、
腹を空かせた若者がユダヤ人、と仮に決めれば、
この小説は、ずいぶんポリティカルな話に読めてしまう。

ちなみに、パン屋再襲撃では、
襲われるのは、マクドナルドだったし。
これはこれで、別のポリティカルな話になるなー、
と思いつつ、今日の一日が始まるのだった。


▼ちなみに、ピアニストでもある、指揮者の
ダニエル・バレンボイム氏が、イスラエルでワーグナーを
演奏して話題になったのは割と最近でなかったか、と思い、
ダニエル・バレンボイム イスラエル ワーグナー
で検索をかけてみると、
2001年の出来事であることがわかった。
便利な世の中になったもんだ。
これも、バレンボイム氏がユダヤ系だからこそ可能、
だったのだろうけれど、記憶とは違って、
必ずしもすべてのイスラエル人民に
歓迎されたわけではなかったようだ。
しかしながら、誰かが愛したから、という理由で、
直接関係のない音楽が聴けない、というのも、
不自由で不幸な話だな。
それだけ、ユダヤ人民が深く傷つけられた、
ともいえるだろうけれど。

▼写真は、ダニエル・バレンボイム氏指揮、
ベルリンフィルによる、ブルックナーの交響曲集。

Photo

2009年12月20日 (日)

野球人生

死にかけているフェレンギ人からの忠告は信頼するな。
聞くのはかまわないが。
金儲けの秘訣 ・第73条)



このブログにぼくが書く、よしなしごとの何割かは、
車の運転中に思いつくことでしめられている。
家にいるときは、音楽を聴きながら、テレビの映像を眺めつつ、
ネットで情報を検索したり、文章を読んでいたりするのんで、
とくになにかを思い出しだしたり、
物思いに耽ったりしないのであるが、
その点、車の運転中、というのは、音楽は聴いているのものの、
頭はあんまり使っていないようで、妙に昔のことを思い出したり、
気になる事象がでてきたりするのんだ。

今日の運転中、モーツァルトを聴きながら、
思い出したのは、なんでかみなみらんぼう氏のことだ。

およげタイヤキくん、のあとあたりに、
サトウコズエちゃんだったと思うが、
子役出身の女の子が唄ってヒットした、
山口さんちのツトムくん、は、かれの作品だった。
しかしながらぼくには、かれが唄い、
さほどヒットはしなかった、野球人生
という曲の方が思い出深く感じられる。

思い出した瞬間は、さびのところ、
♪ああ野球人生、野球人生、というところだけで、
実は、題名も定かではなかったのだが、
今はネットでなんでも調べられるけっこうな時代だ。
みなみらんぼう、で検索してみると、
かれ自身のサイトにデスコグラフィーがあり、
順々にアルバムの曲名を調べてみて、
ついに、本当の曲名がわかった次第だ。

さて、音源はどっかにあるかいな、と思ってさらに調べてみると、
LPレコード時代のアルバムに入っていたあと、
長らく廃盤状態だったようで、
なんともいいタイミングだったことに、この9月に、
ベスト盤CDのなかの1曲として、再発売された、らしい。
iTuneでこの1曲のみ買えたらいいな、
という希望は残念ながら叶わなかったものの、
CD盤としては、すぐにネットで購入することができた。

まったく便利なこと、この上ない。

数日で、CDが届く。
棒読みみたいな、らんぼう氏の歌唱が実に懐かしい。
これを聴いていた当時の自分を思い出す。

たぶん、中学生か高校生か、そんなころの自分。
不自由ではあったけれど、でも自由だった、
そんな年頃の自分

ただよくよく考えると、肉体的にはたしかに老化したけれど、
精神的にはそんな成長していない気もするな。

ああ、おっさんの人生、おっさんの人生。


▼ちなみに、野球人生、40秒ほどだけなら、
ネットで聴くことも可能だ

それからついでに、なんでか、Whitney Houston の、
Whitney Houston というデビューCDと、
かのじょのビデオクリップ集も買ってしまう。
CDは、そよ風の贈りもの、という題名のついた、
邦盤の方を購入した。
当時、レンタルで借りたのが輸入盤ではなく、
邦盤の方だったので、こっちにしたのんだ。
決して邦盤のジャケット写真が、ハイレグの水着姿だったから、
という理由だけではないよ(^^♪
それにしても、DVDで見る、デビュー当時のかのじょの、
なんと溌剌として、キュートで美しいことよ。
かのじょのその後の人生は、いいことばかりではなかったよだけれど、
試練を克服し、復活されているようで、まったくなによりだ。
恋は手さぐり(原題How will I Know)のビデオクリップを
リピートでみながら、ほんとうにそう思うことだよ。

▼ところであっし、最近、つとに昔自分が好きだったものを
懐かしく思い出す傾向が高まっておるのですが、
いよいよ死期が近づいてますか(^^?
他人に見られちゃいけないものをそろそろ片付けないとなー。

写真は、Whitney HoustonのデビューCD、Whitney Houstonの、
アメリカ盤ジャケットと、

111





 

  
 

邦盤ジャケット。

200

2009年10月 4日 (日)

夜曲

この銀河中の金持ちの大多数は、
その富を相続ではなく盗むことで築いた。
金儲けの秘訣 ・第26条)



むかし、某国営放送が銀河テレビ小説、
という20分の帯ドラマの枠を持っていて、けっこう見ていた。
家族そろってほのぼのみられるドラマが多かったように思う。
そのなかのひとつに、フランキー堺率いる4人組の泥棒が、
三ツ矢歌子だったか美人未亡人の邸宅に下宿して、
借りた地下室で、楽器の演奏の練習をしてる、とみせかけ、
その実、隣の銀行の金庫から金員を強奪すべく、
テープを回して音を消し穴を掘っていた、
というなんともたわいないストーリーのものがあった。

そのとき、ずっとテープで流されていた曲が、
アイネクライネナハトムジークの第2楽章だった、
と記憶している。

ナハトムジーク、はドイツ語で、英語だとナイトミュージック、
日本語だと、夜曲、とでも訳すのか。
そうなると、あーいーね暗いね夜曲、
とかいうことになるのか、とか考えてしまうのが、
中島みゆきファンの悲しいサガだったりする。

あの曲自体はかのじょの曲のなかでは、
けっして暗い部類ではないのだけれどね。
ま、つまらん言葉遊びなんだが。

それはさておき、アイネクライネナハトムジークは、
親しみやすい旋律で、モーツァルトの作品のなかでも、
とくに有名なもののひとつだ。
第1楽章の出だしは、曲名は知らなくても、
誰でも一度は耳にしたことがあるだろうと思う。
映画アマデウス、でも、懺悔をするサリエリが、
自分は有名な作曲家だった、といって、
自分の曲の旋律を口ずさんだら、神父はわからず、
モーツァルトの説明をするために、この曲の出だしを紹介すると、
神父は非常に興奮し、この曲を作ったのがあなたでしたか!、
といって、サリエリをさらに傷つける、
というシーンが冒頭にあったと思う。

今でこそ、モーツァルトの作品のほぼすべてを聴くことは、
さほど難しいことではない。
ぼくのもっている170枚組の全集などは、
たったの2万円ほどで購入したものだし。

ほんの30年ほど前は、モーツァルトのような、
メジャーな作曲家の作品でも、クラシック音楽市場の狭さと、
ソフト、当時はレコードということになろうが、
の単価の高さから、一般にはごく限られた作品しか手に入らない、
というのが当然だった。
海外では多少は状況が違ったのかもしれないけれど、
当時、日本の市場はけっこう閉じていたしさ。

そして、そのごく限られた作品だけが、
ごく選ばれた演奏家によって、記録に残され、
販売されていたわけだ。
そんななかで、このアイネクライネナハトムジークは、
例外的にたくさんの選択肢のある、
つまり、モーツァルトの作品のなかでも、
特にメジャーな1曲、といっていいものだった。

世の中が、まだまだシンプルで、
ある意味、いい時代だった、のかもしれない。

ただ今は、モーツァルトであろうと、中島みゆきであろうと、
簡単に手に入るのはけっこうなことだよね。

じっくり聴く時間がないことを除けば、さ。

あなたは、今夜どっちの夜曲を聴きますか(^^?

  

街に流れる歌を聴いたら
気づいて 私の声に気づいて
夜にさざめく 灯りの中で
遙かにみつめつづける瞳に気づいて

あなたにあてて 私はいつも
歌っているのよ いつまでも
悲しい歌も 愛しい歌も
みんなあなたのことを歌っているのよ
街に流れる歌を聴いたら
どこかで少しだけ私を思い出して

月の光が 肩に冷たい夜には
祈りながら歌うのよ
深夜ラジオのかすかな歌が
あなたの肩を包みこんでくれるように

あなたは今も 私の夢を
見てくれることがあるかしら
悲しい歌も愛しい歌も
みんなあなたのことを歌っているのよ
月の光が 肩に冷たい夜には
せめてあなたのそばへ流れたい

街に流れる歌を聴いたら
気づいて 私の声に気づいて
心かくした灯りの中で
死ぬまで 贈りつづける歌を受けとめて

街に流れる歌を聴いたら
どこかで少しだけ私を思い出して
思い出して

(「夜曲」詞:中島みゆき)

なんてすばらしい詞なんだろう 
まだ聴いてないヒトは、一度是非お聴きあれ(^^♪
曲がついてると、感動のあまり、泣いちゃうよ。

▼写真は、タイで買った映画、
アマデウスのデレクターズカット盤のDVD。
リージョンコードは3で、日本仕様ではなかったが、
なんと日本語字幕が入ってた。
らっきー☆彡

A

2009年9月19日 (土)

中春こまわり君

経験と欲望は、若さと才能に勝る。
金儲けの秘訣 ・第49条)


以前、日曜夕方のサザエさんをみない、と書いたことがある。
電気製品だけを進化させながら、無限地獄のような日常
送っているかれらをみたくない、と。
作り事の世界に苦情を述べるのも変な話なのだけれど、
いやなものはいやなのだ。

現実世界ではみんな齢をとる。
子どもの時代は、ある意味大人になるために生きている。
そして大人になれば、苦痛に満ちた生活や絶望的な状況などに
さらされながら、でも、ほとんどのヒトは、
小さな幸せを噛みしめながら生きていくことになる。

サザエさんのように、フィクションの世界の住人は、
そうしないことも可能だ。
もっともそれが、本人の希望かどうかはまた別の話だが。

そんなことを日々感じながら、生きているぼくだったのだが、
自分が子ども時代、子どもだったある虚構の世界の人物が、
自分同様、中年といっていい年齢になっていることを知った。

かれの名は、山田こまわり
かれのファミリーネームが山田、であることを知ったのも、
こまわり、がファーストネームであったのも、
知ったのは実はそのときだ。

かれが破壊的なギャグとともに活躍していたときの
少年チャンピオンは輝いていた
ドカベンやブラックジャックなど、優秀なヒット作品にめぐまれ、
チャンピオンは、少年誌でトップの売り上げを誇り、
出版元の秋田書店は、本社ビルを建立するにいたった。
1973年のことだそうで、その本社ビルは、
別名、がきデカビル、とも、ドカベンビル、ともいわれたそうだ。

こまわり君とともに、小学生時代を過ごした西城君は、
現在は金冠生生電器に勤めるサラリーマンで、
しかも、山田こまわりの同僚でもある。
そして、ももちゃんは、西城君の妻となり、
2人の子どもと幸せな家庭を営んでいる。
それにひきかえ、じゅんちゃんは、というと、
家族から孤立した、一見幸薄そうな人生を歩んでいる。

中年のこまわりくんは、やはり中年になったかれらとともに、
さまざまな困難に直面したり、問題のある状況を目撃したりする。
妻との子育てや教育に対する意見の食い違い、嫁姑、離婚や不倫、
マザコン、会社内での友情と確執、リストラ、老人介護、
老人の性、果てはインセストタブーまで。
家族や義家族、あるいは、友人たちとの間で、こまわり君は、
ギャグを交えながらも、ひとつひとつの問題と実に誠実に、
大人の男として取り組んでいく
のんだ。

作画に協力し、推薦文も寄せている、
江口寿史氏が書いているように、
これは大人のためのギャグ漫画であり、
またリアルな家庭漫画でもある、と思う。
そこがサザエさんとは違うところであるが、
どっちが優れているともいえない。
そこには、好き嫌いがあるだけだ。

この作品のおかしさを理解・共有・鑑賞するためには、
山田こまわりくんと同様の、人生の諸問題について向かい合い、
苦しい経験をする必要があるのだろうけれど、
それもまた悪くないのかもしれない、
と思わせるなかなかの作品だな、と感心した、
中春ぷんぷいさんなのだった。



▼ちなみに当時のぼくの一番のお気に入りは、
ブラックジャックだった。

あっちょんぶりけ。。。


▼中春こまわりくんの表紙。
憂いを感じさせる、流し目が美しい。
映画化の際の主演はスギリョウか。。。

Photo





 
 
 
 

▼ところで、クレヨンしんちゃん、の作者である、
臼井儀人氏が、今日現在行方不明である、らしい。
ギャグ漫画家の受ける、重圧と苦悩については、
いしかわじゅん氏によって、そのまんが評論中に、
たくさんの例とともに、なんども書かれている。
今回の事件の原因が、そのためかどうかは、今のところ、
わからないものの、あっしがうろうろする国々をはじめ、
世界中で愛されている、かれの作品は、
ある意味、日本の誇るべき文化でもある。
なにごともなく、かれが無事に帰還されることを祈るばかりである。

2009年8月23日 (日)

シンフォニエッタ

常に自分が買うものは把握しておけ。
金儲けの秘訣 ・第218条)



村上春樹氏の最新作、1Q84が話題になった。
少なくとも当初は、内容ではなく、
その爆発的な売れ行きが話題の中心だったように思う。
ぼくも予約して買った口のなのだが、
以前からこんな風だったかな、と思い起こしてみると、
海辺のカフカ、という作品もそういえば、話題になり、
ベストセラーになったよな、と思い出した。

ところで、むかしからかれの作品を読んでいるヒトは
よくご存知であろうと思うが、作中に音楽の話題がよく出てくる。
あげれば切りがないので、興味があるヒトは
読み返してみてほしいが、当初はジャズやポップスが
多く取り上げられていたような印象がある。
けれどデビュー作の、風の歌を聴け、でも、
ベートーベンのピアノ協奏曲が出てきたりしたので、
必ずしも、趣味が変容してきている、とばかりもいえないようだ。

今回の、1Q84、では、登場人物が
ジョン・ダウランドのリュート作品や古い時代のジャズ、
ローリングストーンズなんかを聴くシーンもあったけれど、
冒頭から一貫してストーリーと密接に関連しているのは、
ヤナーチェク(村上氏はヤナーチェックと書いていた)、
というチェコの作曲家の、シンフォニエッタ、という曲だった。

シンフォニエッタとは何か、とつい調べたくなるけれど、
元来小交響曲というような意味のイタリア語らしい。

でわ小交響曲とは、
小規模の楽器編成で演奏される交響曲なのか、
交響曲としては時間的に短い、小さめの作品なのか、
とまた疑問が沸いてくる。
また、小交響曲、を考える前に、ところで、
そもそも交響曲とはなんだ?
と考えると、これはこれでまた難しい。

本来は、一定の形式をもった、通常3楽章から4楽章
からなる管弦楽組曲、ということらしいが、
例外が多すぎて、あてにならない。
どおも、作曲者が、交響曲、といえば交響曲、というのが、
一番それらしい定義のような気がするな。

さて1Q84でのシンフォニエッタだが、時代的な要素もあって、
第1巻で、主人公のひとりである天吾が聴いていたのは、
ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団演奏のレコードで、
第2巻で、もうひとりの主人公である青豆が聴いていたのは、
小澤征爾指揮シカゴ交響楽団演奏のレコードだった。

発売当初、アメリカのコンクールで優勝した、
辻井伸行氏のCDとともに、HMVのネット販売の上位に、
ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の、
この曲のCDがランクインしていて、

なんで今、ジョージ・セルなの?

というのが最初わかならなかったのだけれど、読み進むうちに、
そのシーンにあたって、やっと理解できたのんだ。
小澤盤も、HMVでは販売されていたが、アマゾンでは品切れ、
というときがあり、本来1000円ほどのCDに、
10000円以上の値段をつけて、
売っていた出品者もいたようだ。
売れたかどうかは、知らんけど。

ちなみに、ぼくはこの曲を、
ラヂオでは聴いたことはあったのだけれど、
所有している2000枚以上のCDのなかには、
シンフォニエッタはおろか、ヤナーチェクの作品が
はいったものが1枚もなかったのに、逆に驚いたりした。
別に選んで買わなくても、けっこうまとめ売りのCDのなかに、
有名どころの作品は紛れ込んでいたりしたのだけれど、
ヤナーチェクだけは、でんでん入っていなかったようだ。

村上氏がヤナーチェクのシンフォニエッタを
作中に使用したことで、
これからクラシック音楽に親しむヒトもでてくるのだろうが、
ぼくからすると、クラシック入門が、ヤナーチェク
というのはどうにも違和感があるけれど、
これも、縁、というものだろう。

村上朝日堂から、村上作品に入った、
という読者もいるようだしね。


▼1Q84、を読んでいてうれしかったのは、
ねじまき鳥クロニクル、で登場した、
牛河氏が、この作品に登場してたことだ。
もちろん、同姓の別人、の可能性もあるだろうが、
そうそうある苗字でもなく、
風体もファッションセンスも一致しているし、
話し方もそっくりだし、時代的にも無理がない。
1984年当時政治家の秘書をしていたと思われる牛河氏が、
宗教団体からの交渉人(と思われる使者)として現れる。
この本だけの読者には、かれの素性はわからないけれど、
以前からの読者にはある示唆が与えられる、
ようになっているわけだ。
ま、それ以上に、羊男氏同様、牛河利治氏は、
作者が愛するキャラクターのひとりなのかもしれないな。

1q84

2009年8月 2日 (日)

S・A・C・D

高く入札してやれば、顧客は増える。
金儲けの秘訣 ・第240条)




最近、ちょいと感動した。
SACD(スーパーオーディオコンパクトディスク)
と呼ばれる記録媒体にだ。

従来型のCDとは規格が違う。
字面からもわかるように従来型のCDよりも、情報量が多く、
優れた音質で音楽を聴くことができるものだ。
が、その多くはハイブリッドと呼ばれる方式で記録され、
従来のCD再生機でも読み出し可能な情報も入っている。
ものによっては、そうでないものもあるようだが、
むしろそれは少数派のようだ。

以前、ちょっとしたきっかけから、
少し値の張るヘッドホンを買ったために、
オーディオの無限地獄の入り口付近に入り込んだ、
というようなことを書いたと思うけれど、その後も、
いくつかヘッドホンを書い足し、ヘッドホンアンプを購入した。

ある日のことだ。
自分のもっているDVD再生機のひとつがSACD規格に
対応していることに気づいた。
値段的には高級品ではない。
SACD再生が主な目的、というよりは、
おまけの機能としてついてるような感じのものだ。

戯れに、ひとつSACD盤を買ってみた。
たしか、ユーリ・シモノフ指揮ロイヤルフィルによる、
ストラビンスキーの春の祭典と火の鳥が収録されたディスクだ。
値段も千円弱だったし、
たいして期待もしていなかったのだけれど。

驚いた。

なんとすばらしい音なんだろう。
演奏もなかなかだったのだけれど、それにもまして、
再生された音そのもののすばらしいこと。
従来のCDで聴いていた音が、
へいばんに感じられるようなそんな気さえしてきたくらいだ。

こういう経験は、たしか以前にもあった。

神戸の地震の前に、初めて横長のテレビを買ったときだ。
たしか、東芝製の28インチブラウン管テレビだったけれど、
実家に帰ったおり、29型の従来型のテレビを見ると、
テレビの中のヒトが、なんでこんな四角い箱に
入っているのだろう、と違和感を感じたものだ。

今回のSACDでの感動は、それを超えたものだった。
ずきゅーん、と、おっさんの心は射抜かれてしまった。

今聴いているのは、ヘルベルト・ケーゲル指揮、
ドレスデンフィルによる、ベートーベンの交響曲全集のうち、
第7番だ。
ベートーベンの交響曲は、今までの人生で面白い
と思って聴いたことは正直、一度もなかった。
何十年間、何度かトライしたものの、ベートーベンの交響曲を
聴くことは拷問のようにしか思えなかったのに、
ぼくは今すばらしい音楽体験をしている。

もちろん、ケーゲルの演奏が優れており、
かつ今のぼくにフィットしている、ということもあるのだろう。
しかし、SACDでの優れた音質がなければ、
それに気づいたかどうか。
そもそもSACDのお買い得盤でなれば、
ケーゲルのベートーベンを買ってはいなかっただろうしさ。

ちなみに、この東独出身の指揮者は、
すでに1990年に亡くなっているが、
当時70歳だったかれの死因は、自殺だったということだ。
こんなすばらしいベートーベンを表現できるかれが、
いったいどんな理由で自殺したのだろう、
というのも少し気になるところだが、詳細は知らない。

そんなわけで最近では、可能であれば、
まだまだCDに比べると格安のものは少ないが、
SACD盤を買おうとしている自分がいる。
いよいよもって、地獄にまっさかさまに落ちていっている。

長く生きてるといろいろと便利でいいものがでてくるよねー、
長生きは3文の得、などと意味のないフレーズを
ついいってみたくなる、
真夏でもギャグは so cool なおっさんなことだよ。


▼ちなみに、今よく使用しているヘッドホンは、
DENON AH-D5000
ちょっと緩めの掛け心地がとてもいい。
音はいうに及ばす。
たしか40000円ほどもしたが、よい買い物だった。
しかしながら、D5000がここちよい、となると、
最近出た上位機種のD7000が気になる、と今日この頃。
実売80000円ほど。
か、買わないぞーーーーーー^^;

Denon2

2009年5月13日 (水)

たこ社長島耕作

正直なビジネスマンほど危険なものはない。
金儲けの秘訣 ・第81条)



最近実家の書棚に、課長島耕作がけっこう並んでいる、
のを発見した。
最初の数巻欠落がって、全巻ではなかったのだけれど、
むかし自分で買ったものだから、読んだことのあるものだし、
欠落があっても理解に困るほど難解な内容でもないので、
気にせず一気に読んでしまった。
そして、課長、を読み終えたあと、続けて、部長、取締役、
常務、専務、ヤング、と購入して、今続けて読んでいる。

問題解決のキーパーソンが偶然、主人公の知合いだったり、
あるいは知合いになったり、主人公がやたら女性にモテまくって、
しかも献身的に尽くされたり、主人公が正直で正義を愛し、
仕事もできて、脂ぎってもなく、おやじギャグもいわず

いやみなヒトも許し、そんな者たちがやがてかれの味方
になったり、するあたりの、リアリティのなさは、
フィクションだし、漫画だし、百歩譲って許容するとしても、
不思議なのは、主人公、および、その周りにいる、
かれの年代、あるいは、それ以上の年代の登場人物の、
禿人口の少なさ、である。
課長時代の取締役会、の絵をみても、社長をはじめ、
みな年齢の割には、しっかりと頭髪があり、
薄毛のひとが非常に少ないのんだ。

しかしながら、この件に関しては、この作品に
リアリティがないのではなく、こういうことも考えられる。
このハツシバ、という会社には、禿頭者は出世させない
という就業規則があるのんだ。
あるいは、もっと厳しく、毛髪がなくなったら、馘首
もしくは、子会社に出向する、という掟があるのやもしれない。

こんな厳しい掟で動いているのは、日本では他に、
財団法人日本相撲協会くらいしかあるまい。

しかも日本相撲協会は、髷が結えなくなって、
現役引退に追い込まれても、親方として、
引き続き協会に残ることは可能なのである。

恐るべし、ハツシバ電気産業。。。

もちろん、これがハツシバの雇用ルールではない可能性も
ないではない。
別の理由、すなわち、作者の側の問題である、可能性もある。
作者が、なんらかの理由で、禿頭者を描くことができない、
という可能性だ。
それが、技術的理由なのか、心理的理由なのか、
あるいは、宗教的理由なのか、それは知る由もないけれど。

たとえば、技術的理由であれば、話は簡単だ。
アシスタントに、禿頭者を描けるスタッフを雇えばよい。
このシリーズの売れ方を考えれば、
禿頭者のみを描くスタッフだって、雇えるだろう。

それでは、心理的理由からだろうか。
しかしながら、写真で見る限り、外見的にはかれは、
禿頭を恐れる理由はなさそうだ。
また、禿の肖像を描くことを禁忌する宗教を、
ぼくは今のところ知らないし、
ひょっとすると、マーケティング的な理由なのかもしれない。

読者に多くいるだろう、中高年のサラリーマンのなかには、
かれの作品を購買する資産は持っていても、
毛根をもっていないヒトだっている
だろう。
そういう読者に、いやな思いをさせないために、あえて、
禿頭者を描かないようにしている、のかもしれない。
あるいはもっと単純に、絵柄の美しさ、を追求するあまり、
そうような人物をなるべく登場させないのかもしれない。
嫁のサイモンフミが描かせなかったのんか?
とりあえず、真相はわからない。

ただ、彼が昇進するにしたがって、
周りの禿頭人口は少しずつ増えているようには感じられる。
さりげなく絵画的リアリズムへの回帰が、
実行されていたのかもしれない。

ところで、ついに社長になった島耕作は、外見的には、
課長時代とあまり変わらないように思える。
もっといえば、ヤング島耕作時代のかれとも、
さほど変わったように見えないし。

スダレ頭や波平頭の島耕作、を作者に描いて欲しかった、
毛髪にはこだわる、ぷんぷいさんなんである。


▼実写版では、高橋克典氏やら、宅麻伸氏やら、
田原俊彦氏(!)やらが、課長島耕作を演じているようだが、
社長島耕作は、あっし的には是非とも、
太宰久雄さんに演じてもらいたかった。
もう鬼籍に入られてるのんで、今から実現は不可能だろうけどさ。
ただかれが社長だと、ハツシバが町工場になっちゃうな(^^ゞ

 

▼ヤング島耕作と社長島耕作。。。
Photo Photo_2

2008年12月21日 (日)

モーツァルトの交響曲

銃を突きつけるより耳を愛撫する方が、しばしば効果的だ。
金儲けの秘訣 ・第43条)




このあいだ、エコ関係の催しで、むかし懐かしのプロレスラー、
ブルーノ・サンマルチノが、ゲストに呼ばれた、
というのをどっかで聞いた。
なんで、エコとプロレスラーが関係あるのんだ、というと、
なんでも、かれのニックネームだった、人間発電所
というのがエコッぽい、というのがその理由だったらしい。

このなんとも珍妙な取り合わせは、
けっこうえーかげんな思いつきで、実現したようだ。
たぶん、人間発電所、というニックネームがつけられた、
本来的な意味合いは、
かれのパワフルさを表現したものなのだろうと思うけれど、
いまや人間発電所、のイメージは、エコなのである。

思えば、むかしのプロレスラーのニックネームは、
なかなかユニークなものが多かったように思う。
人間山脈、と呼ばれていたアンドレ・ザ・ジャイアントは、
飛び抜けた大男であったし、
スタン・ハンセンはたしか不沈艦で、
ハーリー・レイス美獣、    
インドの狂える虎、だの、テキサスの荒馬、だの、
超人、だの、鉄人、だの、というのもあったよな。
ブルーノ・サンマルチノのおかげで、少し物思いに
ふけったりしたのであった。

しかしながら、ぼくがもっとも敬愛するところのブルーノは、
サンマルチノでない。
ワルター、の方だ。

かれの指揮による、モーツァルトの後期の交響曲集を
若いころ、よく聴いた。
アメリカ合衆国のコロンビア交響楽団による、
ステレオ録音のLPレコードだ。
今は、ニューヨークフィルハーモニックのモノラル盤を
CDで手に入れて、寝床のiPodで聴いたりしている。

ブルーノ・ワルターのモーツァルトは、
古き良き時代の香りがする。
最近の流行とはかなり違うようだけれど、
このようなモーツァルトもまた素敵だな、と思うし、
かれは当時モーツァルトの第1人者でもあり、
けっこうスタンダードな演奏でもあったのだろう。

しかしそんなかれでも、市場性の問題か、
後期の交響曲の演奏はレコードで聴くことはできるけれど、
交響曲の全曲録音は残していない。

ところが、ソフト産業の隆盛や音楽の大衆化の影響なのだろう、
最近ではかなりマイナーな曲でも手軽に聴けるようになった。
モーツァルトの交響曲の全曲録音も、けっこう数が出ているし、
ぼくもいくつかは持っている。

台北で買ったカール・ベーム/ベルリンフィルが、
ぼくにとってはその最初の1セットだけれど、
長年に渡ってモーツァルト指揮者の代表格であった、
ベームですら、全集はこの1種類限りで、
亡くなるまでともにあったウィーンフィルとは、
全曲録音を残していないのである。
それはかれの死が1980年代の初頭であったことと
無関係ではないだろう。
こんな、もし、はそれこそ意味をなさないけれど、
かれの生存期間が、もし、15年ほど後にずれていたら、
ウィーンフィルとの全曲録音もでったい存在していただろう、
と思う。

他には、モーツァルト全集170枚組の一部であった、
ヤープ・テル・リンデン/
アムステルダム・モーツァルト・アカデミー、
チェンバロ入りのトレヴァー・ピノック/
イングリッシュコンサート、そして、安くなったので、
買うことにした、サー・チャールズ・マッケラス/
プラハ室内管弦楽団、を所有している。

10枚組のマッケラス盤などは4千円台で、むかしなら、
CD2枚組の値段だし、モーツァルト全集にいたっては、
CD170枚で、20000円ちょいだった。

たしかに、ここんところ、経済状況は悪くなっているし、
格差社会だの、生活が苦しくなっただの、
文句たらたらのひとも多いようだけれど、
バブルに沸いていた、一時のごく特殊な時代
を除けば、過去のどんな時代よりも、
日本社会は豊かになっている、のは違いないのだし、
貧しくなっているのは、不平不満をいえば、
なんとかしてくれると考える輩のこころねの方なんでわ、
とも思ったりするのだけれども、
いかがなもんなんざんしょね(^^;)


▼ちなみに、モーツァルトの交響曲に関して、
38番以降の作品は、アーノンクールのライブ盤なんぞを
よく聴く。
BGMとして、気に入ってるのんは、ピノックの全集だ。
すがすがしい、清涼感溢れる、モーツァルト、なんだよね。

Tom





写真は、映画アマデウス主演のトム・ハルス。
あの笑い方が、なんとも印象的だった(^^♪

Tomhulce





 

いまや、こんな堂々たるおっさんに。

2008年12月 7日 (日)

バッハ on piano

ステーキではなく、ジュージュー焼ける音を売れ。
金儲けの秘訣 ・第146条)



真夜中、枕元のiPodから流れてくる、
グレン・グールドのバッハ演奏を聴いていると、
ぼくはとても不思議な気分に襲われる。

この作曲家が、鍵盤のためのこれらの音楽を作ったとき、
まだこの世には、現代のピアノと同じ音色を奏でる楽器は、
存在していなかった。

にもかかわらず、グールドによって紡ぎ出された音楽、
たとえば、平均律クラヴィーア曲集第1巻を聴いていると、
バッハは、この楽器のためにこの音楽を作ったのではない、
ということがどうにも信じられない、そんな気がしてくるのんだ。

もうずいぶんと昔のことになるけれど、
そもそもぼくが、ピアノで弾かれたバッハを聴きはじめたのは、
ドイツグラモフォンの、マルタ・アルゲリッチによる、
3曲入りのレコードを聴いてからだ。

当時週に一回、クラシックの新譜を紹介してくれる、
民放のFM番組をぼくは愛聴していて、
そこで紹介された曲をエアチェックした、
カセットテープで音楽をよく聴いていた。
よほど気に入ったものは、レコードを購入した。

アルゲリッチさんのバッハは、
そのよほどのなかのひとつ、だった。
そのレコードはほかのいくつかのレコード同様、
繰り返し聴いたものだ。
そして、今はCDで買い直したものをiPodで聴いている。

この演奏は、とてもすばらしかった。
バロック時代の音楽であるのにもかかわらず、とても情熱的で、
なおまた、宿命的なロマンティシズムを感じさせるような、
そんな演奏だった。
ぼくは、このレコードを聴いて、バッハにも、
マルタ・アルゲリッチさんにも、恋してしまった
ほどだ。

ぼくは、演奏会場に足を運ぶのが、
今も昔もあまり好きではないけれど、
かのじょが日本にやってきて、
このレコードのなかの1曲を演奏すると聞いたときは、
仕事を休んで、わざわざ聴きにいったりもした。

そしてこのレコードに関して、
ぼくはもうひとつ特別なインプレッションを受けた。
それは、黒田恭一という評論家によって書かれた、
レコードの解説、いわゆる、ライナーノーツによってだ。

かれはこういう。

リパッティが1950年当時、
ピアノでバッハをひいたときよりも、
(今の演奏者が)ピアノでバッハをひくことが
むつかしくなっていることを(われわれは)思い出すべきだ。
なぜ、いま、敢てピアノでバッハなのかを、
(ピアニストは)その演奏であきらかにしなければならない。
ききては、まず、それを、ききたがっている。
・・・

本当のところ当時のぼくはただ、漫然と耳に心地いい音楽を
聴きたかっただけだったのだけれど、
演奏家はそんな風な責任を背負わされて、
ピアノを弾いたりしていたわけなんだあ、
と、妙に感心したのを覚えていているし、
またたしかにそんな意味合いで、
芸術や、いろいろな事象に接することもまた、
意義深いことかもしれない、と、
若かったぼくは、思ったものだ。

このレコードが出た当時、たしかに亡くなった、
グレン・グールド以外、ピアノでバッハを弾くひとは
あまりいなかった。
そしてグールドは、あまりに特別で、また特殊であったために、
一種治外法権的に、独自に存在していたのんだ。

このレコードが出たときよりも、最近は、
ピアノによるバッハの演奏、を収めたCDが多く出ている。
マルタ・アルゲリッチさんの、この演奏がエポックを切り開いた、
というのは、贔屓目に過ぎるだろうか。

もちろん、グールドの早すぎる死が、ある意味、
ピアニストたちにかけられていた、呪いを解いた
ということも否定はしない、のだけれど、さ。

ただ、たとえどんな楽器で演奏されようとも、
偉大な音楽はやはり偉大
なのだ。

ピアノによるバッハを聴いて、心底そう思うのであることだよ。


▼いまや年齢的には、おばあさん、の領域に近づきつつある、
マルタ・アルゲリッチさんだけれども、
若いときはけっこうもてもてで、
3人の子持ちながら、それぞれ父親が違う、
という離れ業をやってのけた、らしい。
アルゲリッチさんの偉業に合掌(-人-)

Photo





 

 

そんなかのじょの自社のソロを、
ドイツグラモフォンがが最近纏めて売り出した。
そのキャリアの偉大さ、にもかかわらず、
たったの8枚組みでしかない。
それも驚き、なのだけれど、もっと驚愕したのんは、
アマゾンでの3000円ちょいという、その値段だ。
1枚の値段ぢゃんかよー、とかいいつつ、
やはり買ってるおっさんがいるんである^^;

Photo_2

2008年11月 9日 (日)

iPod的不幸

銃を突きつけるより耳を愛撫する方が、しばしば効果的だ。
金儲けの秘訣 ・第43条)




CDの大きさは、指揮者の故ヘルベルト・フォン・カラヤン
が決めたという伝説
がある。

ここでいう、CD、とは、キャッシュディスペンサでも、
クリチャンデエオールでも、チャールズ・ディケンズでもなく、
コンパクトディスクのことだ。
もちろん、中日ドラゴンズのことでもない。

当時その規格をめぐって、推進者であるフィリップスとソニー
の間で対立があった、という。
微妙に違う大きさを主張しあい、どうしたもんか、というときに、
当時ベルリンフィルと訣別し、ウィーンに拠点を移した
カラヤン氏と新規のレコーディング契約を結んでいたソニーは、
カラヤン氏の口をして、ベートーベンの第9交響曲が
ちょうど1枚に収まる、ソニー規格の方がよい、と言わしめ、
フィリップスを説き伏せた、ということだ。

真偽はともかくとして、おもしろい逸話ではないか、と思う。

そのCDだけれど、ずいぶん安く買えるようになった。
ぼくは最近、hmvのサイトから、輸入盤の組み物を買う
ことが多いのだけれど、
iPodの存在が購入の大きな動機になっている。

むかし音楽は、コンサートホールなど公共の場で聴くものだった。
一部の王侯や貴族階級のみがお抱えの楽士を扶養でき、
自宅に音楽を保有できたわけだ。
そういう状況に革命的な変化があらわれたのは、
レコード盤の発明やラジオなどの放送が始まってからだと思う。
一般のひとびとでも、自宅にいながら、
音楽を楽しむことが可能になったのんだ。

つぎの革命は、ソニーによる、ウォークマンの発売だろうか。
もちろん、カーオーディオや携帯ラヂオはそれ以前から
あったけれど、基本的にはコンサートホールでなれば、
自宅で楽しむものだった好みの音楽を
家の外に持ち出せるようになった、
という意味で革命的だったわけだ。
ウォークマンは爆発的なヒット商品となり、
携帯型再生機、という新しい市場をつくることになった。

そしてこの分野の、最近のもっとも大きな事件は、
iPodの発売だ。
PCのハードディスクに保存したデジタル音源を
コピーして持ち出すことをコンセプトにしたこの機械の、
斬新なところは、どこででも自宅の棚にある、
すべてのCDを持ち運べる、
その携帯能力の凄まじさだろうか。

iTuneによるとぼくは、自宅に1800枚ほどのCDを
持っている、らしいが、以前はCDショップでよく悩んだものだ。
このCDはすでに買ったのだっただろうか、
それとも、結局買わなかったのだったろうか。

でも今なら、それで悩む必要もない。
棚にあるのと同じ内容をいつもカバンに入れておける。
旅行先でも、職場でも、自宅にいるのとさほどかわらない、
音楽環境を手に入れることが可能になったわけだ。
しかも、動画対応になったり、音楽配信に対応したりと、
デジタルコンテンツの進化は今後も止まりそうにない。

ただ、今の悩みは、せっかく買ったCDを
ゆっくり聴く暇がないことだ。
ぼくのiPodのなかには、今120GB分以上の、
圧縮された音楽が入っている。
毎日24時間寝ないでずっと1回だけ聴いても、
全部聴き終わるには、2ヶ月半かかる分量、らしい。
1日1時間なら、5年ということになる。

しかもCDが安いので、またついあれもこれもと買ってしまい、
音楽量が増えていく。
われながら、困ったおっさんだなー、
と思う今日このごろなんである。




▼今使用しているiPodの最大容量は160GBで、
ソフトウェア使用分などを差し引いた残りは30GBを切った。
毎年9月頃新製品が出て、もっと大きな容量のものが出る、
と思っていたのだが、今回は、160GBがなくなり、
80GBが120GBに変更されたのみだった。
ちかぢか240GBが発売されるという噂もあるのだが、
早く出てもらわないとCDが買えなくなるな、
とまぢに心配なんである。

Photo






ところで最近、生誕100周年とかで、
カラヤン氏のCDやDVDの企画物が安く発売され、
大量に出回っている。
40枚組のDVD、63000円、71枚組のCD、
19600円、38組は、9600円とかね。
つい買って、やはりでんでん聴けてない。。。

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