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2012年1月20日 (金)

塊魂

誰であれ、魚を水から自由には出来ない。
金儲けの秘訣 ・第153条)



塊魂、というゲームがある。
これのPS3用、塊魂TRIBUTE、
という名称だったと思うが、そこそこ長い人生で、
はじめて最後まで到達できた、ビデオゲームだ。
最後の面をクリアすると、
マツザキシゲル氏の朗々たる歌唱が流れる。
だからどう、というわけではないが。
とくにうれしくもないし。
そもそも本来ゲームを趣味でするわけでもなかったのんだ。

ところで、人生もまた、ゲームのごとき、
1面ずついろんな課題をクリアしていくような側面がある。
ぼくがゲームをしないのも、この達成感、とでもいうべきものに、
あまり意味を見出せないゆえかもしれぬ。

普通の男子なら、結婚や配偶者の出産、子供の入学卒業受験就職、というようなことがそれにあたったのだろうが、
縁がなかったもので。
また、そんなステップが自らにとって、とても重要である、
とか、とても必要である、とか、思えなかったせい、
でもまたあるのだろう。

ただ、そういうステップと完全に無縁に生きていく
ということもまた無理だろう。

とくに、人生の半ばをたぶんすでに迎え、これからのぼくは、
けっこうそういう節目が増えていくように思う。

ぼくにとって、最近迎えたひとつの節目は、
年金加入期間が25年を超え、受給権を取得したことだ。
年金制度について、破綻するかもしれない、というのが、
ひとつの合言葉になって久しいが、破綻するかもしれない、
ということは、破綻しないことが前提である、ということだ。

しかも、税金とは、別に掛け金を取って維持させるべく
作られた制度が破綻する可能性がある、ということは、
それ以前に、税金などで、維持されようとしている
各種福祉制度
は、まず現状同様、維持できない
と考えるのが正しかろうと思う。
さすれば、年金制度が破綻している日本の社会は、
歳を取ったぼくたちにとって、
どんな風になっているのだろうか。
また、税金による福祉は破綻しても、年金制度だけは、
掛け金をとっているのだから、細々とでも存続している、
という可能性もあろう。
むしろ、ぼく的にはそっちの方が自然に思えるし。

それゆえに、とりあえず年金の受給権を得ることのできる期間、
働き続けることができた、ことは、ぼくにとっては、
1面クリア、という感慨ヒトシオだったわけだ。

そしてここ数年のうちに、
これに類するいくつかの節目がやってくる。

今の職場であとどれだけ働くことができるのか、
正直わからないけれど、
マツザキシゲル氏の朗々たる歌唱が聞こえる、そのときまで、
とりあえず自らにもう一鞭、というところなんだろうかな。

 
 

▼さてぼくがなんでこんなにも老後を望んでいるか、というには、
働くのがが嫌い、ということもあるが、最近、体力が失せてきた、
というのも、その大きな理由のひとつである。
以前は立つときだけ必要としていた、よいしょ、という掛け声を、
ここ数年は座るときにもしている、らしい。
知的能力や肉体的能力がひとそれぞれであるように、
老化のスピードも、ひとそれぞれ、なんだよな。

 

P1030521

▼ネコはいーなー、寝るのが仕事、でさ。
でも、向こうのタイ人女子も寝るのが仕事???

 

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