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2011年5月28日 (土)

見えざる手

儲けには限度がある。しかし損に限界はない。
金儲けの秘訣 ・第45条)


神の見えざる手、という概念を、
初めてその著書で、世に示した人は、国富論、
を書いたアダム・スミス、という学者だった、ということだ。

どんなものにも、応用の利きそうなこの考え方は、
最初は、経済学の分野で、世に現れたわけだ。

ところが、本家の経済学に分野のおいては、必ずしも今日、
この考えに沿った経済政策がとられているわけではなく、
ことに最近は、自由放任しようにも、
世の中が複雑になりすぎているようだ。

神の見えざる手、というのが、機能していそうなひとつの分野に、
自然状態における、食物連鎖、というのがあげられる。
たとえば、一番下位の食われるものが、増加すれば、
そのスケールにあわせて、上位の食う方が増え、
上位の食う方が増えすぎれば、下位の階層が減って、
食う方も減らざるをえない。

何十億年と、このスタイルで、自然界はやってきたわけだ。

ところがこれも、最近はあまり機能していないのかもしれない。
人類、という存在がのさばってきたからで、このものたちは、
食物連鎖を超えた存在、といえなくもないだろう。

まあ、別にぼくはそれが悪いともいいとも思っていない、
けれども、さ。

ところで、いつだったかテレビをみていて、神の見えざる手、
というものが機能しているな、と思った瞬間があった。
石坂浩二と島田紳介が司会をしている、なんでも鑑定団、
という番組での出来事だ。

この番組ではよくあることらしいけれど、
どっかで社長をしている金持ちが、
自信満々で持ってきた骨董品が、実は無価値の偽物であった、
という放送をみたのである。

人間、というのものは不思議なもので、金がデキルと、
芸術なんぞに目覚めるようで、わかりもしない、掛け軸や壺に、
惜しげもなく大金を投入したがる、ものらしい。

1千万の自己評価に対して、番組の誇る鑑定士は、
5千円、の値段をつけたのだった。

不思議なもので、今まで、価値あるもの、と信じてきたものが、
専門家によって、無価値、と決めつけられると、
もの自体には変化はないにもかかわらず、
なんとなくそのものに対する、いとおしさ、
のようなものまで失ってしまうのは、
やはり、人間という存在の弱さ、なんだろうな。

そういえば、以前北野武さんだったかがいっていたのだが、
どっかの金持ちが、クラブのホステスをものにしてやろうと、
大金をかけたけれど、なかなかいうことを聞かない。
で、モノにできなまま、いなされ続けていたある日、
気分転換にもっと露骨なサービスが売り物の、
風俗店へ出かけていったその金持ちは、
そこでアルバイトしていた、かのホステスをあってしまう。
ためしに規定のサービス料を支払うと、
ちゃんとそれなりの露骨なサービスが受領できた。
なんのために、クラブで大金かけて、くどいてたか、てな話だ。

ま、これは、神の見えざる手、とはあんまり関係ないな。

                  

 

 

▼サッカーの分野でも、神の手ゴールなる概念が存在してるよね。
審判も人の子、誤審もあるだろうが、
それも試合の味付け、ですかいな。

▼写真は、バンコクの道端におられた、セクシー系(?)の神様。
こんな神様なら、毎日拝んでみようか、と思う。

Photo

ついでに、その近所でみかけた、猫。
売りもんではない、と思う、たぶん。。。

Nekoko

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