« 犍陀多 | トップページ | bmi »

2011年2月13日 (日)

レス

セックスと収入はどちらも長続きしない。
金儲けの秘訣 ・第4条)


最近日本では、夫婦間で長期にわたって、
ある行為が行われないような事態が数多く起こっている、
という話を聞く。
ぼくは独身者で、当事者になりたくともなれない、
わけであるけれど、他人事ながら、
それが双方が望んで発生している場合を除いて、
深刻な悩みになるだろうことくらいは想像ができる。

当事者による、理屈はいろいろとあるようだ。
それについては、ぼくは意見を述べるつもりはない。

興味があるのんは、なんでそういうことが発生するに至ったか、
という背景の方だ。

以前からきっとそのような事態は発生していて、
ただ表立ってはいなかったのだ、という見方もできるだろう。
そうでない可能性もあるだろう。
そうでないのなら、なんで今、そんな事態が蔓延しているのんか、
ぼくはそれを知りたいと思ったわけだ。

こういう場合、ぼくのスタンスとして、とりあえずこう考える。
ヒト、も動物の一種である。
動物行動学的な視点で考えて、答えは出ないものか。

思いついたのは、ヒトには発情期はない、ということだ。
年柄年中発情している、ともいえる。
ほとんどの野生動物は、一番都合のいい時期に発情し、
子を設けようとするのに対し、
ヒトはこの件に関しても異端の存在といえる。
例外は、一部のサルの仲間だけらしい。

なんでそういうことのなったのか、について、
たしかこのようなことを聞いたことがある。

ヒトのオスはなるべくたくさんのメスに子を孕ませたいが、
メスの方は産んだ子を確実に育て上げたい。
産ませる性と産むの性の性質の違い、である。
子育て期間の間も他の発情したメスのところへ行かせず
自分と子どものためにえさを取ってくるように仕向けるため、
ヒトのメスは、さも子が産める状態であるかのごとく、
ずうっと発情し続ける、という戦略生物として選択した、と。

そしてここで、日本における今日的な、
男女関係の状況を考えてみる。

今や日本では、人類の歴史上、かつてなかったほど、
子を持った女性にとって、
配偶者であるオトコの必要性が、薄くなっている。
かれが他の女性の元に走ろうとも、
法律や社会が子育てに必要なモノを与えてくれたり、
カノジョと子どもの権利を守ってくるようになっているのんだ。

ヒトのメスも、自分の子どもが、
配偶者がいなくともきちんと成長するのであれば、
別の配偶者を得て、違うY遺伝子を使い、
子孫を残した方が、生物学的には有利、だという。
そんな戦略に打って出る、メスがいてもおかしくない、
ということだ。

そのような状況のなかで、配偶者であるオスに対して、
発情をやめてしまう個体がでてきた、というのはある意味、
生物として自然な流れかも知れんね、
とか、考えてみたんだが、で、どうするよ、
あれ、あんまり自分の人生には影響ないなー、
月に吠えてみる負け犬系おっさんなんであることだよ。



▼ちなみに、負け犬、という言葉はあるが、
負け猫、とか、負け馬、とか、負け鶏、とか、負け豚、とか
いうフレーズはあまり使わない。
きっと存在していると思うのだがね。
村上春樹氏の「日出る国の工場」によると、牧場における、
負け牛(という言葉は使われていないが)の末路、は、
ヒトのオス、よりもさらに不幸そうだ。
勝ち牛(種牛ということになるが)も、
負けず劣らず、不幸そうだが。
なんで、シーシェパードやグリンピースは、
行動したり、発言したりしないんだろね、牛だと、さ。
わざわざ南氷洋までいかんでも、
オーストラリアにたくさんいるだろよ。

▼写真は、バンコクで見た、薄幸そうな犬。
しっぽがポイントだな。
なんとなくヒトで言う、肩を落とした感じがでてるよね。

Photo

« 犍陀多 | トップページ | bmi »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 犍陀多 | トップページ | bmi »