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2011年1月 1日 (土)

犍陀多

盗品は、100%利益になる。
金儲けの秘訣 ・第14条)


若いころ、好きだった作家のひとりに芥川龍之介がいる。
杜子春だの、芋粥だの、といった短編は、
こどものころから知っていたし、
南京の基督、や河童、は今でも好きな話だ。

高等学校の現代国語の教科書には、羅生門、も載っていたな。
職を失い、盗人になるしかない、と思いはじめていた下人が、
死人の髪を抜いて売ろうとしていたばーさんの、
生きていくためにはしかたないのだ、
というセリフを聞いて、自らばーさんの着物を剥ぎ取って、
最後、下人の行方は、誰も知らない、で終わっていた話だ。

授業だったので、当時の先生はぼくたちにこんな問いかけをした。

盗人はいったいどこに行ったのか?

その問いに対して、剥ぎ取った服を売りにいった、という解答で、
受けていた同級生のことを思い出した。
もう30年ほども前のことなのに、妙なことを覚えているものだ。

懐かしくなって、青空文庫で読み返してみると、
最後の文章が記憶と違った。
調べてみると、最後の結びの一文は変更されているようだ。

初出では、

下人は、既に、雨を冒して、
京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。

となっていたのが、最終稿では、

下人の行方は、誰も知らない。

となったらしい。

さては、先生、初出の最後の文章を知っていて、
ぼくたちにあんな質問をしたのだな。
年を経て、わかった恩師の見識、ってか。

蜘蛛の糸、という話もあった。
悪人だったが、それでも蜘蛛を踏み潰さず、
命を助けたことのある、犍陀多(かんだた)というオトコを
お釈迦さんが極楽浄土へ助け上げてやろう、
としたが、自分だけ助かろう、とするセリフを他の罪人に
かれが投げかけたとたん、蜘蛛の糸が切れて、
元の地獄にまっさかさま、というような話だ。

これには、お釈迦さんは、ほんとうは最初から犍陀多氏を
助ける気がなかったのではないか、という、
お釈迦さん意外とやなヒト説、という見解を思い出す。
助ける気なら、さっさとひとりだけ助けりゃいいし、
①お釈迦さんはあとから来る亡者が全員極楽に亡命するのを
ほんとに認める気だったのか、
それとも、
②犍陀多氏が極楽に着いた後、お釈迦さんが蜘蛛の糸を
御みずから切っちゃう気だったのか。

①だとしたら、極楽が構成員的に地獄と同じようになってしまう
(外国人の犯罪者を受け入れるのが好きな今の日本みたいだ)し、
②だとしたら、お釈迦さん、あんまり人格的に褒められない、
犍陀多氏とかわらないよね、やってることが。

そんなくだらないことを考えているうちに、
ふと自分が今置かれている状況が、
犍陀多氏とかぶって見えてきた。

ぼくの生活で、よく訊かれることに、
タイでいったい何をしているのだ、という質問がある。

ここの記事を読んでくれているヒトには、あんまりなんにもせず、
ぼぉーと日々を過ごしているのがばれているけれど、
正直なところ、いやいや働く、ある意味、地獄的日常から、
なんにもせずに、仕事のストレスのない、
バンコク、という天界に、逃走している、のんだ。

ところが、しばらくバンコクにいると、
だんだんあまりにストレスのない日常が辛くなってくる。
しんどくても、まだ仕事をしている日常、
こんなぼくでも多少は必要とされている状況
恋しくなってくるのんだ。
怠け者で、仕事を一刻も早くやめたいと強く希望している、
このぼくでさえ。

そんな自分の在りようを考えるにつけ、
犍陀多氏は、もし自分だけ天上に這い上がれたとして、
幸せになれたのだろうか、とか考えてしまう、
ぼくの元旦だったことだよ。


▼ちなみに、芥川龍之介、は子どものころ、
養子にいって芥川姓になったようだが、本名だという。
写真を見ると、けっこう男前だし、
ほとんど誰も大学にいけない時代に東京帝国大学、を卒業して、
作家として成功も収め、おまけに、キョコンだったらしいし。
自殺で自分の人生に幕を引いたようだが、何に不満だったんだか。

 

▼ところで皆様、新年明けましておめでとうございます。

Photo
バンコク、サイアムパラゴン前にいたうさぎ氏

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