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2009年1月25日 (日)

コンカツ

上役の妻とは絶対寝るな。
あらかじめ金を払っている場合を除いて。
金儲けの秘訣 ・第112条)


最近、巷ではコンカツ、なることばがはやっている、らしい。
ぼくは未婚だが、今までの人生でそれに当たるような運動
積極的に行ったことはないし、今後も行う予定はない。

もちろん、適齢期、なんて時代はとうに通り過ぎて、
女性たちからみれば、すでに対象外なのかもしれないけれど、
世の中には親切な方がいて、
ぼくが独身でいることを心配してくれたり、
あるいは、適齢期の女性から頼まれて、
苦し紛れにぼくなんぞのことを思い出してくだすったりする。

以前、親の介護の可能性を例に挙げて、
納税や年金保険料の納入が義務であるように、
社会的義務、というか、人としての責任、という観点から、
将来的に独りでいるという状態が自身にとって、
不都合になる可能性が高いにもかかわらず、
独りで生きていく、ということが許されるのか、
というようなテーマで文章を書いたことはあるのだけれど、
その実、結婚をすることが目的であるところの結婚はしたくない、
と考えてきたし、その考え自体は、今もって変わっていない。

つまり、結婚は結果ではあるが、目的ではない、
という学派
に組しているわけだ。
そして、結婚したいので、誰か希望者はいませんか、
というようなオファーには、選ばれる可能性は
もちろんでんでん少ないのであろうけれど、
必ず慎んでご辞退を申し上げる、というスタイルを貫いてきたし、
今もまだそのスタイルを堅持してしている。

その結果として、一生独り者で暮らさざるを得ない、
としても、それは仕方がない。
ただ過去にあげた理由で、一社会人、というか、
今の日本に生まれ、社会の構成員として存在している者としては、
問題があるかも、という疑念は、今も持っているのんだ。

親の介護の義務のために結婚する、
というのが不純な動機であるのであれば、
生活の安定などの経済的理由のため、や、子孫繁栄のため、
あるいは、性的欲求の充足のために、結婚しようとする、
ということもまた、不純ではないのか。

さすれば、純粋な婚姻とはいったいいかなる場合なのか、
どこまでは許されて、どこまでが許されないのか、
あるいは、そもそも他人の結婚に動機に関して、
異議を唱えるような行為が許されるのか、
という風に今でもぼくは思っているのであるけれど、
少なくとも、未婚でしかも、未熟な輩である、ぼくには、
まだもって、結論は出ていない。

好きあって結婚し、その結果生ずる問題は、
最愛なもの同士共有し、問題解決を図り、人生を楽しみ、
子孫も繁栄していく、ということが、
理想的な状態であることはもちろん、百も承知なのであるけれど、
そんな理想的な人生を誰もがおくれるわけでもあるまい
と毒のひとつも吐きたくなるわけだ。

コンカツ?

それよりも、カツコントーを呑みなさい、
と枝雀師匠の口真似をしても、また今日も独り、
のおっさんなんである。

 

▼職場結婚が減っているらしい、というのは、
実経験的にそうではないか、とは思っていたのだけれど、
実際調べてみると、本当にそうらしい。
その理由として、見栄、というか、
あんなんしか相手がいなかったのか、
と女性が同僚に言われるのを嫌がってか、
と思っていたのだけれど、最近、テレビで聞いたところによると、
そういうことばかりではなく、
職場で、そういう話題をすることじたい、
セクハラ呼ばわりされる可能性があるから、だという。
たしかに、あっしも、常にセクハラ加害者呼ばわりされぬよう、
注意全開で、雇われ人生活をおくってるもんなあ^^;
その結果、コンカツしなきゃいけない適齢期の男女が増えてる、
というのも、ご時勢なんだろねー。。。

ときに今日の写真だが、気のきいた方は予想しただろう。
そう、トンカツだ。。。(-_-;)

Photo

2009年1月19日 (月)

音楽の味付け

沢山あるのはいいことだ。全部あればさらによし。
金儲けの秘訣 ・第242条)



最近いくつか、ヘッドホンを買った。
イヤホンタイプから巨大なものまで、
すでに買ったひとのたちの評価を参考に、
通販サイトから、もちろん自己責任で買ったわけだ。

電機店などで試し聴きしてから買った方が本当に自分にとって、
必要なものが手に入るのは重々承知なのだけど、
最近は、出不精に拍車がかかっているのんで、
そんなめんどくさいことはようしない。

えーい、ままよおーい、ぱぱよ、と買ってしまう。

そのなかで、自分的に正解だったのは、BOSEのIEと、
audio-technica のATH-AD2000だ。
音質的にも、他のいろんな点でも、
全然性格の違うこの2つの製品なんだけれど、
自分的にはともに非常に気に入ってしまったのんだ。

IEは、イヤホンタイプの小さなもので、iPod用に使用している。
よくもあしくもBOSEの音
という意見はたぶん当を得ているのだろう。

ぼくは以前にも書いたように、BOSEの音を愛している。
BOSEの製品は、ピュアオーディオ系のマニアからは、
あまり評判が芳しくないようだ。
ぼくのように、なるべく安価にいい音を、と考える、
コストパフォーマンス重視の人間には評価される一方、
記録された音をあるがままに再生することがなによりも重要、
と考えるひとたちには、BOSE SOUNDは、
邪道とも思えるらしい。

BOSEの音、というのは、役者のとあるひとの演技に
似ているかもしれない。
かれは、パイロットを演じても、ピアニストを演じても、
総理大臣を演じても、何を演じても、かれ自身から逃れられない。
それは存在感でもあろうし、役者としては、ある意味、
欠陥でもあると思う。
しかしながら、かれを見たいというひとがいる限り、
それを支持しないヒトがとやかくいう必要もない。
そして音に関して、BOSEらしさ、
というのはそんな感じに似ている、とぼくは思うのんだ。

他方、ATH-AD2000は、ヘッドホンとしてはかなり巨大なもので、
自宅で夜間に大音量で音楽を聴くために使用している。
今まで聞こえなかったような音まで聞こえるし、
もちろんそんな値段では買っていないけれど、
たしかに定価8万円という値段だけのことはあるなー、
と思える一品だ。
普通に聴いていれば、なかなか聞こえなかった、
演奏者が発する鼻歌やうなり声でさえも、
きれいに再生してしまう能力は凄いと思う。

ただ側圧がきつく、長時間つけているのがけっこうつらいので、
ゼンハイザーのHD595を買った。
これは、ATH-AD2000よりは、つけた感じがきつくなく、
またこれ自体も、ATH-AD2000とはかなり雰囲気は違うものの、
とてもいい音のヘッドホンで、最近ではむしろ、
こっちをつけている時間の方が長いかもしれない。

ところで、以前グールドの再創造、を取り上げた。
グレン・グールドがおおむかし演奏した、
モノラル録音のバッハのゴルトベルク変奏曲集を
コンピュータによる解析によって、現代の優れた技術で再構築し、
再録音したCDを発売した、という件だ。
これに関して、実際に聴いたファンから、
グールドの声が入ってないゴルトベルクはゴルトベルクぢゃない、
という意見が非常に多く出たようだ。

音質さえよくすれば、客は満足するに違いない
と企画したレコード会社のヒトは考え、
かれの鼻歌やうなり声は、すでに音楽の一部になっていた
ことには気づかなかった、というわけだ。

ぼくもまた上記ヘッドホンたちで、
ときに通奏低音のように音楽とともにある、
グールドの鼻歌を楽しもうかなと思うのだ。

Photo








▼よいヘッドホンを買うと、今度はヘッドホンアンプが
ほしくなる。
LUXMANが欲しかったけれど、置くところがないので、
今回はあきらめて、クリークというイギリスの会社の
OBH-21を買った。
場所を取らないのが取柄だが、
どうもそれ以上の製品でもなさそうだ。
ちょいと場所を作って、また別のヘッドホンアンプを買おうかな、
と思わないでもない、今日この頃。
オーディオは凝り始めると無間地獄なので、気をつけないと。。。

2009年1月10日 (土)

チャカポコの呪い

新しい顧客のことを知っておくことは、良い商売につながる。
金儲けの秘訣 ・第194条)




むかし、逆鉾(さかほこ)という相撲取りがいた。
亡くなった井筒親方の息子さんで、
最近まで現役で頑張っていた寺尾関とは実の兄弟だったひとだ。

あるとき、さかほこ、という響きがチャカポコに似てる、
と思ってから、さかほこ、の名前を聞くたびに、
チャカポコ、という意味のないことばを思い出すことになった。
ぼくは、この現象を、チャカポコの呪い、と呼んでいた。

このようなことばの呪い、のような現象はけっこうあるようだ。
職場に細木多津子さん(仮名)というひとがいる。
顔や姿や態度・言葉遣いはでんでん似てないのだけれど、
なんとなく、どっかの誰かさんと名前の響きが似てる。

そして、そのような思念は、
つい錯誤を催す作用があるようで、
職場のとある部署は、魅入られたように、
細木多津子さん(仮名)に、つい

細木和子様

と書いて、
けっこうまじめな書類をまわしてしまったのだった。
それぢゃあ、占いおばはんのぱちもんぢゃあないかあ^^

言霊のしわざ。

むかし、名前をたくさん持ってたり、
女性に名前がなかったりしたのは、
言霊の呪いから、逃れるためだった、
という話を書いてるひとがいた。
たしか、伊沢元彦氏だったと思う。

そういえば、タイ人もニックネームで呼び合って、
けっこう親しくても、相手の本名しらんかったりするし。
めんどくさがり、っていうこと以外に、
その風習には、そういう呪術的な意味合い
がほんとはあったのかも知れない。

ほんとに当時、言霊、にちからがあったのかどうか、
ぼくには、わからないけれど、逆に現代に、
その呪術的な意味合い、がでてきたような気がするのんだ。

それは、検索エンジン、というものの登場によってである。

初対面のひとでも、見ず知らずのひとでも、
名前を検索にかけることで、
ときには、そのひとのことがわかってしまうこともある。
企業の人事採用者なんかは、身元調査をするかわりに、
検索をかけてるのでないか、とぼくは思ったりしているのだが。

またぼくは暇なとき、むかしの同級生や友人の名前を検索し、
ひとり同窓会、と称して遊ぶこともある。

むかしに比べ、個人情報の保護がうるさく言われる
ようになってはきているけれど、
むしろ、プライバシー、というものがなくなる社会が
いずれ来るのでわないか、とさえぼくは思っている。

さて、ぼくの予想は当たるだろうか。


▼上記検索エンジンの発明と、PCの低価格化によって、
誰でも簡単に、情報の蓄積が可能になった。
むかしだったら、個人の手に負えない量の情報が、
誰でも簡単に取得し蓄積できるようになった、から、
プライバシーが保てなくなる、というのがぼくの意見なわけだ。
いっぺん、なんらかの形で流出した情報は、
個人のPCのなかにしまわれり、
ネット上を流浪しつづけ、コピーを重ねられ、
回収不能になってしまうのだから。
発想を変えて、みんながプライバシーなんて気にしない、
と考えれば、楽に生きていけるのかな、と思うのだが。

▼ところで、最近あらたに発見したのだけれど、
中共の国家主席の胡錦濤、というおっさんと、
ポキン金太郎、ってなんか響き似てない?
だから、どうだ、ってことはないのだけれど、さ(^^

Kin






2009年1月 1日 (木)

百人坊主

復讐は無駄。
金儲けの秘訣 ・第83条)


タイは仏教国である、とガイドブックには載っている。
たしかに仏教徒が多く、お坊さんの地位が高い反面、
小乗仏教ゆえ、戒律は厳しく、
妻帯どころか、女性に触れることも許されず、
その他の快楽からも離れた生活を強いられる。
それゆえに、社会的には大きな尊敬も得られるわけだ。

以前も書いたような気がするが、
日本のお坊さんが職業的であるのに対し、
タイのお坊さんは、身分であり、階級なのである。

ただしそれがために、僧としての規範を逸脱すると、
刑事罰まである
、ということだ。

ガイドブックには、93%だかが仏教徒である、
と政府発表の数字が載っていたりするが、
実際は、もう少し他の宗教、イスラム教徒なんかが、
南部を中心に多いような印象を受ける。

また、むかしそごう百貨店があった、エラワンプームのように、
仏教とは直接関係のなさそうなものも、
タイ人は、拝んでいるようなので、そのへんは、
日本人同様、臨機応変なところもあるのかもしれぬ。

ただ、日本人のように、結婚はキリスト教式、
七五三のお宮参りや受験は、神社にお願いをして、
死んだら、お寺のお世話になる、
というような自在さは、ないようだ。

しかしながら、日本人の宗教意識が、
こんな風になってしまったのんは、
為政者による、政治的な意図もあったようで、
落語なんかを聴いていると、一般庶民が、
神さんやお寺さんに気を遣っている様子が描き出されていて、
興味深かったりする。

百人坊主は、お伊勢参りに関する落語で、
ぼくはけっこう好きな噺だ。
ある集落で、村民の間で、お伊勢参りに行きたい、
との話がでるが、毎年、トラブルを起こす村人達に、
庄屋さんはうんとはいわない。
しかしながら、今回はでったい身内同士で喧嘩いたしません、
もし、喧嘩沙汰を起こしたならば、村から追放されて、
流人にされても、文句は言いません、という約束をしたうえで、
ついに今年もお伊勢参りが行なわれることになる。

道中は、まず京までの船旅だ。
しかしながら、慣れない船で寝付けないから、
酒が飲みたい、という村人達に対し、
酒を飲んで喧嘩されることを恐れた庄屋はうんとはいわない。
そこで、ひとり2合まで、ということで折り合いをつけ、
万事丸く収まった、と思えたのもつかの間、
村一番の乱暴者が、他人の分まで飲んでぐうぐう寝てしまった。
自分の分の酒を飲まれた他の村民は、
喧嘩することは許されないため、とりあえず我慢したものの、
乱暴者が酔っ払って寝ているのをいいことに、
このおとこの頭を坊主にしてしまう。。。

というようなところから、噺は佳境に入っていくのだけれど、
結局、坊主にされたおとこは、お伊勢参りを諦める
その理由が、伊勢の神さんは坊主が嫌いだから、
ということなのだ。

ところで、最近テレビで、世界のなべあつ氏が、
自分の奥さんの話をしているのをたまたま聞いた。
かれによると、奥さんは、かなり風変わりなところがあって、
ある日、なべあつ氏が自宅に帰ると、
彼女は、なぜか丸坊主にしていたそうだ。
そんな奥さんを連れて、かれはお正月にお伊勢参りにいった
そうだけれど、古人の暴れん坊が二の足を踏んだ行為
かれらはどうどうと行ったことになる。

考えようによっては、宗教的に無分別な今の日本人よりも、
江戸時代の人のほうがエチケットがあるなー、
と思ったりした、おっさんであることだよ。

 

▼お坊さん、といえば、関西の人気番組、
探偵ナイトスクープで、ぼんさんが屁をこいた
(関西地方で子どもが、十読む代わりに使うことば)を
実際にお坊さんを集めて、(特撮やCGでなく)実演で
していたが、タイでは考えられない。
いくら単なる職業とはいえ、
日本の坊さん、サバケ過ぎ。。。

 

▼ぼんさんが屁をこいた、といえば、
定吉七番シリーズ、オクトパシー・タコ焼き娘で、
大阪の味覚を破壊すべく暗躍した、インド人の悪党、
アジミール・シンが、関西人類に復讐を企てるきっかけに
なったのが、この十を数えることばだった。
ぼんさんが屁をこいた、とか、だるまさんがころんだ、
というべきところ、かれが育った地域では、
インド人のフンドシ、と数えるのだと。
ということで、今回の写真は、インド人のフンドシ、、、
ではなく、タイのお坊さん。

Photo_2






インド人のフンドシ、といえば、
このオクトパシー・タコ焼き娘の講談社文庫版によると、
静岡県で十数えるとき、
インデアンのチンポコ、ということになっている。
しかしながら、旧版の角川文庫所蔵のこの作品では、
静岡県でこそ、インデアンのフンドシ、といい、
シンの育った地域では、インド人のクロンボ
と数えたことになっていた。
事実誤認もあるし、差別的でもあるし、
いい表現では決してないと思うけれど、
そのことばを回避せんがためだけに、
史実
(なんだよね?)を勝手に捻じ曲げていいのんか、
と思ったりしたのだが。。。

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