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2008年7月31日 (木)

やさしいキスを

鋭い会計係は必需品だが、妻は贅沢品だ。
金儲けの秘訣 ・第86条)

 


あなたの一日が終わる時に そばにいるね
何も言わないで やさしいキスをして

そっと髪を撫でて 肩を抱いて そばにいるね
あなたが眠るまで やさしいキスをして

電話してくれたら 走って行くから すぐに行くから
なにもかも放り出して 息を切らし 指を冷やし すぐ会いに行くから

報われなくても 結ばれなくても
あなたは
ただ一人の 運命の人

今日という一日が終わる時に そばにいられたら
明日なんていらない
髪を撫でて 肩を抱いて あなたが眠るまで

この出会いに やさしいキスを これが運命なら

(詞:吉田美和)

 

ぼくはいつだったかの年末、みのもんたが司会する紅白で、
この曲を聴きながら、泣いていた。
なにかのメタファーではなく、
現実的な行為として涙を流していた。
バンコクのとあるホテルでのことだ。

前のかのじょに捨てられてから1年近く、
当時のぼくはまだ同じところに立ち止まったまま、
生きていたのだろう。

その後、この曲を聴いても平気になってきたけれど、
それは、状況に慣れただけ、という気がしないでもなかった。

この曲は、TBSのドラマ「砂の器」の主題歌だった。
そして、このドラマを以前付き合っていたかのじょと
ぼくは見ていた。

そして番組が終わってまもなく、
ぼくらの関係もおわったのだった。
かのじょがいなくなったことによる喪失感は、
自分でも意外なほど大きかった。

しかしながら、今ではこれは自らにとって幸いな出来事だった、
と思える自分がいる。

決して負け惜しみではなく、なんでそう思えるようになったのか、
といえば、理由は先日の骨折だ。
このときに、ぼくは親に面倒をみてもらったのだけれど、
もし、かのじょといっしょにいたとして、
あのかのじょに面倒を見てもらいたかったか、と考えたのだ。

自問の答えは、non、だった。
そういう風に思えなかった、ということは、
きっと、あのかのじょは、たったひとりの運命の人
ではなかったのだろうと。
そして結果的に、間違うことができなかった自分は、
ついていたのだろうと。

ある種の極限状態で、一番信頼できるひとこそ、
きっと運命の人、なのだろう、と人生初の骨折で、
自分的には考えたわけだ。

ま、ぼくの場合、たったひとりの運命の人自体存在していない、
という可能性が高いのだろうけれどね^^;



▼あんまり音楽的才能に恵まれてなさそうなタレントが
主人公の天才音楽家、和賀英良役を演じていた時点で
実はあんまり期待していなかったこのドラマだが、
なかなかよい出来ではなかったか、と思っている。
しかしながら、ぼく的には和賀英良は加藤剛、
でなくてはならぬ
のである。
そして、劇中曲の、ピアノと管弦楽のための宿命
好きだったなー。
レコード、たぶんまだもってる(^^♪

Photo





 

 

そういえば、まだ亀嵩に行ってないな。
水木しげる記念館といっしょにいっぺん行くとしよう(^^

2008年7月27日 (日)

落ちは?

口先だけで何とかなる時は、絶対ラチナムを使うな。
金儲けの秘訣 ・第60条)



我話す、故に我あり、といったかどうか知らないが、

われら関西人類にとって話すことは、
日常生活におけるとても重要な活動である。

関西には、しゃべくる、ということばがあるが、
熱心に話すことは、褒められこそすれ、
非難の対象にはなりえない
という認識で一致している。

しかしながら、その、話す、という分野において、
われら関西人類は、
自らの生息地域以外での評判が悪い
よな気がする。

曰く、世界のどこでも関西弁で話す、とか、
曰く、必要以上に声がでかい、とか、
曰く、話の最後に落ちを要求する、とか。

たしかに、うなずける項目もあるようだ。
パリの3星レストランでの食事中や
ミラノのスカラ座でのオペラ観劇中、
あるいは、未開のジャングルで未知の種族を捜索中に、
わざわざ関西弁を聞きたくない、というような意見に関して、
ぼくも必ずしも、同意しないわけではない。

トゥール・ダルジャンで、鴨料理を頼んだときに、
ギャルソンから、大盛りでっか
と関西弁で訊かれたくない、
とか、
せっかく本場のイタリアまできて、
♪あーる晴れた日でおましたぁ~、
と歌われたくない、
とか、
すわ、文化人類学史上における、大発見か、
と思った瞬間、相手の種族の酋長から、

もおかりまっか

などと挨拶されたくない、
とかいうことに関しては、理解する、ということだ。

しかしながら、最後の項目、落ちを要求する、に関して、
なんで非難をされるのか、それがよくわからない。

要は、笑いどころも落ちもない話を長々とすることが、
一人前の大人の会話作法として、正当なものなのか否か、
いわば、聞き手への礼儀や、心遣いの有無に関する認識の違い、
ということではないのんか、という風に思うのだ。

われら関西人類の多くは、たとえそれが日常的な会話の一環
であったとしても、相手を楽しませる要素は必要不可欠であり、
そのような配慮がない長話は、
相手の時間を暴力的に奪うだけの、
犯罪的収奪行為である、と考えるが故に、
ひょっとして、うっかり言い忘れただけかもしれない落ち
わざわざ訊いてあげているのだけれど、
他方、他の地域に住まうひとたちには、
そのような要求自体、違和感があるらしい。

たとえれば、笑いどころも落ちもない話を長々とすることは、
話し手は満足かもしれないが、聞き手への愛情は感じられず、
寝室での男女の営みで、自分だけが気持ちよくなるような、
そんな自分勝手な行為とさしてかわらないのでわないか、
とぼくなんかは、思うのであるが、
いまだ技巧のない、長いだけの話にあけくれる、
他地域人民の文化の到達度
について思いをはせる、おっさんなんである。




▼で、この話は落ちは?



▼落ち、の代わりにウォッチを。
写真は、バンコクで見かけた、
珍しいオメガのデジタル時計

Photo

2008年7月23日 (水)

あなたの正義、わたしの正義

銃を突きつけるより耳を愛撫する方が、しばしば効果的だ。
金儲けの秘訣 ・第43条)




ハリソン・フォード演じる米国大統領が、
テロリストだかに乗っ取られた、アメリカ合衆国の、
大統領専用機から、脱出できるのに脱出せず、
最愛の家族を自力で救出する、というような内容の、
エアフォースワン、という映画が昔あった。
たぶん、絵に描いたような、
アメリカ的ヒーロー像
がそこにあるのだろう。

もし現実世界の出来事であれば、大統領は逃れるべきだし、
場合によっては、家族を犠牲にしてでも、
国民を救う決断をする必要
のある場合もあるのだろうと思う。
未知への飛行、という映画で、
ヘンリー・フォンダの演じた大統領は、そんな大統領だったし、
それはそれで、かっこよかったと思う。

さて、日本では野党の議員が国会で、
役人の天下りを追求しているさまが、
テレビのニュース画像で流されたりしているけれど、
そやつの顔をよくみれば、どっかの写真誌だか、週刊誌だかで、
女性アナウンサーと不倫騒動を起こし、
報道された奴ではないか。

そんな奴に正義を論じられる、
天下り官僚もずいぶん情けない
ことだろうな、
と同情を禁じ得ないのだけれど、どんなもんなのだろう。

アメリカ合衆国では、高級コールガールを
買った知事だか、上院議員だかが、
その後、能面みたいな表情の奥さんと辞任会見していたが、
あれが不倫だったら、辞める必要はなかったのだろうかな。

おまけに、サンデージャポンで、爆笑問題の大田光に、
あたまがまっしろになって、と奥さんまで、
廃業した料亭のささやき女将になぞらえて
おちゃくられてたしさ。

ま、そのアメリカでも、現職のアメリカ大統領が、
ホワイトハウス内で、肉感的なおねーちゃんと、
怪しげな行為を行なったにもかかわらず、
詭弁を弄して逃げ切ったっけ。

でも、その配偶者は、結局、
その事件が関係あったのか、なかったのか、
自らは、大統領候補には、なれなかったようだし。

ぼくは、天下りはいけないが、不倫は許される、
とは考えない
学派のおっさんなので、
どうにも違和感があるのだけれど、
まあ、ひとそれぞれ常識は、違うのだろうから、
せいぜい自分の信じる正義を追求してくだされ、
ぼくはあんたの党には1票いれないけどさ、
と某野党議員にエールを送ってみたりするのんである。



▼未知への飛行、の原題は、たしかフェイルセイフ、だった。
フェイルセイフとは、故障や誤操作があっても、
安全な方に作動する仕組み
、で、
偶発的な核戦争が防がれる仕組み、のことも意味するが、
この映画では、フェイルセイフが機能しなかったために、
米ソで最終戦争が起こる可能性が非常に高まる状況が描かれる。
若いとき、深夜のテレビで見て以来、
好きな映画のひとつなんである。

Failsafe

2008年7月19日 (土)

コルトレーン・フォー・ラバーズ

褒め言葉はタダだ。顧客にはいくらでも気前良く言ってやれ。
金儲けの秘訣 ・第39条)



ちかぢか米国の大統領になるかもしれぬ、
バラク・オバマ氏の好きなアーティストは、
サキソンホン奏者のジョン・コルトレーンなのだそうだ。

ぼくも何枚かCDをもっており、
コルトレーンのことは、にくからず思っているのであるが、
マイフェバリットはというと、恥ずかしながら、
コルトレーン・フォー・ラバーズ、という企画物なんである。

本当の好き者から言わせると、
きっと笑止千万な選択なのだろうけれど、

好きなんだから、しょうがない

と、故丹波某氏のように力んでみたりする。

バラードっぽい作品が多いこのアルバムの何曲かは、
ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン
という作品から、選曲されているけれど、
ぼくは、ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマンよりも、
このコルトレーン・フォー・ラバーズが気に入っている。

1曲目、My One and Only Love に耳を澄ませば、
初めのコルトレーンのソロでいい気分になり、そのあと、
引続いて唄われる、ハートマンのボーカルに酔いしれる、
という感じなのである。

コルトレーンのサキソホンの音色と、
ハートマンの唄声がとっても甘く響く、この曲は、
その歌詞の内容もまた、とてもとても甘いようだ。

The very thought of you makes
My heart sing,
Like an April breeze
On the wings of spring
And you come to me all your splendor,
My one and only love

The shadow's fall and spread their
Mystique charms in the hush of night,
While you're in my arms.
I feel your lips, so warm and tender,
My one and only love

The touch of your hand is like heaven.
A heaven that I've never known
The blush on your cheek,
Whenever I speak,
Tells me that you are my own
You fill my eager heart with
Such desire,
Every kiss you give
Sets my soul on fire
I give myself in sweet surrender,
My one and only love

お、おにぎりのことを思うと、ぼ、ぼくのこころは歌いだすんだな。
そ、それは、春のつばさにのった、し、し、4月のそよ風みたいなんだな。
そして、お、おにぎりはすべての輝きを、ぼ、ぼくにつれてくるんだな。
ぼ、ぼくは、おにぎりがすきなんだな。

ゆ、夕闇が落ちてきて、く、暗くなってきたら、
よ、夜の静かさのなかで、し、神秘的におなかが減るんだな。
お、おにぎりが、手のなかにあ、あるあいだ、
ぼ、ぼくは、く、唇のようなたらこに、暖かくて、やさしいたらこ入りの、
お、おにぎりがすきなんだな。

お、おにぎりに触ると、まるで、天国にいるような気分なんだな。
ま、まだ、ぼくは天国のことはよく知らないんだな。
ぼ、ぼくが話すとお、おにぎりも、
あ、あかく恥じらったりするんだな。
お、おにぎりはぼくのものだと、ぼくに言ったんだな。

お、おにぎりは、食べたい気持ちで、ぼくのこころを満たすんだな。
お、おにぎりがぼくに口づけするごとに、ぼ、ぼくの魂に、火がつくんだな。
ぼ、ぼくは、おにぎりがすきなので、
ぼ、ぼくは、甘く身をまかせるんだな。

(山下清画伯風意訳、詩人ぷんぷい)

この、ジョニー・ハートマン、という歌手は、
村上春樹氏が人生で初めて聴きにいった、
モダンジャズの演奏会にアート・ブレーキー
と登場したひとだということで、
うん十年前に、来日もされていた、というなんだろな。

いいひとと、しっぽりと聴くCDをお探しの方には、
フォー・ラバーズ、という名に恥じず、
ぴったりなアルバムだと、
どうせ独りで聴く、おっさんから、花丸でお勧めしておくよ。

Coltrane_for_lovers

2008年7月15日 (火)

モス・爺婆(ジーバー)

法はみなを平等にする。しかし正義は一番金持ちのところに行く。
金儲けの秘訣 ・第138条)



台湾に最近行く機会が多い。
そんな話を友人なんかにすると、
本場の中華はおいしいのでしょうね
などと言われるのだけれど、ぼくは、
たぶんおいしいのでしょうね
と答えざるをえない。

独りで台湾をうろうろするようになってから、
いわゆる、中華料理をかの地で食したことは
1度もない
のんだ。

じゃあ、どんなものを食べているのか、というと、
ほとんどファーストフードか、吉野家の牛丼で、
こないだは、大吉の焼き鳥を食べた。
コンビニのおにぎり、というときもある。
そもそも、タイ料理以外の食べ物に、あんまり関心がないのんだ。

だから、日本ではあんまり食べない、ファーストフードも、
海外で独りな状況では便利なので、よく利用する。

そして、台湾でよく行くのは、マクド、ではなく、
KFCとモス・バーガーだ。
さて、そのモス、が今日の話題なんである。

うまいこというひとがいるもんだ、と感心したのだけれど、
最近、深夜の労働力不足を解決するために、
ファーストフード店が高齢者を使用し始めたところ、
かれらの人生経験を生かしたきめ細かいサービス、
が評判
になった、という話は聞いていたのだけれど、
それが、モス・爺婆(ジーバー)、と呼ばれているらしい。

考えてみれば、たしかにファーストフード店の店員が、
若くなければならない必要はないし、
若年層の人口が減り、逆に歳を重ねると、
労働市場では限定的な仕事しか見つからない状況では、
まさにコロンブスの卵
とでもいうべき、斬新な発想かもしれない。
それどころか、ある意味、
労働市場における、新大陸の発見に近い、
大発見かもしれないのんだ。

海外に行くと、ぼくの場合、
それは往々にしてアジア地域なのだけれど、
けっこう老人が働いているさまを今でもみたりする。
そして、日本でもオキナワなどでは今でも、
そういうことがあるようだ。

もちろん、福祉の問題が大きな要因なのかもしれないが、
からだが動く限り、働く、ということに幸せを感じる
にもかかわらず、その場所がみつからなかったり、
働くと却って生活上や金銭上、不利になるから働けない、
というような状況があるために、
労働可能なひとたちが、もし働けないのであれば、
行きすぎた福祉、というのもある意味不幸
なのかもしれないな、と思ったりする。

もちろん、ぼくのように、働くのが嫌いで、
一刻も早く、老後を迎えたい、
と思っているひとも多くいるのだろうけれど。

今回のモスバーガーのように、適材適所で、
高齢者がうまく社会参加できることは、
来るべき高齢化社会のいい見本になるのだろう。

同業他社が、労働力不足を店長に押しつけ
それにふさわしい手当てをしてこなかったばかりに、
裁判沙汰になった事件が大きく取り上げられたばかりなだけに、
こころあたたまる、ええ話ではないっすかね(^^


▼その店長の裁判の顛末をみてあっしが思うのは、
日本の労働者が保守的である、ということだ。
同様の状況におかれているひとたちがきっとたくさんいた、
にもかかわらず、かれはたった一人で裁判を起こし、闘っている。
たぶん、日本の労働者の権利が闘って勝ち得たものではなく
戦争に負けた結果、自動的に付与されたものである、
ということも関係あるのだろう。

日本の労働者よ、自分の権利のために団結せよ

と煽ってみる、今日のおっさん、なんである。

 

 

Mostpe

 

  モス@台北

2008年7月11日 (金)

予兆

誰かに魚を売れば、それは利益になる。
だが、そいつに魚の捕り方を教えてしまえば、
顧客が一人減ることになる。
金儲けの秘訣 ・第208条)



某国営テレビを見ていたら、おもしろいことをいっていた。
最近、食べ物の値段が上がりつつあるが、
これは来るべき、人類の食料争奪合戦の始まりなのだそうだ。

つまり、今の食料品を中心とした物価上昇は、
需要と供給のバランスが崩れた結果起こった、
しごく当然の現象である、ということ、らしい。

いつからだろう、たぶん、ぼくが大人になった当たりの、
30年ほど前から、日本の物価は上がらなくなった。
収入は、増加したにもかかわらず、物価が上昇しない分、
どんどん生活は豊かになっていった。
そして、われわれは、それを当然のこととして、
受け止め来たのだろうと思う。

それが、文明の進むべき道筋であり、
日本という国は、それを享受する権利を得たのだ、と。

その結果、日本人は、ずいぶん食文化に関して、
口うるさい民族
になった。

米不足になっても、タイ米はまずいから、喰いたくないだの、
狂牛病が怖いから、保証のない牛は輸入させないだの、
遺伝子組み換えのトウモロコシが紛れ込んだので、
菓子をでんぶ回収して捨てるだの、
製造日が本日でないから、赤福はけしからんだの。

また最近では、客の食べ残しを使いまわしていたことが
致命傷になって、有名料亭が廃業に追い込まれたりもした。

しかしながら、現実の日本といえば、
食料自給率は3割ほどしかなく、
喰うものに文句がいえる権利など、
はなからなかったにもかかわらず、
今はちょっと調子に乗ってわがままがいえていた、
幸せな期間の最終章なのだ、ということなのだろう。

中国、インドなどの人口の多い発展途上国が、
先進国と同じ食生活を目指した結果、
今後は食糧不足が起こる、らしい。

今まで、穀物を直接食していたひとびとが、
効率の悪い、動物性食品の摂取を望み、
その結果、食料の確保ができなくなる、
というような構図らしい。
もちろん、世界的にはまだ人口も増えているようだし。

ただ、むかしのひとのように、農業製品を中心とした食生活を
みなが行なえば、当座の危機は去るようなので、
KFCの油鶏が食えなくなるのは残念だが、

お、おにぎりがあれば、それでいいんだな

とまた山下清画伯のようにまたいってみる、
おっさんなのである。

 

 

減反政策を見直す、ということに関して、
いろいろ意見があるようだけれど、
お米がなければ、、おにぎりが作れないだな。
おにぎりがなれば、おにぎりが食べられないんだな、
とさらにいってみたりする、おっさんであることだよ。

Kfckfc

2008年7月 7日 (月)

世捨て人

誰であれ、魚を水から自由には出来ない。
金儲けの秘訣 ・第153条)



おさびし山よー、と昔歌っていたのは、
ムーミン谷のスナフキンさんだった。
かれは、いつもギター片手に池で釣りをしていた。
今思えば、ぼくはかれに世捨て人をみていた
ような気がする。

だからといって、ムーミンパパやノンノンの兄者である、
スノークが働いてる場面も出てこなかった
ような気もするのだが、
ぼく的には、かれらはたぶん映像外で
額に汗して生産的なことを、
たとえば、野良に出て働いたり、
会社に行って外回りの営業をしたりしてるんだろう、
と勝手に考えていたのんだ。

仕事、といえば、妹の息子、ぼくの甥にあたる男は、
小学生の高学年になっているのだが、
長い休みのときには一家でじじばばの家にやってくる。
じじばば、とは、ぼくの父母だ。

そんなときぼくは大概海外にいるのんで、
わりと頻繁に実家に電話連絡を入れるのだが、
そんな様子をみていた、くだんの甥にあたる男は、
ぼくが年がら年中そんな風に暮らしていて、
働いていない、と思ってたらしい

ぼくは寅さんか、ってーの

最近ネット上でよく見ることばに、
自宅警備員というのがある。
二ートや引きこもりや無職、というネガティブなことばに対する、
一種アクティブな概念として出てきたのか、
自嘲的なところから出てきたのんか、わからないが、
職業的な響きのあることばではあるよなー。
そんな名刺も1度はもらってみたいものだ。

ぼくは、近い将来あんまり積極的に働かずに生きていくべく、
現在準備中なのだけれど、
できれば、自宅警備員ではなく、世捨て人、
と名乗りたい、と思っている。

ギターも釣りもたしなまないけれどもね^^;

▼スノーク、の声を演じていた、広川太一郎さんが、
亡くなった、というニュースをこのあいだ聞いた。
あの一度聞いたら忘れられない、
ノーンノン、というセリフを真似ながら、合掌(-人-)

写真は、モンティパイソンのDVD。
広川太一郎さんを偲び、近々見る予定っす。

Photo

2008年7月 3日 (木)

ばいばい、エディ

利口な顧客は、良い顧客であるという訳ではない。
金儲けの秘訣 ・第82条)



電子マネーのエディが、危機的状況を迎えているらしい。
赤字ながらもトップを走り続けてきたエディが、
経常的な赤字が解消できないまま、決済件数で他社に抜かれ、
3位まで後退してしまった、ということだ。
このままでは、遠からず経営的にも問題が出てくるのではないか、
と、ある報道にはあった。

そして、その報道機関は、エディが伸び悩んだ理由を
いろいろ分析していたが、
ぼくに言わせると一番大事なことがわかっていない、と思う。

エディは、最近、使用する者にとって、おいしくなくなったのんだ。

データは持っていないけれど、ぼくが思うに、
エディを支え続けてきたのは、マイラーだった。

電子マネーのエディは、早くからANAと提携し、
マイルをえさにその勢力を拡大していった。

マイラーは、マイルを加算するためには、努力を惜しまない。
クレジットカードで支払えばいいものを
わざわざクレジットカードからエディにチャージし、
エディで支払いを行なうような邪魔くさいことをしてきたのは、
ひとえにマイルのためだ。
直接、クレカ払いするよりも、たくさんマイルがつくからこそ、
エディを使ってきたのんだ。

ところが、である。

最近の改正、というか、マイラーからみれば、改悪、
ということになるが、
クレカから、エディにチャージするときに、
マイルがつかなくなってしまった。
これならば、直接クレカで支払う方が、得ではないか、
とマイラーは、エディにチャージすることを
やめてしまったわけだ。

今年の3月16日のことだ。

もちろん、後払いで比較的大きな金額を
決済するためのクレジットカードと、
先払いで、比較的小さな金額を決済するためのエディとでは、
その活躍の場が違うのだ、という者もいよう。

しかしながら、マイラーにとって重要なことは、
各機関が想定している決済の規模ではなく、
どんだけマイルが有利につくか、ということなのだ。

エディはマイラーにとって、「使えない」存在
になってしまった。

しばらくは限度額一杯までチャージしてあった、
エディを使用していたマイラーだけれど、
それも、そろそろ底をついてきた、ということだろう。
今になって、3位に後退した、その理由、
というか、そのタイムラグは。

マイラーは、エディを見限った。
クレカよりも、おいしくならない限り、
もう積極的に使用することはないだろう。

今まで、このブログでは機会あるごとにエディを
褒めてきた
けれど、残念ながら、決別の時がきたようだ。

ばいばい、エディ(^_^)/~

また、おいしくなるその日まで。

 

 

▼エッディ~、で思い出すのんは、
スネークマンショーのアルバム、スネークマンショーだ。
別名、急いで口で吸え、とも呼ばれるこのアルバムは、
今や大御所となった、小林克也と伊武雅刀が、
ユニットを組み、作り上げた作品で、
最近、再度CDで手に入れた。
若いころ、

お使いになりますか?、
まっさっか、
あ、それから、これください、

などと言ってた日々が懐かしい。
今ぢゃ、コンビニでも売ってるから、
こんな緊迫感(?)は共有できないよね(^^;)

Photo

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