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2008年6月17日 (火)

らんどせる

良くない行いも処罰はされない。
金儲けの秘訣 ・第285条)


ぼくは厭きていた。
骨折してから、固定された右腕を庇いながら、
実家と職場を通うだけの日常に。
これはそんなある日に目撃したものの記録である。

ま、そんなたいそうなことでもないんだけど。

仕事帰りの電車に乗ろうとしたときだから、
時刻は夜8時過ぎだったろうと思う。
電車の扉から乗るときに半ズボンの脚が見えた。
知り合いの外国人のおっさんのことを連想させる脚だ。
その外人のおっさんは、年齢不詳だけれど、
たぶんぼくと同じような歳回りで、
夏はいつも半ズボンなので、かれの脚は見慣れてる。
つるっとした、筋肉質の脚

しかしながら、今は2月だ。
電車の半ズボンの乗客をみて、
反射的に元気がいいおっさんなことだなー、と思い、
でも、どんなおっさんかわからないので、
そっちの方をみないようにしながら
空いた席に坐ったのだった。

オレの脚になんか文句でもあんのか、ゴォラア、
という展開を避ける、サラリーマンの本能
とでもいう行動様式が、好奇心にも勝って、
身についている
わけだ。

降りる駅が近づいて、本を読んでいた顔をふと挙げると、
半ズボンのおっさんが見えた。
さっき脚だけ見えた、例のおっさんだ。

しかしかれは、ランドセルを背負っていた

ランドセルを背負った小学生のような、
なりをしたおっさんだった。
半ズボンは、小学校の制服のようにみえた。
しかも、メガネをかけていて、遠視用というか、
かれがほんとにおっさんであれば、
それは老眼鏡、ということになろう。

異様に老けた小学生か?
それとも、小学生の扮装をしたおっさんなのか?

次の駅でぼくも、その謎のおっさん小学生も降りた。
その後、ぼくは実家につくまで、かれのことを考え続けた。

かれは何者だったのか。。。
何かの罰ゲームだったのか?
それともこんなファッションがぼくの知らない場所で
ひそかにはやってるのか?

結論は出なかった。
出なかったけれど、こう考えることにした。

きっとこれは、腕を骨折して難儀しながら、
しかも、日常に厭きてきていたぼくを
喜ばせようとした、神さんの配慮なんだろう、と。

その後、そのおっさんと2度と出会うことはなく、
また、職場のひとに訊いてみたけれど、
同様の目撃情報はないようだ。

やはり、神さんの贈り物だったか。

でも同じ大人のランドセル姿でも、
レイダーマンって唄っていた、
戸川純だか京子だかはかわゆかったよな、
どうせなら、そのようなものがみたかったのだが、ね(^^;)


▼以前転記した、

人生という果てしのない旅---五月みどり

という萬流コピー塾でのコピーでもわかるとおり、
ランドセルは、小学生しか装着しない、
というお約束なものだから、成立する話なのだけれど、
じゃあ、なんで小学生のみがこれを背負っているのか
ということを実はぼくは知らない。
なにか小学生が背負うのに、優れた側面があるから、
なのだろうけれど、そんなに優れたものならば、
大人が背負ってもよさそうなもんだが。
ネクタイ、と同様、それは記号論の世界の事物
なのかもしれないな。

写真は、タイの田舎の小学校。
Photo

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コメント

そーいやランドセルって、パソコン入れて持ち歩くのに便利ですわなあ、きっと。
ヴィトンとかがランドセル発売したら、流行る可能性はあるやろねえ。

なにはともあれ、神様からの贈り物よかったよかった。
ま、素敵なとゆーには微妙ですけど(^^

はぎちゃん、まいど^^

>そーいやランドセルって、
>パソコン入れて持ち歩くのに便利ですわなあ、きっと。
たしかにそうですな^^
頑丈ゆえに宿命的に重い、ということはあるやもしれませんが。

>ヴィトンとかがランドセル発売したら、
>流行る可能性はあるやろねえ。
ヴィトンならなんでも買う人もいますしねー^^;

>なにはともあれ、神様からの贈り物よかったよかった。
>ま、素敵なとゆーには微妙ですけど(^^
人生は不思議な出会いに満ちている。
最愛のひとにたくさん出会うひともいれば、
最愛のひとには出会わず、妙ちきりんな者とばかり、
出会うひともいる。
それもまた、人生、ってとこっすかね^^;
次こそはもっと素敵な者でありますように。。。(-人-)マンマンチャンアン

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