« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月31日 (土)

左手(その4)

骨折から一月半、ようやく装具が取れる。
みせてもらったレントゲン写真にはきれいな骨が写っていた。
もちろん、素人目に見て、っていうことだけれど。
しかしながら、実際には完璧に現状復帰とはいかなかった。

つい装具でぶら下げていたときと同じ姿勢をとってしまう。
その姿勢が一番楽なのだ。
びっくりしたのは、でんでん手が自由に
動かないようになっていたことだ。

ご飯を食べているとき、
もう右腕に装具はないにもかかわらず、
左手で食べている自分を発見して驚いたりもした。
左が器用になってるのではなく、
右がだめになっているのんだ。

ただ固定されているときにはなかった開放感と、
すでに骨が繋がっている、という安心感はある。
それだけでも、うれしい。

医者にリハビリはどうしますか?
と訊かれたが、ちょうど仕事が忙しい時期でもあるし、
2週間ほど様子を見ることにする。

そのあいだに、骨折経験者や医療従事者の友人に
リハビリの必要性を訊いてみる。
早い目にリハビリをすべし、
という意見があっと的に多いよおだ。

しかしながら、日に日に手が動くようになってくると、
あんまり行きたくないなー、という気持ちも発生してくる。
ただ、歳取ってから、問題が出てくるよー、
という脅しに負けて、結局、リハビリを始めたのだった。

確かにしないよりは、いいような気もするが、
リハビリの効果なのか、日常生活のなかでよくなっているのか、
判然としない。
たぶん、両方なのだろうな。

ただ、ぼくの場合、腕のリハビリよりも、
もっと大切なリハビリ項目があるよな、そんな気もするな、
と思わないでもない、今日この頃だったりわけだなんだな。


▼一応くっついた、といわれてから、
もうだいぶになるけれど、まだまだ完璧とはいかない。
冷えると痛むし、以前できたことがすべてできるわけでもない。
ただぼくはスポーツ選手でも肉体労働者でもないので、
とりあえず普通にキーボードが打てれば、
ええかな、と思う。

▼早くこんな風に右手が上がりますように。。。(-人-)

Photo



2008年5月27日 (火)

左手(その3)

骨折してから2週間も立つと、
日常にあんまりストレスを感じなくなってくる。
なんでも可能、というわけではないが、
できないことを諦めてしまえば、いいわけだ。

片手でできないことを無理にしようとするから、
ストレスがたまるわけで、
はなからできないからしないでおこう
と考えるのが楽でいい。
痛みがあったころは右腕はなかったことに、
という風には考えにくかったけれど、
今は吊ってる限り、もうほとんど痛みもない。

ただ、なにか作業をしていると右腕が重い、
と感じることはけっこうあった。
ぼくは肩こりとけっこう距離のある人間だったのだけれど、
ここんとこは肩が凝るなあ、と思うことが多くなった。
むかし職場にいた、小柄ながら巨乳の、
いわゆるトランジスタグラマーというタイプの女性は、
いつも職場の自分の座席につくと、よっこらしょ、
という感じで、自分の胸を机のうえにのっけてたけれど、
今はそれがなんで必要な儀式であったか、
理解できたりする。

さて、左手だけでできないことだが、
今の自分の生活に照らして考えてみると、
装具をはずすこと、上半身の服を着ること、
左腕や左脇を洗うこと、自動車を運転すること、
くらいだろうか。

できないことはないけれど、左手だけでできにくいのは、
ペットボトルの蓋をあけること、
電話をしながらメモをとること、で、
必要はなかったが、なめたけの瓶をあけたりも難しいだろう。

もちろん、本格的に左手一本でひとりで生きていくとなると、
もっと日常的にいろいろとできないことが多くでてくる
のだろうが、実家に帰っていると、
ご飯の心配やその他生活に関わる、
自分が日常的にしなければならない各種のことが免除されるので、
ほんとに困らないのんだ。

冬だから、暑くてかなわん、っていうこともないし、
世の中にある、不幸中の不幸、不幸中の幸い、
当たり前の日常、幸い中の不幸、幸い中の幸い、
の5区分でいうと、
不幸中の幸い、のなかの、まんなかか、
やや当たり前の日常より、に分類してもいいような不幸、
ではなかったか、とも思えてくる。

同じようでも、足の骨折だともっとつらかっただろうし、
手でも手術や入院の必要な骨折だと難儀さは、
さらに付加されただろうが、
もし、だの、たら、だのいっても始まらないし。
現状をいかにうまく受容するか、が何事も大事なのだ、
というのが変わらぬぼくの意見なのだ。

生きている以上、いいことも悪いことも起こり得るし、
起こってしまったことからはいかにうまく事態を収拾し、
今後の人生にいかすか、
ということしか考えないのが正しい態度である、と思うのだ。

むかし、ユーミンのアルバムに、悲しいほどお天気
というのがあったけれど、ぼくは、悲しいほど能天気、
をこんな場面では目指すのである。

ついでにいうと、最近亡くなった前の佐渡ヶ嶽親方、
現役時代の琴桜関の得意技は、必殺ののどわ、であった。

あんまりその技が印象深かったために、
同じくユーミンのアルバム、天国のドア、が出たときに、
あまりに激しい破壊力ゆえに、それを食らった者が、
天国に逝ってしまう、琴桜関の天国のどわ
を想像してしまったのはぼくだけだろうか。

こんな虚しいことを書きながらも、
骨は徐々にくっつきつつあるのだった。


▼ちわっす
Buta2


2008年5月23日 (金)

左手(その2)

さて、シャワーは諦めたものの、諦められないこともある。
まずはトイレだ。
小用は便座カバーを足で持ち上げて、水も足で流す。
大きな用の方は座ったあと、立てるかどうか、
というのが問題だったのだが、
トイレのドアノブにつかまって立てた。
実家のトイレがシャワートイレだったのも助かった。

ドアノブ、といえば、奥さまは魔女、に出てくる、
とんまな魔女のクララおばさんは、
ドアノブのコレクターだったよな。

ドアノブの大切さ、ありがたさを思い知る。

出す方に比べ、食べる方は容易い。
左で箸とスプーンを使いわけて食べる。
歯磨きも回数をこなすうちにだんだんうまくなる。
洗顔はまだ無理なので母親に濡れタオルを用意してもらう。
痛くさえなければ、けっこう何でもできるかも。
少しずつ片手の自分に慣れてきたのであった。

2日も立つとだいぶ痛みも少なくなってきた。
骨がくっつくまではやたらめったら
動きまわるわけにはいかないが、
左手だけでできることを増やしていかないと、と思う。
急には無理でも痛くさえなければ、
仕事に行くこともできるしさ。

医者に行って、診察してもらうと、
1ヵ月か1ヵ月半でくっつくだろう、とのだった。
ちょいと職場に顔を出してからまた実家に帰る。

思えば、実家で仏像のように動かず坐ってる、
という経験はここ十数年なかった。
一人暮らしを始めた時期と、
海外へ頻繁に行き始めた時期が重なっていたためで、
長い休みは常に海外にいた。
今は選びようもないから実家にいるが、
なんとも退屈なものだ。

骨が折れてから、1週間も立つと、
我慢できなくなって、職場にでかけることにした。

行きは車で送ってもらい、帰りは電車に乗って帰る。
骨折が悪化するリスクも人ごみでぶつかられたり、
うっかり転んだりして収拾がつかなくなったりするリスクも、
自分持ちだけれど、仕方ない。

現状に慣れ、現状を楽しむ、
というのが最近のモットーなので、
とりあえず慣れないと、
と思うおっさんなのであったことだよ。



▼仏像、といっても、坐ってる、とは限らないが。。。

Photo

2008年5月18日 (日)

左手(その1)

耐えるべき時でも、快適にしておけ。
金儲けの秘訣 ・第169条)



人生何事も経験という。
そう思えることが我が身にも降りかってきた。
真冬のとある日のことだ。
ま、正確には自分で招き寄せたのだが。

詳細は省くけれども、右腕を骨折してしまったのんだ。
すぐに病院に行ってレントゲン写真を撮ってもらうと、
ひびが入ってるが、幸いにしてずれてはいないという。
右腕を装具で固定して、また3日たったらおいで、
と医者に言われる。
手術の必要はないと思うけど、もいちどレントゲン撮るからさ。

もちろん幸いでないこともある。
一番の問題は、ぼくが独り者だ、ということだ。

とりあえず実家に帰ることにする。
実家に電話するとうまい具合に両親ともいた。

折れた当日はさすがに痛い。
実家に向かう車中でも道路のでこぼこで痛さに飛びあがり、
急なカーブでギャッと叫ぶ。
ガソリンの暫定税率よ、なくなれ、
と願っていたぼくだったけれども、
このような拷問を受けたら、ガソリン代高くてもいいから、
どうぞ道を直してくださいな、と思ってしまう。
こんなぼくを、根性無し、と呼ばば呼べ。

実家についても車を降りたあとがまた大変だった。
どすどす歩くと響くので、摺り足で進む。
しかもふだん2割くらいのスピードだ。
マンションの廊下をペチャクチャ話しながら、
歩いてくる女子高生が怖い。
うっかりぶつかられたら、どんなに痛いだろう。
頼むし前向いてくれ。
エレベーターもまた怖い。
挟まれたらどんなに痛いだろう。
でも素早くも動けない。

実家のソファーにそろりと座っても油断はできない。
変に動くと激痛が走る。
横にもなれないまま、まどろむ。

いつのまにか横になって寝ていた。
ただし自分では起きれない。
母親にそろりそろりと左手を引いて起こしてもらう。

介護の心配をしていた親に介護され

なんとか起きてソファーに座る。
一晩寝ると、昨日よりは圧倒的に良くなってるようで、
確かにまだ痛いのだが、どんな風にすると痛いのか、
昨日で学習した、ということもあるし、
実際痛みもかなり減ってきているようだ。

しかし、骨が折れてる、ということは間違いない。
それを思い知らされたのは装具を外したときだ。

ぼくは風呂というか、シャワーを浴びるのが好きだ。
冬でも朝晩のシャワーは欠かさない。
昨日は激痛でシャワーどころではなかったけれども、
今日は入れるかも、と思ったわけだ。

しかしながら、曲げた状態で固定するための装具を、
外そうとして諦めた。
外したらとんでもなく痛い。
とてもシャワーどころではなかった。
外しただけでまたそろりそろりとはめなおす、
手負いのおっさんなのであることだよ。


 

▼だんだんよくなる骨折部位のレントゲン写真を
記念に載せたいところだが、
残念ながら、手元にないのんで、別の写真を。

Photo







ミャンマーでみかけた、おんなのこ(?)。
毛がない、けがない、怪我ない、なんつって。
先日のサイクロンで
ミャンマーもえらいことになってるらしいっす。
お見舞い申し上げます。。。(-人-)

2008年5月11日 (日)

恥を知れ

ディナーに来た上役に、衣服を着た妻を見せて
機嫌を損ねてはいけない。
金儲けの秘訣 ・第88条)



以前泊まった台北のホテルでの出来事だ。
台湾のホテルには、よくあることらしいが、
一流どころのホテルでない場合は、ビジネスホテルでも、
連れ込みホテルを兼ねていたりする、らしい。

ぼくもあんまり立派なホテルに泊まる方ではない。
基本的には、冷暖房とある程度の清潔さ、
が保障されてそうな最低限の料金の範疇で、
ホテル選びを行なう傾向がある。

だから、実際予約したホテルに行ってみると、
一人で連れ込みホテルまがいのホテルに泊まる
ようなことが起きてしまうわけだ。

そのホテルでは、たぶんサービスなんだろう、
たくさんのチャンネルのなかのひとつのチャンネルが、
アダルト系のチャンネルであった。
しかも、台湾では合法なのか、違法なのか、知らないが、
もろ、の映像をえんえん流していた。

ぼくもとくに他にみたいチャンネルももなかったのんで、
ずっとそのチャンネルをかけていたのだけれど、
そのなかで、気になる女優がいた。
もっと正確に言えば、かのじょの手元が気になったのだ。

手の位置が妙に不自然なのだ。
妙になにかを隠してるような、そんな感じなのだけれど、
そのなにか、が一番大事なところではなく、
少しずれている。

気になったので、よくよく見ると、
その女優には、たぶん盲腸の手術のあとなのだろう、
下腹部に大きな刀傷があったのだった。

だから、局部はみせても、傷跡はみせないように
手でさりげなく(?)隠していたのだろう。

たぶん、裸で商売している女優として、
身体に傷があることは、恥ずかしかった、のだろうけれど、
一般人とはやはり、恥ずかしさ、の概念が違うのだな、
と感心した次第だ。

さて最近、教育に問題がある、と言われて久しい。
日本の子どもの学力が年々下がっている、らしい。
ゆとり教育の弊害、なんてことばもある。

そういう状況に対処するため、カリキュラムの見直しや、
教員免許の更新制、あるいは、不適格教員の再教育など、
場合によっては、免職になる教員も出てきているようだ。

それはそれで必要なこと、なのかもしれないけれど、
それだけで解決ができるのだろうか。

ぼくはものを知らないことは、恥ずかしい、
という風に思って生きてきた。
受験勉強はいやだったけれど、
それは、無駄な時間でなかった、と今では思っている。

わたし、バカだから。

みたいな形で、開き直ることが、
今はあんまり恥ずかしいことではない時代ではないのか、
とぼくは思うのだ。
そして、恥を知らない人間には教育はできない
のではないか、とも。

向上心がないうえに、自分が馬鹿であることを宣言して、
免罪を要求している人間に、どんな教育ができる、
というのだろう。

最近テレビでは、お馬鹿タレント、
というのがもてはやされている。
クイズ番組などで、自分の無知をさらして、
それで生きているひとたちだ。
無知なひとびとがもてはやされる風潮は、
まったくいかがなものか、と思ってしまう。

マスメディアのよるお馬鹿の許容が、
お馬鹿の大量生産や拡大再生産を呼ぶ、
お馬鹿スパイラル、というでもいうべき、
憂いべき事態を招いてるのではないか、とさえ思えてしまう。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

思えば、古人は、いいことをいったものだ、
とまたぶつくさいってみる、おっさんであることなのさ。



▼元祖、お馬鹿タレント、といえば、
ぼく的には、アホの坂田氏、を超える存在はいない。
かれは、その芸人人生の大半を、あほで過ごし、
あほでご飯を食べてきた、おとこだ。
ぼくらの世代、関西では、あほ、といえば、坂田利夫、
坂田、といえば、あほ、であった。
キダタロー氏作曲による、アホの坂田のテーマ
という曲は、子どものころの愛唱歌だったし。
しかしながら、かれは、市井であほ呼ばわりされることを
極度に嫌うらしい。
そういう意思表明した著作もある、と聞いたことがある。
だが、かれに関していえば、
それは、いかがなものかなと思ってしまう。
自分の都合のいいときだけ、あほ呼ばわりされる、
というのは、あほ道を冒涜しているのでわないか。
かれには、あほの求道者でいてほしいし、
24時間あほでいる義務がある、とさえ思うのだ。
有名人の宿命、というのんか、な。
そして、そう思うのはぼくだけではないはずだ、と思うのだが。

Photo

 

 

たっちおぢさん
powered by FUJITSU

2008年5月 7日 (水)

スコット・ロス

常に自分が買うものは把握しておけ。
金儲けの秘訣 ・第218条)



ミハイル・プレトニョフ、の弾く、
ドメニコ・スカルラッティの2枚組のCDを買ったのは、
タイペイのCDショップだった。
べつにとくに理由があったわけではない。
あえていうのであれば、ぼく、というにんげんが、
そのCDと、あるいはプレトニョフと、
あるいはスカルラッティと、タイペイという街で、
縁、とでもいうべきものがあったのだろう、と思う。
もっと簡単にいうと、衝動買い、というやつだ。

ぼくは以前に、プレトニョフのCDを買ったこともなく、
実をいうと、かれの存在もほとんど知らなかったし、
スカルラッティの音楽に積極的にふれたこともなかったのだ。

そのCDは、ぼくのなかで、超のつくお気に入り、
というわけにはならなかったけれど、
でも、まあ、まったく聴かない、というほどでもなく、
そこそこ、iPodを通じて、ぼくの鼓膜を振るわせる、
そんな存在になった。

つぎに、タイペイに行ったとき、
ぼくはまた、スカルラッティを買い求めた。
今度は、イーゴ・ポゴレリッチのグラモフォン盤だ。
しかしながら、スカルラッティは、生涯に555曲もの、
鍵盤楽器のための作品を残している。
そのたった3枚のCDでいったいどれほど、
かれの作品を知ることができるだろう。
重なってる曲だって、あったしさ。

そしてそれらは、ピアノで弾かれたスカルラッティだった。
ぼくは、これに関して、是とも否とも思わない。
ただそこには、聴きたい音楽とそうでもない音楽があるだけだ。

3度目にスカルラッティを買おうと思ったのは、
日本の自宅で、HMVのサイトから輸入盤を見ているときだった。
もう鬼籍に入っているらしい、スコット・ロス、という、
古楽器奏者が、チェンバロによって奏でた全集で、
34枚組、という代物だ。

ここでも、ぼくは、魅入られたように、これを買ってしまう。
なんとなくそこでも、縁、というものを感じたのだ。
プレトニョフも、ポゴレリッチも、スカルラッティを通じて、
ぼくにこの全集を紹介するために、ぼくのもとにやってきたのだ、
とさえ思えたほどだ。

この全集を弾きあげた、スコット・ロス、というひとは、
まるで自分の寿命を知っていたかのように、
すごい勢いで、これを完成させると、
その数年後、38歳の若さで亡くなってしまった、そうだ。

スカルラッティの全集は、今日に至るまでこれ以外出ておらず、
一般の聴衆が、スカルラッティの鍵盤による作品を
ある程度まとめて聴こうと思えば、
スコット・ロスのCDに頼るしかなく、そういう意味では、
かれの業績は突出している、といえると思う。

スカルラッティが生きていた時代だって、
本人以外に全曲を聴く機会があったにんげんは、
そうそういなかっただろうし、
そういう風に考えると、この時代に生まれたことを、
大阪の神さまに感謝したくなったりするのんだ。

ともあれ、かれの早すぎる死と、その偉業に合掌。。。(-人-)


  

▼深夜に小さな音で聴く、チェンバロの響きは、いいものだ。
夏の暑い夜には、あんまり向かないように思うけれど。
むかし、キャンディキャンディ、という漫画があって、
その主題歌の冒頭に使われていた楽器が、
チェンバロだったような気がするな。
あと、松田聖子の曲のなにかにも、使用されていたような。。。
意外と現代の楽器のなかにも、よく調和する楽器だと、
あっしは思うのんだけれど、
まだポップミュージックの定番楽器にはなってないようだ。

▼とここまで書いてずいぶんほおっておいたところ、
ピーター=ヤン・ベルダーという演奏家が
スカルラッティのソナタの全曲盤を
スコット・ロスから20年ぶりに出したようだ。
果たして商売になるのか、とちょっとびっくり(^^;)

 

Ross3 スカルラッティさんと、ロスさん

2008年5月 4日 (日)

いちゃりばちょーでー

妻は仕える。兄弟は相続する。
金儲けの秘訣 ・第139条)



最近沖縄に関する、とある本を読んでいて、
いちゃりばちょーでー、ということばがあるのを知った。
いっぺんあえば兄弟、という意味だそうだ。

このことばは、昭和40年ころから円谷プロで活躍された、
沖縄出身の脚本家・作家の、
金城哲夫さんを語る文章のなかで、使われていて、
だからこそ、金城さんが脚本を担当した回の
ウルトラマン、ウルトラセブンでは、
怪獣が殺される比率が他の作家の脚本に比べ少ないんだ。
怪獣でさえ、いちゃりばちょーでー、なんだ、というような、
文脈だったと記憶している。

ぼくは決して平和主義者ではなく、
国家間の紛争を解決する手段としての武力の行使や、
国としての独立性の確保のためには軍隊の保持は、
必要である、と考えているのだけれど、
他方、この、いちゃりばちょーでー、のような思想にも、
たしかに一理あるな、と思ったりした次第だ。

死刑廃止論なんかにも、ぼくは決して与しないのだけれど、
もし身内同士で不幸にして殺人が起こったなら、
やったことは悪くても、どっちも身内なら、
身内の犯人には、死をもって償うべき、
とまでは、思えないかもしれない。

もちろん、ちょーでー、といっても、
実際の兄弟とは意味合いが違うのはわかっているのだけれどね。

最近、自分も含め、他人に対する優しさが欠如しているなー、
と思えることが身の回りで多いように感じる。
そしてこの、いちゃりばちょーでー、のような思想を
自分から実践できればいいな、とも思う。

しかしながら、このような思想が実践できるような状況に、
今日本が置かれているとはとても思えないことも、
また真実なのだと思うのんだ。

むしろ、平和憲法のおかげで、他国からの軽く見られ、
大陸棚の原油を勝手に吸われたり
刑法が甘いばっかりに、世界から犯罪者が集まってくるような、
そんな状況に日本はある、というのがぼくの現実認識なわけだ。

沖縄のような、地域的に限定された地縁社会では、
実践できる思想も、世界が小さくなり、多様な価値観をもった、
たくさんのひとびとが、入り乱れて暮らすような、
今まで人類が経験したことのない、この時代には、
机上の空論、となる可能性が高いのだろうな、と思う。

しかしながら、沖縄や八重山地方に移住するひとたちが増えた、
というニュースを聞くと、いちゃりばちょーでー、のような、
そんなやさしさや、価値観を求めるひとが多いのだろうな、
ということもまた否定するするものではなかったりする、
おっさんであることだよ。



▼ちなみにここでとある本、と書いているのは、
野村 旗守編の「沖縄ダークサイド」(宝島社文庫)である。
今まで読んできた、オキナワ本、とは感じの違うもので、
それなりにおもしろく読めた。
とくに、移住を希望しているひとは、
読んでおいた方がいいと思うよ。

Photo_2
@こくさいとおり

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »