« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月27日 (木)

事件の陰に♀あり(PC編)

良くない行いも処罰はされない。
金儲けの秘訣 ・第285条)




最近パソコンは、普通の道具として、
日々の生活に溶け込んでいる。
しかしながら、そのためにけっこう笑えるような、
間違いを犯すような層までが、
この機械を使用している現実があるようだ。

おおむかし、アメリカのいけてるキャリアウーマンが、
横置きのCDドライブをコーヒーカップを置くための場所である、
と認識し、実践していた、という笑い話が存在していたが、
同様の事件を目撃するにつけ、
この手の事件はいくらでもわいてくるのだな、と思った次第だ。

数年前のことだが、当時付き合っていたかのじょから、
仕事中、ケイタイに電話があったことがある。
ふだんクールなかのじょが電話してくるなんて、何事か、
と思ったら、かのじょがいうには、
非常に重要なデータが入ったCD-Rが、
クライアントから送付されてきたのだが、
ドライブがデータを読み出さない。
これは、いかなることだろうか、という相談だったのだ。

ぼくはまず、データの種類を問うた。
PDFファイル、だというから、
アクロバットリーダはインストールされているか、
と訊いたが、PDFファイルは今までも取り扱ってきた、という。

では、ドライブの相性の問題かもしれないから、
別のドライブで試してみれば、という助言を与えるも、
やはり認識しない、という。

CD-R自体が壊れている可能性が高いので、
もう外国のそのクライアントに、もう一度送ってもらった、
という、かのじょの連絡をもらった数時間後に、
でも実はちゃんとくだんのCD-Rからデータを読み出せた、
という話を聞き、ぼくは何が問題だったの?
とかのじょに問うた。

その答えは、ぼくの常識をはるかに超えたものだった。

CD-Rを裏表逆に挿入していた、というのんだ。

たしかにぼくは、それについて、かのじょに助言を与えなかった。
そうなのか、その可能性を考えなかったぼくは、
助言者としては、不完全な人間だった
のだな、
と思い知られされたのだった。

またあるとき、とある女性のために、
プレゼンテーション用のPCを用意したことがあった。

ところが、その女性は持参のUSBメモリーを
PCが認識してくれない
、というのんで、
ぼくはあわてて別のPCを持って、会場に走ったのだった。

その女性は、ぼくに訴えた。
PCがUSBメモリを認識しない上に、
挿したメモリがぐらぐらなんです、と。

挿したUSBメモリがぐらぐら???

よくみると、そのUSBメモリは、
LAN端子用のコネクタに挿し込まれていたのであった。

穴があったら入りたい、ではなく、穴があったら入れたい
とはまさにこのことだな、と先人の知恵を遠く想う
男ぷんぷい、♀(ひと)を信じすぎるがゆえに、
まだまだ未熟者、なのであった。


▼ぼくが最後の女性から、激しく学んだことは、
USB機器の挿し込みは、LANコネクタより小さい、
という厳然たる事実だった。
LANコネクタは、ふだんふさがっているし、
たとえ、空いていても、USB機器をつっこむような、
そんなことは自分では思いもよらなかったであろうから、
一生知らないままで過ごすとこだった。
勉強させていただいて、ありがとうございますだ。。。m(__)m

とここまで書いて、今自分のPCで追実験してみると、
普通には入らないのだな、これが。
ひょっとして、無理につっこんだのかなあ、あの女性。
妙なところを強姦されたパソコンさんに合掌。。。(-人-)

▼▼その後、職場の女のこに、
データ入りのUSBメモリを別の部署に取りに行かせたら、
ついてるひもを振り回しながら帰ってきたせいか、
本体を吹っ飛ばして、蓋だけ持って帰ってきたことがあった。

あっし、馘になるかと思った(-_-;)
(探しに行かせたら、道に落ちてたらしく、
ちゃんと拾って帰ってきたけど)。
女性だから、というわけではけっしてないとは思うけど、
あっしのまわりには、なんでかこんな女性が多い。
女難の相が出てるのか^^;。。。やはり。

Pc

2007年9月23日 (日)

サキソホン・コロッサス

上役の姉妹とは絶対寝るな。
金儲けの秘訣 ・第113条)




最近ソニー・ロリンズ演奏の、
サキソホン・コロッサスのCDを買った。
1956年のモノラル録音で、ソニー・ロリンズの名を
不動のものにした、名盤の誉れ高い作品だ。
若いときは、レンタルレコードだったか、CDだったかを
カセットテープにダビングしたので、聴いていたように思う。

しかしながら、当時のぼくにとっては、
ソニー・ロリンズはそんなにお気に入りのプレーヤー、
だったわけではなく、むしろ、同じサキソホン奏者では、
ジョン・コルトレーンの方を好んで聴いていた。

ただ、どっちにしろぼくは、ジャズに関しては、
この時代の演奏、1950~60年代にかけての録音が好きだ。

モノラルからステレオに録音技術が大きく替わった時代で、
決して恵まれた環境で録音されたのではないはずなのに、
現代のリマスター技術のためか、
今ではびっくりするほどクリヤないい音で、
当時の演奏を聴くことができるのは、シアワセなことだと思う。

もちろん、当時の演奏は当時の技術のままで、
つまり、レコードで聴きたい、
できるなら、当時のレコードで聴きたい、
という主張の方もいるようで、
それはそれでもっともな意見である、とも思う。

さて、サキソホン・コロッサスだけれども、
陽気で素敵な第1曲目、セントトーマスに続いて、
流れる2曲目は、

YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS

という曲だ。

日本語にすると、愛がなんであるか、おまえは知らない、
というような感じなのだろうか。

たしかにこういわれて、わたしは愛がなんであるか、
充分にわかっている、
すでに奥義を究めたどっからでもかかってこんかい
といえるひとは、さほど多くあるまい、と思う。
たとえ、いえるひとがいたとしても、
それを聞いただれかがきっと、まだまだ青いな、
と笑っているに違いないとも思う。

齢四十をはるかに超えたぼくだって、実はでんでんわからない。
むしろ、歳を食えば食うだけわからなくなってきている
といった方がいいのかもしれない。

またこれがどのような、シチュエーションで使われ、
どんな相手が対象の、どんな種類のLOVEを指しているのか、
によっても、この文章のもつ、意味合いは違うだろう。

しかしながら、これからの人生のなかで、この、

YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS

なんて、セリフをえらそうにいってみたいもんだ、
とふとこのCDアルバムを聴きながら、
思った、夏の暑い日、だったことだよ。


▼このアルバム・タイトルになっている、
コロッサス(Colossus)を調べてみると、
けっこうおもしろいことがわかる。
コロッサス、とは、ロードス島の巨像の名前であり、
またイギリスが、第2次世界大戦中、ドイツ軍の暗号解析に
使用した暗号解読器の名前でもあったようだ。
そしてこの機械は、最初期のデジタル計算機、であり、
つまり、コンピュータの直系の祖先、
とでもいうべき代物でもあったそうだ。
アナログレコードの名盤は、デジタル機器の祖先の名前、
とこっそり繋がっていたわけだ。
ところでかれは、自分をサキソンホン奏者の大物、になぞらえ、
この題名をつけたのだろうか。
もしそうであれば、このアルバムで真に、
サックス・プレーヤーの巨人とでもいうべき存在になったかれは、
HE KNOWS WHAT HE IS
というこうことになるかもしれないな(^^)

Photo


2007年9月19日 (水)

ぷんぷいさん、まずはラオスへ(その4)

今日の夢は、吉本新喜劇の面々とハムを売る、という夢だった。
しかもぼくが知っている吉本の人々なので、岡八郎さんとか、
花紀京さんとか、すでにもうこの世にいない人々だ。
しかし、ハムは賞味期限間近の、よく実家の母が買っていた、
四角い下敷きのようなパッケージ入りのもので、
実際ぼくは実家からもらっては食べず、
賞味期限を気にしていたりしていたものだ。
少なくとも、現実の仕事とは関係ない、
という意味では、悪くない夢だったのかもしれない。

トーサンホテルの朝食は、最初のウボンのホテルよりは、
ずいぶんよくて、しっかりとお腹に詰めこんだ。
なんとなく、スタッフの雰囲気は暗かったけれど。

Photo





今日のバンコク行きの飛行機は、15時半だ。
それまでこの街にいなければならないが、
正直、もうあんまりしたいこともない。

あんまり歩き回ると、また暑いだろうな、と思うが、
いらちのぼくは10時過ぎにはチェックアウトして、
また歩き出す。

道で、たぶんベトナム語、と思える看板がかかっている店を見る。
ここまでくると、ベトナム系のひとだか、
ベトナム系の品物を扱った店があるんだな、と思う。

今日8月12日は、そういえば、タイでは母の日だ。
国王の奥さん、皇后陛下の誕生日なのだ。

現国王で、国民の信頼を一手に集めるプミポン国王は、
たしか日本でいうと、明治天皇みたいな存在の、
チュラロンコン大王、ラマ5世のお孫さん、だったと思うが、
奥さんの方は、たしかひ孫ではなかったか。
たしか、そんな感じの関係だったような記憶がある。
だからどうだ、というわけではないが、
この関係は何親等に当るのか、考えようと思ってやめる。
暑いしさ。

あんまり暑いので、街中にあった、ロビンソンデパートの、
横にあった、スエンセンズに入る。

ロビンソンデパート、は、タイではけっこうむかしからあって、
というか、むかしは、日系のデパートを除くと、
ロビンソンデパートくらいしか、
まともな商業施設はなかったような気がするのだけれど、
最近は、テスコロータス、や、ビックCなんかの、
新興スーパーマーケットに押されて、影が薄い。

スエンセンズでは、ファンタジア、
とかいうアイスクリームを頼む。
ねーちゃんは、とっても脚が綺麗だ。
まっくろで、まっすぐで
その脚を眺めながら、溶ける前にアイスを食べる。

Photo_2Photo_3

Photo_4





いくら眺めても飽きない脚だけれど、
いつまでも脚ばかり見ているわけにもいかず、また歩き出す。
歩いて空港に行って、少し早いくらいの時間になる。
そろそろ行くか。

帰りは道がわかっている分、近いような気がする。
でも、暑い。

Photo





空港に入るときに荷物のチェックがある。
もちろん、適当だ。
しなければならないから、してるだけなのだ。

坐って、だらだら汗をかいていると、空港の清掃のおばさんが、
気を利かして巨大な扇風機を回してくれる。
田舎のおばさんは親切だ。
巨大な扇風機からやってくる巨大な風が、
巨大な熱気を吹き飛ばしてくれる。

バンコクに帰って、2日後には、今度は南の方にたび立つ予定だ。
またきっと暑いんだろな、と扇風機をみながら、思うのだった。

Photo_2





▼エアアジアでバンコクに帰る。
9月16日、プーケットで同じ格安航空会社の、
タイオリエント航空、 One-Two-Goで事故があった、ということだ。
亡くなった方も多数いたようで、
ご冥福をお祈りしますだ。。。(-人-)

12go


2007年9月15日 (土)

ぷんぷいさん、まずはラオスへ(その3)

また仕事の夢にうなされながら、朝8時過ぎまで寝る。
幸せになれん体質だなー、と思いつつ、
しかし、朝までは起きないのは、昨日と同じだ。
そもそもあんまり夢をみない、
あるいは、みても覚えていないことが多かったのだけれど、
ここのところ、夢見が悪いのはなぜだろう。
せっかくの休暇で、たびの空にいるのだし、
しばらくの間だけでも、現実とおさらばしたいのだけどねー。

朝ご飯は、バイキング方式ではなく、
3種類の写真メニューのなかから、選ぶようになっている。
写真つき、というのはなかなか合理的だな、と思う。
きっと外国人の客が多いので、この方式を考え出したのだろう。
期待はしていなかったのだけれど、味はまともで、
久しぶりにおいしい朝ごはんを食べたような気がした。
フランスパンっぽい、パンがついてるのんが、ラオスらしい。
なんせ元は仏領インドシナ、だったとこだしね。

 

600









どっかで聞いたことのある音楽が聞こえたので、
食事の帰りに確認すると、従業員の兄ちゃんがテレビで
ドラゴンボールをみていたのだった。
ラオスでも、必殺技はスぺシューム光線ではなく、
カメハメ波、なんだろうか。

早々にチェックアウトすると、橋に向かって歩き出す。
昨日、船では日本人は渡れん、と言われたので、
では橋を歩いて渡れないか、と思ったのんだ。
別にそれに意味があるわけではなく、
同じ国境を同じように渡るのも芸がないか、と思っただけ、
なのだが、とりあえずチャレンジだけはしてみよう。

メコン川沿いに橋の方に向かって歩く。
だんだん外国人があまりふだん行かないエリア、
になっていくようで、道ゆくひとや子どもらにぢろぢろ見られる。
サバイディ、やら、ハロー、やら、地元民に声をかけられ、
ちょっとしたスター気分だ。

地元民だけならいいのだが、
外人を見慣れないのは犬も同じらしく、
吠えられたり、噛んだろか、とばかり近づいてきたりする。
タイに来るようになってから、犬は苦手なのだが、
サワンナケートの犬はタイの犬より働き者で、始末が悪い。
犬の関心をひかないように歩くのに、骨が折れる。
しかも、やたら数が多いのにも困ったのんだ。

 

610 611 612


 


   

613 614 615


 
   
  
  

616 617 618




   
 

   
   

619 620 621





 
  
  
   

622 623 624





 
  
   

▼頻繁に噛む奴なんだろうな、かれは。。。

565 566




  
   
  

あっしはかれは、ワンニバル・レクター博士、
と名づけたっす^^;


ずいぶん歩いて、いよいよ橋が見えてきた。
こういうときが一番うれしい。
曇り空とはいえ、ここは熱帯、
おてんとうさんをさえぎるものもない、ラオスの田舎街である。
暑いし、あとどれくらい歩かなきゃならんのか、
わからないと辛いのんだ。

629_2 630





  
  

631 632 633




 

橋のたもとまで来ると、
ラオスと日本の国旗が描かれたモニュメントがある。
自分の払った税金もこの橋の建設に使われていたのかも、
と思うと正直、複雑な気分だけれど、
ビザ代免除になったのは、
このような援助のおかげもあるようなので、
今回ひょっとして、これのおかげで少し取り返した
のかもしれない、と思うと、
拝まずにはいられない。。。(-人-)オオキニドスエマンネン

640 641





  
  

642 643



 

さて、今度はこの橋を歩いて渡ってやるぞ、というわけで、
イミグレーションに行く。
出国のはんこを押してもらい、手数料の40バーツを払ったとき、
コープチャイ(ありがとう)と言われると、正直、複雑な気分だ。
前のひとも払っていたし、行きも払ったので、
たぶん、普通の手数料なのだと思うのだけれど、
なんとなくもっとえらそうに取ってくれ、
と思うのはぼくだけなんだろうか。

出国がすんだら、橋の最後の検問に行く。
その前に10バーツ取られたのは、橋の使用料か。
タイを出るときはなかったけどね。
検問所には、軍服のおっちゃんがいるのか、と思ったら、
ねーちゃんがふたり詰めていた。
こっから、歩いて行きたいんだけど、いいかいな?
と訊くと、だめ、簡単に言われる。
1キロ、か、2キロでしょ、歩けるし、いいでしょ?、
というも、やっぱりだめ。
強硬突破する勇気もないので、素直にあきらめる。
ちょうど、昨日乗ったバスが逆向きに、
ラオスの出国客を待っていたので、乗っけてもらう。
これで、ムクダハンのバスターミナルまでは行けるけど、
橋を歩けなかったのは残念至極であった。

バスに乗ってみると、なかはクーラーが効いていて、
歩いてたのが馬鹿みたいに思える。
あっというまに橋を渡って、今度はタイに入国だ。
昨日のうちにタイの入国書類を書いておいたので、
さっと抜けて、荷物のチェックを厳重にされるらしい、
タイの税関で自分のリュックをあけて見せようとすると、
おまえはバスに乗れ、と女性係官に英語の命令形で言われる。
日本人は怪しくないのか、それとも、ぼくが怪しくないのんか。
名古屋の税関に見ならわせたい、見事な判断力だ。

どうもラオス人のチェックは厳しくするようで、
子供でもしっかり荷物のチェックやら、
服のチェックやらをされている。
そしてそのなかの1名に問題があったようで、
軍服姿のおぢさんがしきりとある男の財布のにおいを嗅いでいる。
そのまま、かれはその椅子に坐らせられて、
入念なチェックを受ける。
結局、その男はバスには乗れず、ぼくらはかれをおいたまま、
出発することになった。
ちなみに、ぼくらが入国審査を受けている間、バス内のチェックに
活躍していたワンコ(たぶん、麻薬犬。しっぽの降り方が
タイペイの空港でみたワンコと同じだったし)は、
坐ったまま、あくびをしていた。
タイの軍服のおぢさんは、犬より鼻が利くのんか。

 

645 644 646





ムクダハンのバスターミナルにつくと、
ちょうどウボン行きのバスが待っていた。
小雨も降ってきたし、ムクダハンの街に寄るのはあきらめて、
そのままそのバスに乗ったのだった。

 

649




 

 

 

 

ウボンの街中のネット屋で、メールのチェックをしたあと、
今日は、トーサンホテルに泊まることに決めた。
場所は少し不便だけれど、おとといのホテルと比べると、
ずっといい感じだ。
値段も1200バーツで、あんまりかわんないしさ。

 

650 651 652


 

 

早い夕ご飯を食べて、今日も早く眠ろう。
いい夢みろよ、と自分にいってみる、熱帯の夜、なんである。

2007年9月11日 (火)

ぷんぷいさん、まずはラオスへ(その2)

ウボンのホテルでは8時前に目覚めた。
実はその前に幾度となく覚醒しかかってはいたのだけれど、
いやまだ眠るぞ、という強い決意のもと、眠り続けていたのんだ。
そんなに眠り続けたいくらい、すばらしい夢でもみていたのか、
といえばさにあらず、仕事の夢をみていたらしく、
なんて貧乏症なぼくであることか。

まずは朝食を食べに食堂に行く。
ホテル自体はそんなにひどくないし、
値段も1000バーツなら、そんなに安ホテルではない、
と思ったのだけれど、
朝食は残念ながら、今まで経験したなかでも、
最低の部類に入るものであった。

ほかの客はなぜかみなタイ人で、ふつうに食べているけれど、
ぼく的には食べるに値しない、
と判断せざるを得ないものばかりで、
しかたなく、比較的安全そうな果物を少しだけ食べて
退散したのだった。

551





 

念のためにいっておくが、ぼくは決してグルメではない。
むしろ並んでまでうまいものを食べるくらいなら、
並ばずまずいものを食べる、そんな人間だ。
しかしながら、そんなぼくでもここの朝食は食べたくなかった。
そんな外見の食事だったのんだ。

さてホテルを9時前にチェックアウトしたあと、
昨日乗れなかったムクダハン行きのバスに乗るために、
バスステーションに向かう。
適当なソンテウ(乗り合いバス)を止めて、行き先を告げると、
凄いスピードで走り始めた。
おいおい、ほかの客は拾わんのか、と訊きたい暴走ぶりで、
あっというまにバスステーションにつく。
ほんとに10バーツでいいのかな、と思いつつ渡したが、
とくになにも言われず、サンキューと言って、去っていった。
外人を乗っけて、暴走するのが趣味なのか。
まあ、早くついてよかったけどさ。

▼乗ってきたソンテウ。
よく見ると、支払いは10バーツ、と前に書いてあるな。
座席には、酒を飲んだら運転しない、
というステッカーが貼ってあった。

551_2 551_3









昨日の窓口で、チケットを買う。
9時半のに乗るつもりできたのだが、まだ30分近くもある。
バスのなかで、本を読みながら、出発を待つ。
このバスステーションからは、ラオスのパクセ行き、
があるようなので、次回はこっからパクセに行こうと思う。
実は今回、ラオスのサワンナケートからバスでパクセに行こうか、
と思っていたのだが、ほぼ対岸を走っているタイ側でも、
ムクダハンまで3時間近くかかる、ことを考えると、
道が悪いだろうラオスでは何時間かかるかわからないし、
山賊の心配もあるということだし、
今回は見送ることにしたのんだ。
また機会があるよな、たぶん。
いや、きっとある。

さて定刻にバスは出発し、12時過ぎにムクダハンについた。
バイタクのにいちゃんがどこに行くんだ、と訊くのんで、
サワンナケートだ、と答えると、
親切にも切符売り場に連れてってくれる。
バス賃は50バーツで、12時半発だという。
こりゃ、昨日乗れなくて正解だったかもしれないな、と思う。
なんかとんとん拍子にラオスまでいけそうだ。

551_4 551_5





 

トイレを済まし、お茶を買って、バスに乗り込んだ。
10分も走っただろうか、あっというまに国境の橋につく。
ぼくのガイドブックには乗っていなかったけれど、
いつのまにか立派な橋ができている。
いわゆる、第2友好橋、というやつか。
ビエンチャンとノンカイの間だけだったはずなのに、
たいしたものだ。

全員がタイを出国したあと、またバスに乗り、
今度はラオスに入国する。

552 553





   

ぼくはビザがいるはずなのだけれど、あしたタイに戻ります、
とパスポートコントロールのおっちゃんにいうと、
とくに何もいわれず、入国のスタンプを押してくれた。
いいのかな、と思いつつ進むと、
税関(?)のおばちゃんにビザは?と訊かれる。
そうだよなー、普通いるよなー、と思いつつ、
明日タイに戻ります、というと、じゃあいいわ、と通してくれた。

ほんとにいいのんか?

友好橋が日本の資金協力でできたので、
ビザ代が免除になる、という噂は聞いていたのだけれど、
ビザまでなしでOK、とは思わなかったな。
おかげで書くべき書類も少なくて、写真もいらないのはうれしいな。

554 555 556



   

 

また同じバスに乗って、
サワンナケート側のバスターミナルについた。
所要50分。
根性さえあれば、歩いてだって、いけるような距離だったな。

557






 

バスターミナルからは少し歩いてみる。
地球の歩き方の地図が正しければ、30分ほどで、
目指すホテルが見えてくるはずだ。
途中歩きながら、第2希望のホテルもチェックしてやろう、
というわけだ。

558 559




  

560 561




  
  
  

562



    

   

第2希望の中華系ホテルが街1番のホテルらしいが、
とてもそんな風にはみえない。
街2番のホテルは、どんなんなんだろか。  

しかしながら、メコン川にほど近い、
そのホテルはまあまあに見えた。
ここにするか、とほぼ決めたものの、時間もあるし、
一応ほかのホテルも探索ながら、メコン川を眺めよう。

578

571_2



   

 

▼お坊さんも多い。

581



   

 

巨大な泥川、といった感のあるメコン川だけれど、
曇りがちの天候のせいもあってか、風が涼しい。
川のそばを少し歩いて、やはりさっきみた
ホーンティップホテルにすることにして、値段を訊く。
25USドルです、というので、それでいい、と答えたのに、
なんなら18ドルの部屋もあります、
どうぞ部屋を先にみて決めてください、という。
25ドルの部屋でいい、っていってるのにさ。

567 568




    

568_2 568_3



   

   

結局もうひとつは見ずに、最初にみせたくれた部屋に決める。
たぶん25ドルの部屋なんだろうけれど、
結局、どっちかちゃんと訊かず、そのまんまだ。
そういえばもう3時近いけれど、
まだ朝からちゃんとしたもの食べてないな、
ということを思い出して、
も一度メコンの川沿いに出かけることにした。

部屋の鍵をフロントに預けるとき、さっきのにいちゃんに、
ところで、部屋の値段は朝ご飯込みかい?
と訊くと、そうですそうです、といいながら、
朝食券をつくってくれた。
なんてええかげんな。
ま、ここはラオスだから、まーえーか、と思いつつ、
どうもありがと、といい残して、また歩く。

さっきよりも長く川沿いを行くと、
ラオスの国旗を立てたボートが船着き場に入ってくるのが見えた。
そうだ、帰りは船で対岸に渡れないかな、と思って、
制服のおじさんに礼儀正しく、訊いてみる。

わたくし日本人でありますが、
ここからタイに行くことはできるですか?

たぶんラオス人のそのおじさんは、すごくわかりやすいタイ語で、
ここは、タイ人、ラオス人、ベトナム人以外は渡れないよ。
橋で行きなさい、と教えてくれた。

572 573




  

574 575_2




  

576 577



   

 

残念ながら、行きと同じルートでないと帰れないようだ。
川沿いの小さなレストランで、ビアラオを飲みながら、
本日最初の食事を食べる。
ハエが1匹、食べ終わった野菜いためのたれのなかで溺れている。

579 580





 

さて、あしたはムクダハンに泊まるか、
それとも、ウボンまで戻るかな。
たびはメコンの風まかせ、というのも風流かもな、
と思ったりするのだったことだよ。

2007年9月 7日 (金)

ぷんぷいさん、まずはラオスへ(その1)

チャンスはどこにでもある。常に見つける努力をしなければならないが。
金儲けの秘訣 ・第157条)


Thai









今回の国境攻めにはいくつかのテーマがあった。
一つ目は、バンコク新空港に行く際に、
タクシーではなく、バスで行く、ということだ。

スーツケースがある場合、あるいは、
著しくバスが使用しにくい時間帯の、早朝、深夜を除けば、
ドンムアンにあった以前の空港へ行く際は、
必ずバスを使っていた。
それくらいは、たびびとたる自分への義務とさえ思っていた。
タクシーで移動するのなら、意思持つひとでなくても可能だ。
それでは貨物とかわらないではないか、というわけだ。
経済的時間的合理性の綿密な判断力こそが、
たびびとたる自分の能力である、と思うのんだ。

今まで、機会がなかったけれど、
今回は飛行機も昼下がりの便だし、ちょうどいい機会だから、
バスでのルートを開拓しておこう、という風に考えた。

朝は9時前に目が覚めた。
昨日、ご飯が遅かったので、まだお腹は減らないし、
今日の朝食はパスすることにして、
10時前にホテルをチェックアウトする。
まずは、BTSのアヌサワリーの駅に行く。
ここから、空港へ行くのが一番わかりやすそうだからだ。
ここは、たくさんのバスが通過する、巨大なバス停だ。
以前、テロの標的なったのもここだ。

モニュメントをくるっと一周して、やっと551番、
新空港行きのバス停をみつけた。
それにしても、551とは覚えにくそうで、覚えやすい番号だ。
関西では有名な、豚マンの商標が551だし、
モーツァルトの最後の交響曲、第41番ジュピターの作品番号、
ケッヘル番号というのだけれど、これが551だ。

551




 

そのバス停で待っていると、ちゃんと551のバスは来た。
10時半だった。
バス代は、34バーツ(約120円)、タクシーだと高速代をいれると、
300バーツ(約1050円)前後かかるから、やっぱり安いよね。
そして空港そばのバスターミナルには、11時20分ころ着いた。
そっからシャトルバスに乗り換えて、
10分かからずに空港につく。

551_2




まだ時間があったので、タイ航空のオフィスによって、
次回乗る、バンコク-シンガポールの、
8月14日の予約を8時発から13時発の便に変更してもらう。
早起きはなるたけしないですむように、と思ったからだ。

その日の朝の便を昼の便に帰るだけなのに、時間がかかる。
要は、そのチケットがシンガポール発券で、
第1区間であるシンガポール‐バンコクが、
去年の8月17日に最初の予約が入っていて、
実際その通りに乗っているかどうかの確信がもてないらしい。

チケットの有効期限は1年だから、
それ以前の日にちにに予約変更していて、
たとえば、去年の8月13日に使っていれば、
8月14日の予約は入れられない、
という風にスタッフのかのじょは考えたわけだ。

パスポートをみせろ、というが、
ぼくのパスポートは切り替えたばっかりで、去年の記録はないし、
あったところで、どのチケットで乗ったかまではわからんだろう。
それよりは、チケットの現物があるのだから、
自前のコンピュータシステムで、
いつ乗ったかを調べればよいではないか。
それができないようなシステムなら、
1年有効のチケットなぞ、そもそも売る資格がない
のではないか、と思っていたのだが、かのじょも観念して、
予約を変更し、ステッカー処理をしてくれた。

1分でできることを10分もかけるんぢゃねーよ、馬鹿
と思いつつも、ありがとう、と言って去ったのだけれど、
ねーちゃんは何もいわないままだ。
まったくあいかわらず最低な会社だな、タイ航空
と思うのであった。

タイ航空のねーちゃんとの死闘を終えてから、
エアアジアにチェックインする。
こっちのねーちゃんは、いつもながら笑顔を絶やさず、
いい気分でたびに出れる。

そういえば、放逐されたタクシン元首相もタイ航空が嫌いだった。
あんまり嫌いすぎて自ら創ったのんが、
このタイエアアジアだったんだ。

早い目に待合室に行くと、
前の乗客のねーちゃんがなんやらもめている。
液体の化粧品の持ち込みを拒否されたようで、
カウンターに戻って預けるようにと言われている。
チェックインカウンターのねーちゃんは、
ぼくようなおっさんにさえ、液体のもの、持っていないか、
と訊いていたのに、このおねーちゃんには訊かなかったのか、
あるいは、乗客のねーちゃんがなんとかなると思ったのか、
テロリストのおかげでめんどくさいことが増えて、
みんな大変だな、と思うのであった。

タイエアアジアのスッチーと、乗客のひとり。
551_3 551_4


 

 

眼福(◎o◎)。。。。。。(-人-)ツイオガム。ナム~


▼窓からの雲。

551_7


 

 

ウボンの空港には、ちゃんと3時過ぎについた。
空港と街が近いので、今日はバスターミナルまで
歩いてこましたろ、と思ったのが運のつき、だった。
ぼちぼち歩いても、4時くらいにはつくだろう、と思いながら、
歩いたのだけれど、バスターミナルのあるべきところまで来ても、
バスがいない。
訊てみると、どうもぼくの地球の歩き方が古かったようで、
別の場所にいかねばならんようだ。

折悪く雨も降ってきたので、
近所のスーパーのケンタッキーで雨宿りをして、
別の場所に変わったバスターミナルに
ソンテウ(乗合自動車)に乗って行くと、
今日のムクダハン行きはもうないよ、と言われる。
最終が17時で、ぼくがついたのが、17時15分。

さっさとウボンの空港からタクシーに乗っていれば、
あるいは、新しい地球の歩き方を買っていれば、
ちゃんと今日のうちにムクダハンまで行けたのに、と思うものの、
まあええか、これもなにかの縁だ、ウボンに1泊してこまそ、
というわけで、途中みかけた、パトムラットホテル、
1泊朝食つき1000バーツ(約3500円)也、
にチェックインしたのであったことだよ。

551_5 551_6

2007年9月 4日 (火)

チップ

自分の小銭の金額も数えておけ。
金儲けの秘訣 ・第8条)





たびをしていて、直面する問題のひとつに、
チップ、というのがある。

国によっては、チップを渡すことが当たり前で、
それをしないと失礼に当る、というような、
野蛮な風習をもつ文化もあるようだ。

チップ、というものの発生の本当の経緯はしらないものの、
なんとなく、階級制度や身分制度のなごりをぼくは感じてしまう。
はなから、料金に加えておけばいいものを、
あとから追加でふんだくった上に、
出さなければ、文句までいうなんてひどすぎる、
と思うのは、おそらくぼくがソフィストケイトされてなくて、
上流階級の気持ちがわからないせいなんだろうな。

発生要因の問題をおいといた、としても、
役務の提供を受けるごとに、小額紙幣をさがしたり、
いくら差し上げるのが適当なのか、
と考えなければならないのは、不便だと思う。

基本的に、チップ、というものをあまり出す習慣のない、
日本の国に生まれたのは、実に幸運であったな、
とぼくは思うのだ。

しかしながら、たびの空で、
自分の意見を押し通す根性もないぼくは、
いつもチップの金額で悩んでしまうのだ。
チップの必要のない、ファーストフードをよく食べるもの、
悩むのが嫌い、ということもある。

そういえば、チップのルールとして、
貨幣はだめで、紙幣でなければならない
というのを聞いたことがある。
タイのように、流通している最小の紙幣が20バーツ(約70円)
なんていうのがあるといいのだけれど、
台湾だと、100元(400円)だし、
日本だと、1000円札だから、
こんなチップをあげていると、しまいに破産してしまう。

だから、小額紙幣のない国には、
1ドル札を大量にもっていくようにしている。
これなら、最近円安だけれど、それでも、120円くらいだし、
ダメージが小さいから便利だよね。

さすがは、世界のアメリカ、
末永く1ドル紙幣を製造し続けてくれたまえ、
と思う、心配性でせこいおっさんなのである。



▼チップとは直接関係ないけれど、
タクシーで小銭のおつりをもらうのも苦手だ。
小銭を用意してもらうのも悪いような気がするが、
かといって、おつりいいです、
というのもえらそうな感じがするのんだ。
だから、日本ではあんまりタクシーに乗らないようにしている。
最近、少額決済にも使用しやすい、
edyなんかの電子マネーの普及が著しく、
これが世界に広がれば、チップ、という野蛮な制度は、
やがてすたれる
のでわ、と期待してるんだけど、
まんだまだ時間がかかるだろね^^;

B





写真は、タイの貨幣。
左から、10、5、2、1バーツ玉。
2バーツ玉の実物は初めてみた。
タイの物価が上がる傾向にあるようだけど、
20バーツ札はなくなりませんように。。。(-人-)

2007年9月 1日 (土)

蜂群崩壊症候群

空っぽの袋は、まっすぐに立たない。
金儲けの秘訣 ・第280条)




テレビのニュースで見たのだけれど、
最近、アメリカの養蜂業者が大きな問題を抱えているらしい。

ある日、突然、蜜蜂の群れが、失踪してしまう、
という事件が頻発しているらしいのだ。
原因は、諸説あるらしいけれど、実際何が正しいのか、
となると、わかっていないらしい。

しかしながら、その原因の候補のなかに、
過労働から来るストレス説、というのがあり、
なかなかに興味深く思っているのんだ。

働き蜂は、雌でありながら、みずから子を産むことはなく、
子を産む作業は、もっぱら女王蜂にまかせ、
全体のための労働に徹する。
そのメカニズムは、ながらく不明であったらしいが、
だれかが、遺伝子の法則でもって、説明をつけることに成功した、
ということだ。
曰く、通常のように、自分の子をもうける場合であっても、
自分の遺伝子は、2分の1しか同一ではないが、
蜂のような、女王蜂による子孫一括生産方式だと、
雄蜂が同一である、という条件では、
自分と同じ遺伝子は4分の3にもなり、
より効率的で、意味ある子孫繁栄のシステムだと説明がついた、
といういうことだ。
充分働き蜂として、労働力に徹することが、
蜂にとって喜ばしく感じられる(?)状況になるらしい。

しかしながら、現実の問題として、
今日、働き蜂が働くことを放棄して、いなくなってしまっている。

もう働くのはイヤだ、と出奔してしまうわけなのだから、
これについても、誰かがきちんとした説明をくわえてほしい、
と思うのだけれど、本当の理由かどうかもまだわからんのだから、
解明には時間がかかりそうだ。

ところで、日本人はむかし働き蜂
とよその国の人間から、よくいわれたものだ。
しかしながら、現在の状況はどうだろうか。

むかしと同様、身を粉にして働いているひとも多い
のだろうけれど、
若年層のニートやフリーターなどの問題や、中高年の失業など、
労働に関しての多くの問題が発生している現状は、
むかしにはなかったことのような気がする。
そして、むかしのように、取り憑かれたように、働いたり、
労働することを喜びに感じるひとの数が減っているように思う
のだ。

働き蜂たる、日本民族も、そのシステムに疑問をもつにいたった、
といってしまうのは、言い過ぎだろうか。

アメリカのほんものの働き蜂のように、
どっかにいってしまいたい、という願望をもちながら、
しかたなく働いてる、ひとたちも多いのかもしれない。
そして、この現実に、なんとなく共感を覚えてしまうのは、
ぼくだけなのだろうかな。

働く、とは、はたにいるひとびとを楽にさせることだ
なんて、一休さんみたいなことを言って、
納得していた時代が今は懐かしい、おっさんなのである。



▼同じようなとんち(?)的な話に、
結婚式の席上でよく言われた、
結婚生活で大切な3つの袋
、というもあったなー。
たしか、お袋、胃袋、堪忍袋、だったろうか。
それをむかし、とんねるずがコントで、
3つとも、きゃんたま袋、といってしまった酔っぱらい、
というのを演じていたような気がしたけれど、
最近は、むしろ、最初の3つよりも、1つのきゃんたま袋を
大切にしているひとたちも多そうな気がする、今日この頃だ。
その1つのきゃんたま袋が、配偶者のもの、
であれば、いいんだけれど。。。


Photo 写真は、桃園国際機場でみかけた、
赤ちゃんのオブジェ。

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »