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2007年8月29日 (水)

台中(その四)

台中の2日目もだらだらしながら過ぎ、
3日目は、もう次の目的地である、バンコクに向かう。

その朝は、6時40分に目覚めた。
このホテルのテレビには、日本の番組を台湾語字幕で
流し続けているチャンネルがあって、
昨日は、海外でおなじみ、TVチャンピオンと、
同じ系列の、何でも鑑定団を見かけたが、
今朝は、ロンドンハーツがやっている。
朝の6時台になんでだ、と思いつつ、つい見てしまう。

7時になってから、シャワーを浴びつつ、
8時40分の国光客運の空港行きに乗るつもりだったのを
朝ごはんをやめて、7時40分に乗ることにしようと決意する。
なんとなく、あの朝ごはんなら、食べなくてもいいか、
という気分になったのだ。

▼昨日の朝ごはん。
しきってるおばさんは、ええ感じのひとだったが、
味は、好みではなかったかな^^;

Photo








7時20分にチェックアウト。
台中站で40分のバスに乗りたいんです、というと、
ぎりぎりですねー、といいつつ、
フロントのねーさんはタクシーを呼んでくれる。
道にいくらでも走ってますけど、と思いつつ、
たぶん親切、なんだろう。

少ししてタクシーが来て、30分過ぎにちゃんと駅につく。
切符を買って、ファミマで朝ごはんのおにぎりを
買う時間もあった。

違う列に並んで、乗り遅れそうになりながら、
なんとかバスに乗り込んで、
10時過ぎに桃園国際機場に着いた。

でも、中華航空のCI695便のチェックインは、
11時過ぎないと始まらない。
なんてこったい。

時間まで待ってチェックインし、
パスポートコントロールも抜けて、
さっさと待合室に入っていると、横に男の2人連れが坐る。
ぼくの横の男が、もうひとりの男に手錠をはずされている
なんやなんや^^;
はずすなら、離陸してからにしてよ。。。

現地時間の15時半ころ、バンコクの空港に着くも、
そっから入国審査の列に1時間近く並び、やっとすんだ後も、
荷物のターンテーブルがどれかを示す表示システムが
ダウンしてるようで、
ひとつづつ、荷物についてるタグを見ながら、
自分のスーツケースのまわってるラインを10数本探して歩く。

バンコクの新空港はまったく最低な空港やな、と思う。

入国するだけでこんなに疲れるのんてありか、まったく。
スーツケースが出てきただけ、めっけものやったけど。

タクシーに乗って、ホテルに向かう。
いつものホテルにつくと、ほっとする。

さてバンコクでは、タイ料理でも食べて、ゆっくり本でも読むか。





▼最近話題の中華航空に今回乗ってたんだけれど、
飛行機事故の安全性にみながあそこまでこだわるのはなぜだろう。
たしかに事故がないのが一番いいのはわかる。
でも、日本国内の交通事故死者数や自殺者数に比べ、
飛行機事故なぞ取るに足らない数字だと、
あっしは思うのだけれど、ちゃうんやろか。
なんとなくそのアンバランスさに居心地の悪さを感じてしまう。
しかもいやなら、別の航空会社を選べばいいのだし。
あっしには謎だあ~^^


Photo_2

えあちゃいな@なは

2007年8月26日 (日)

台中(その参)

最近、とある飲み会で初めて会う女性と話す機会があった。
その女性は、波に乗りに、だったか、海に潜りにだったか、
だと思うけれど、よく沖縄に行く、らしい。
ぼくも最近よく行くよ、沖縄、と答えた。
ビーチには行かないけどさ。

その後、

観光?
ぼくは、観光には興味ないの。
じゃあ、泡盛を飲みに?
ぼくはお酒飲まないんすよ。
では、なんのために?

という風に会話は続き、結論は写真を撮りに、かな、
と答えたのだけれど、今から考えると、
この答えは不正確な一面を持っていたように思う。

たしかに写真はたくさん撮るし、
いい写真が撮れたときはうれしいけれど、
必ずしも写真を撮るのが目的ではなく、
むしろ記憶の補助に写真を撮るような場合も多く、
そうであれば、そのために、とはいえないように思えたのんだ。

たびの形はひとそれぞれで、ぼくのように一般の分類からは
多少逸脱気味なひとだっているだろうと思う。
そのときは思いつかなかったけれど、
ぼくがどこかを訪れるのは、たぶんそこにいたいから、で、
新しい街を訪れるのは、
その街がいたい街かどうかを確認するため

なんだろうな、とあとから思い当たったのだった。

だから、ぼくは一般的な意味合いでの観光はしないけれど、
新しい街を訪れると、とりあえずその街を歩いてみる。
まるで、犬が電信柱を調べ歩くように、
なにげない街角をひた歩くのだ。

そして、そこになんらかの自分のお気に入りのもの、
を見つけることができたなら、またその街を訪れることになる。
たとえば、バンコクであり、また、台北であり、
あるいは那覇、なのかもしれない。

前置きが長くなったけれど、ではどんな風にぼくが歩き、
どんなものに興味をひかれているのんか、
台中の街の滞在2日目、朝10時から12時くらいにかけて、
自分のホテルから台中站までを歩き、
また帰ってきたその道のりを使って、再現してみようと思う。

もちろんどんな方法でも、
たとえビデオカメラを使ったとしても、全部は再現できないし、
またそれを公開する手段も持たないのんで、
今回は写真のみを使い、ぼくの目線を再現しようと思う。

実際はこれの何倍も写真を撮り、何十倍も考え、
何百倍もものをみてるのだけれど、まあ気分だけでも、
ぼくのたびの気分を味わっていただければ、と思う。

そして、これを面白い、と思うひとも、
いったいなんじゃらほい、と思う人も、
きっといることだろう。

ただこんなたびもまた、たびなのだ、ということだ。

でわ。




01 たまねぎは洋葱と書くのか。。








02 信箱。
そういえば、私信、とかいうよな、
日本でも。









0305 模範的な街の、
向上する路の、





06 檳榔屋さん。










07 08_2 日本でも売ってるのかな。。









09 工作員募集。









11 12_2
ただでもいらない。










13ぼくなら、株屋に
こんな名前はつけんなー。















14 丸くない。









15 靴屋の看板。
誰も靴なぞ見てないと思うが。







17 公立病院か?









18 市議会。








20 ねーさん、ちょっと踏ん張り過ぎでわ。










21 いえい








22 人生相談か、
それとも、医者かな。









23站は近い。
















25 巨人なうえに、
けっこう野蛮人でも
あるようだ。















26 27_2
台中站構内。









28站の外観。








29 郵便ポスト。










30 バスの値段表。
1元は約4円。















31 先生の檳榔屋さん。















32 この国でも、進行方向に
文字が書かれている。








33 タクシーでは進行方向に
書かれていない。









34 タイ語が目に付くと、
気になる。










35 そのうち、営業停止に
追い込まれそうな気も。















36 巨匠の時計屋。











37 KFC発見。










38 貴夫人?
河野景子の店?






43 日本のものが好き。











39 食べ物以外も。






42 固定客。















40 41 カーネルの代わりに、
にわとりが。









44 消防は、119番、らしい。












45 たくさん歩いて、疲れた。
スタバで、ひとやすみ。

2007年8月23日 (木)

台中(その弐)

というわけで、当日が来た。

朝5時半、実家の老親の車で新大阪駅に送ってもらう。
今日はスーツケースがあるし、それを事前に名古屋の空港に
送ることもしなかったので、非常に助かる。
老親は新大阪の駅に車で行くついでに、
妹の家にも寄ることに決めたようだ。
こんな時間に起きてるんやろか。

車中、母親は妹が生まれた直後、妹を実家に預け、
幼いぼくを連れて、開業当時の新幹線に乗り、
横浜に行った話を始めた。
それって、大阪万博のまだ前の、
東京オリンピック直後のことだろ。
40年も前の話を昨日のことのように思いだすんぢゃねえよ。

新大阪に6時前につく。
6時半ののぞみに乗る予定だったんだけれどね。
えらく早い。
結局、6時5分ののぞみ200号に乗った。

名古屋着は6時55分。
名鉄名古屋駅7時12分発の中部国際空港駅行きの急行に乗る。
なんだかスムースに乗り継いでいく。

周りをみわたせば、電車に乗ってる名古屋の女子高生は、
なんでか、お綺麗な方が少ない
昨日、大阪の電車でみた風景とえらい違う。
さすがに、日本3大なんとかの産地、というのは、
単なる風評でなく、フィールドワークに基づく、研究の賜物
だったのだなー、と感心する。
あるいは、お綺麗な方は外に出てはいけない日
だったのかも知れぬ。

空港駅に7時55分についた。
おまわりさんが台のうえに乗って
駅の改札から出てくるひとを見回している様がいかつい。
テロ対策か、何かのデモンストレーションか、あるいは、
お綺麗な方が、条例に違反して外出していないか、
見張ってたのかも
しれない。

チェックインはすぐ完了した。
ANAのねーちゃんはいつもと同じく親切だ。
出国の保安検査場とパスポートコントロールは
さすがに混んでいる。
こんなときは、さっさと出国するに限る。

▼あっしには他人とも思えない、セントレアのマスコット。

Photo_2 Photo_3








抜けてから、スターアライアンスラウンジ共用ラウンジを探す。
専用のエレベーターでしかいけないようになっているようだ。
これが名古屋流か?
おにぎり2つとチーズ2つとおかしとカプチーノをいただく。

Photo_4 Photo_5






飛行機はわりとすいていた。
すいてる飛行機は好きだけれど、この便がなくなると困るな、
とかつて愛用していた、関空-バンコク間のANA便のことを
思い出す。

▼おまえの乗るのんは、金のANAか、普通のANAか、
と、沼の神様は尋ねました。。。

Photo_6









さっき、ラウンジでしこたま食べてから、眠気を感じていたので、
ドアがクローズしたとたんにしばしまどろむ。
1時間くらいは寝ていたようで、機内は昼食の時間になっていた。
またもやお腹にものをつめこんで、
あっというまに最終着陸態勢になる。
桃園国際機場着は現地時間で12時過ぎだった。

Photo_7






第1ターミナルに移動したりして、
うろうろしてる間に13時近くになる。
1タミに移動したのは、スーツケースを預けよう
と思っていたからだ。
でも、移動のバスのなかで気が変わる。
スーツケースごと台中に行こう。
天気があんまりよくなさそうだし、台中も雨の可能性がある。
そうすると、ホテルまでの移動はタクシーになる。
なら、スーツケースももっていくっていうのもありか、
と考えたのんだ。
タクシー代も保管料もかわらんだろう、というわけだ。

台中行きのバスには、13時20分に乗った。
結局、1時間以上到着した空港内にいたことになる。

15時10分くらいに、台中の最初のバス停につく。
そのときに運転手にここで降りるのか、
とホテルの名前を見せて訊いてみる。
たぶん、ちゃうやろうとは思ったけれど、
ほかの客が降りたタイミングが訊きやすいしさ。

違うが、おまえのホテルはわかった、
というジェスチャーを運ちゃんがする。
非言語コミュニケーションだけれど、わかるものなのだな、
と思う。
そごうが見えると、ここで降りろ、と運転手がぼくを指さす。
そごうは、台北では太平洋そごう、だが、
こっちでは、広三そごうという名称だ。
提携相手が都市によって、違うんだろうな。

Sogo



 

スーツケースを降ろしてもらい、シェイシェイと言って、
ぼくがスーツケースを受け取る前に
タクシーの運転手が自分の車に運んでいる。
楽でいいけど、なんだかねー、と思う。
ホテルの名前を書いた紙をみせると、わかったらしい。

調子のいい運ちゃんのタクシーは、
なんだか逆に向かってるように思えたが、
とりあえず流れに身を任す。
ドアのところにかわいいステッカーが貼ってたので、
デジタルカメラで写真を撮ると、
なんだか運転手が急におどおどしだした。
これを撮ったんだよ、というとさらに態度が卑屈になる。
どっかの電話番号が乗っていたようで、
会社だか観光協会だのだったのかしらん。

Photo_8 Photo_9







ホテルにはちゃんとついた。
運転手はほらね、ってアピールをするけれど、
別に疑ってないってば。

ホテルはよくはなさそうだ、けど、悪くもなさそうだ。
まさにぼくの好みのとおりでまずはよかった。
1泊8100円は少し高かったかもしれないが。

Photo_10

Hotel






荷物を置いて、デジタル1眼をかばんから出す。
とりあえず、まず街へ出かける。

▼小玉西瓜、ってこんな漢字だったのか。
眼の視界、は、なんとなくかぶってる。。。

Suika Menoshikai




使ってるうちに電池がほとんど放電していたことに気づいた。
予備の方もだ。
スーツケースに電源コードを入れていたから、
もし、空港に預けていたら、まぬけなことになるとこだった。
今回気が変わったのは、ちょいとラッキーだったな、と思う。

▼たくさんいた、クロネコさん。

Kuroneko




ちょいと街中をうろうろして、
夕飯はモスバーガーで食べてホテルに帰る。
今日は長い一日だった。
早く寝よう、っと。


セクシー系の檳榔屋さんは、この地には少なかった。
残念ながら。。。

Binrouya

2007年8月20日 (月)

台中(その壱)

チャンスはどこにでもある。
常に見つける努力をしなければならないが。
金儲けの秘訣 ・第157条)



今回のたびは、台湾から始まる。
最近は、タイに行く際、往路か復路かのどちらかは、
台湾経由にするようにしている。
今までは、台北で少しだらだらしてから、次の場所に行く、
というスタイルだったのだけれど、今回は滞在都市が違う。
台北ではなく、台中に行くことにしたのんだ。

なにゆえ?、と訊かれても、とくに理由はない。
しいてあげれば、つい最近、2泊3日で台北に行った、
ということがあるかもしれない。
しかしながら、台北に行かず、台中に行くから、
2泊3日で先に台北に行ったのだ、という側面もあったし、
それこそ、卵か先か、鶏が先か、
というような、話になってしまう。

まあそれはおいといても、台中だ。
高雄でも、台南でもなく、台中だ。

ぼくは、台湾では行ったことのある場所、というのが、
けっこう限られていて、台北を除くと、
淡水、基隆、花蓮を少し踏んだことがあるだけだ。
しかも、ほとんど空気吸っただけ、のレベルに近い。

そして、今回は台中だ。

これは、けっこう不思議な選択、であるようで、
こっち方面に詳しいヒトによると、
日本をたびする外国人が、東京に行った後、
2度目の旅行で、京都や奈良や大阪や神戸や北海道ではなく、
名古屋に行くようなもんだ、という風なたとえをされた。

なるほどそういうものなのか。

しかしながら、ぼくははなから観光をするのが目的ではないし、
今回はなんとなく初めて場所に行きたかっただけで、
しかも、台湾は2泊、という日程上、決めていたのんで、
そうなると、高雄や台南よりも台中のんが行きやすいかな、
と安易に考えただけなのだ。

台中へは、台北近郊の桃園国際機場から直通のバスが出ていて、
しかも2時間くらいしかかからない、ということもあったし、
南の方の、高雄や台南は、気候的にいっても、
つぎの正月休みにしようかな、と思ったりもしていたのんだ。

なにはともあれ、今回は、台中、というわけなのだ。

航空券の予約は、すでにしていたのんで、
ホテルの予約をまず行なう。
これをしておかないと、安易に行き先を、
台北に変えてしまう弱さをもつぼく、なのさ。

台湾のネット業者を通じて、予約を入れる。

お金を入れてしまうと、もうキャンセルするのも面倒だし、
覚悟が決まる。

誰がなんといおうと、今回の台湾は、台中なのだよ。


▼地上に降り立った、中華航空の空中小姐@桃園機場。
美しいかのじょらを見れれば、もうあとはどうでもいい、
という意見もちらほら。。。

Photo

2007年8月17日 (金)

男おいどん

フェレンギ人未到の宇宙を勇敢に進め。
そこにはまだフェレンギ人の悪評を知らない、
新しいカモが待ちうけているに違いない。
金儲けの秘訣 ・第77条)




松本零士さんというと、宇宙戦艦ヤマトや、
銀河鉄道999で、有名な漫画家であり、
最近では、とある歌手との盗作騒ぎでも話題にもなったけれど、
ぼくの世代が少年少女だったころは、
それこそ超のつく、売れっ子だったひとだ。

今でもそれなりには活躍はされているのだろう、
とは思うのだけれど、
しかし、全盛期にすごさを知るものにとっては、
少しさみしい感じのするような、状況なんである。
まだまだ老け込まず、創作活動にいそしんでほしい、
と思っているファンは、多いのでないか、と思う。

ぼくも、上記にあげた作品群や、宇宙船にでっかい包丁のついた、
キャプテンハーロックなんかを愛読していたのだけれど、
実は、そのような作品が流行する少し前、
少年マガジンに連載されていた、男おいどん、
という作品がかれのファンになるきっかけだったのんだ。

九州から出てきて、苦学しながら、将来を夢見る主人公、
大山昇太(おおやま・のぼった)は、小学生だったぼくの
ヒーローだったのだけれど、
とってもかっこよかったか、というと、でんでんそうぢゃなくて、
なにをやっても、どうにもこうにもうまくいかない、
大都会、東京で戸惑う、田舎者なのだった。

今から思えば、なんでこんな話を小学生が喜んで読んでいたのか、
自分でも理解に苦しむのだけれど、
きっと、洗濯しない縞々のパンツの山からはえてくる、
正体不明のサルマタケ
、なんかがおかしかったのだろうな、
と思う。

また、下宿のおばさんや、バイト先のラーメン屋のおやじなど、
かれの面倒を見てくれようとする、ひとたちの存在も、
こんな世の中になってくると、懐かしい気がするのんだけれど、
いまの日本の世相をみていると、こんなひとたちの存在の方が、
宇宙戦艦よりも、SFっぽいかもしないな、と思うのだ。

夜間高校への復学を果たしたおいどんは、
最終回、すべてを残したまま、下宿から消えてしまう。
かれがどこに行ったのか、どうしてしまったのか、
誰も知らないまま、もう30有余年が過ぎた。
できれば、その後のおいどんを松本零士さんには書いて欲しい、
と思ったりしているのだけれど、やっぱ無理だろう、な(^^;)



▼その後、同じような主人公で、舞台を未来に移した、
ワダチ、という作品もあったが、これもけっこう好きだった。
999のテツロー、なんていうのも、
同系統のキャラクターだよね。

Photo










写真は、大山青年が愛したもの、ということで、ラーメン。
ラーメンというと、あっしがお世話になってる、
タイの8番ラーメンでやした。
でも、あっしは、残念ながら、ラーメンライス
よりは、冷やし中華を愛しておりやす^^;
この辺は、常夏、ですから。。。

2007年8月14日 (火)

乖離

まず儲けろ。女は後でやって来る。
金儲けの秘訣 ・第56条)



最近、独身女性の男選びの基準が変わってきている、らしい
三高から三低へと、その力点が変更されているとのことなのだ。

三高とは、高学歴、高身長、高収入、という3つの要素で、
では三低のおとこは、低学歴で低身長で低収入のおとこのことか、
というと、そうではないらしく、
低姿勢で、低リスクで、低依存なおとこのことをいうのだという。

興味深いのは、たしかに重心点はずれている、
のかもしれないけれど、
決して、高と低であっても、共存し得ない条件群ではない
ということだ。

すなわち、低姿勢であっても、高身長なおとこはいるし、
高学歴と低依存も因果関係がない。
一見、相反するようにみえる、高収入と低リスクも、
公務員だって、今や決して低収入ではないし、
弁護士や医師や会計士などの資格商売は、一般的に高収入だ。

なんだかなー^^;、と不惑独身のぼくなどは思ったりするのんだ。

ところで、独身女性が男性に望む最低年収のアンケート調査
というのが最近あったようで、読んでみると、
これも、なかなかおもしろい結果が出ているんじゃないかな、
と思ったりする。

20代、30代、40代の年代別にみると、全年代において、
1位は500~700万、というのも興味深い
、のだけれど、
しかし、20代30代は、2位が700~900万、
3位が300~500万なのに対して、
40代は、2位が1000~1200万、なのだ、そうだ。

もちろん、20代30代の2位以下の希望が控えめ(?)なのは、
対象となる男性がまだ若く、将来増えることを見越している、
という側面もあるだろうけれど、
40代の独身女性の2位の希望である、
1000~1200万もの年収があって、
しかも独身のおとこが世の中にいったいどのくらいいるのだろう、
と考えてしまう。

年齢の平均は知らないのだけれど、最近の調査では、
既婚者も含めた、平均的な給与所得者の年収は、
たしか400万円台だったか、
500万台の前半だったかのはずで、
これでも、世界的に見れば、決して低い方ではなく、
むしろ、例外的な高水準であった、ような気がするのだけれど、
そんな風にいったところで、
独身女性の気持ちが変わるわけではないだろうな。

よしんば、1000~1200万もの収入がある独身者がいた
としても、一般的におとこは若い女性を選びたがる傾向があり、
とくに40代女性は、子孫繁栄の面で大きなハンデがある現実、
を考えると、
このような、意識と現実の乖離が、40代の独身女性の婚姻を、
あるいは、全体的な年代でも、婚姻の成立をむつかしくさせる、
ひとつの原因となっているのかも、と考えてしまう。
少なくとも半分以上の既婚独身男性が、収入面において、
最低条件をクリヤしていない
、ことになるわけなんだから。

もちろんきっと同様に、男性側にも、現実から乖離した高望み、
や、大きすぎる希望があることなのだろう。

ただ最近の日本の傾向として、男性、よりも、
女性に配偶者選択の主導権がある、ような気がするのんで、
やはり、女性の希望が大きい、とカップリングは、
より難しくなる、のではないか、
という風にぼくには思える。

かくいうぼくも独身で、数字をみて、
冷静にこんな意見を述べている場合ではない、
のかもしれないのだけれど、
なんとなく、袋小路、というようなことばを
思い出してしまうのんだ。

ただ、このような現実は、何も日本に限ったことではなく、
韓国や台湾、なんかでも男性の結婚難がおこっている、
という話だ。
結果として、結婚をしたいにもかかわらず、できないおとこは、
より経済的な後進地域に配偶者を求める、
という構図も同じ
らしい。

もちろんそれで、みんなが幸せになって、丸くおさまる、
というのならいいのだけれど、ほんとうにそうなっているのんか。
むしろ、それに伴う諸問題がまた新たに発生しているような、
そんな気もするのだけれど、いかがだろうか。




▼とはいうものの、あっしが知らないだけで、
世間的には、でんでんそれくらいが当たり前の収入なのだったら、
どうしよう、と少し思ったりなんかして(^^;)
そのときは、生あたたく見守ってやってください。。。

Photo    Photo_2








 

写真は、台湾は台中市でみかけた結婚相談所。
この国では、ベトナム娘が結婚相手として、トレンディー、らしい。


Photo_3    Photo_4











ついでに、結婚後、必要な器具(?)の販売所も近所にあったので、
貼っておきますです^^;
なかには、入ってませぬが、
台北市内の店よりは、奥ゆかしい、感じっすねー(^^)

2007年8月11日 (土)

呪われたクリームコロッケの思い出

商品にケチをつける奴は、それを買う奴だ。
金儲けの秘訣 ・第246条)




ぼくは関西人だ。
人生で何度か、東京に行ったことはあるものの、その滞在時間は、
タイ王国の首都に滞在した時間の数百分の一、だろうし、
台湾の首都に滞在した時間にも、はるかに及ばない、だろう。

おそらく、ミャンマーか、カンボジアの首都に滞在した時間、
よりは多い、とは思うのだけれど、
両者を足した時間には及ばないのはないか、と思っている。

別に嫌い、というわけではないのだけれど、
たまたま機会がなかった、というのがひとつの理由であり、
滞在費が高い、というのがふたつ目の理由で、
とくに必要性でもなかった、というのが三番目の理由、
なのだろうと思う。

関西には、大阪や神戸、京都といった、大都市があり、
東京まで行かなくては経験できないこと、
というのがもはや少ないような気がするのんだ。

しかしながら、そこそこ長い人生で、まったく必要性がなかった、
というわけではもちろんない。
そのなかの1回は、大学受験、のためだ。
当時、今よりも、大学受験の地方会場が少なく、
受験生は当地に赴く、というのがむしろ当たり前の時代だった。

ぼくは、さるやんごとなき方が卒業した大学と、
今ではなんとか王子、というのが入学したことで、
妙に盛り上がっている、とある大学を受験した。

結果としては、本ものの王子さまが卒業した大学の方は合格し、
ぱちもんの王子の方の大学は不合格で、
どっちにしても、地元の大学に合格が決まっていたから、
それらの大学に行くつもりはなかったのだけれど、
その結果は、当時の自分的には少し不満足なものだった、
と記憶している。

さて、ぱちものの王子様大学受験に際して、
ぼくは、試験会場で、お昼に弁当を買った。
何の変哲もない、クリームコロッケ弁当だった。
ごはんにコロッケ、という取り合わせは、
多少、でんぷん質が多いような気はしたものの、
それはそれでおいしくいただいた。

夜には、宿泊させてもらっていた、
親類の家で夕ご飯を食べさせてもらったのだけれど、
なぜかそのおかずもクリームコロッケだった。
ごはんにコロッケ、という取り合わせは、
多少、でんぷん質が多いような気はしたものの、
それはそれでおいしくいただいた。

さて次の日も同じ大学の、別の学部の受験日だったのだけれど、
ぼくは、じゃっかんの不安を感じながら、
また弁当を構内で買ったのだった。

同じメニューぢゃないよね、きっと。

しかしながら、こういう予想をことごとく外すのは、
ぼくは得意とするところで、
きっちりまたクリームコロッケ弁当を食べたのだった。

むかし西原理恵子さんが、タイの衛星テレビで毎日見たという、
インドの料理番組の料理が、できあがると、結局、
毎日カレー
だった、というのと同じように、
東京のひとは、きっとクリームコロッケをおかずに
ごはんを食べるのが好きなんだろう、というのが、
不惑を遥かに超えた、ぼくの印象だ。

いつか花の東京で、クリームコロッケ以外のものをおかずに
ごはんが食べたい、とは思っているのだけれど、
その日はいったいいつ来るのだろうか。


▼関西人は、お好み焼きやたこ焼きやうどんなど、
でんぷん質が好きだ、と言われるが、
あっしの経験では、クリームコロッケが好きな東京人も
似たようなもんだ、と思ったりしたのだけれど、最近では、
一般人はもう少し違うものを常食としてるのかもしれない、
とちょっと思ったりもしている。

Photo_135



  

写真は、バンコクの日本料理店でよく食べる、たこ焼き。

2007年8月 8日 (水)

シューマンのピアノコンチェルト

沢山あるのはいいことだ。全部あればさらによし。
金儲けの秘訣 ・第242条)



ぼくがシューマン、という作曲家に初めて興味をもったのは、
ずいぶん若いころ、かれのピアノ協奏曲を聴いたときだった。

ロマンチックな、甘い甘い音楽が好きだった高校生のぼくは、
ショパンのノクターンやワルツなんかを愛聴していたのだけれど、
たぶん、同時期にこの曲を聴いて、
なんて素敵な音楽なのだろう、と思ったのだった。

持っていたレコードは、たしか、ステレオ初期の、
スヴァトスラフ・リヒテルがピアノを弾いた、
ドイツグラモフォンの廉価版で、なにかカップリング曲があった、
と思うのだけれど、それは思い出せない。

今のひとにはわかるまいが、廉価版のレコードは、
盤の材質が良くないのか、静電気が発生し、
それが大量の埃をひきつけ、
そのために音楽の邪魔になる、スクラッチノイズとの闘いで、
そんなことばかりが印象に残っている。

しかしながら、人生でこの曲を初めて聴いたのは、
実はこのときではないようだ。
おそらく昭和42年か、43年、
ぼくがまだ、小学校にも上がる前のことで、
もちろん、それを憶えているはずもなく、
のちに再放送で、それを知ったのだけれどね。

それは、ウルトラセブンの最終回で、
ウルトラセブンでもあるモロボシダンが、
ウルトラ警備隊の同僚のアンヌ隊員に、
自分が地球人ではなく、M78星雲から来た宇宙人なのだ、
というカミングアウトをしたとき、背後で演奏されていたのが、
この、シューマンのピアノ協奏曲で、
ウルトラセブン、という子ども向けだったはずの番組は、
けっこう音楽の選曲に関して、当時としては、
なかなかハイカラ、というか、高尚な趣味だったようだ。

リヒテルの廉価盤以後も、数枚のレコードやCDを
買って聴いてきた。
思い出すままに書くと、アルフレート・ブレンデルと
クラウディオ・アバドのフィリップス発売のレコード盤。
クリスチャン・ツィメルマンとヘルベルト・フォン・カラヤンの
グラモフォン盤のCDは、スタンダードにグリークが
カップリングだった。
そして、マウリツィオ・ポリーニとクラウディオ・アバドの、
やはりグラモフォン盤のCDは、なんとシェーンベルク
そのカップリング曲だった。

他にミケランジェリやアラウのCDの組み物にも入っていた
ような気がするが、残念ながら、しっかりと聴いた記憶がない。

やはり若いとき、少ない小遣いをやりくりして、やっと買った、
リヒテル盤を一番真剣に聴いたように思う。

ただ最近は、同じシューマンでも、このピアノ協奏曲よりも、
クラウディオ・アラウ老の弾く、ソロの小品の方が、
こころに沁みたりするのんは、老化のせいなんでしょうかね^^;






▼アンヌ隊員こと、ひし美ゆり子さんは、
少年のころの、アイドルだった。
子ども向けの特撮ドラマでありながら、
かのじょは、けっこうな巨乳のもちぬしで、
かのじょをみているうちに、目覚めた(何に?^^;)、
という青少年はけっこう多いと聞く。
ひし美さんに、当時の男子を代表して、
ありがとうm(_ _)mツイドゲザ

Annu




写真は、当時のひし美さん。
今の姿は、かのじょのブログからどうぞ。


2007年8月 5日 (日)

成長

会話はタダだがシンセエール(アルコール飲料の一種)
には金がかかる。
金儲けの秘訣 ・第30条)




また、この季節がやってきた。
人間ドックに行かねばならない。

以前に書いたようにぼくはこの行事が嫌いだ。
しかしながら、職場での健診はもっといやなので、
仕方なしに自ら進んで人間ドックに入っている。

仕事をやめたら、でったい受けるものか、
と固い決意をしているのだけれど、
働いてるうちは、これも仕事のうち、と諦めている。

とくにいやなのが、バリウムだ。
胃カメラを呑む、という選択肢もあるにはある、ようだけれど、
それもまた恐ろしいし、
それなら、まだバリウムを飲む方がましかな、
と思って、我慢している。

ぼくの行く健診施設は、結果を数値だけではなく、
身体上の問題点を箇条書きにしてくれるのだけれど、
毎年毎年そのリストが充実してくる。
今年は、いよいよ脂肪肝で、γGTP、というのんか、
肝臓の問題値が、ほんの少しだけれど、
許容範囲を超えてしまった。
この数値の悪い人は、お酒のみが多いらしく、
総合所見のお医者さんが、
お酒はかなり飲まれるのですか、
と訊くので、でんでん飲まないんです
と答えると、くだんのお医者さんは、黙ってしまった
以前のお医者さんのように、逆ギレされるのもつらいが、
黙られるのも、関西人としてはちょっとつらいものがあるのんだ。

そんななか、今年たったひとつのめっけものの記録ができた。
それは、身長のことだ。
生まれて初めて、180センチを超えたのである。

実は、その予感はあったのだ。
ここ数年少しづつ、その数値が180センチに接近してきており、
一昨年だったかは、179.9センチまできていたのんだ。
昨年は残念ながら、届かなかったのだけれど、
今年、180センチ超えを果たし、
少し晴れやかな気分だったりする。

しかしながら、必ずしも、身長が伸びている、というよりは、
足の裏が分厚くなっているのでわ、
と真の理由を考えたりするのであるが、
それでも、自前の身長であり、シークレット足の裏、
とかでわない、と信じているのであるけれど、
信じてもいいですかいな(^^;)


▼酒も飲まないで、脂肪肝になるなんぞ、
いったいどんな生活をしてるのやら、
とわれながら、呆れるのだけれど、
これもさだめ、と諦めたい、今日この頃。。。

 

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写真は、ドッグ、、、ですな^^;

2007年8月 2日 (木)

胡瓜のピクルス・その後

親戚の贈り物には用心しろ。
金儲けの秘訣 ・第18条)



つい最近、胡瓜のピクルスについて書いた。
急な衝動に駆られて、ピクルスを10キロ分ほど、
買い込んでしまった、という話だ。

買ったはいいが、そんな大量のピクルスを
一気に喰えるわけもなく、ぼちぼちと食べて、
最近、ようやく1.83リットル入りの分を
1瓶食べ終わることができたのだった。

アメリカ産の方は、少々辛く、たくさん食べれない、
と書いたけれど、
ある日、ハンバーグといっしょに食パンに挟んでみたところ、
これが実にいい具合の辛さであることに気がついた。
ドイツ産の方は、そのまま食べるにはいいが、
パンに挟むと多少頼んない感じなのだ。

なるほど、これはどういう食べ方をするか、
という問題なのだな、と気づいたわけだ。
ピクルスを漬け物のようにそのまま食べる、
という人間ばかりではなく、
むしろ、合州国の民衆的には、調理する方が普通なのだろう。

御意

さて、そんなわけで、まだあけていない残りのピクルスの瓶は、
どでっ、とキッチンの床に並べておいたわけなのだけれど、
ある日、ぼくの留守中に実家の老親たちがやってきて、
その様子をみたようなのだ。

あとから、母親から電話がかかってきて、
遠慮がちに、キッチンのピクルスについて、あれはどうしたのか、
と問うのである。
通販で買った、と答えると、
実は父親が、あれはむかし、アメリカで食べた
ピクルスと同じ味であろうか、と言ってるのだが、という。

食べたければ、持って帰ればいいのに、というと、
それではあまりに厚かましいかな、と思って、という。
4つあるものが3つになったところで、
ぼくは別に気づきもしないし、
変に遠慮されるよりも、持って帰っててくれた方が、
重くなくてよかったのだけんど、とか思いつつ、
今度行くとき、持っていってやるよ、と答えたのであった。

しかしながら、うちの父親は、基本的に和風のものしか食べない
田舎者で、ピクルスを恋しく思ったりするのも意外や意外、
そもそもピクルスと漬物の区別がつくとも思えなかったのんで、
それを食べたい、と積極的な意思表示をしめしたことが、
驚きだったのんである。

人生には、まだまだ不可解なことがたくさんある、
と老父の、妙にはいからな一面をみて、
思ったことなのであったことだよ。



▼胡瓜といえば、ペプシが、アイスキューカンバ味
というのを売り出していて、
たまたまスーパーで見かけたのんで、買ってみた。
メロン味、とか、スイカ味、とかのジュースがあるし、
同じ瓜科のよしみで、胡瓜味、ということなのだろうか。
そのチャレンヂングスピリットだけ、は買うけれど、ねー(^^;)

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