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2007年6月30日 (土)

兵站(ロジスティックス)

家族といえど金儲けの邪魔はさせない。
金儲けの秘訣 ・第6条)



戦争に限らず、兵站、ということが非常に重要である、
ということは意外と知られていないように思う。
簡単に言えば、物資をいかにうまく前線に補給するか
という問題だ。

ひとは食ったり、飲んだり、寝たり、出したりしないと
生きていけない。
だから、闘うひとたちに、そういうものを補給する、
必要があるわけだ。
徒手空拳では効率的に闘うことはできない。
物資の輸送のラインは非常に重要なのである。

そしてそれは、現代の組織でもいえることだ、と思う。

会社の営業部隊が最前線、だとすると、管理部門や事務部門は、
この兵站を担当する部門だ、といえるだろうか。

ぼくがこの問題に関心をもったきっかけは、
中内功、という人物の伝記、を読んでからだ。
かれは、ダイエーグループを一代で創り上げ
そして、不幸にも晩年は、グループを凋落に導いたおとこ
だといってもいいかもしれない。

太平洋戦争で出征し、フィリピン戦線で終戦を迎えたかれは、
そこで、死んだ友人を喰らわねば生き残れないような、
地獄をみた、ということだ。
そして帰還したかれは、以前とは別の人間になっていたらしい。

のちに、主婦の店ダイエー、を立ち上げることになった、
かれの人生の真の出発点が、このフィリピン戦線にあったことは、
想像に難くない。

戦後の物不足の中で、かれは、物質的な満足をひとびとに与える、
ということを自分の天職として生き、そして、儲けた。

しかしながら、ひとびとが満足したあとのことは、
かれの人生の経験のなかに、用意されていなかった。
にもかかわらず、かれの王国はまだかれの手の中にあり、
その貪欲さゆえに、かれをそれを手放すことができなかったのだ。

そこから、ダイエー帝国の瓦解が始まったのであるが、
冷たい言い方をすれば、かれは長生きをしすぎた、
のかもしれない。

さて最近、ワーキングプア、ということばが流行っている。
働けども、豊かになれない労働者階級の出現、ということが、
某国営放送などでも、特集されたりしている。

しかしながら、ここでは、労働、の問題は取り上げられても、
家族制度のあり方は、取り上げられてはいなかった。

さらっ、と、核家族化、が進み、
家族の単位が昔とは違ってきているので、みたいな感じで、
誤魔化されていたように思う。

しかしながら、これこそが、ワーキングプア、
の一番根っこの問題ではないのか、とぼくは思っているのんだ。

むかしは家庭が、この兵站の役割をしていたと思う。
おとうさんが稼ぎ、おかあさんが子育てし、あるいは家を守る。
あるいは、夫婦で稼ぎ、じいさんばあさんが子育てを、
若夫婦に代わって担当する。

ところが、今は核家族化が進み、その結果、
家庭の単位での兵站、のシステムがこわれつつあるのんだ。
その帰結として、少子化や子育てに関する諸問題が、
大きな課題として、現代の日本社会に投げかけられているような、
そんな気がしてならない、とぼくは思うのだ。

これに関しては、家族を持たず、
ひとりで生きるぼくのような存在には、
そもそも語る資格がない、のかも知れない。

ただこの、日本の現代的な問題、に関して、
家族制度の変容、ということを抜きにしては、
語れないし、語るべきではない、と思うのんだけれど、
いかがなものだろうか。



▼中内功の伝記のなかで、ぼくが一番感動したのは、
神戸の地震の際の、かれの行動力だ。
かれは、当時傘下にあった、ローソンの経営者に、
たとえ、売るものがなくても、電気を消すな
という風に命令したそうだ。
それは、ひとびとの安心感に多少なりとも寄与するため、
ということだったらしいが、
フィリピン戦線で、地獄をみた人間だからこそ、
できた発想だった、ということだ。
もちろん、かれを全肯定するつもりはない。
ただ、かれは商売人だった、と思う。
そして、商売人として、その人生の大半は、
立派だったのではないか、とぼくは思っている。
ぼく自身も、子ども時代、近所にあった、
ダイエーに育ててもらったようなもんだしさ^^
そのは、忘れちゃいませんぜ。。。

Big_c



写真は、バンコクのスーパー、BIG C。

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コメント

こんばんわ〜♪
阪神大震災の被災者、はぎ妻です(半壊でした★)
あのときのダイエーの行動力にはホント、
感謝と感動ばかりか実に勇気づけられ助かった記憶があります。
当時住んでいた東灘区魚崎から歩いて西宮のはぎちゃんの実家まで避難したのですけど、
自身の翌日には甲子園駅前のダイエーが営業していたのですよ!!!
陸路はめちゃくちゃだったので、なんでもヘリで物資を輸送したとか。
まずは鳥かごがめちゃくちゃになって衣装ケースに入っていた鳥用に鳥かごと、人間用に食料等を買い込みました。
あのときの感謝と言ったら…
思い出しても涙がでますね(T-T)
中内社長はそういった戦争の記憶が行動を起こさせたのですね。
自分の家に戻っても1、2ヶ月は夜の明かりが暗く物騒でした。
あのときはコンビニの明かりひとつでも
ありがたかったですね〜
(しみじみ…)

訂正弥↑
自身の翌日→地震の翌日

はぎ妻さん、まいど^^

地震の際のかれの行動には、賛否両論あったようで、
あの状況で商売をした、ということで、批判をするひともいたようです。
ただ、あっしは、無料の救援物資を送るのは、政府なんかの仕事で、
商人には商人なりの方法論がある、というのに賛成でした。
当時の被災者のひとりである、はぎ妻さんに、
このようなコメントをもらえて、
正直、うれかったあっしでやんすよ(^^

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