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2007年6月30日 (土)

兵站(ロジスティックス)

家族といえど金儲けの邪魔はさせない。
金儲けの秘訣 ・第6条)



戦争に限らず、兵站、ということが非常に重要である、
ということは意外と知られていないように思う。
簡単に言えば、物資をいかにうまく前線に補給するか
という問題だ。

ひとは食ったり、飲んだり、寝たり、出したりしないと
生きていけない。
だから、闘うひとたちに、そういうものを補給する、
必要があるわけだ。
徒手空拳では効率的に闘うことはできない。
物資の輸送のラインは非常に重要なのである。

そしてそれは、現代の組織でもいえることだ、と思う。

会社の営業部隊が最前線、だとすると、管理部門や事務部門は、
この兵站を担当する部門だ、といえるだろうか。

ぼくがこの問題に関心をもったきっかけは、
中内功、という人物の伝記、を読んでからだ。
かれは、ダイエーグループを一代で創り上げ
そして、不幸にも晩年は、グループを凋落に導いたおとこ
だといってもいいかもしれない。

太平洋戦争で出征し、フィリピン戦線で終戦を迎えたかれは、
そこで、死んだ友人を喰らわねば生き残れないような、
地獄をみた、ということだ。
そして帰還したかれは、以前とは別の人間になっていたらしい。

のちに、主婦の店ダイエー、を立ち上げることになった、
かれの人生の真の出発点が、このフィリピン戦線にあったことは、
想像に難くない。

戦後の物不足の中で、かれは、物質的な満足をひとびとに与える、
ということを自分の天職として生き、そして、儲けた。

しかしながら、ひとびとが満足したあとのことは、
かれの人生の経験のなかに、用意されていなかった。
にもかかわらず、かれの王国はまだかれの手の中にあり、
その貪欲さゆえに、かれをそれを手放すことができなかったのだ。

そこから、ダイエー帝国の瓦解が始まったのであるが、
冷たい言い方をすれば、かれは長生きをしすぎた、
のかもしれない。

さて最近、ワーキングプア、ということばが流行っている。
働けども、豊かになれない労働者階級の出現、ということが、
某国営放送などでも、特集されたりしている。

しかしながら、ここでは、労働、の問題は取り上げられても、
家族制度のあり方は、取り上げられてはいなかった。

さらっ、と、核家族化、が進み、
家族の単位が昔とは違ってきているので、みたいな感じで、
誤魔化されていたように思う。

しかしながら、これこそが、ワーキングプア、
の一番根っこの問題ではないのか、とぼくは思っているのんだ。

むかしは家庭が、この兵站の役割をしていたと思う。
おとうさんが稼ぎ、おかあさんが子育てし、あるいは家を守る。
あるいは、夫婦で稼ぎ、じいさんばあさんが子育てを、
若夫婦に代わって担当する。

ところが、今は核家族化が進み、その結果、
家庭の単位での兵站、のシステムがこわれつつあるのんだ。
その帰結として、少子化や子育てに関する諸問題が、
大きな課題として、現代の日本社会に投げかけられているような、
そんな気がしてならない、とぼくは思うのだ。

これに関しては、家族を持たず、
ひとりで生きるぼくのような存在には、
そもそも語る資格がない、のかも知れない。

ただこの、日本の現代的な問題、に関して、
家族制度の変容、ということを抜きにしては、
語れないし、語るべきではない、と思うのんだけれど、
いかがなものだろうか。



▼中内功の伝記のなかで、ぼくが一番感動したのは、
神戸の地震の際の、かれの行動力だ。
かれは、当時傘下にあった、ローソンの経営者に、
たとえ、売るものがなくても、電気を消すな
という風に命令したそうだ。
それは、ひとびとの安心感に多少なりとも寄与するため、
ということだったらしいが、
フィリピン戦線で、地獄をみた人間だからこそ、
できた発想だった、ということだ。
もちろん、かれを全肯定するつもりはない。
ただ、かれは商売人だった、と思う。
そして、商売人として、その人生の大半は、
立派だったのではないか、とぼくは思っている。
ぼく自身も、子ども時代、近所にあった、
ダイエーに育ててもらったようなもんだしさ^^
そのは、忘れちゃいませんぜ。。。

Big_c



写真は、バンコクのスーパー、BIG C。

2007年6月27日 (水)

ぷんぷいさん、大事業に着手する

する価値がある全てのことは、金のためになる。
金儲けの秘訣 ・第13条)



いよいよ懸案の大事業に取りかかることにした。
実家に置きっぱなしになっていた、
中島みゆきのオールナイトニッポン、のデジタル化作業だ。

そのなかのかなりの部分は、いつだったか、
車の中で、通勤途上に聞いたのであるけれど、車も買い換えて
いよいよぼくのまわりにアナログのカセットテープを
再生する機器がなくなりつつあることと、
なによりカセットテープが場所をとるのんで、
知らない間に、実家で処分されてしまう可能性もあり、
デジタル化の環境もとりあえず整ってきたのんで、
そろそろかな、という風に考えて、重い腰を上げたのだった。

まず、カセットテープを実家から運ぶ。
全部は無理なので、とりあえずかばんに入るだけ詰め込んだ。
30本か40本はありそうだけれど、
これでも、1年分にもならない量だ。
1年分は52本前後で、これが数年分あるはずなのだ。

つぎに充電電池のエネループを買う
今自宅にある、唯一のカセット再生機は、
aiwa製のウォークマン型のもので、
たしか2千円くらいで買った記憶がある。
ぼくはかつて、ウォークマンの蒐集家で、
安くてよさげなものがあると、つい買ったりしたのだけれど、
今、手元にはなぜかこれしか残っていない。
他のんは、壊れたり、あげたり、なくしたりしてしまったようだ。

これには、ACコードはついていない。
それから、録音には、ICレコーダーを使う予定で、
これにも電池が必要だ。
それゆえに、エネループを用意したわけだ。

100均のアルカリ電池とどっちかお得なのか、
はわからないけれど、充電電池にはなんとなく興味もあり、
エネループの評判もわりといいようなので、
今回買ってみることにしたのんだ。
具合がよければ、他の機器にも使用するとしよう。

決して地球環境云々、という観点からではない
それがほんとに大切なことであるのならば、
みんなが充電電池を買うように、
充電電池以外の電池に高い税金でもかけるか、
充電電池に補助金でも出して、
値段を下げるようにすればいいのんで、
個人の努力に期待するよりは、
みんなが経済原則に従えば、自然と正しい選択をできるように、
政策の側で努力すべきである、
というのがぼくの不変の信念なのである。
現にガソリンに関しては、環境のため、ではなかろうが、
日本は世界でも有数の高い税金をかけているのだし、
お酒であろうが、タバコであろうが、電池であろうが、
やればできるはずだ。

さて、道具も揃ったし、とりあえず、変換を始めてみる。
aiwaのイヤホンジャックと、
ICレコーダーのマイクジャックをピンコードを繋ぎ、
ICレコーダーのイヤホンジャックとBOSEのアンプを繋げる。
これだけで、モニターしながら変換が可能なはずだ。

できたファイルは、ICレコーダーの仕様の関係で、
mp3形式ではなくwma形式だけれど、
ま、PCで聞く分には問題ない。
iPodでは今のところ、この形式は再生できないようだけれど、
ぼくのもっているHDD型の再生機だと、
壊れかけのギガビートがwma形式のファイルを聞けたはずだ。
これが、たしか30GBだったはずだから、
カセットテープ数百本分を全部格納できるかもしれない。
それなら、これを中島みゆきのオールナイトニッポン専用機器
にしてもいいな。

PCのウィンドウズメディアプレーヤーで再生してみると、
きれいに変換されていた。
1日2時間、カセットテープを1本ずつ変換した、として、
1年分が約2ヶ月、何年分あるかしらないが、
ひょっとすると、1年がかりの事業になるかもしれない。

モニターしなければ、もっとできそうなのだが、
さてどおするか。
毎日2時間づつ、これを聞くなんて、
もう洗脳に近いような気もするしなー。

しかしながら、ある意味、人類の宝、ともいえなくもない、
このテープたちをほおっておくのもはばかられるし。
やはり、デジタル化しておくことは、
所有してしまっている人間の責務、なのだろう。

ぼくがやらねば、誰がするのだ、あー、こりゃりゃ、
と早くも、剽軽だったかのじょの番組の影響が出つつある、
おっさんなのであることだよ。



▼SANYOのエネループ、悪くはないが、
思ったよりは頻繁に充電しなければならない。
でも、外国でも変圧器が要らないタイプの充電器を買ったので、
これからは、なるべく乾電池で動く電気製品を買うと、
旅する際に、もって行くコードが減るかなー、と思う。
電気ひげそり、とか、デジカメ、とか、さ。
PCは、乾電池ではまだ無理、だろな^^;

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2007年6月24日 (日)

チャイコフスキー

顧客を殺してはいけない。
その客が死んだ方が利益になる場合を除いて。
金儲けの秘訣 ・第161条)



朝、通勤の車でFMラジオを聴いていると、
チャイコフスキーの弦楽セレナーデが流れてきた。
最近では、大手サラ金のCMなんかで使用され、
携帯電話の着メロなんかにもなっていた曲だ。

最近はめっきり聴かないものの、
若いとき、チャイコフスキーの音楽をよく聴いた。
あまりクラシック音楽に興味がないひとでも、
白鳥の湖、や、くるみ割り人形、などのバレエ音楽や、
数曲の交響曲、
あるいは、出だしがとくに有名なピアノ協奏曲や、
メンチャイと呼ばれ、よくメンデルスゾーンのものと
よくカップリングされていた、バイオリン協奏曲など、
かれの作品とは知らず、聴いている曲も多くあることだろう、
と思う。

高校時代、音楽の授業の課題で、
チャイコフスキーに関するレポートを書いたことがある。
友人や先生達に、チャイコフスキー、といって思い出すこと、
イメージするもの、というようなアンケートを取ったりして、
なかなかの力作だった(?)記憶があるのだけれど、
今の自分に、同様のアンケートを取ると、
まず、浮かぶのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン
そして、タケちゃんマンの死、という連想になる、と思う。

往年の名指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンは、
ベルリンフィルの音楽監督を長年務めたひとで、
ベートーベンやブラームス、といった、
ドイツ系の作曲家が十八番だったイメージが強いけれど、
それに負けず劣らず、こだわっていたのが、
このチャイコフスキー、という作曲家の音楽で、
全6曲の番号つきの交響曲のうち、全集は3度、
4、5、6番だけなら、6度も録音した、
という話を聞いたことがあるから、
並のこだわり方ではなかった、のは間違いない、と思う。

もうひとつの方、タケちゃんマン、というのは、
「オレたちひょうきん族」、というバラエティ番組のなかで、
ビートたけしだったころの北野武氏が扮していたキャラクターで、
明石家さんま扮するブラックデビルとの闘いのなかで、
かれは死んで、そのときに流れたのが、
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の終楽章だったのだ。
民放局のお笑い番組で、えらく長い時間、
えんえんとクラシック音楽であるこの曲がかかった上に、
結局、その回は、エンディングの曲だったエポは流れず、
「悲愴」のまま、番組が終わったのが、
当時なかなかに衝撃的だったので憶えている。

そんな大仰な最期を遂げたタケちゃんマン自身は、
たしかすぐにタケちゃんマンセブンとして、
復活した、のではなかったかな。

そういえば、北野武氏も、おねーちゃんのとこに行こうとして、
バイク事故にあったり、フライデー編集部に殴り込んだりして、
そのたびに、生命の危機や、芸人生命の危機に遭遇したけれども、
タケちゃんマンセブンよろしく復活して、
いまや、世界のキタノ、だものねー。
しかも、お笑い芸人であることもやめようとしない、
ところもえらいなー、とおっさんは、思ったりするのだよ。



▼この番組のEPOのエンディング曲は、
DOWN TOWNではなかったか、と思うのだけれど、
ウィキペディアには、
土曜の夜はパラダイス、は書かれているのだが、
DOWN TOWN、は書かれていない。

あっしの記憶には、

七色のたそがれ 降りてきて
風はなんだか すずし気
土曜日の夜はにぎやか

の方がよく残ってるのだけれどね(^^♪
勘違い、かな?
ちなみにDOWN TOWNの作曲は、山下達郎。
名曲だよね。。。

 

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ところで、サラ金の犬、
ってこんなんでしったっけ(^^?

2007年6月21日 (木)

8GBのCFカード

ものを手に入れる時、必要以上に金を使わない。
金儲けの秘訣 ・第3条)



8GBのCFカードを買ってしまった。
価格は、たしか1万1千円ちょいで、PDIという会社の製品だ。

ぼくは業が深い、のか、格安のメモリカードを見ると、
ついつい買ってしまう、という悪い癖がある。

すでに、10GB分くらいのSDカードももっているし、
1回の旅行ではそれ以上、写真を撮ることもまずはない。
たくさんとれば、持ち歩いてるPCに保存している、
音楽ファイルを削除して、ハードディスクに移し変える、
という方法もあるのだから、
別に急いで買う必要もないのだけれど、
ついついこういうお買い得品のメモリカードをみると、
我慢がきかないのは、我ながら、困ったものだと思う。

しかしながら、メリットもあるにはある。
デジタル1眼で、ふだん撮っているよりも、
さらに大きなサイズで撮っても、
これ1枚で1300枚以上撮れるので、
ほぼカードの抜き差しがいらないのんだ。

出先で思ったよりもたくさん写真を撮って、
代わりのカードを持ってなくて、
あわてるという可能性はほぼなくなるだろうと思う。
その代わりに、もし、このカードが壊れでもしたら、
ダメージも大きいだろうが、
これは、メリットと背中合わせのデメリットなので、
仕方ないだろう。

CFカードなので、デジタル1眼でしか使用できないけれど、
幸か、不幸か、ぼくが旅行用に持ち歩いてるPCは、
PCカードスロットがない変わりに、
CFカード用のスロットがあるのんで、
いざとなれば、これを挿しっぱなしにして、
ハードディスク代わりにしてもいいかな、とも思う。

なんせハードディスクは、たったの20GBしかないし、
1万円で、50%近くも容量が増えるのなら、
もう1枚買ってもいいくらいだ、と心のどっかで、
自分がいってたりするのんだ。

このペースで、メモリカードが安くなれば、
このPCのハードディスクよりも容量のでかい、
32GBのCFカードが、このくらいの値段になるのも、
時間の問題、だろうし、だからこそ、
もう1枚は今は買わないけれど、もし、そうなれば、
ノート型のPCにハードディスクが載らなくなる日も
そう遠くないだろう、と思う。

そう考えると、iPodなんかもそのうち、
全部メモリカード型になるんだろな、と思ったりするのだけれど、
それは何年後なんだろうか。
意外と近い未来ではないか、と思ったりもするのだけれど。




▼アマゾンで買ったのだけれど、
その後、この製品が補充された様子がないところをみると、
CFカードの需要はやはり限定されているのかもしれない。
最近では、現在の規格とはちがう、SDHC規格のSDカードが、
4GBでよんきゅっぱ、とかで出てきており、
残念ながら、ぼくの持っている機器では、
使用できるものがないので、買えないけれど、
この規格でも、最高で、32GBものしか作れないようだし、
100GB以上のものも理論以上作れるらしいCFカードは、
けっこうしぶとく生き残るかもしれないな。

Cf



2007年6月18日 (月)

失踪花嫁@オーストラリア

嘘は嘘ではない。それは異なる視点で見た真実に過ぎない。
金儲けの秘訣 ・第126条)



その事件は、1990年代のはじめ、
おそらくは92年か、93年だったと思うけれど、
当時新婚旅行先として、
流行の場所のひとつであった、オーストラリアで起こった。

有名メーカーに勤める新婚の夫は、
免税店で妻といったん別行動をし、
ミーティングポイントでかのじょを待ったのだが、
いくら待っても、新婚の妻は現れない。
さては誘拐をされたのでわ、と新妻の身を案じた夫は、
現地の警察に届け、
日本からの観光客を大切に考えていた、豪州政府の方針もあり、
それは、大事件、となっていったのだった。

ところが、真実は別のところにあって、
新婚の妻には、日本に不倫相手がおり、
なぜか、はわからないけれど、
結婚式のあと、新婚旅行先のオーストラリアから、
ひとりで日本の不倫相手のもとに逃げ帰る計画を立て、
どっかにひとり潜伏していた、ということだった、らしいのだ。

当時、テレビでこの事件の顛末を見た記憶があり、
報道当初、新婚の美人花嫁、という見出しだったのが、
かのじょらが、テレビで謝罪の記者会見を
開くようになるころには、
さりげなく、美人の二文字がなくなっていた、ように思う。

その後のかれらの人生は、明暗、をわけたようで、
記者会見で、新婚の夫に、寄り添おうとして、
激しく拒否された姿が印象的だった、妻の方は、
その後、再婚(籍が入っていなかったらしいので、
厳密には違うようだけれど)し、
今は、公務員の夫と幸せに暮らしている、らしい。

夫の方は、世間を騒がせた、ということで、職場もやめて、
今日はどこまでいったやら、という話だ。

それにしても、決して美人とはいえない、というよりは、
あんな容姿にもかかわらず、と思うひとの方が多かったような、
かのじょが、2度までも結婚し、他に1名の不倫相手までいた
というはいったい、
かのじょがどんな優れたところを持っていたのだろうか、
という疑問を某巨大掲示板で読んだことがあるのだけれど、
正直、ぼくもそう思うので、
知っているひとは教えてください。。。(-人-)




▼当時の記憶をたぐっても、カノジョの顔は、
はっきりとは思い出さないのだけれど、
少なくとも、一般的な意味での美人、というカテゴリーには
でったい入らなかった、ように思う。
しかたないので、故ナンシー関画伯の、
なにをいまさら、という書籍を古本で買って、
もいちど確認してみる。
ナンシー画伯の消しゴム版画よりは、
華奢なイメージだったと思うけれど、たしかこんな顔だったよな。
興味のある人は、なにをいまさら、
を買ってみてみてくださいな(^^;)

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2007年6月15日 (金)

無念

盗品は、100%利益になる。
金儲けの秘訣 ・第14条)




桂米朝師匠が、むかしの落語家から教えを受け、
今日に復活させたもののなかに、
地獄八景亡者戯、という長大な噺がある。

この噺には、いわゆる主人公、といえる存在はいない。
あるご隠居さんの葬式に出たおとこが、
その直後、鯖にあたって死んだ、というところから、
噺は始まるのだけれど、
そのあと、三途の川を渡り、閻魔大王の裁きに至る過程で、
どんどん登場人物が変わっていく、という趣向の噺になっている。

古典として残っている噺は、さすがにひとからひとに
語り継がれただけあって、今聴いても、
なかなかによく考えられたものが多い、と思うのだけれど、
これについては、構成面でもかなりの独自性をもっている、
といえるだろう。

さて、ご隠居さんが、この噺の冒頭のおとこに、
この世に未練や、無念を残していないか、
そんなものがあったなら、成仏できず、極楽にいけない、
という会話をしている。

くだんのおとこが、実は、、、というのに対して、
ご隠居さんが、新婚の嫁を残したことか、それとも、
腹に子どもでもいて、会えずに死んだのが無念だったか、
と問うたのだけれど、それに対して、
鯖にあたって死んだおとこは、
どうせ鯖にあたって死ぬのであれば、
半分とっておいた鯖を、残さず全部食べてから死ねば良かった、
というような、気楽な返答をしているのだった。

ところで、いつだったか、こんなニュースをテレビでみた。

33歳の現役の中学教師で、2児の父でもある男が、
下着泥棒で捕まった、とのことで、防犯カメラの映像と、
教壇に立つ本人の写真もばっちし流れていたのだった。

下着泥棒であろうと、万引きであろうと、刑法犯には違いなく、
法的な処置以外に、社会的な制裁が加えられる、
ということは、現代の倫理からいうと、
問題はないのだろうけれど、
ぼくが注目した事実は、かれが盗んでいた下着が、
50歳代の女性のものだった、ということだ。

かれはそれを知って、そのパンツを盗んでいたのだろうか。

同じ犯罪行為で捕まったとしても、
なんとなく、かれは無念だったのではないか、というのは、
ぼくの偏見に満ちた、考え方、なのだろうか。

おなじように、わき見運転で事故を起こしそうになったときに、
わき見の原因の女があんまりきれいでなかったときに、
きっと後悔の気持ちが2倍にも3倍にもなるだろう、
なんて思ったりするのんだ。
ましてや、それが長髪の男だったりしたら、
その苦渋の念は計り知れない。

成仏できない思いの数々、について、
罰当たりも考えてしまったりする、
おさーんなのであったことだよ。




▼いつだったか、本屋で万引きをした少年を
店主が追いかけて、結果として、逃走犯が事故にあって死んだ、
というような事件があって、
どっかの大馬鹿たちが、店主の方を非難して、
その店主が商売をやめてしまった、ということがあった、と思う。
そういう者は、自分の財産ですべての盗人の弁償をしてから、
非難でも批判するがいい、と思うのだけれど、違いますか(-_-;)

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はいてなければ、盗めまい。。。







2007年6月12日 (火)

他人のそら似

第一印象の重要性を軽く考えるな。
金儲けの秘訣 ・第241条)




以前、上田馬之助さんと高中正義さんが似てる、とか、
東ちづるさんとチェジウさんが似てる、とか、
書いたことがあるけれど、
他人のそら似、という現象は、あるものだ。

ぼくが大学を卒業したあと、産休講師のような形で、
教職についたことがある、と以前書いたけれど、
それは結局、1年だけのことだった。

当時も教員になるための競争は激しく、
実績も能力も足らなかったぼくは、正規の採用試験には、
大学在学中には1次試験の筆記試験には合格したものの、
2次の面接試験で落とされてしまった。
教員になるためには実績を積んで、と思い、
講師をしたら、仕事が忙しくて、筆記試験の勉強ができず、
今度は、1次試験から、落とされてしまったのだった。

当時、勤めていた高等学校の校長先生が、
けっこうぼくを気に入ってくれていて、
1次さえ合格したら、2次はわしの力でなんとかしてやったのに、
と飲み会の席で言われて、これは一種の無限地獄だな、
とぼくは、1年で教職につくことをあきらめてしまった。

そして、別のところへ就職したのだけれど、
たまたまそこで働いてる様を見た、高校の元教え子が、
高校に行って、ぼくの元同僚に、
世の中にはよく似た人がいるものだ、
ぷんぷい先生にそっくりなひとが別なところで働いてるのを
見たよ、といった、という笑い話があったのだけれど、
これは、本人だから、似てるのが当たり前だよね(^^;)

それはさておき、柔道の谷亮子さんが、
とても誰かに似ている、とぼくは思っていた。
それは、ミヤコ蝶々さんだ。
しかし友人は、ウッチャンナンチャンの、
ウッチャンの方が似てる、といって譲らない。
むかしであれば、これは水掛け論、で終わった話だと思う。

ところが最近は、便利なものがある。
そう、検索エンジンだ。

試しに、谷亮子 ミヤコ蝶々、とヤフーで検索してみると、
130件余、のヒットだったにもかかわらず、
谷亮子 ウッチャン、だと、400件以上、ヒットしたのだ。

世間の人は、ウッチャンの方が谷亮子さんに似てる、
と思っているのか、
それとも、ミヤコ蝶々さんを忘れつつあるのんか、
どっちにしても、ちょっと残念なおっさんなのであった。




▼最近では、カルロス・ゴーンさんとミスター・ビーンが、
半端ぢゃなく、似てるような気がする。
ウッチャンを譲らなかった友人も、これには賛同してくれた。
あれはわざと似せてるんだろうか、ゴーンさんが。。。
さて、どれがゴーンさんでどれがビーンさん???

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2007年6月 9日 (土)

おっさんである、ということ

利益を得ることが明白であるときにのみ、話し合え。
金儲けの秘訣 ・第42条)




高校生だった16歳のとき、近所の糞餓鬼から初めて、
おっちゃん、と呼ばれて以来、
みずからがおっさんである、ことを意識して生きてきた。

長い人生のなかでは、おやじギャルブームや、
男女雇用機会均等など、一見、おっさんであることの不幸、
からの解放が望めるような概念、も登場したものの、
実際は、おっさんであることがそれ自体、
幸福や幸運になるような、そんな社会的な変革の動き、
はなかった、と思う。

おっさんは所詮おっさんであり、それ自体、
無価値で、不幸なままだった。

かつて一度、歳をとったら、おっさんになりたい、といった、
同世代の女性の発言に激怒したことがある。
おまえなんぞに、おっさんであることの不幸の1%だって、
わかってたまるものか。
にもかかわらず、そんな無神経な発言をしやがって。
今までさんざん、おっさん差別をしてきたくせに、
軽々しくおっさんになりたい、などというんじゃねい。

最近、ちょいわるおやじ、などという、
一見おっさんを盛り立てるような概念が発生してきた。
しかしながら、これは、おっさん序列化の一環であり、
一部のおっさんを取り込むことで、
おっさん勢力の分裂と弱体化
ひいては、おっさん階級の殲滅を目指した謀略であり、
おっさんたちに対する最終戦争の宣戦布告なのでわ、
と思っている。

分断された、ちょいわるおっさんたちも、
それ以外のおっさんが壊滅したあと、
やっぱり不気味だ、とか言われて、掃討されるに違いないのは、
内部分裂をさせられた勢力が辿ってきた、過去の歴史
を見れば、あきらかだろう、と思う。

セクハラ、熟年離婚、年金分割、リストラ、年功序列社会の解体、
と、おっさんを巡る状況は、日々厳しさを増しているけれど、
いつかやってくる、おっさん革命のその日まで、
理想のおっさん国家設立を夢想する、おっさん革命評議会、
メタボリック推進分会書記長、ぷんぷい、は迎合せず、
歯を食いしばって生きるのであった。

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▼♪立てバンコクのおっさんよ、
おっさんインターナショナル、の設立を目指したいけれど、
日本ほど、おっさんが虐げられている国や地域は他にはなく、
世界おっさん同時革命の日は遠いのであった。
当面、おっさん一国革命を目指すしかなかろう、
というのが、今日のあっしの結論だ。

2007年6月 6日 (水)

胡瓜のピクルス

常に自分が買うものは把握しておけ。
金儲けの秘訣 ・第218条)




スーパーやなんかで、見かけるとつい買ってしまうもの、
のひとつに、胡瓜のピクルスがある。

知らないうちに、食べずに数年が過ぎ去ることもあったので、
特別に好き、というわけではなかったのだ、とは思うのだけれど、
見ると買ってしまうし、買うと喰ってしまう
そしてまた、長いピクルス不在の時期が続く、
という循環のなかで、いままでの数十年の人生を過ごしてきた。

食べ物に関して、ぼくは決してグルメではないが、
こらえ性のない方だ。
好きだ、と思うと、同じものばかりを食べ続ける傾向を
もっていた。

高校時代には、毎食、ツナの油漬け、いわゆる、シーチキン、
の缶詰を食べていたし、毎日、巨大なグレープフルーツを1個、
寝る前に食していた時期もあった。
数年前には、山盛りのタバスコをかけた、ピザばかりを食べて、
尿道から、石が出たほどだったけれど、
まだ、タバスコピザは、やめなかった。
ま、因果関係自体は不明、ではあったけれど。

そして、この偏愛は、ある日突然終結する。
それを食することに、愛を感じなくなり、
まったくやめてしまうのんだ。

しかしながら、胡瓜のピクルス、のような、
大人の付き合い、を続けている、食品は他にはない。
いや、なかった、といった方がいいだろう。

顔を合わせば、必ず、寝るけれど、
お互い積極的には連絡を取り合うことのない、男女のようだった。

ところが、このクールな関係にも、
ついに終止符を打つときが来たのだった。

それは嵐のような、突然の盛り上がりだった。
カルフールでなにげに買った、内容量670グラム、
固形量360グラムのピクルスの瓶詰めを、
ぼくは2日であけてしまうと、胡瓜をそのまま口に含んだ状態で、
インターネットのサイトで、1.83リットル入りの瓶詰めを
5つ買ったのだった。

この、まるで河童が取り憑いたか、ようなブームが、
一過性のものなのか、否かは、
まだ、今のぼくにはわからないけれど、
今もし、ぼくが死の床にあれば、きっと、
最期の言葉は、もっと胡瓜を、に違いない、と思うことだよ。

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▼1個900円、5個で、送料込み5000円ほど。
値段は安かったのだけれど、
アメリカ製のこの製品は、予想以上に塩辛く、
すっぱいピクルスが好きなあっしにはいまいちでした。
口コミ情報では評判良かったんだけどね^^;
全部食べ終わったら、ドイツ・ヘングステンベルク社製のを
またカルフールに買いに行こう。。。

2007年6月 3日 (日)

タモリ

利口者は馬鹿なふりをする。
金儲けの秘訣 ・第15条)




今ではすっかりお茶の間の定番司会者として、
毎日どうでもいいような仕事をしているかれではあるけれど、
かれが芸能界に登場してきた当初は、
その異能さを売り物にしており、
そのために、いろんな軋轢を生じていたことは、
最近のひとは知らない、と思う。

その芸能界入りについては、
ジャズプレーヤーのヤマシタヨウスケ氏などが、
ホテルで宴会をしてるところに、
赤の他人のタモリが踊りながら乱入してきたことがきっかけだ、
という風に聞いたことがあるけれど、
今や一種の伝説にさえなっている、ようだ。

空飛ぶモンティパイソン、という関西では毎日放送が流していた、
これも今では、伝説の領域に入りつつある、
英国BBC制作の番組で、
ビデオ作品の合間に芸をみせていたのが、
かれの実質的なデビューだということで、
当時、たぶん小学生だったぼくは、
深夜にもかかわらず、それをたしか1度見たことがある、
ような気がする。

ちなみに、その時のモンティパイソンのビデオ作品は、
第2次大戦中に、イギリス人の作家が書いた作品が、
聞いたが最後、死ぬまで笑ってしまうようなおもしろい文章で、
書いた本人は書きながら笑い死に
その後、幾多の翻訳者の屍を乗り越えて、
それをドイツ語に翻訳した文章を兵器として使用して、
ドイツ軍を撃破した、というような、そんな内容だった、と思う。

イギリスの兵隊が、その文章をたどたどしく叫びながら突撃し、
それを聞いたドイツ軍の兵隊がそれ聞いたとたん、
笑い出して、そして死んでいく、
そんなシーンが、子供心にもとてもおもしろく、
もう一度、見てみたいものだ、と思っているのだけれど、
残念ながら、まだ再会には至っていない。
そしてそのとき、タモリがどんな芸をしていたか、
も覚えてはいない。

2回目にタモリに接したのは、大阪・毎日放送で、
今や、ちちんぷいぷい、という怪物番組の司会をしている、
角淳一アナウンサーが若き日、ラジオでやっていた、
ハローナショナルショールーム
という阪神デパートでしていた公開番組に、
ゲストで出てきたときだった、と思う。

タモリは、4カ国語麻雀などの、当時としては奇抜な芸で、
会場を爆笑の渦に巻き込んだ。
そのあと登場したのが、まだそんなにメジャーじゃなかった、
中島みゆき嬢だったと記憶しているが、これはさだかではない。
実家にひょっとすると、当時のラジオ番組の、
カセットテープがまだ残ってるかもしれないので、
いずれ捜索したいものだと思っているのだが。

さて、当時のタモリの芸は、
最近ではあまりみることはできないが、
実は、数枚のレコードになって残っている。

ぼくは、このうち、タモリ、と、タモリ2、を復刻されたCDで、
著作権法違反の疑いが濃い、とのことで、
3万5千枚だけ、新星堂というレコード屋で売られたのみの、
タモリ3、はレコードを所有している。

どれもタモリの才能が溢れたすばらしい作品であるが、
今はどうも、普通では手に入らない状況らしい。

しかしながら、真のお笑い芸術、のある意味での頂点
をなす作品であり、
問題はあろうけれど、広く世間に流通させて欲しい、
とぼくは祈っているのだけれど、きっとだめなんだろうな^^;


Photo_79





 

▼中津産業大学・森田和義教授による、
教養講座“日本ジャズ界の変遷”や、“音楽の変遷(その1)”
ハナモゲラ語、による相撲中継、今聞いても、いいよお^^
あと、そばや、そばーや、も絶品でやんす(^^
ケニア線は橋を渡って、2番線より、、、
車内への槍、盾、吹き矢など、危険品の持ち込みは
固く禁止されております。

次は、肥前ナイロビ~、肥前ナイロビ~、、、ってか(^^)

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