« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月27日 (金)

電気カミソリ

よく研いだナイフは、よく斬れる。人間も一緒だ。
金儲けの秘訣 ・第136条)


最近、少し話題になったニュースに、
どっかのお猿さんが道具を使って狩猟を行なった、
というようなものがあった、と思う。

なんでそれがニュースなのか、というと、
ひとと動物を隔てるひとつの根拠が、
道具の使用であった、からだと思う。

たしかに、大きな第一歩なのかもしれないが、
それを以って、猿にもひとと同様の権利を認めよ、
猿にも人権を、とならないでほしいものだ。

さて、お猿さん同様、道具も人類の進歩に従って、
進化を続けている。
しかしながら、比較的進化の度合いが激しいものと、
あんまり進歩していないものがあるような気がする。

たとえば、コンピュータや飛行機などは、
わりと最近発明されたにもかかわらず、えーんかいな
とようなスピードで進化している、ように思える。

それに対し、雨具、たとえば、傘や合羽は、
基本的なコンセプト、である、雨を防ぐ、という機能において、
ほとんど進化が見られない。
たしかに、傘は、素材や開き方、折りたたみ方式など、
本質とは違うところでの進化は多少しているようだけれど、
基本的には、ひとがさして使う、という不自由さを
でんでん解消できていない。

雨の日に外出したくない、と多くのひとが思う、
その理由のひとつは、この傘という道具の進化の度合いの低さ、
によるのではないだろうか。

ところで、道具の進化には、ふたとおりの系統、
があるように思う。
つまり、従来のものを完全に駆逐してしまうような進化と、
古いものとの共存型の進化、だ。

前者の、一番顕著な進化の例は、和文タイプライター、
ワードプロセッサー、そして、パーソナルコンピュータ
へとつながる、文書作成機械の進化の系図だろうか。
ワープロは、和文タイプを駆逐し、
しかし、パソコンに駆逐された。

しかしながら、ワープロの重要な特性のひとつである、
自身単体で印刷までが可能、という機能を受け継いだ
パソコンが存在しないのは、はなはだ不思議だな、と思うのだ。

通信機能をもたせたPC、というのは存在しているし、
今ぼくが所有している、ウィンドウズモバイルのゼロスリーは、
通信がメインであるけれど、PCの仲間だ、
と言っていいと思う。

その場で印字できる機能を持ったPC、という市場は、
きっとあるのではないか、と考えるのだけれど、
そうでもないんだろうかな。

出張で各地を転々とする、ビジネスマンや、
即座に伝票などを発行したい修理業者、
なんかにはきっと需要がある、と思うのだけれど、
だれか作ってみませんか(^^?

さて他方、共存型の進化、を遂げているものも
たくさんあるだろうけれど、表題にあげた、
電気カミソリ、なんていうのも、そのひとつだろう。

いったい、どれくらいのおっさんにいさんじいさんが、
電気によらないカミソリでひげを剃っているのか、
ぼくは知らない、のだけれど、
たしかに電気によらないカミソリは、ひげそり用として存在し、
今日もまだ、独自の進化を続けているようだ。

ホテルなどでは、消耗品として、ひげそりを
洗面セットのなかに置いている場合もけっこう多い。

しかしながら、ぼくは、あっと的にひげそりは、電気派、だ。
これには、以前にあった、事故のトラウマが関係している。

10年以上前に、北海道の万世閣、というホテルに
泊まったときのことだ。
このホテルには、大浴場があり、
そこの洗い場には、使い捨てのひげそりが置いてあった。
ぼくは鼻歌まじりにここでひげを剃ったのだけれど、
ふだんは、電気ひげそりしか使わないうえに、
浴場内だったので、メガネをかけていなかった。
また、鏡も曇ってよく見えなかったので、
勘を頼りに適当にひげを剃ったのだけれど、
きっと、ちからが強すぎたのだろう、
違和感を感じて、鏡に顔を近づけてみると、
あごが血まみれになっていたのんだ。

そんなに痛くはなかったのだけれど、
血まみれの自分の顔に卒倒しそうになってしまったのんだ。

それ以来、自分では、電気以外のカミソリを使ったことはない。
電気カミソリを発明してくれたひとには、
とても感謝しなければ、とぼくは思っている。
もし、かれがいなければ、ぼくはしょっちゅう自分の顔をみては、
卒倒しなきゃいけなかっただろうしさ。




▼顔が血まみれ、といって、思い出すのでは、
映画「ハンニバル」で、レクター博士に勧められ、
自分の顔の皮をはいで、飼い犬に喰わせたヴァージャーさんだ。
かれの商売は、食肉加工業なんだけれど、
自分を加工することないぢゃんか、
なんてつっこみは、いりませんね(^^)
さて、「ハンニバル」の最新作、「ハンニバルライジング」が、
劇場公開、されておりますが、どなたか見たヒトいませんか(^^?
激情後悔、なんて作品でなければ、見てみたい気も。。。
原作は、ゴールデンウィーク中に読む予定なんすけどね^^

Photo_33

2007年4月24日 (火)

不二家ネクター

儲けには限度がある。しかし損に限界はない。
金儲けの秘訣 ・第45条)


もう何年も前の話だけれど、
エンヤをよく聞いていた時期があった。
ベストアルバムが出たころだから、
ひょっとすると、10年くらいはたっているかもしれない。

エンヤ、の曲に最初にであったのは、
おおむかしの、不二家ネクターのテレビCMだった。

かのじょのデビュー曲である、オリノコフローにあわせて、
果物だったか、果物の果汁だったか、を素材にした、
美しい映像がつぎつぎと流れる、というような感じのCMで、
あんまり頻繁にはぼくも見なかったのだけれど、
実に印象的だったのを憶えている。

しかしながら、パソコンやインターネットがなかったころは、
今のように何でも簡単に調べものができるような、
そんなけっこうな時代ではなかったし。
何かを知ろうとすれば、それなりの手間や時間や費用や、
あるいは、そのなかのいくつかが必要であったのだ。
しかも、調べよう、と思ってるうちに、
忘れることの方が多かった、
そんな呑気で、考えようによっては平和な時代、であったと思う。

残念ながら、エンヤ、という歌手も知らず、
不二家ネクターのCMがいつ流れるか、
ということもわからなかったし、
ホームページから、企業のCMを見ることができる、
という時代でもなかったので、
できれば、またみたいと、思っているうちに
忘れてしまっていたのだった。

けれど、エンヤのベストがでたときに、
めざましテレビかなにかで、
オリノコフローを耳にして、あ、この曲、だ、
と、かのじょのことを思い出したのだった。

残念ながら、CMの映像はなかったけれど、
それから、かのじょの音楽には触れるようになった。
ある意味、不二家は、かのじょのことを教えてくれた、
恩人でもあるわけだ。

その不二家が、窮地、に立って、久しい。

たしかにかれらがやったことは、間違っていただろうし、
コンプライアンスの面からも、責められてしかるべき、
なんだろうけれど、
最近思うことは、なんらかの問題が発覚したときに、
問題を起こした、企業なり、個人なりを、
相手が死ぬまで、責め続けるような、そんな文化が、
日本に根付きつつあるような気がすることだ。

そして、先頭に立って、それを行なっている、
マスコミもまた、同じように問題を起こし、
同じように叩かれている。
ただぼくには、かれらはあんまり反省をしているようには、
みえないけれどもね。

そして、そんな優しさのない正義がほんとうに正しいのだろうか、
って、思ったりするのんは、ぼくだけなんだろうかな。


▼そういえば、不二家のキャラクター、といえば、
ペコちゃん、ポコちゃん。
謝るペコちゃん、許してくれなくて、ボコボコちゃん、
なんちゃって。
おあとがよろしいようで。。。^^;

Photo_32

2007年4月21日 (土)

天狗裁き

眠りはチャンスをフイにする。
金儲けの秘訣 ・第103条)



ぼくが好きな落語のなかに、天狗裁き、という噺がある。

ある男が寝ているときに夢を見ている様子で、
女房がそれをみていて、男が寝覚めてから、
どんな夢をみていたの、と尋ねたのに対して、
男は、夢なんぞみていない、という。
そこで、わたしにいえないような夢をみていたのね、
と夫婦げんかが勃発する。

大げんかの様子を聞きつけた、長屋の隣の男が仲裁に入って、
とりあえず夫婦のけんかはおさまった、のだけれど、
今度は、隣の男が、夢の内容を聞きたがり、
さらにけんかがおこってしまう。
たまたま、町内を巡回していた家主が仲裁に入り、
とりあえず、けんかはおさまるが、
今度は、家主が夢の内容を聞きたがり、夢なんぞみていない、
という店子である男と大げんかになってしまう。

家主といえば親も同然、その家主に夢の話くらいできんのなら、
もう自分の長屋にはおいとくことはできんと、
家主が男の立ち退きを要求したから、話が大事になった。
男はそんなあほな要求があるものかと、
お上に不当な立ち退きを要求された、と訴え出る。

奉行は、町の名士でもある家主が、
そんなばかな立ち退き要求をしてはいかん、と諌め、
一件落着するも、人払いをしたあと、
奉行にだけ、みた夢を述べよ、と男に迫った。

男も、いくらご奉行さんでも、みていない夢はいえません
と許しを請うが、この奉行にまで隠し立てをするか、
いうまでは許さんと、奉行は、男を松の木にぶらさげる、
という折檻を行なったのだった。

そんな男を空からかっさらい、助け出したのは、天狗だった。
天狗は、今後ともこの天狗がついている、
奉行がなにかいってきたら、きっとまた、
この天狗が助けに来るだろう、といいながら、
ところで、夢の内容はどんなものだったのか、
もし、この天狗にもいえないようなら、八つ裂きに、、、

寝ている自分のダンナがなにか夢をみている様子なので、
女房は、かれが起きてきたら、
どんな夢をみていたのか聞いてみよう、と思うのであった、

というような内容の噺である。

夢落ち、でありながら、なかなかよくできた噺で、
しかも、これが古典落語なのだから、おもしろい、と思うのだ。

ところで、ぼくもこの男のように、朝起きると、
夢をほとんど憶えていないタイプの人間だ。

占いのような、胡散臭いものと違い、
自分の脳内にある情報を元に作り出されたものである夢は、
内容に脈絡がなくても、きっとなにか意味があったり、
少なくとも、なにかを暗示してるに違いない、
とぼくは信じて疑わないのだけれど、
自分で分析する材料がないのは、ほんとに残念至極なことである。

だからといって、見ず知らずの人間の夢を話を聞いたところで、
そのひとの日常や性格を知らなければ、
それの意味するところがなかなかわからないだろう、
と思っている。

科学や医学が進歩し、昔なら考えられないようなことが、
平気で行なわれている昨今なのに、昔から誰もが普通にみている、
夢ひとつ記憶する手だてがないことは、
なんとも不思議で、文明の進歩に偏りがあるのではないか、
と思ったりするのだけれど、いかがなものなのだろうか。

頭にUSBの端子でもつけて、PCのハードディスクかなにかに、
夢の内容を記録できるようになれば、さぞや楽しかろう
と、思うのはぼくだけなのかなあ^^



▼ただ、夢の内容を記録したハードディスクは、
人様には見せられない代物になる、
可能性は否定できないが。。。
でも、今のPCの中身も同じようなものか'`,、('∀`) '`,、

Photo_31




 

 

写真は、テングザル。
ヒトのメスの乳房が膨らんだのは、
人類が2足歩行に移行したことで、性的成熟
プレゼンテーションできなくなった補償的進化として、
身体の正面にお尻の膨らみを擬態したのだ、
と述べたのは、デズモンド・モリス、だったかな^^

ところで、テングザルの鼻は、
いったいなにを擬態したのやら^^;。。。

2007年4月18日 (水)

森の仔リス

落し穴はどんなところにもある。
金儲けの秘訣 ・第134条)



こどものころ、たしか小学館の学習雑誌で、
モズのはやにえ、という話を読んだことがある。

モズが昆虫などを捕まえると、その場で食べるのではなく、
小枝などにそれを突き刺す習性がある、という。
その雑誌には、冬に備えて捕獲したものを貯蔵したはいいけれど、
雲の形で場所を憶えるために、もうその場所には戻ってこれず、
そのままになるのだ、というような解説があったような気がする。
それを読んだぼくは、モズって馬鹿だなー、と思ったものだ。

森のリス、なんかも、貯蔵したまんまよく忘れる、
ということをどっかで読んだような。

ぼくは、子どものころから、記憶力のいい方で、
今でも、同世代のひとなんかに比べると、
きっとましな方なんだ、とは思うのだけれど、
それでも、物忘れをすることが多くなってきた。

最近もひとつ、忘れ物を思い出した。
もう、この世には存在しないだろう、以前のくるまのなかに、だ。

基本的に、車のなかには、あまり価値のあるもの、
は置かないようにはしていたのだけれど、
車の運転中にしか使わないもので、
用途が限定されるものについては、
つい車に置きっぱなしにしたりする。

たとえば、給油用のクレカやETCカードは、
置きっぱなしにはしないけれど、ナンバの駐車場のサービス券、
なんていうのんは、車のなかに置いていた。

でも、あんまりむき出しのまま、というのも、どうかな、
と思って、運転席のサンバイザーのなかに
仕込んでいたのだった。

そして最近、あまり出かけることがなかったのんで、
そのまま、すっかり忘れていて、
新車に買い換えたときも、そのまま忘れてしまっていたのんだ。

ところが、このあいだナンバで寄り合いがあって、
駐車券を取り出そうとしたものの、
新車のサンバイザーにまだつけっぱなしのナイロン袋、をみて、
しこんだのは前車だったことを思い出したのだった。

もともとサービスでもらったもんだし、しょうないか、
とは思うものの、たぶん、7~8時間分、
時価で4~5000円分くらいはあったよなー、

と思うと、モズや仔リスのことは笑えない、
しかも、リスほどはかわいらくしくないもおっさん、
後悔しきりなのである。



▼以前テレビで、立喰いそば屋の注文風景を放映していて、
つぎつぎとやってくる、客の注文を瞬時に憶える、
そば屋のおやじの記憶力の不思議を解き明かしていた。
同じことを東大生にやらせると、
そば屋のおやじのようには記憶できないものの、
記憶した部分については、3日過ぎてもかれらは憶えていた。
そば屋のおやじは、すっかり全部忘れていたにもかかわらず、だ。
つまり、立喰いそば屋のおやじと東大生とでは、
使っていた記憶の種類が違う、ようなのだ。

記憶のメカニズムは、よく知らないが、
パソコンでいうと、ハードディスクの部分が、
昔の記憶なんか含めた、長期記憶で、
東大生が発達してる記憶力、なんだろう。
そして、メモリに当たる部分が、立喰いそばやのおやじの記憶力、
短期記憶なんだろうと思う。

最近のパソコンは、どっちも巨大な容量が必要なようだけれど、
脳みそはアップグレードできないからね^^;
しかも、あっしの場合、ハードディスクへの書き込みスピードが
落ちてきてるようだし。
せめて、これ以上衰えないように努力しないと。。。
あとクラッシュもなるべくさけたいものだ^^

吉野家@タイペイ

Yoshinoya1 Yoshinoya2_1 Yoshinoya3_1



2007年4月15日 (日)

本当のミステリー

正直な顧客はだますことができない。
しかしやってみる分にはかまわない。
金儲けの秘訣 ・第2条)


台湾で買ってきた、古畑任三郎のDVDを見ていて、
本人が言っていたのだけれど、
日本の名探偵は、苗字はかっこいいものの、
名前が古くさい、だか、ださい、だか、だそうだ。

明智小五郎しかり、金田一耕助しかり。
そして、古畑任三郎もまたしかり。

任三郎の名前の由来は、役者の時任三郎さんが、
時 任三郎(とき・にんざぶろう)、と間違えて呼ばれる、
という話をしていたのを三谷幸喜さんが聞いて、
そっからつけたそうだけれど、そういえば、任三郎、
という名前の人が古畑氏の登場以前にほんとにいたのかどうか、
少なくとも、ぼくはまだ彼以外には、あったことがない。

こないだ、ヤフーで検索してみてら、最初の100件ほどは、
すべて古畑氏関係の項目だったし、
実際、そうそう滅多にある名前ではなかったのだと思う。
しかしながら、相撲取りのしこ名や女流歌劇団の芸名、よりは、
あってもおかしくはなさそうな名前なのではあるのだろう。
だからこそ、時任氏も、間違えられたんだと思うし。

ぼくは、子ども時代、ポプラ社から出版されていた、
明智小五郎が出てくる、江戸川乱歩の作品のシリーズを
けっこうしっかり読んでいた。
怪人20面相、怪奇40面相、電人M、鉄人Q、、、
思えば、子供だましな、ネーミングの本が多かったな。
ま、喜んで読んでたところをみると、
しっかりだまされてたわけだけれど。
しかも、こればかり読んでいた、といっても、
過言ではないくらいだ。

たしか40巻以上あった、乱歩のシリーズを読み終えると、
ぼくは途方に暮れてしまった。
今度は、なにを読めばいいのだろうか。
仕方がないので、同じポプラ社から、同様にでていた、
怪盗アルセーヌ・ルパンのシリーズも読んだりしたのだけれど、
これにはあんまりはまらなかったのを憶えている。

ひとつには、舞台が海外で、
ぼくの貧困な想像力ではなかなかついていけなかったこと、
またひとつには、最初の方で、あまりにえぐい作品
に当ってしまった、ということもあるだろう。

ルパンは怪盗でありながら、
探偵のように謎解きもしたりしていたのだけれど、
題名は忘れてしまったが、野外の舞台上で、
歌っていた女性の歌手が、急に倒れて亡くなった、
という事件の謎を解く、という内容の話がたしかあった。
かのじょは、頭に外傷を負っていて、
事件現場のかのじょのそばには、石が落ちていた。
そして、かのじょの死の真相は、
宇宙から落ちてきた隕石がかのじょに命中したのだ、
というようなものだった、と思う。

まだ、子どもだったぼくですら、
その謎解きの荒唐無稽さにはついていけず、
それ以降、そのシリーズを読むことをやめてしまった、のだった。

そういえば、けっこう大人になってから読んだ、
ショーロック・ホームズの推理もまた、けっこう、手前勝手、
というか、つっこみどころ満載、だったような気がする。

ぼくは、どっかの図書館の解説入りの全集でそれを読んだ、
と記憶しているが、緋色の研究、というかれの最初の作品であり、
また、出世作でもある話の解説で、
犯人だった辻馬車の馭者をホームズが捕まえることができたのは、
ホームズが馬に化けて
その馭者の行動の一部始終をみていたからだ、
という研究もある、という一文を読んで、
爆笑しながらも、納得した覚えがある。

しかしながら、ほんとうのミステリーは、
こんな風に謎解きができるものではなく、結局、
なんでそうなのか、ということが不明なものではないのんか、
と思ったりするのんだ。

ミステリーサークルだの、イースター島のモアイだの、
なんでそんなものが存在するのかわからない、
というものこそが本当のミステリーではないか、ということだ。

ぼくがむかし友人から聞いた話で、オチもなにもないのだけれど、
妙に心に残っている話がある。

かれはある日、田舎の電車に乗っていたそうだ。
対面式の4人がけのシートで、
じいさん、ばあさん、幼稚園くらいの子ども、そして、
他人のかれ、という構成で坐っていた
らしいのだけれど、
途中、ばあさんが急に、かれに、

あなたは、この子の父親ぢゃありませんか?

と、尋ねたらしい。

かれが面食らって、黙っていると、
話はそれでおわったらしいのだけれど、
なんか不思議でしょ、この話(^^;)
ちょっと、つげ義春風だし。

本当のミステリーは、謎の解けないそれだ、
と力説したい、今日この頃なんである。



▼古畑任三郎、といえば、名前を覚えてもらえない、
向島音吉巡査こと、東国原音吉巡査、というひとがいた。
しかしながら最近、この東国原、という姓が一躍有名になった。
宮崎県知事になった、初代そのまんま東さんが、
読み方は違うものの、東国原だったりしたのだよね。
でもなんだ、そのまんま、でもなんでもないぢゃん
と思ったのはあっしだけ(-_-;)?
ちちん ぷんぷいでした。

Photo_30










2007年4月12日 (木)

ブログの楽しみ

敵の事をよく知っておけ。商売はそいつらとするのだから。
金儲けの秘訣 ・第177条)



ものを書き、だれかに読んでもらう喜び、
ということに本格的に目覚めて、2年弱、ほどになろうか。
最近では、自分の文体、のようなものが身についてきて、
やはり、習うよりは慣れろ、だなと思ったりするのんだ。

若いとき、密かに書いていた文章は、今読むと、
なにが言いたいのか、なんで書いているのか、
よくわからないものが多く、
それは、たぶん読み手の不在
ということが一番の原因だったような気がする。

当時は、不特定多数に自分の書いたものを発信することが
今のように誰でもが気軽にできるような時代ではなく、
自分の書いたものを他人に読ますことができるひと、
というのは、特別の存在だったのんだ。

今は、インターネットの発達によって、
へたをすると、小学生でも、キーボードさえ打てれば、
自分の書いたものを発表できるのだから、
まったくけっこうな世の中になったものだと思う。

ブログ、という形態の発達が、その状況を大いに
後押ししているのは、間違いない、と思うけれど、
そのブログも、日々進化、というか、サービスの拡充が進み、
ぼくが利用させてもらっている、無料のココログフリーでも、
単に文章を発信する以上の楽しみがもてるようになってきた。

たとえば、ここ1年くらいのあいだに
新しく追加されたサービスで、
どんなひとが、このブログにアクセスしにきてくれているか、
というのんが、ある程度、発信者であるぼくには、
わかるようになっている。

いわゆる、荒らし行為、と呼ばれる、悪意のある書込み、
なんかに対する対策、なのかもしれないけれど、
これが意外と楽しめるのんだ。

たとえば、会社で仕事中に調べものをしてiいるとき、
ここに当ったのだな、と思えるようなものもあるし、
どっかの学生さんが、数日過去のものも含めて、読んでくれて、
去っていった、というような、こともある。
あるいは、けっこう定期的に読みに来てくれている、
どこのどなたかは知らない、知り合い以外の方もいるようだ。

あんまりかっきりとは書かないが、
驚くようなところからのアクセスもあったりする。
たとえば、日本で一番立派で、儲かってる金融機関や、
日本で一番偏差値の高い国立大学や、
日本の国権の最高機関からさえ、かつてアクセスがあった。

これらのことを通して、改めて思ったことは、
ネットは、決して匿名の媒体ではない、ということだ。
調べものやなんかで、気軽に使用はできるものの、
相手に自分のプライバシーの一部をさらしている、
ということをつねに忘れないようにしなければ、
と思うのんであった。



▼本文とは関係ありませぬが、
バンコク、ソイパッポンのとあるお面屋。
頭隠して、IP隠さず、なんてね^^
Photo_29

2007年4月 9日 (月)

許容の範囲

まず売ってしまえ。質問はそれからだ。
金儲けの秘訣 ・第53条)



以前、故グレン・グールドのことを書いたことがあるけれど、
かれの新譜が発売されたようだ。
それは、1955年にモノラル録音で米国のCBSが発売し、
かれが演奏家としての名声を確かなものにした、
記念碑的な作品である、バッハのゴルトベルク変奏曲集の、
デジタル録音盤だ。

1980年代にすでに亡くなったかれがなんで今、新譜を?
といぶかる向きもあるかもしれない。
しかしながら、演奏者が亡くなってから、
今までCD化されていなかった音源が、商品として販売される
ことは実はよくあることで、クラシック界に限らず、
しばしば発生する事態なのである。

とくに、演奏者がレコード嫌いであったり、
完全主義者であったりして、
本人がOKを出さなかったした音源が、その死後に、
遺族がCD化を認めたり、著作権の保護期間が切れたりして、
商品化されたりする例は、最近すごくたくさんの例が見られるし、
今後もきっと、ライブ録音を中心に多くでてくるのだろう、
と思う。

しかしながら、今回の録音に関しては、少し事情が違っている。
グールドの再創造、というこのCDの題名が示すとおり、
このCDは、モノラル録音だった音源をもとに、
技術者がこの演奏をコンピュータで解析した結果を
自動ピアノで再演奏、したのものなのだ。

これは、グールドの演奏である、といっていいのだろうか。

録音された音源に関しては、時代時代に可能な方法で、
いろいろな形での改竄、といって悪ければ、
リマスターがなされてきた。

たとえば、一番スタンダードなものとしては、
1曲を作るのに、いいところだけをつなぎ合わせたり、
問題のあるところを差替えたりする方法だ。
これによって、本人がとても歌えなかったり、
演奏できないような、完璧なレコードがたくさん生産されてきた。
ライブ録音でさえ、数日の公演がおこなわれるときは、
このようなリマスターが行なわれることがある、とも聞く。

これは、本人の演奏である、といえるのか否か。

また、ステレオ全盛時代には、モノラル音源を無理やり、
ステレオ録音風にリマスターした、擬似ステレオ
というようなレコードがよく発売されていた。

これは、どうだろうか。

また最近、たまたまテレビで見たのだけれど、
外国で弾いているピアノのデータをインターネット回線で送って、
日本のスタジオにある、ピアノでも演奏する試みがなされていた。

これは、本人の演奏なのだろうか、違うのだろうか。

グールドの再創造、というCDは、なかなかに意欲的な試み、
といえるかもしれないし、一種の詐欺行為、なのかもしれない。
しかしながら、これが本人の演奏である、ということになれば、
同様の手法で、もっといろんな過去の演奏家たちの再創造が
なされるかも、と思うと、わくわくしないでもないんだよなー。

さらには、音楽演奏にとどまらず、
物故作曲家の、コンピュータによる再創造や作風の模倣、
などがふつうに行なわれる時代が来るかもしれない。
バッハや、モーツァルトのコンピュータによる、
新作、なんていうことが可能になったりしてね。

ま、それはそれで楽しいのかもしれないが、
しかしながら、どこまでが本人の演奏なのか、
どういう風に、それを表記すべきなのか、ということは、
どっかで論議されたり、決定されねばならないのだろうな。

自分のこどもを他人が生んだり、
自分の死後、自分の子どもを嫁さんが妊娠してくれる時代だし、
CDの名義ゴトキは、いちいち目くじらたてなくても、
なんだってOK、なのかもしれないけれどね。


▼それにしても、進歩、と言っていいのだろうか、
最近は、なんでもできちゃうのんが怖いくらいだねー^^
こないだ買った、奥さまは魔女、の第1シーズンも、
白黒のフィルムにあとから色つけたものらしいけれど、
見ててでんでん違和感なかったし^^;
まさに、魔女の仕業、といってもいいのかも。。。

Photo_28

2007年4月 6日 (金)

シアワセですか?

満足は保証されない。
金儲けの秘訣 ・第251条)



もちろん、それが本当な意味で、
正確に事態を反映しているかどうか、
正しい比較であるのかどうか、ということは、
調べようもないのだけれど、
どっかの物好きやら、関係のある企業やらが調べて、
たまに発表される、国別のアンケート調査だとか、
統計数値をみていると、なかなかに興味深い日本人像、
というようなものが浮かび上がってくるような気がする。

ぼくの記憶に間違いがなければ、
日本人は、他の先進国の人たちに比べると、
多少長生きで、かなり労働時間が長く、
明らかに家庭内でのセックス回数が少なかったりする。

そして、これはぼくの偏見も含まれているのかもしれないけれど、
なんかあんまりみんな幸せそうな感じがしない
少なくても、自らをとっても幸せだ、と公言する人間が、
あんまり多くない
ような、そんな印象をもっている。
そして、それを裏付けるような調査もあったように記憶している。

でわ、おまえはどうなのだ、と訊かれれば、
やはりとても幸せだ、と自信を持って、
答えられる状況とはいえないだろうな、と思うのだ。

そもそもぼくが、このようなブログをはじめたきっかけ、
というのも、不幸のずんどこからの自分探しだった、
ような気がするし。
しかも、そのずんどこから、
決して事態は改善されていなかったりするのんだ。

しかしながら、不思議なもので、
その不幸な状況があまりに長く続いていると、
それが通常の状態で、慣れてしまったりするのが、
また、おもしろかったりするのだな。

もちろん、ぼくは別に誰かと不幸自慢や不幸競争をしたくて、
こんなことを書いているわけではないのんで、
もっと不幸を自認しているひとがいれば、ぼくは喜んで、
その方により不幸な人間の称号を譲るのに、躊躇はない。
その点は誤解のなきように、願いたいのだけれど。

そういえば、むかしから国民の幸福度が比較的高かったタイでも、
最近、自分を幸福と思う人間が減ってきている、
という話を聞いたような気がする。

以前に比べ、かの国は経済発展が進み、ひとりひとりの、
物質的な豊かさは増しているように思うのだけれど、
まるでそれに反比例するかのように、その幸福度が下がる、
というのは、不思議なようだけれど、ありがちな現象のようだ。

おそらく経済や教育の水準があがることで、
自分より恵まれたひとたちがたくさんいることや、
自分の不幸に気づく知性をもつひとが多くなるためなのだろう。

ひとというのは、つくづく因果な生命体、なのだなー、
と思ったりする、まだまだ幸せ探しの道なかば、
のおっさんなのである。


▼含蓄のあることばが刷られた、シャツが並ぶ、那覇のとある店。
遊び人、卑怯者、忠犬、気楽、師匠、弟子、ほっとけ俺の人生だ、
などのシャツに、混じって見える、
肉人(にくんちゅ)のふたもじ。
それもまた、人生だ。。。

T



それにしても、犬用アロハ
ということばは妙にそそる。

2007年4月 3日 (火)

不満

常に利潤が最大になるように売れ。
金儲けの秘訣 ・第55条)



たまに、預け荷物の重量が超過して、追加料金を取られた、
軽量の女性から、不満の声を聞くことがある。
なんで、大きなおっさんの半分くらいしか体重がない、
わたしが超過料金を払らわなくてはならないの、と。
10キロくらい、超過していたところで、
総重量では、まだわたしの方が、軽いくらいだわ、と。

そういうときぼくは、なるべくおなかをひっこめながら、
耳にはバナナをさして、聞こえない振りをすることにしている。

それは、決して自分にやましいことがあるから、ではなく、
真実を追究していくと、身も蓋もない事態に陥ってしまう、
かもしれないから、なのである。

世の中は完全には平等にできていない
そして、平等だから正しいとは限らない、のだということだ。

そのむかし、ドイツに、カール・マルクス、
という思想家があらわれ、
世の中が不平等であるので、これは是正されるべきである、
というような主旨の考え方を流布したことがあった。

実際、それからかれの考えに沿って、
不平等のない理想社会をつくろう、という試みはあったものの、
結局はうまくはいかなかった、ようだ。
共産主義だの、社会主義だの、という政治手法で運営されている、
まともな国家は、もうあんまり存在していないようだし。

ただうまくいったところで、
完全に不平等のない社会がつくれたか、
という点に関しては、大いに疑問が残るところだろう。

かれは、富やら、財産やら、主にお金のことに着目して、
不平等をなくそう、と考えたのだけれど、
それを克服したところで、不平等がなくなる
わけではないのである。

体重がひとりひとり違うように、生まれ持った能力や
見かけの美醜や、その他諸々の条件がひとりひとり違うのだし、
金銭的なでこぼこがなくなったら、
よけいにその差が目立つことだろう。

ところで、上記のかのじょの不満だけなら、
飛行機会社の英断で、解決できる可能性はある。
ただ乗客は、飛行機に乗る前に体重計に乗ることになるだろう。
荷物といっしょにね。

そして、いくらでチケットを買ったか、
ということも問題になるかもしれない。

今の飛行機の座席は、ファースト、ビジネス、
プレミアムエコノミー、エコノミー、といった区分のうち、
路線や飛行機の種類によって、2クラス、ないし3クラスで
運行されることが多いようだけれど、
実は、一番席数が多い、同じエコノミーでも、
フルフェアのエコノミー料金と、
ディスカウントのエコノミー料金とでは、へたをすると、
10倍も値段が違う、なんてことさえありえるのんだ。

フルフェアの客が、仮に荷物とともに100キロ
の制限を受けたとしたら、荷物と体重あわせて、
10キロ以下のひとしか乗れない航空券、
というのも出てきそうだ。

どっちにしても、ぼくのように、ディスカウントのチケットや、
特典航空券でしか、飛行機に乗ってない、巨大なおっさんは、
2度と飛行機に乗れない、ことになりそうだ。

そう、おおむかしの、会社持ちのビジネス出張と、
ハネムーンでしか、海外にいけないような、
そんな時代に帰ってしまうことになるわけだ。

そうなると困るぼくは、今日も耳にバナナを詰め続ける、
というわけなのだ。


Photo_27




▼変動相場制料金の格安チケット販売で躍進する、エアアジア。
航空会社にもいろんなビジネスモデルがあるようだけれど、
体重別料金の会社が出てこないのは、やはり、
それなりの理由があるのだろうと、想像するのだが。。。


« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »