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2007年2月26日 (月)

順序

常に耳の穴を開けておけ。
金儲けの秘訣 ・第7条)


ほんのちょっとした出会いの綾や行き違いで、
愛するべきものと出会わなかったり、
あるいは、衝撃的に出会ったりすることは、
なにも男女の間に限ったことではない、のだということを、
最近、強く感じた出来事があった。

若いときにぼくは、グレン・グールドの弾く、
多くのCDを愛聴していた。
かれは、独特のスタイルを持ったピアニストで、
キャリアのある地点から、一切のコンサート活動を拒否し、
レコードなど間接的な方法によってのみ、かれの聴衆と接する、
という方法を死ぬるまで貫いたひとだった。

クラシックの世界では、むしろ逆にレコード嫌い、
というひとはいたけれど、コンサートを拒否し続けながら、
そのキャリアを全うしたひとは、今までのところ、
グールドを除けばいまい、と思う。

もちろん、デビューしてから、しばらくは、
かれもコンサート活動を行なっていたようだ。
そんな若き日でも、舞台に登場してから、
聴衆を目の前にして、30分も自らが坐る、
演奏用のピアノの椅子の高さを調整した

というような、逸話は残っているようだけれど。

当初、かれのレパートリーのなかで、
ぼくはバッハを好んで聴いていた。
マルタ・アルゲリッチの、ピアノによるバッハの演奏に
衝撃を受けてから、
ぼくはピアノによるバッハの演奏にこだわっていた
時期があったのだ。
グールドの演奏するバッハは、確かにすばらしかった。
しかし、グールド以外にバッハをピアノで弾いたものが当時、
少なかった、ということもたぶんに影響していたのだと思う。
選択の余地、という面で、非常に限定された時代であったわけだ。

なんとなれば、バッハの時代、今と同じピアノという楽器
は存在していなかったし、古楽器の研究や復興が進んでいき、
わざわざバッハが知らなかった楽器で、
バッハを演奏しなくてもよいのではないか、
という風潮がそのころ強くなりつつあったのんだ。

グールドのバッハを聴いてから、ぼくはかれの演奏した、
他の作曲家の音楽も積極的に聴くようになった。
「皇帝」の名で親しまれている、ベートーベンの
ピアノ協奏曲5番は、レオポルト・ストコフスキーと
アメリカ交響楽団との共演で、いささかテンポが尋常ではない、
エキセントリックな演奏ではあったけれど、
今でもお気に入りの1枚だ。

しかしながら、かれの演奏は、どんなものも手放しですばらしい、
というわけにはいかなかったようで、
モーツァルトのピアノ・ソナタ全集を
かれの演奏で買ってしまったことは、たぶん、
ぼくにとっては、不幸な出来事だった、といえたと思う。
ぼくは現在に至るまで、なるべくそれらを聴かないように
人生を過ごしてきてしまったのんだ。

たぶん、20年ほど。

そのCDのなかには、もちろん、好きな演奏もあったのだけれど、
どうにも聴きたくないモーツァルトもまた、
たくさん混入されていたのんだ。

このあいだ、タイペイに行ったときに、
ぼくは、クラウディオ・アラウのモーツァルトの、
ピアノ・ソナタの組み物をみつけ、
最近、アラウの演奏を気に入っていたこともあり、購入して、
長く封印していた、その曲たちをまとめて聴く機会を
得ることになった。

アラウの弾く、モーツァルトは、実に素敵で、
どの作品も皆美しく、すばらしいことをぼくに教えてくれた。
アラウ、にしてみれば、誠心誠意、心を込めて、
ふつうに演奏していただけなんだろうけれど。

もちろん、グールドのモーツァルトが悪い、というわけではない、
と思う。
ただ、最初に聴くモーツァルトのピアノ・ソナタ、としては、
たぶんかなり不適切な選択なだけだったのだ。
ぼくはファーストコンタクトに失敗してしまった、のに過ぎない。

アラウの演奏を堪能してから、
もう一度グールドを聴いてみようと思う。
すべて事柄には、正しい順番、というものがきっとあるんだろう、
と思うしだいなんである。



▼故グレン・グールドさんと
Photo_22    






故クラウディオ・アラウさん。 
Photo_24    

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