« クラリス | トップページ | ターボ付タクシー »

2006年11月15日 (水)

バレエ組曲「ボルト」

朝、FM放送で音楽を聴いていたら、
ショスタコービッチのバレエ組曲「ボルト」、
というのをやっていた。
音楽を流す前に、バレエの内容の説明があったのだけれど、
なんでも、サボタージュで解雇されたソ連の労働者が、
そのことを逆恨みして、ボルトを使用して破壊工作を行なうが、
それに気づいた別の労働者によって阻止される、
というようなことがモチーフになっている、らしい。

そんなバレエを見て、ソ連時代のロシア人たちが楽しかった
のかどうか、いささか疑問ではあるものの、
音楽自体は、ショスタコらしい部分が随所にみられ、
また機会があれば聴いてみたい、と思える作品であった。

旋律に耳を澄ませれば、工場での作業音が聞こえてくるのも、
たまに聴くのは楽しかったりするんだろう。

さて、この作曲家は、ソ連時代の大作曲家であり、
体制のなかを巧みに生き、
体制にその芸術家生命を捧げたひと

として知られていた。

ところが、死後、実は社会主義体制を必ずしも受容していたの
ではなく、むしろ、批判的な気持ちで書かれた作品も多々あった、
という話まで出てきた、というのんだ。

音楽は音楽であり、ほおっておいても、耳から入ってくる。
しかし、作者が表現したいことがまるっきり逆でも、
誰ひとりとして、気がつかない、なんてことが、
芸術の表現として、ありえるのだとしたら、
それは、ひじょうに興味深いことのように思える。

かれの音楽が、当時の支配層やそれを聴いていた
すべてのひとには、革命の勝利や、社会主義の栄光、
などを表現していたように聴こえ、
作曲家は、実はそれを批判して書いていた、
ということがほんとにありえるだったら、である。

今、かれの作品は、そういう政治的なことを抜きにして、
純粋に音楽として、演奏し、また、鑑賞しよう、
という風なことになってきている、らしい。
かれの芸術の、真の意味での古典化、ということなのだろう。

芸術を解釈する、という試みはほんとうに難儀な作業
であるようだし、
たしかに、なんにも考えずにみたり、聴いたりする方が、
ほんとは、楽しめるかもしれないのかな、とも思うけれど、
でも、その反面、テーマのない芸術作品なんてなー、
と、ぼくは思ったりするのであるが、どうなんだろう。





▼今の若者は、東西冷戦とか、デタントとかいっても、
なんのことやら、って感じなんだろうな。
だからこそ、高等学校で必修科目飛ばし、なんぞせずに、
きっちりと世界史の勉強をしてほしいものだ、と思うのだけれど。
そういえば、故桂枝雀師匠も、落語的デタントの重要性
を説いておられた。。。(-人-)合掌
Photo_21

« クラリス | トップページ | ターボ付タクシー »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« クラリス | トップページ | ターボ付タクシー »