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2006年11月27日 (月)

幸せの質量保存の法則

幸せの総量は一定である、といつの頃からか思っている。
つまり、幸せとは相対的なものであり、
絶対的な価値基準では計れない
、ということだ。

もう少し、わかりやすくいうと、
自分を取り巻く世界の中で、
だれかが幸せになると、自分はその分少し不幸になる。
自分に変化がなくても、自分以外の全員が幸せになれば、
自分は相対的に不幸になる、と思っているのである。

たとえば、自分はカローラを持っていた、とする。
まわりは、全員自転車ももっていない状況だと、
きっとカローラを持ってる自分はなんと幸せなんだろう、
と思うことだろう。
しかし、まわりが全員ベンツとフェラーリとレクサスを
運転手付きでもっていたなら、
きっと自分は不幸に感じるのではないか、と思う。
幸せの基準が相対的、とはそういう意味なのだ。

今の日本の人々は、基本的に30年前のひとよりは、
たしかに豊かだと思う。
100年前のひとに比べると、もっと豊かだろう。
でも、格差社会が広がって問題だ、と思っている人は多いようだ。
その格差ゆえに、不幸に感じたり、犯罪を犯したり、
自殺をするひとさえいる。
でも、100年前のひとが今のひとをみたら、
なんでかれらが不幸がってるのか
きっと理解できないだろう、と思うのだ。

これをつきつめて考えれば、ひとはいつまでたっても、
どんなに物質的に豊かになっても、全員が幸せになる、
ってことはできないのではないか、という結論になってしまう。

たとえは、わかりやすさを考えて、物質的なことに限ったが、
精神的なことを含めると、事態はもっと複雑で、
わかりにくくなったりするんだろう、と思う。

世界中の人がみんな充分に幸せになることなんか、
結局のところ、できないのではないか、ということになれば、
いったい、ぼくたちは、どこに向かって進んでいけば
いいのだろうか

わたしは完璧に幸せだ、というひとがいたら、
意見を訊いてみたい、というような気もするのだが、
妙な宗教に勧誘されてもいやなので、踏み切れないでいる。
しかし、結局のところ、そのへんに答えがあるような気も
しないではない。

自分で考えるのをやめて、誰かに幸せの形を決めてもらう、
ということが、最終結論かもしれない、ってことだ。

もし、それが幸せの、最終的な模範解答であるのなら、
いいや、ぼく、適当に不幸でも、と思うのだけれど、
こんなことばっかり考えてるのんが、
そもそもおめでたいのんだろうね(^^;)



▼DS9の保安チーフのオドー。
かれは、流動体生物なのをいいことに、
本物の質量保存の法則を守ってないっぽい。
Photo_224

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コメント

そっか~幸せの総量は一定なのか~!
誰かが幸せになった分、自分は不幸になるのね。
確かに100年前の人にしたら、何でこんな事で不幸がるのか分からないだろうし、ちょっと前の戦争中の人にしたら、何でこんな事で自殺するのか?と思うのかもしれない。
人の考えは時代と共に変るし、その時その時によって、幸福の価値観も変る。
物質が豊かになればなるほど、人はもっともっとを求めるのかもしれないですね。
例えば、食べる物もない状態では、食べられる事が幸せと感じるでしょうしね。

宗教を信じるのはその人の自由だから、それでその人が心のよりどころを見つけられたら良い。
私は無宗教だけど、神様は存在しているんじゃないかな?と思ってます(^-^ )
だって、いつも「苦しい時の神頼み~♪」をしているんですもの(^-^)フフ

するめさん、まいど^^

>そっか~幸せの総量は一定なのか~!
>誰かが幸せになった分、自分は不幸になるのね。
すんません。私見ですから~^^;
あんまり素直に納得しないでくださいね^^

>物質が豊かになればなるほど、人はもっともっとを
>求めるのかもしれないですね。
>例えば、食べる物もない状態では、
>食べられる事が幸せと感じるでしょうしね。
あっしは食ってれば幸せです、ってそういうことぢゃないっすね^^

>宗教を信じるのはその人の自由だから、
>それでその人が心のよりどころを見つけられたら良い。
>私は無宗教だけど、神様は存在しているんじゃないかな?
>と思ってます(^-^ )
>だって、いつも「苦しい時の神頼み~♪」
>をしているんですもの(^-^)フフ
最近、この学派に属する方が多いようっすね^^
ナカーマ( ・∀・)人(・∀・ )は、大阪の神様http://chichin-punpui.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_22da.html
でご確認ください。
ちなみにあっしもナカーマ( ・∀・)人(・∀・ )っす。

>幸せの総量は一定である
ほとんどすべての人が不幸で、それ以外の一部の人の幸せを合わせても現在より不幸な状況というのは考えられるのでそれは成り立たないのでは。

ひろしさん、はじめまして^^

>>幸せの総量は一定である
>ほとんどすべての人が不幸で、
>それ以外の一部の人の幸せを合わせても
>現在より不幸な状況というのは考えられるので
>それは成り立たないのでは。
もちろん、残念ながら、幸せ、というものを数量化できない以上、
そういう状況も考えられるかもしれません^^
しかしながら、ほとんどのひとが不幸な状況で、幸せなひとは、
並みの10倍幸せ、ということになり、
やはり全体で均してみれば、一定ではないかな、
という考え方もあるやもしれません。

あくまで、幸せとは、他者の比較のうえで成り立つ、
相対的なもんではないか、というのんがあっしの論旨でやんす(^^)

>幸せとは、他者の比較のうえで成り立つ
まずこの前提が間違いでつよ。
よく考えれば、他者でなく自己の何かとの
比較であることがわかるはず。

>しかしながら、ほとんどのひとが不幸な状況で、
>幸せなひとは、並みの10倍幸せ

例)
ほとんどのひとが不幸な状況で、その状況から外れた人が一人
その一人は最近奥方が不倫していて自分は世界一不幸だと思っている。


答えはどこにもなく、あなた自身の中にある? 

オゥッ!! Sorry!
例が矛盾していました。

ほとんどの民が厳しい年貢に苦しめられて
餓死寸前なのだが、その国の王様はいつ
腹心の反逆に遭うかと日々恐怖している。

こんなもんでどうでげしょ?

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