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2006年9月30日 (土)

出なかった最後の1枚

フリードリッヒ・グルダというピアニストが好きだった。
過去形なのは、かれがすでに鬼籍に入ってるからで、
かれが残したCDの数々は今でも愛聴している。
なかでも、クラウディオ・アバドの率いる
ウィーンフィルと共演した、モーツァルトのピアノ協奏曲の
20番、21番をカップリングしたものと
25番、27番をカップリングした、2枚のレコードは、
かれのベスト盤、といってもいいのではないか、と思っている。
そしてぼくにとっては、この曲のベスト盤でもあるのんだ。

このレコードには、副題がついていて、
グルダが好きなモーツァルトのピアノ協奏曲集、とあった。
当時、3枚のレコードが出される予定だ、
と聞いたような気がしたのだったが、残念ながら、
この組み合わせによる、3枚目のレコードはついに出なかった。

2枚のレコードを制作発売したのは、
ドイツグラモフォンという会社で、
数々のすばらしいアーティストと契約し、
数々のすばらしいレコードを世に出してきた会社だった
のだけれど、当時、奇妙なマーケティング戦略を持っていて、
同じ時期に同じ曲が別の演奏者によって、
レコーディングされることを嫌がる傾向があった、ようなのだ。

一見、もっともな考え方、に見えるけれども、
クラシックのレコードは、流行歌のそれとは違って、
セールスの期間が長い上に、希望が通らなかったアーティストは、
まあ、1流のひとに限られるけれど、
別のレコード会社から、同じ内容のレコードを出すことになる
のんで、やっぱりあんまり合理的な方法ではなかったのでわ、
とぼくは今でも思っている。

このときも、マウリツィオ・ポリーニが、カール・ベーム指揮の
ウィーンフィルと、モーツァルトのピアノ協奏曲の
19番、23番をレコーディングしていて、
このために、3枚目の録音が問題になったのであろう。
グルダの20、21番が1975年、
25、27番とポリーニの19、23番が、1976年の録音だ。

結局、グルダは、ニコラウス・アーノンクール指揮で、
アムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団と共演し、
モーツァルトのピアノ協奏曲の23番、26番を
別のレコード会社で、1983年に録音している。
これはこれですばらしい演奏であることは間違いないと思うの
だけれど、50歳代半ばに録音された、2枚のグラモフォン盤が、
ぼく的にはあまりに印象深かったが故に、
同じ時期に同じ組合わせで、ドイツグラモフォンから出なかった、
その1枚がどうしても惜しまれるのであった。

このあいだ、2000年に亡くなったグルダの
追悼番組がやっていて、そのなかで、当代きってのピアニスト
のひとりである、マルタ・アルゲリッチが、
モーツァルトのピアノ協奏曲の20番を追悼演奏するときに、
かれ(=グルダ)のようにはうまく弾けないけれど、
とテレビカメラの前で述べていたのを聞き、
かのじょにあのようなセリフをいわせるなんて、
また、かのじょがあのようなセリフをいうなんて、
まったく、天才は天才を知る、とはこのことなのだな、
と感じ入ったぼくなのだった。

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▼グルダはなにがおかしかったんだろ^^

2006年9月27日 (水)

帽子on帽子

むかし、仕事で借用した会場の警備員さんの話だ。
かれは、警備員さん、という職業柄か、帽子をかぶっていたが、
ぬいだその頭にもうひとつ、帽子をかぶっていた。
そう、づらだったのんだ。

しかし、通常、かつら、というものは、
髪の毛がないこと、あるいは、少ないことを偽装するために
使用するもの、であることが多いけれど、
かれのそれは、誰が見ても、どう見ても、
一瞬にして、かつらであることが、わかるしろものであった。
あんなづらをかぶっているのんは、全日本的に見ても、
かれと、ナニワのモーツァルト、といわれるあと1名だけだろう。

一緒にいった同僚の分析では、あれは実はかつらではなく、
毛の生えた帽子で、ぼくらみたいなふつうの人間がきたら、
最初の帽子を脱いで、敬意をあらわし、
もっとやんごとない高貴な方が来られたときには、
その毛帽子も脱いで最大級の敬意をあらわす、
そのためにかぶっているに違いない、ということだった。

逆にむかし、将棋界に君臨した大山康晴名人は、
実にみごとなまでの波平頭だったのだけれど、
陰で、かつらのおじさん、と呼ばれていたときがあった、そうな。
あの禿頭は実はづらで、その下には、
ふさふさとした、ミドリの黒髪を隠しているのだ、というのが、
そのあだ名の根拠だったらしい。
稀代の勝負師で、勝つためには盤外でも手段を選ばなかった
大山名人だからこそ、そんな冗談も成立したんだろう。

最近、づらで有名になったひとに耐震偽装で有名になった、
某建築士がいるが、耐震偽装だけではなく、
あたまの偽装も見破られてしまった。
おそらく、隠そうとするからこそ、他人は探ろうとするのだろう。
そんな本能が人間にはきっとあるに違いない。

某教授の手鏡事件も、よくよく考えれば、
スカートの下には下着をつけているだけで、
下着を見たければ、デパートの下着売り場に行けばいいのだし、
海岸にいけば、裸同然の女の子が見れたろうに、
とも思うのだけれど、そんなことではなく、
隠された部分の真実、をかれは追求したかった
のだろうな、と思う。

真理への探求は、自分の専門分野だけにしておけば、
悪のミラーマンに変身することもなかったろうに、
と思うけれど、某タシーロ氏の例をあげるまでもなく、
こういうのは、どうにも治らないのんだろう。

かれを客員教授として採用し、そして免職した某大学は、
結局のところ、そのへんを理解できずに、
賭に負けた、かっこうだ。

その大学は、新入生に学習支援用なのか、
iPodなんかを支給しているそうなのだけれど、
ぼくがその大学の新入生で、
そのiPodの裏面が鏡面仕上げの分ならば、
その某教授の直筆サインを入れて欲しい、と思うことだろうな。


▼アメリカンコミック風のSazae-san
でも、Dad Namiheiのあったまのてっぺんの毛はやはり1本だ。
Sazae

2006年9月25日 (月)

ガダラの豚

すべては光と影だ。
喜びは悲しみの水源であり、
楽しみは苦しみを運んでくる舟だ。
大きな喜びと大きな大きな悲しみがあんた方を待っている。
…………………………………………
墓から這い出した死者が、自分の身代わりに生者を墓に送り込む
(中島らも「ガダラの豚」第2巻より)


ナハ、フクオカ、タイペイ、バンコク、コタキナバル、クチン、
ジョホールバル、シンガポール、バンコク、プノンペン、
バンコクと渡り歩いた今回のたびでも、
ぼくが主にしていたことは、読書だった。

ネット環境が整ったバンコクではついPCに向かうことが
多かったものの、旅行中のホテルの夜は、他にすることもなく、
ゆっくりと本を読むことができる時間なのである。

読書なら、自宅ですれよ、という意見もあると思うが、
誘惑の多い自宅ではなかなか集中して、本を読めないのんだ。

最近は意識的に自宅でも読書の時間を取るようには
しているものの、ぼくにとっての旅の空は、
大切な読書の時間、なのである。

以前にも書いたけれど、最近は、あまり新しい本を買わない。
読んでも、がっかりしたり、気に食わないことが多いしさ。

今回も、むかし読んだ本を10数冊持っていった。
その多くが、故中島らも氏の初期の作品だった。

まとめて読んで気づいたことは、
かれは非常に同じネタを何度も書いている、ということだ。
初期のかれの著作は非常に面白いものも多いのだけれど、
これには少しうんざりさせられた。
ファンというものは、勝手なもので、
かれの著作が読みたいから買っているのに、
それでも、文句をいったりする。
困ったものだねー^^;

さて、そんなかれではあるが、
間違いなく、最高傑作、と呼んでいいのは、
ガダラの豚全3巻、であろう。

いわゆる文学作品、というものではないけれど、
文章で描かれた、空前絶後、史上最大のエンターテーメント、
だといって間違いないだろうと思う。

今まで何回か、この作品を読み返したけれど、
何度読んでも、一気に読んでしまい、失望することのない、
すんごい作品だ。

内容は、あえて書かないけれど、
いまだ未読のひとで、怖がりぢゃないひとには、
死ぬまでのなるべく早い時期に読んでおくことをお勧めする。
これから、これを初めて読む幸せをまだもっているなんて、
なんてあんたら、幸運なんだ、って、
祝福してあげたくなるくらい、おもしろい作品なんである。

そう、からだが豚のおっさんが、
ガダラの豚の推薦
をしてるのんだ、、、

さあて、オチもついたことだし(←ほんとについてるのか^^;)
内容を早く忘れて、再読の機会を増やすために、
カベに頭でもぶっつけてから、寝ようかな。。。



▼ひとづてにもらった、わかぎゑふ(当時えふ)さんと
故らも氏のサイン。
一度だけ、舞台以外で、道ゆくらも氏を目撃したことはあった
けれど、残念ながら、間近に遭遇したのはそれっきりだった。。。
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2006年9月23日 (土)

天下の公器

タタ・ヤン「エロカワ番長」アピール
2006年09月11日
 元祖エロカワは私よっ! 
タイの人気歌手タタ・ヤン(25)が10日、
都内でライブを行った。
日本語で自分のことを「エロカワバンチョウ。マチガイナイッ」
と何度も絶叫。
日本人離れしたダイナマイトボディーで、Tバックに包んだ腰を
何度も激しくシェーク!
 衣装も汗ばむと透き通るエロエロぶりだった。
先月発売のアルバム「Temperature Rising」
の発売記念で行った。
(asahi.comより引用記事)


むかし、プロのカメラ、といえば、ニコンだったし、
天下の公器、といえば、圧倒的に朝日新聞だった。
子どもだったぼくは、ニコンで撮った写真は、
他社のカメラで撮ったものとは違う、と信じていたし、
朝日新聞に書いてあることは、誰がなんと言おうと真実だ
と思っていた。

ところが最近、ありとあらゆる権威、というものが揺らぐなかで、
朝日新聞を信じる気持ちも、もはやぼくのなかでは
すっかりなくなってしまった。

しかも、朝日新聞の件については、世間の風潮、というよりは、
朝日かれ自身にその責任があるように思う。

ごく最近に限っても、記者が取材もせずに記事をねつ造したり、
飲酒運転で捕まった日に他人の飲酒事故の記事をのうのうと
書いていたり、
社長が自分の息子が逮捕されたのを報道しなかったり。
それに対する、自身の責任の取り方、というのも、
ぼくの信じてた、朝日のそれではなかったのんだ。

そんななか、直接朝日新聞の記事ではなく、
同系のスポーツ新聞の記事の転載なんだろうけれど、
アサヒドットコム、という朝日新聞直営のサイトに掲載された、
タタ・ヤンというタイ人の歌手が日本でライブをした様子
の記事を読んで、ぼくはほとほとあきれてしまったのだった。

タタ・ヤン、というひとは、ずいぶんむかし、
ぼくがタイに通いはじめた、数年前にはもう過去のひと
になっていたが、しかし、いっとき一世を風靡したアイドルで、
そのときは、まだとてもかわいい、おんなのこだった。
え、まだ25なの、って疑問はいいとしても、
日本人の血は、一滴もはいっていないひとだ。

そんなタタ・ヤンの体つきが、日本人離れしてる
と記事は書いている。

たとえば、こないだやってたロシア女子バレーチームの選手の
体つきも、朝日は、日本人離れしてる、と記事に書くのだろうか。
蚤は、自分の体長の何百倍もの高さを跳ぶけれど、
朝日はそれを、人間離れしてる、と報道するのだろうか。

たとえタタ・ヤンを宣伝するための、提灯記事であったとしても、
いくらなんでも手を抜きすぎぢゃないの、って思ったのだった。

もう朝日新聞でまともに読めるのは、ののちゃんと、
来年から始まるかもしれない、将棋の名人戦だけだなー、
と、信じるものを失って、故き良き時代を思い、
ちゅっとためいきな、故き良きおっさんなのであった。


▼タタ・ヤンの少し前、日本市場に進出しようとして、
うまくいかなかった、ブライオニーはかわいかった。
最近みないけど、どうしてるんだろな。
写真は、あっしがMBK前で撮影したブライオニーと、
ドコモのケイタイに出演してたブライオニー。

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2006年9月21日 (木)

軍政

タイで軍部がクーデターを起こした、ようだ。
ぼく的には、次のこのような事態は、現国王のお世継ぎ問題かな、
と思っていただけに、ちょっと驚いたけれど、
国内では、そんな噂はけっこうあったようだ。

この国の政治スタイルは、複雑だ。
一応、日本やイギリスと同じ、国王をいただく立憲議会制、
なんだけれど、タイの国王は、三軍の総帥であり、
実際に政治を司ることはさけているものの、
政治的発言をしばしば行い、国民の圧倒的支持があることから、
国政に非常に影響力がある存在なのだ。

実際、1992年におこった軍部のクーデターを収拾したのんは、
国王だったのだし。

日本の政治体制に、軍部と権力を持つ水戸黄門をくっつけた
ような政体、といえば、いいだろうか。

今、タイの経済は1997年の経済危機から
完全に立ち直って絶好調であり、
目に見えるようなスピードで国が発展しているのに加え、
民主化も進んでいるようにみえる。
警官に賄賂が通じなくなった、というのもつい最近の話で、
タクシン政治の業績といっていいだろう。

ただ、権力の中枢のなかには、そのような変化を喜ぶ人ばかり
ではなく、
また、タクシン政治によって達成された民主化のなかで、
実際に市民が政治に声をあげることができるように
なってきたのも事実だ。

今回のクーデターは、そんないろんな層の不満をバックに、
軍部が実力行使にでたのんであろう。
ましてや、クーデターの直接の指導者は、タイ国内では
宗教的にマイノリティであるイスラム教徒
の指揮官なのである。
まったく何がどうなっているのか、完璧に説明できる人間は
誰ひとりいまい
、とさえぼくは思う。

タクシン首相がかならずしも、お金に関して、
きれいなひとでなかった、
ということを大きく取り上げるひともあるようだけれど、
しかし、タイの政治家で、清廉で能力のあるひとなど、
正直今まで誰もいなかった、というのも真実だろうと思う。
ただ、庶民は文句が言えなかっただけで、
その文句の言い方を教えたのは、
ほかならぬタクシンそのひとだったのは、
歴史の皮肉、といっていいだろう。

いくらタイ好きだとはいえ、外国人であるぼくが、
他国の政治にとやかくいえる筋合いではないのだけれど、
客観的に見て、タクシン政治は、
今までのどんな政治家の政治よりも、ましであった、と思う。
そんなかれが、このまま軍部の介入によって、放逐されてしまう
のは、たとえ、国民が瞬間的に支持したんだとしても、
非常に残念なことだと思うし、
タイのこれからの発展に悪い影響を与えるのではないか、
とぼくは、個人的には思っている。

ただ、このクーデターは、長期化、しないのではないか、
というのが一般的な見方のようだ。
つまり、ミャンマーのようにはならんだろう、ということだ。

とりあえず、タクシン政権を放逐するか、あるいは、
ある程度の警告を与えれば、軍部は引き下がるんだろう。

ほんとうに危ないのは、次期国王問題がシリアスな問題になった
ときだろうと思う。
今回のクーデターは、そのときのためのテストケースではないか、
とさえぼくには思えるのだ。
そのような状況が起こったときに、
国民はどう考え、どう動くのか。
そして、諸外国の反応は、どうなのか。

どんな理由があるにせよ、ぼくはシビリアンコントロール
ができない国は一人前の国家ではないと思うし、
どんな理由があるにせよ、
軍部のクーデターを支持するような馬鹿者が、
もし、タイで多数なのであるとすれば、ほんとうの意味で、
タイ国民が民主主義のあり方を知るその日まで、
Xデイが来ないことを祈るばかりである。


▼圧倒的な武力をもったこのひとは、政治には口出ししなかった。
だからこそ、真のヒーローだったのだ。
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2006年9月19日 (火)

ぷんぷいさん、新車を買う

車を買い換えることにした。
今乗っている車は、8年目だが、10万キロを越え、
次の車検の前には買い換える予定ではあったのだけれど、
この9月の予定ではなかった。

が、今乗っている車のセールスの担当者が、
決算にどうしても、台数が足りないので、
買ってくれ、といってきたので、
安けりゃ買うよ、っていうことで、
今月買い換えることになったのんだ。

そもそもあんまり車にこだわる方ではないのだが、
今の車は、あんまりにもぼこぼこな上に、
時速100キロを超えると、
エンジンが死にそうな音を立てるので、
ちょっともう頃合いかな、とは思っていたのだった。

今度の車には、今はもう標準仕様に近くなっている感のある、
ナビゲーションをつけることにした。
正直、通勤と実家が主な行き先で、
ドライブを楽しんだり、遠出の買物をしたりもしないので、
今まで必要としなかったのだけれど、
必要となったときに、別につけるのも面倒だし、
今回は、買うときにつけてしまおう、と考えたのんだ。

今まで、ナビゲーションをつけなかったもうひとつの理由に、
ぼくは道に迷うのが好きだ、ということもあった。
変な話だけれど、道路に表示されている標識や、
事前に調べた地図を見て、場所を探してうろうろするのんが、
決して嫌いではない、のんだ。

そしてごくまれに、でんでん迷わずに
一発で行きたい場所にでてしまったときには、
自分で自分を讃えてやりたいような、そんないい気分になれる、
なんていうのは、きっとぼくだけの限定的な快感なんだろうな。

ただ、時間がないときなどは、そんなことを楽しむ余裕もないし、
以前、沖縄で借りたレンタカーのナビゲーションが便利だった
ことが、今回、それをつける大きな動機にはなったのんだ。

なにかを得る、ということは、なにかを失うことだ
これから、道に迷う楽しみは失うものの、
目的地にたどり着かない、いらいらからは解放されるわけだし、
みずからをデジタリアンと頼む身としては、
やはりナビゲーションくらい使っていて当然なんだろうとも思う。

あと、オプションで横に座ってくれる、
かわいこちゃん(←死語^^;)がついていればなー、
などと、おっさんぽいオチをつけたりなんかするのであった。

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▼新車は、3年前にシューマッハが乗ってたのと同型のフェラーリ、
なんかではもちろんない、普通の国産車っす^^

2006年9月17日 (日)

8GB8800B

バンコクに来ると、必ずパンティッププラザに行く。
そこで、今回衝撃的なものをみてしまった。
と、書いてもどうせつまんないPCの部品かなんかだろ、
と思ったひとは、とても正しい
ぼくが見て、驚いたのは、8GBのCFカードなのだ。
8GBという容量もさることながら、
値段がたったの8800バーツ(約27000円)だったからだ。

最近、ついにハードディスクの代わりにフラッシュメモリを
搭載したPCが出たのは知っていたけれど、この値段を見ると、
さもありなん、と思う。

ぼくが初めて買ったウィンドウズマシンは、たしか3.1で、
ディスクトップタイプだったけれど、
ハードディスクの容量は433MBだったと思う。
メディアは、フロッピィディスク(FD)の2HD、
1.44MBのものが定着したころだ。
FDは、その昔は、いろいろあって、3.5インチのものでも
720KB仕様のものもあったし、
NEC全盛時代は5インチのぺらぺらのFDが標準だった。
それ以前の8インチの巨大なFDだって、ぼくは仕事で使っていた。
その時代は、フロッピィディスクドライブは2つあって、
ひとつはソフトウェア用、ひとつはデータ記憶用で、
ハードディスクは、PCにはついてなかったのんだ。

その後、デジタルカメラの出現を契機に、
小型の記憶媒体が登場した。
トップを走っていたのは、当初フジフィルムなどが中心に
なっていたスマートメディアだったと思う。
しかし、スマメは構造上、128MBより大きな容量のものを
つくるのが難しく、代わって東芝・松下連合のSDカード
ソニーのメモリースティックの戦いになったが、
SD有利の状況で、現在に至っていると思う。
また、携帯電話用により小さなメディアも登場している。

それとは別に、比較的大きな容量のメモリを必要とする
デジタル1眼レフなどでは、CFカードが終始安定的にシェアを
もっていたし、iPodの大ヒットなど携帯できる大きさの
ハードディスクが活躍してる分野もある。

なんでこんなややこしいことになっちゃったんだ、
と訊かれてもぼくにはわからないが、今後ノート型など
携帯用のPCにはフラッシュメモリ搭載が標準となって、
ハードディスクは映像などの記憶用に特化していくのだろう。

このような、限りない軍拡競争みたいな状況の
メディアの戦いの中で、職場ではまだまだFDがメイン、
というところがあったりするのも、また、面白いことだなー、
と思ったりするのである。


▼その後、2週間くらいのうちに、同じ8GBのCFカードで、
7690バーツ(約24000円)というのが
パンティップで出回っているのをみた。
いったい、どこまで行くのだろう、まったく^^;
128MBのスマメを1万円以上出して買ったのは、
ほんの数年前だったんだけれど。。。
写真はパンティップではないけれど、バンコクの中古PC市。
Pc

2006年9月15日 (金)

しか?うましか?

落語に、鹿政談、というのがある。
むかし、奈良の鹿は神さんからの使わしもので、
非常に大切にされていたのだけれど、
正直者の豆腐屋が誤って、殺してしまい、
奉行所の裁きにかけられるものの、
奉行の機転と情けで、無罪放免とされる、
というような話だ。

今でも奈良公園のあたりには野良鹿がけっこういる、
と思うけれど、むやみやたらに、とって食べたり、
ひもを付けて、家で飼ったりしてはいけない、はずだ。

でも、ぼくの知り合いに、この奈良の鹿を
車で轢死させたことのある男がいる。

もう何十年も前のことだから、時効、
ということで書くのだけれど、
かれは、実はそのとき少し飲んでいたらしい。

そして、いい気になって、その辺を走っているときに、
急に鹿が飛び出してきた、ということだ。
鹿は交通ルールを習っていないのか、
信号の色が見えないのんか知らないが、
かれは、よけきれずもろにぶつかってしまった、らしい。

これは経験者ぢゃないと語れないことだと思うのだが、
轢いた刹那、頭が重いせいだろう、
鹿の首が、運転席に向かって伸びた、ということだ。
こういうのも、慣性の法則、というんだろか。

轢いた後、かれはいったんは逃げたものの、
やっぱり気がとがめて、警察に出頭したが、
とくに罪に問われることもなかったそうだ。
今の時代に生まれたことを感謝しなきゃいけないな。

んで、かれはそのあと、その車を処分したそうな。
なんで?
って訊いたら、
鹿があたったところに、鹿の色がついたからだ、
とかれはいっていた。
これも、経験しないと言えないことだな、と感心しながら、
それがほんとのアニマル柄だねー、とつっこんだぼくなのだった。

さて、最近になって、飲酒運転やそれにからむ事故が
問題になっているけれど、罰則が重くなったから、だめ、
って感じなのが不思議だと思う。
刑罰の軽重にかかわらず、だめなものはだめなんだし。
ほんと、日本の国は酒の上の不埒、というのに甘かったんだな、
とつくづく思う。

そういえば、女子高生のスカートのなかを手鏡で覗いて、
教育者の鏡、の称号をホシイママにしていた某先生が、
今度は女子高生への痴漢行為で捕まったらしいが、
それも、酒を飲んでいて憶えてない、といってるらしい。

そんななるまで酒飲むなよ、と思う反面、
酔っていても、どっかのおっさんの尻ぢゃなくて、
触るのは女子高生なんだ、というのんに、
感心しきりの、年中ドライなおっさんなのであった。



▼バンコクで見かけた豹柄のおばさん。
関西以外にも、アニマル柄のおばさんは生息しているのだ(^^
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2006年9月13日 (水)

道端でドリアン

ひとり旅のよいところは、
好きなときにご飯を食べれることに尽きる、というのが、
ぼくの意見だ。

ぼくの場合、別に観光したいものがあるわけでもなく、
けっこうひどい境遇でも耐えれる自信もあるのだが、
誰かと旅行するときに、一番困るのが、実はごはんの問題なのだ。

ふつうの人間は、一日3回朝昼晩と、
きちんとご飯を食べるのが当たり前で、
しかも、それがとても重要なことだったりするらしい。

ところが、ぼくは基本的に朝ごはんを食べる習慣がない。
でも、だされれば、食べる
朝ごはんを食べると、昼ごはんは遅くてよい。
なんなら、抜いてもよい。

昼ごはんが遅いと、夕ご飯は適当でいい、
というタイプの人間なのだ。

こう書くと、ぼくがまるで少食の人間であるかのように
誤解されるといけないので、きちんと説明すると、
普通のひとよりも、空腹感とか、満腹感とか、
そういう感覚が鈍い
、ようなのだ。
そして、一食の量は、常人よりは多いんだと思う。

そして、こういうタイプの人間にはデブが多い、らしい。
ぼくも、例に漏れず、ふくよかなおっさんなのである。

その日も、3時過ぎに昼ごはんを食べ、夕飯はどうすべか、
と、風邪気味のせいもあり、
ホテルでゴロゴロしてたぼくなのだけれど、
はっ、といいことに気がついた。

こういうときこそ、道端でドリアンを食べよう。

いそいそと服を着て出かけ、果物売りのおばちゃんに、
どれがおいしい?、と訊く。

おばちゃんは、柔らかいのと硬いのと、どっちが好きか、
これは柔らかい、これは硬い、これは柔らかい、、、
といちいちドリアンを押していく。

ぼくは、柔らかいのを選ぶと、
そのへんの道端に座り込んで、わしわしと食べてしまう。

おんなもドリアンも、よく熟したのんが、んまいのさ
なんて、かっこよく言ってみたい年ごろのおっさん、
もう熟したのを通り越して、腐乱気味、なのであった。

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2006年9月11日 (月)

プノンペンふたたび(その3)

ジュリアナホテルでも、朝食は5分ですんだ。
時間がない、ということもあったけれど、
食べてやろうという意欲もわかなかったのは、
昨日と同様だった。

さっさと荷物をまとめて、チェックアウトする。
なんたって、飛行機を逃すと、92ドルの損失だし。

行きは、諸費用こみで、1149バーツ(約3500円)しか
払ってないから、帰りはやっぱ気合が違うよね。
便の変更もきかんしさ。

チェックアウトのときに、従業員がガラスの破片を掃除している。
訊けば、西洋人の集団のひとりが怒って割ったそうだ。
何に怒ったのかは知らないが、朝から血の気の多いことだ。
まさか、粗末な朝食に怒ったのではないよねー^^;

外に出ると、バイクタクシーの運ちゃんと空港までの値段交渉。
こっちが2ドルでどうだ、というと、相手は、3ドル、という。
ぢゃあ、1万リエル、と現物の札を見せる。
1ドルは約4000リエルだから、2ドル半くらいになる。
運ちゃんは、ニヤって笑って、OKする。
こっちもカンボジアの札を使った方がよいんだし。
笑うと、交渉が長引きそうなので、ぼくは笑わないけどさ。

▼お坊さんも、バイタクで移動。
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そういえば、今回触ったカンボジアのリエル札は、
きれいな札が多かった。
経済活動が盛んになってきて、
お金の流通が増えてるんぢゃないかな、って気がする。
カンボジアの資本主義の夜明けも近い、ってことかな。

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プノンペンの空港は、芸術的センスにあふれていて、
ぼくのお気に入りの空港のひとつ、だ。
25米ドル、というばか高い空港利用料を除けば、
1番好きな空港かも知れない。
1番便利、ってわけではないけれど、なかなか素敵な空港なのだ。

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次いつ来るかはわかないけれど、きっとまた来るぞ、プノンペン、
と思いつつ、エアアジアの機内に乗り込むのんであった。

▼空港の別嬪さん。
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2006年9月 9日 (土)

プノンペンふたたび(その2)

一泊110ドルのオファーがあったホテルの朝食は、
はっきり言って水準以下であった。
べつに朝食にこだわりはないし、別に豪華でなくとも
でんでんいいのだけれど、値段に対する責任
というようなものがあるのではないか、とぼくは思っている。

ぼくのように、全員が50米ドルほどで泊まっているのであれば、
納得もできようが、ラックレートでは一番安い部屋でも
150ドルはするホテルの朝ご飯にしてはイマイチイマニ、
と言っても言いすぎではないと思う。
ただ、昨年末に泊まったプノンペンホテルの朝ご飯もそういえば、
さほど立派、といえる代物ではなかったのを思い出した。
カンボジアにはまだ、値段相応な朝ご飯の伝播がまだ
なのかもしれないな。
立派な料金体系はさきに伝播したようだけれど。

ご飯をさっさとやっつけると、エアアジアのチケットの手配、
今日泊まるホテルの手配を手早く済ませる。
体調は戻りつつあるものの、やっぱり本調子ではないし、
どうせ陸路をあきらめるのであれば、いっそのこと、
一日早くタイに帰ろう、と昨日の夜決めて、
エアアジアはあすの朝の便を予約する。
エアアジアのシールの貼ってある旅行社に飛び込みで
予約を依頼したのだけれど、あしたの便はあと2席、
旅行社の手数料も入ってるのだろうけれど、
92ドルというエアアジアじゃないような値段にびっくりする。

でもエアアジアより安い航空会社があるわけでもなく、
選択の余地もない。
タイから日本に帰るチケットのコピーもしっかりとられる。
日本人は、片道でのタイ入国はできない建前になっている
のだけれど、こんなに厳密に売るときに確認されたのは初めてだ。
陸路で帰ってくるつもりのひとには売れない、
ということになるんだろな。
タイの国がこんなことをきびしく言い出したのも、
タイ国内で不法就労する日本人が増えているせいらしい。
迷惑な話だ、まったく。

ホテルの方は、昨日の旅行社のリリーさんに、
結局、ジュリアナホテルを1泊だけ頼む。
リリーさんは1泊だけですか、と残念そうだ。
あした、バンコクに帰るんです、とつい弁解する。
弁解する理由もないんだけどさ。

カンボジアーナホテルで、感じのよい、別嬪さんの従業員と
記念撮影して、チェックアウト。

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ジュリアナホテルにはバイタクで行く。
カンボジアーナホテルに空港から行くときもそうだったのだ
けれど、バイタクの運ちゃんは不思議にホテルの場所を知らない。
知らないのに、知ってるふりをして、とりあえず、走り始める。
値段は事前に交渉済みだから、
とんでもなく遠かったら、どないすんのやろ。

バイタクの運ちゃんが、運転しながら、そこを左かと聞いてくる。
あのなー、ぼくはカンボジア人やないぞ(~~;

ホテルはカンボジアーナに比べると落ちるものの、
別に不満はない。
せっかくだから、このへんを歩いてみよう。

学校が近くあるのか、ネット屋と補習塾というのか、
その手の店が近所に多いようだ。
夕方には授業があっちこちで開かれていた。

適当に街を流していく。
セントラルマーケット、ソリアショッピングモール、
オリンピックスタジアム。。。
ガイドブックに載ってるようなものをみて、
オルセー市場をでたところで、妙に涼しい風が吹いた
夕立が来るな、と思い、次行く予定の餃子屋までもつかなー、
と思った瞬間、ざー、と来た。

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幸い、屋根はあるところだったけれど、
もう一歩も進めないくらい見事な夕立だ。
仕方ないから、プノンペンの雨を見る。
ココンに行くバスの運行を休止させちゃうくらいの
雨なんだな、これが。
バンコクでも昔こんな雨が降って、道に水があふれてたけれど、
最近はそういえば、バンコクで洪水ってみないような気がする。
社会資本ががんがん整備されてるんだろな。
停電というのも最近ないし。

雨は30分ほど降ったあと、小降りになった。

さて、餃子を食べて、ホテルに帰るか。
水たまりをよけながら、涼しくなったプノンペンを行くのだった。


▼ガイドブックが褒めていたので、つい食べた餃子。
見た目ほどではありやせんでした。
つきだしのお豆さんは、とてもおいしかったでやんす^^
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2006年9月 7日 (木)

プノンペンふたたび(その1)

ふだんはけっこうたんたんと生きてるぼくなのだけれど、
長い休み中は油断してるせいか、1度くらいは風邪をひく。
それがバンコクにいるときだといいのだけれど、
どっかへの移動にひっかかると難儀なことになる。
今回は、プノンペンから陸路、カンボジアのココンを経由して、
バンコクに帰ってこようという計画のときだったので、
困ったことになってしまった。

とりあえず、プノンペンまでは行こう、と考えた。
バンコクにいる方が安心は安心だけれど、
飛行機の予約は取り消せないし、1泊のホテルも同様だ。
行って、プノンペンで3日間静養する方がいいだろう、
と判断したのだ。
とりあえず、1泊は泊まるとこがあるし。
もし、体調が急に戻れば、まだ陸路でバンコクに
帰ってくることができるじゃないか、と思う自分もいたりした。

移動の当日、やっぱり咳が止まらない。
まあでも、なんとかなるだろう、ということで、
朝の5時にホテルをチェックアウトして、タクシーに乗る。
タクシーの運ちゃんは、メーターを倒さず、200バーツという。
ふだんなら、意地でもメーターを使わせるところだが、
今日は闘う気力もない。
それに高速代込み200バーツなら、ふだん払ってる金額だしな、
と自分を納得させる。
そのタクシーの運ちゃんが変に明るく、
ずっとへらへら笑ってるのも不気味だったし。

空港でチェックインを済ませると、すぐに待合室に向かう。
少しでも休もう、と弱気なことを考える。
プノンペン行きのエアアジアは定刻に出発し、
8時半にはもうついている。
以前経験済みなので、ビザの取得にも迷わない。

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まわりにけっこう日本人が多くて、驚く。
やっぱり来るんだろうか、ベトナムに続く、
カンボジアのブームが。

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ビザの申請をすると、受取場所で自分のパスポートを
20ドルと引き替えにもらうのだけれど、
日本人のお嬢ちゃんがそれを知らないのか、
自分のパスポートを前にして、
係官と10秒以上にらみ合ってたのが妙に微笑ましかった。

ホテルは、カンボジアーナといって、
昔はソフィテルの系列だったところだ。
プノンペンでも、けっこう格式も値段も高いホテルだった
のだけれど、最近ちょっと落ち目のようで、
比較的安い料金が出てたので、泊まってみることにしたのんだ。

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窓から、トンレサップ川が見えるのが、おされ、なんだけど、
おっさんひとりで川を見てるとなんか悲しくなってくる。
チェックインしたのは、10時過ぎで、
東南アジアのホテルはアーリーチェックインに寛大なのがいい。
ついてすぐホテルにチェックインできるのとできないのは、
気分が違うよね。
体調が悪い今日みたいなときは、なおさら助かる。
とりあえず、少し寝て状況をみようと考える。
動くのは午後からでいいだろう。

午後2時前に起きたけれど、ぼちぼちはよくなってるかな、
とも思える。
とりあえずはこれからの動きを考えてみる。

当初予定していた、ココンというカンボジアの街から
タイのハートレックという街へ抜けてタイに戻る計画は、
雨季はカンボジア側の道が悪くて現実的ではない、
というのを実は前の日にネットの2チャンネルでみたのんだ。

なんでわざわざ、ネットの、って書くかというと、
関西では天下の大NHK様も2チャンネル、なのだ。

もし、ほんとにそうなら、元気でも無理なルートなので、
陸路で帰るなら、シェリムアップ経由ポイペトから、
タイのアランヤプラテートに行くルートになるだろうが、
この関所は以前越えたことがる。
たとえ、一目でもアンコールワットを見たいという人間なら、
いいかもしれないが、今のぼくの状況ではあまり魅力的ではない。
ならば、こっちで3日静養し、
バンコクに飛行機で帰るのが現実的かな、と思える。

どっちにせよ、ココン行きのバスを出してる旅行社が
ホテルの近所にあったので、状況を聞いてみよう、と考えた。

途中、フロントで、もしあと2晩泊まるなら、一泊いくら、
と聞いてみる。
あなたのためのスペシャルレートは110米ドルです、とのこと。
ぼくはその半額だからここに泊まってるのよ、とはいわず、
考えてミマスアイコ、とかいいつつ、
ローカルアドベンチャーツァーという、くだんの旅行社に行くと、
ココン行きはこの時期運行してないとのこと。
2チャンネルの情報は確かだったよ、ほんとに。

これで完全に陸路はなくなったし、片言の日本語を話す
リリーさんという従業員がにこにこしてよさげだったので、
50ドルくらいでプノンペンのホテル紹介してよ、と頼んでみる。

ジュリアナホテル50米ドル、ゴールディアナホテル40米ドル
なんかはどうですか。

返事はあしたでもいい?、と訊くと、担当のリリーさんは、
ドウイタシマシテ、と日本語で答える。
possibleはだいじょうぶ、だよとついつっこむ関西人の
悲しいサガなんでありやした。

あとは帰りの飛行機だな、ということで、
ネット屋からエアアジアのサイトに申し込むも、
うまくクレジットカードの情報が認証されない。
まいったな、原始的だけど、旅行社で頼むしかないな。
もう歩けん、明日でいいな。

なんか雨も降りそうだし、まだ夕方だけど、ホテルで休もう。
ぼくの短いプノンペン1日目は終わっていくのだった。

2006年9月 5日 (火)

大阪の神様

ぼくは宗教を信じていない。
信じる人は信じればいいと思うし、
ぼくに害を与えない限りにおいては、
その存在に干渉するつもりもないのだが、
無宗教の人間、というのは、宗教をもった人間から見ると、
けっこう救ってあげたくなるらしく、
これまでの人生で、幾度となく、
宗教の勧誘を受けたことがある。
もちろん、無宗教という宗派を変えたことは一度もない。

こんなことを言うと、
神様の実在性について、いろいろ語ってくれるひとが
また出てくるかも知れないので、断っておくが、
神様がいないとも、思っていないのである。

いるかも知れないし、いないかも知れない、と思ってる。

ただ、既存のどの宗教団体にも属さない
というスタンスで生きているのんだ。

宗教とは、神さんの信じ方、を取り決めたシステムで、
より効率的に神さんからの御利益をいただくための
方法論を具現化したもの
だとぼくは思っている。
そして、毎日毎日お祈りしていても、
きっと神さんは忙しいに違いない、
より神さんに祈りが通じやすい方法があればなー、
と心配した人間に、そのノウハウを教えるのが、
宗教組織、なのだ、つうのがぼくの考えだ。

しかし、ぼく的には、これは神さんを馬鹿にしてる、と思うのだ。
ぼくにとって、神さんとは、絶対的な存在で、
いくら忙しくても、お祈りを聞き逃したり、
いいことをしているひとに間違って、バチをあてたりしない、
存在なのだ。
逆にそれくらいできないのなら、神さんを名乗る資格もないし、
そもそも神さんでもない、とぼくは思っている。

もちろん、神さんに対する考え方はひとそれぞれだと思うし、
これについて、いくら論争しても、結論はでない、
というのも、ぼくの結論なので、ここには書くものの、
これについて、誰かと論じあう、つもりもない。

ひとそれぞれ、自分の信じる神さんの信じ方をすればいい
と思うし、
ぼくも、他人に何かを強制するつもりもされるつもりもない、
のである。

ただ、神さんを名を語って、悪いことをするやつは許せない。
自分と神さんの信じ方が違うからといって、
攻撃するなんてのは、愚の骨頂だと思う。
ほんとに神さんがいるのなら、
そういうやつにこそ、神罰を当てて欲しい、
と思う次第なのである。

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2006年9月 3日 (日)

アイスクリン

多くのでぶ仲間がそうであるように、
ぼくは甘いものが好きだ。
そのなかでも、アイスクリームがとくに好きだ。

むかし、ぼくが子どものころの家庭用冷蔵庫は、
フリーザーが非力で、
アイスクリームというものは、外で食べるものだった。
近所の駄菓子屋に10円握って、
王将という棒つき三色アイスを買いに行くのが、
人生の幸せであり、人生の主な目的だった、
といってよかった。

ある夏、王将は10円から20円に値上がりした。
日本の物価が急速に上がり始めたときのことだ。
翌年だったか、翌々年だったか、王将は30円になっていた。
いくら日本の物価があがっても、
ぼくのこずかいが急速に上がることはなかったので、
ぼくは、王将をあきらめるしかなかった。

でも、いつか死ぬほどあいつを食ってやる。
人生の目的は先送りされた。

しかし、最近、あの三色アイスを見ることはない。

代わりといってはなんなんだけれど、
家庭でアイスを食べれるようになったころから、
ぼくの母親は息子の肥満を省みることなく、冷凍庫に
レディボーデンチョコレートアイスを常備するようになった。
小さな個人用ではなく、巨大な家庭用のんだ。

ぼくは、それを別の容器に移し替えることなく、
そのまま大きなスプーンで、わしわしと食べた。
デブのひとたちとの座談に興じると、
必ずこのレディボーデンアイス家庭用の一気食いの話になるのは、
なんでだろ。
みんな必ず経験しているのんだ。

最近はさすがにそんなことはしなくなった。
健康のため、というよりは、食べてるあいだに飽きてしまうのだ。
また、世の中にはもっとおいしいアイスクリームがあることを
知ってしまった不幸、ということもあるかもしれない。

バンコクに好きなアイスクリーム屋があった。
伊勢丹などが入ってるセントラルワールドプラザの1階、
1番ゼンセントラルデパートよりの地点にあった店だ。

ここのアイスのなかで、ドリアンアイスを食べるのが、
バンコクでの小さな喜びだった。
しかし、ある日、この店は消えていた。
セントラルワールドプラザの改装工事の余波か、
CDウェアハウスというチェーンのCDショップに
変わっていたのだ。

そして、こないだ、改装進むセントラルワールドプラザに、
またこの店を見つけた。
なつかしのドリアンアイスだって、ちゃんとあった。

うれしくなって、この店、むかし、
ゼンセントラルの横にあったでしょ、
とガラスを拭いてた兄ちゃんに訊くと、
兄ちゃんは、奥に入っていった。

なんだなんだ、と思ってると、奥から店のオーナーが出てきて、
あんたのことは覚えてるよ。
よくアイス食べてたねー。
今日から、あんたはメンバーだ、よろしくな、
って言ったのだった。

メンバー、って^^;

でも、オーナーがぼくと同じ体型をしていたので、

アイスあるところにデブあり

と格言めいたことを言ってみたりするのであった。

▼店の名はbonito。
ドリアンアイス以外にも、いろいろとありやす(^^)v
Bobito3

2006年9月 1日 (金)

うまのすけ

ぼくらの年代では、珠玉のギタリストとして、
高中正義を愛聴していた人は多い、と思う。
ぼくのように、さほど信者というほどでない人間でも、
CDの1枚2枚はもっていたし、
その容姿だって、道であえば、わかるくらいには知っている。

最近のミュージシャンは、かなりヒットした曲をもつひとでも
知らない。
だれがオレンヂレンヂで、だれがゆずなのか、
モーニング娘。がいったい今何人なのか、
ぼくには、とんとわからない。

たぶん、知ってるひとは知ってるだろうけど、
そういう方面で国民の共通理解
というものがなくなってきてるような気がする今日この頃だ。

タカナカの曲では、ありきたりだけけど、
smoother、というのんが好きだ。
smooth、ということばは、辞書で引くと
実にたくさんの訳語にあたるけれど、
どれをとっても、ぴったりくるような、そんな曲だ。

でも、シルクのようなスムースさ、を売り文句にしていた
航空会社は、別に嫌いではなかったものの、
乗った回数が多かったせいもあろうけれど、
日本の航空会社と比べると、そのサービスに
ムラがあるような気がしたものだ。

深夜便でリクライニングで寝ているところ、
スッチーに無理にいすを直されたこともある。
ぼくの前の客がリクライニングしてるにもかかわらず、だ。
たぶん、うしろの客が文句言ったんだろうけれど、
なら、全員のリクライニング、直してまわれよ、と思ったものだ。
だいたい、寝てるときにリクライニングの使用ができないのなら、
いったいいつ使うんだよ。

インボラのアップグレードも多い航空会社ではあるものの、
少なくても、スムースなサービスというものからはほど遠いな、
とつねづね思っていたし、今もその意見はかわらない。

ところで、タカナカの容姿について、さっき道であえば云々、
って書いたけれど、
かれはあの当時、プロレスラーの上田馬之助
ファッションセンスも含めよく似ていて、
ひょっとすると、かれとタカナカだったら、
間違えるかも知れない。

上田馬之助ってプロレスラーは、
ほとんどの日本人の髪の毛が黒かった時代に、
金髪に毛を染めてヒール(悪役)を演じていた、
なかなかの人物だった。

馬之助って、ネーミングの語源は、
金髪のはぐれ狼というふれこみで、一人で戦うまで、
タッグで仕事をしていたその相手の名前が、
林牛之助だったことに由来するんだ、そうな。
そのひとがなんで、牛之助だったのか、までは知らない。

道端であったひとが、タカナカなのか、上田馬之助なのか、
わからないときは、手にもっているものが、
エレキギターなのか、竹刀なのか、をみればいいのだ、と思う。
上田馬之助がギターをもって歩いていたときは、
運が悪かった、と思って、しばかれるしか、ないのだろうな。


▼今は交通事故の後遺症で車椅子の生活を続けているらしい、
上田馬之助さん。
ほんとはいいひとだったのに、
外人レスラーと悪役を演じてたのだ。
泣いた赤鬼、の話みたいに、
アントニオ猪木氏にも、亡くなった馬場さんにも、
ぼくたちのためにありがとう、って思って欲しいもんだ^^;
Photo_19

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