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2006年8月30日 (水)

そして、シンガポールへ

朝はみんながご飯を食べてるのを横目に、
ホテルをチェックアウトする。
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シンガポールの地図やガイドブック、
というものを持たずに来たので、
こっからは、以前行った記憶を頼りに行くことになる。

まずは、昨日のバス乗り場に向かう。

昨日は一瞬途方に暮れたものの、
考えようによっては、今日の予行演習になり、
ラッキーといえなくもない。

バスターミナルに着くと、禿げ頭のちょいといかつい感じの
おっちゃんが、話しかけてきた。
シンガポールに行くのかい?
そう、バスで行く。
ぢゃあ、パスポートだしな。

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切符を売るバス会社のおっちゃんかと思って、
パスポートを出したら、1リンギット(30円)という。
はて、バス代にしては安いなー、と思ったら、
シンガポールへの入国書類の代書料だったようで、
このあとどういう展開になるんやろ、と少し不安になるも、
相手は、キラー・カーンを細くしたようなおっさんだし、
さからわず、推移を見守る

そこは、バスのターミナル内の、乗合いタクシーの乗り場で、
バスで行く、と言ってるにもかかわらず、
しっかり乗り合いタクシーの乗客にされているよう、
なのであった。

まあええか、と思って待っていると、
数がそろったようで、タクシーに乗って出発することになった。

バスだと、マレーシアからの出国、シンガポールへの入国で、
1回ずつ降りないといけないところ、
この乗合いタクシーだと、運転手を含め、
4~5人分のパスポートを出して、返してもらうだけで、
車の中に乗ったままだし、楽チンでよいシステムだと感心する。

値段も、ひとり10リンギット(300円)と、
バス代がいくらだか知らないけれど、
そんなに高い、ってわけでもなかったし。

タクシーは、快調にシンガポールのなかをぶんぶん飛ばしていく。
途中、チャンギ空港があって、なんなら、
ここでおろしてもらっても、と思わないでもなかったけれど、
せっかくシンガポールにも来たのだし、
オーチャード通りでも流してからにしよう、と考え直す。

タクシーは、ちゃんとバスターミナルについた。

シンガポールについたら、もう一安心、
適当に歩いてると、MRTの駅にぶつかるだろう、
と思うまもなく、標識があった。

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でも、この街はやっぱりぼくにはつまらない。

2時間くらいはいたけれど、さっさとバンコクに帰ろう、
と決心する。

空港に着いたら、タイ航空のカウンターに行って、
予約は、今夜の便なんだけど、次の便に乗せてくれろ、って頼む。
あらー、オーバブッキング状態だね、スタンバイになるけど待つ?
はい、頼みます。
ぢゃあ、3時にまた来てね。

でも、タイ航空だとちゃんと乗れちゃうのさ。
ぼくは知っているのだ、経験的に。

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ラーメンを食べて、3時に戻ってくると、
飛行機もう出るから、急いでいってね、って搭乗券を渡される。

ああ、やっとバンコクに戻れる。
やっぱりタイが一番いいよな。

2006年8月28日 (月)

クチンからジョホールバルへ

コタ・キナバルから、クチンに入るとき、
同じ国でありながら、州が違うということが理由なんだろう、
もう一度、入国カードを書かされた。
このボルネオ島にある東マレーシアのサラワク州は、
愛州心というのか、郷土愛というのか、そういうものが旺盛で、
同じマレーシア内であっても、別の州からから来た
外国人の入国審査をまたする、
とういうのをそういえば、どっかで読んだような気がする。

今度、ジョホールバルに移動するにあたって、
念のため、予備に持っていたマレーシアの入国カードを
書いておいた。

コタ・キナバルでも、クチンでも、空港からタクシーでの移動を
余儀なくされたけれど、ジョホールバルのセナイ空港からは、
飛行機の時間に合わせてバスがある、
ということなので、これに乗り遅れないために、
要求されたら、すぐに提出できるように用意しておいたのだ。

しかし、ジョホールバルでは入国審査はなく、
普通に国内線扱いで、空港外に出ることができ、
バスはまだ、ちゃんといたのだった。

空港から、市内は30キロ、だということで、
この区間をタクシーに乗らずにすむのはちょっとうれしい。
この空港に着く多くの人間がそのままシンガポールに行くようで、
バスの切符売りのおじさんも、シンガポール行き、といっている。

ということは、ジョホールバルの出国審査場で、
離脱すればいいのだな、と勝手に思っていたのだが、
バスは、バスターミナルに着いて、全員が降りた。
なんだ、直行バスぢゃなかったんだ、
でも、ここはどこのバスターミナルなんだろう、
と暗闇のバスターミナルで、しばし悩む。

まあ、まだそんなに遅くないし、いざとなれば、
こっから、タクシーに乗ればいいや、と思い、
とりあえず、一番国境に近いバスターミナル、
ということにして歩き出す。
目指すホテルは、国境のすぐそばなのだ。

仮にあの建物をホテルとして、、、って、目指していた建物が、
まさにそのホテルだったのはうれしかった。
だって、なんか雰囲気暗いんだもん。
ジョホールバルの中心街のわりにはさ。

チェックインの前に、夕食を食べておこう、
とショッピングモールに入る。
客が誰もいない、ファーストフード屋っぽい鶏飯屋で、
カレー定食と、ちくわ・蟹カマ・魚の練り物の揚げ物を頼む。

なんで?っていうと、旅行中、故中島らも氏の、
ネリモノ広告大全ごぼてん編・ちくわ編を読んでたせいだ。

死せるらもん、生けるぷんぷいをちくわに走らす
ってやつなのだ。

一息ついて、飲み物を買って、いざホテルにチェックイン。
ホテルは、プテリパシフィックホテル、といい、
思っていたよりずっと、立派なホテルだった。
今は違うようだけれど、以前はプテリパンパシフィックホテル
という名前で、高級ホテルの系列に入っていたようだ。

でも、たった50ドルしか払っていないので、
朝ごはんはなしよ、ってとびきり美形の、
インド人のフロント嬢
に念を押される。

朝ごはんがないんなら、あしたはちゃっちゃと
シンガポールに出国し、そして、バンコクに帰ろう。
広いベッドにひとり寝ながら、あしたの予定も決まったのだった。
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2006年8月27日 (日)

クチン

クチン、とはネコのことだ。
むかし、インドネシア語を勉強したときに、
アンジンは犬、クチンはネコと確かに習った。
しかし、この街の名前の由来が、
直接ネコと関係があるかどうかはわからないそうだ。
ただ、今はネコの街、として観光に力を入れているのは、
間違いないようだ。

コタ・キナバルから、マレーシアの本家エアアジアで
クチンに向かうのだが、来たときに輪をかけて、
ひどい状態だった。
昼間の暑さに加え、狭い空間に人があふれ、
いったいどうなってるのか、
英語のアナウンスもでんでん聞き取れない。
ただ、こういう時にぼくの慎重な性格は、真価を発揮する。
難民状態の乗客たちを巧みにくぐりぬけ、
きちんとチェックインを済ませ、早め早めに移動する。
置いてけぼりを食わない才能だけはあるようだ。

タイ・エアアジアのスッチーはケバイ、とはよく聞く話だが、
本家マレーシアのエアアジアのスッチーは
タイ・エアアジアのスッチーが女学生に見えるくらい、
ケバかった。
ぼくはうれしくて、ついじろじろみてしまうのんであった。

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スッチーを見つつ、着いたクチンの空港は立派だった。
コタ・キナバルのエアアジア用ターミナルが
難民キャンプみたいだったから、余計にそう思う。

街まではタクシーで15分ほど、
17.5リンギット(約550円)は地球の歩き方の記述
のとおりだった。
街が近づいてくると、あれって思う。
なんとなくマレーシアの街っぽくないのだ。

ホテルにチェックインすると、残念ながら、
街側の低層階を割り当てられる。
ま、安い料金で朝ご飯までついてるんだし、文句は言えないが、
ホリディインクチンは、サラワク川に面した
いいロケーションが売りなのだ。
でも、どうせ3分で飽きるからいいや、
と負け惜しみをいいつつ、川を見に行く。

ホリディインの辺りから、川の横は散策路になっていて、
気分がいい。
気温がもう5度くらい低ければ、
ぼくにはちょうどいいのだけれど。
ほんとはもう少し暗くなってから、歩くといいんだろな。

絵になる風景が続くので、写真集ができるほど写真を撮る。
広角のレンズを持ってくればよかったな、ってつい思う。

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途中、西洋人のカップルに無理やり呼び止められて、
デジカメのシャッターを押させられる。
まったく、ぼくの一押しは高いんだよ、とまた思う。
せっかくだから、背後に川面に浮かぶ船を入れてやる。
ああ、素人相手に本気だしちまったぜ。

だらだら汗をかきながら、歩いて行くと、地元民用の市場へ、
そして、クチン・モスクへと到達する。
遊歩道はここで終わりだ。

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▼嬢ちゃんたち、食っちゃうぜ。




さて、ぼちぼち戻るかな、って少し中の道を歩いてみて、
さっきマレーシアらしくないな、って思った理由が
はっきりとわかる。
商店という商店は、中華街さながらの漢字のオンパレードなのだ。
コタ・キナバルでも思ったのだけれど、
ほんと華僑のすごさをボルネオ島で思い知らされる。
でも、マレーシア全体でも4人にひとりは中華系みたいだから、
これが普通の状況なのかも知れないけどね。

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そろそろ何か食べないと、と思って、
ホリディインの隣のショッピングモールの地下食堂を
うろうろしてると、AKIRA、という回転すし屋と遭遇する。
なんで、AKIRA、なんだろう。
コタ・キナバルでも、AKIRA、という
マレーシアの家電会社に遭遇したばかりなのだ。

AKIRAをスルーして、歩いていると、
鶏飯屋のねーちゃんがぼくに微笑んだ。
なんだろう、こっちに来てからよくねーちゃんに
微笑まれるような気がする。
このねーちゃんがちょとかわいかったので、つい鶏飯を注文する。
そうなんです、ぼくって簡単なおっさんなんです。

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でも、写真撮っていい、って聞いたら、わざわざエプロン脱いで、
写ってくれたりなんかして。
おっさんくらいになると、エプロン姿の方がそそるのよ、
などと思いつつ、ありがとうと言いあって、バイバイする。

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ところで、ネコ、なんだけど、これがちっともいないのだ。
みんな、自宅の座敷牢に軟禁してんぢゃないの、
ってくらいいない。
足の不自由な白いのと、
黒いのが一匹、だらしなく寝転んでたのを見ただけだ。
像はあちこちにあるんだけどね。
ぼくのようなネコ好きには、不満なんだな、っていいながらも、
なんかこの街いいかも、って思うのだった。

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2006年8月25日 (金)

コタ・キナバル(その2)

着いた翌日の朝、ご飯を食べに食堂に行ったとき、
懲罰的味付け、ってことばをぼくは思い出した。
これはなにかの復讐か、それとも、一種のテロなのか。
めしに文句をいわない自信だけはあったんだけど。
Delicious_food




でも、とった食べ物は残さない。
マレーシアのお百姓さんに悪いしさ。


どんな分野にも、大昔から伝わっている古典
とでもいうべきものがある。
能や歌舞伎は古典でなりたっている芸能だろうし、
音楽や落語にも古典がある。
分野によって、古典が大きな力をもつものや、
逆に古典が力を失っているものもあるようだ。
ぼくがこれから書こうとしているのも、
実はこの分野での古典の話だ。

ぼくはこの街を歩くのに疲れて、KFCで昼ご飯を食べていた。
どっちかというと、ご飯はついででペプシを補給してた、
と言ってもいい。
そんなときにあとから入ってきて、隣の席に坐った
同年配のマレー人のおっさんが、ぼくの扇子をみて、
これは珍しいとばかりに話し掛けてきた。

これはいくらくらいするの?

経験的に話し掛けてくる人間を信用しないぼくは、
邪険に3リンギット(約100円)だ、と答えた。
かれは、同年配の太ったおんなと、20代半ばくらいの、
派手めなおんなを連れていて、日本人か、とぼくに訊いてきた。
どこに住んでいる、と言うので、大阪だ、と答えると、
その太った女と顔を見合わせ、さも偶然というふうに、
実は下の妹が日本に日本語の勉強にいくんだ、
19歳の妹の写真をみせたのだった。

彼によると、妹は、ナラでプライベートティーチャーについて、
日本語の勉強をする予定なのだが、とても心配だ、
というようなことを、ぼくがひとりで旅行に来てるのか、
名前はなんというのか、どこのホテルに泊まっているのか、
という質問の合間に説明するのだった。

ぼくは、その間、適当に話を合わせながら、
しっかりわしわしと昼ご飯を食べ進んでいた。
そして、かれから、この古典的な話の決め台詞である、

妹に日本についての話を聞かせてやってくれないか、

という言葉がでてきた瞬間に、

いやー残念、そんな時間はあらしませんわ、
10分?
10分だってあらしませんわー、

と言って、KFCから出てきたのだった。

ついていくとどんな展開になるのか、興味はあったものの、
冒険するには、ぼくはちょと歳を食いすぎてる

もし、コタ・キナバルで、この3人組について行ったひとがいる
のなら、落ちは、

①ブルネイ人の金持ちとのいかさま賭博コース、
②妙なもの飲まされて、起きたときは無一文コース、
③全部本当で19歳の妹に日本の話をしてお土産貰って
 無事帰りましたとさコース、

のどれだったか、教えてくださいな(^^


▼実は妹は冥王星人で、今度アダムスキー型の、
いかした円盤の新車を買ったのだが、乗りに行かないか、
というような話なら、もっとゆっくり話を聞いてあげたんだ
けれどねー^^;
Awas




ちなみにAWASは危険。

2006年8月23日 (水)

コタ・キナバル(その1)

マレーシアの夜は暗い。
ぼくがこの国を今一つ好きになれない理由のひとつは、
そこにある。
クアラルンプルをはじめ、マレーシアのどの場所も
ぼくの訪れたところは、ひとつの例外もなく、
夜の暗さがぼくを不安にさせた。
今を去ること、10数年前、友人の某山君といった
シンガポール近郊のデサールビーチなぞは、
隣のホテルまで10分歩いて、早い夕ご飯を食べにいった
はいいけれど、
帰りは男ふたり、暗いの怖いよ、って走って自分のホテルに帰る、
ていたらくだった。

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バンコク発エアアジアFD3552便がコタ・キナバルの
第2ターミナルについたのは、夜の7時だった。
着くまではバスで街に行こうか、タクシーで行こうか、
って悩んでいたのだけれど、着いた夜の暗さに
即座にタクシーに乗ることを決意する。
ところが、第2ターミナルなんてかっこいい名前は
ついているけれど、エアアジア用に急造された感じの建物には
両替の施設が見当たらない。
以前、マレーシアに行った際に使いきれなかったリンギットが
いくらかあるけれど、これでホテルまでいけるだろうか。
両替をあきらめて、タクシーの運ちゃんにいくら、
って聞いてみる。
20リンギット。乗るかい?
ちょっと待って、10リンギット1枚、1リンギットが15枚、
足りる。

ホテルにチェックインすると、シャワーも浴びずに外に出る。
とりあえず、近くのショッピングモールがあいているうちに
出かけて、両替と夕ご飯だ。
どっちもホテルですませればええやん、
とおっしゃる向きもあるだろうけれど、それはいやなのだ。
そんなふうにホテルにいるくらいなら、
バンコクにいる方が快適だ。
どんなに苦労しても、ホテルに頼るのは最後の手段であるべき、
っていうのがぼくのたびのルールなのだ。

一番近所のワワサンプラザ、にはどうも両替屋はなさそうだ。
もう少し歩いて、センターポイントは
この街一番のショッピングモールだし、きっとあるに違いない。

インフォメーションのおばさんに両替屋はありますか?
と尋ねる。
もうあんまり迷っている時間はないのんだ。
そこの階段降りた地階にあるよ、と教えてくれる。
テレマカシバンニャック、と妙に丁寧にお礼を言うと、
おばさん、不意をつかれて、サマサマ(どういたしまして)
といいながら、にやって笑う。
30年前なら、きっとすてきな笑顔だったんだろな、
って思いながら、地階に降りると、
MAYBANKの両替所がしまっているのが目に入った。
げ、しまってるやん、てしばしボー然。

でも、なんとかしなくてわ、って思いながら、反対側にでると、
またインフォメーションが目に入った。
今度は若いにーちゃんとねーちゃんだ。
もう一度、両替屋はありますか?と聞いてみる。
やっぱり地階、という答えだ。
MAYBANK?と重ねて聞くと、
イスラム服のねーちゃんが、スーパーマーケットと答える。
そうか、スーパーで両替してくれるのか。
また、丁寧にお礼を言って、スーパーに向かう。
カスタマーサービス、いうのがあるので聞いてみる。
両替はできますか?
ねーちゃんは横を指さした。
前を通ったはずなのに気がつかなかったが、
ちゃんとそこに両替屋があった。
両替するのんに、30分くらいかかった・・・

でも、いいーんです。
それがぼくのたびなんだ。

ネット屋に寄ってから、KFCで夕ご飯。
ああ、満足。

帰りの夜道、若いおんなのこのふたり連れのひとりと目があった。
日本人なら、目をそむけるとこだろうけれど、
この国では微笑みをくれる。
うーん、やっぱ若い娘の笑顔はえーねぇ、
と返した微笑みのまま、ホテルに向かうのであった。

▼宿泊したビバリーホテル。
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2006年8月21日 (月)

タイペイからバンコクへ

タイペイで3日間を過ごし、
いよいよバンコクへ向かうことになる。
今回、帰りはバンコク-関空の直行便になるので、
タイペイとはたぶん年末か正月までおさらばだ。

バンコク行きについては特筆すべきことがある。
なんとビジネスクラスなのだ。
しかも、タイ航空の国内線以外では、
自力で買った航空券での、人生初めてのビジネスなのだ。
別に宝くじがあたったわけでも、気がふれたわけでもない。
1年OPENの航空券を台湾の旅行社で買うときに、
エコノミーもビジネスもあんまり値段がかわらなかったのんだ。
たしか数千円差で、マイルのことを考えると、
ここはビジネスクラスがお買い得、
とぼくのお買い得センサーが鋭く反応したので、
今回はまるでお大尽か、エリートビジネスマンのような暴挙
にでたりなんかしたわけだ。

タイペイ・中正機場のタイ航空のチェックインカウンターは、
第1ターミナルにある。
手早くチェックインすると、ビジネスラウンジに行く。
ふだんは場違いなやつがいてすんませんねぇ、
と卑屈に使用するのだけれど、
今日ばかりは、どうどうと気分よく入場したりする。
でも、このラウンジは出国審査場前の場所にあり、
気の小さいぼくは長居はできない。
早い目に出国して、待合室に行かないと不安だし。

飛行機に乗り込んで、驚いた。
なんでか周りはインド人ばっかりなのだ。
台湾とバンコクのあいだを飛ぶタイ航空に、
なんでインド人ばっかり乗り込んでるのかは不明だが、
こんなことなら、同じ値段払って、
バンコク経由のヤンゴン行きのエコノミー買っときゃよかったな。
慣れないビジネスクラスなんか乗るから、
インド人に囲まれるんだよな、
とむかしから、インド人とは相性の悪いぼくは思う。

そんでもって思ったとおり、鬱陶しいことが起きる。
座席は2-2-2の真ん中の左だったのだけれど、
スッチーがぼくの横の通路から、ぼくの隣の席のインド人の
飲み終わったグラスを回収しようとして、
グラスに残った液体をこぼされたのだ。

インド人無視。
スッチーがあわてて、布巾をとりに行ってくれる。
てめえのせいぢゃないって思っても、
すんまへん、一言くらいいえよ、こらっ(-_-;)

でも、ビジネスクラスのご飯はおいしかったな。
タイペイではずっと牛丼とKFCだったしね。

次の年末だか、正月だか、バンコク-タイペイでは
インド人に囲まれないように願いたいもんだ。


▼出迎え御苦労、うすいひと。
Tg

2006年8月19日 (土)

慢行

その標識を初めてみたのは、昨年の夏、
圓山大飯店に宿泊したときだ。
圓山大飯店といえば、その昔はタイペイ一の高級ホテルで、
ぼくのようなものが泊まるような、
そんなホテルではなかったのだが、
最近、市内のもっと立地のいいところに外資系というのか、
全世界規模で高級なホテルチェーンを展開してる事業者が
ホテルをどんどんつくっているために、
相対的にその地位を落としているようで、
ぼくが泊まれるくらいの料金でのプロモーションが
あったのだった。

ただ、圓山大飯店も黙って地位の下落を自由落下にまかせていた
わけではなく、韓国の俳優、ヨンさまこと、
ペ・ヨンジュン氏お気に入りホテルとして、
復権をはかるというような、今までにないような手段を講じ、
人気回復策をとっていたようで、
でも、それって、なんかシャブ中がヒロポン打つみたいに、
そのときはよくても、結局はその場しのぎなんでわ、
なんても思っても、言ったり書いたりしちゃ駄目なんだろな^^;

圓山大飯店は小高い丘の上にあり、
タイペイの市内を悠然と見おろしてる。
決して見下しては、いない、と思う。
むかしは、ちょっと見下していた、やもしれない。

MRTの圓山駅とのあいだには高度差と距離があり、
シャトルバスを出しているものの、これが不便というわけなのだ。

ぼくもこれを利用していたのだが、このシャトルバスから、
慢、という三角の標識が見えた。
正確には、慢行、という標識らしい。
Photo_170










慢行とはいったいなんなのか。
上に減速という漢字がついているとこをみると、たぶん、
スピードを落として、ゆっくり行け、という意味なのだろう。

しかし、慢行。。。

そうか、慢行。。。

関西人のぼくではあるが、台湾で、
慢行、の大切さを激しく教えられたような、
そんな気がした、人生の8月、なのであった。

2006年8月18日 (金)

引力の発見とコペルニクス的転回

むかし、日本の国内線に乗っていたときに
スッチーのねーさんに英語で話し掛けられたことはあるものの、
ぼくはどこか日本人とばれる要素があるんだろう、
旅行中に現地人にかたことの日本語で
話し掛けれられることが多い人間だ。

唯一の例外が、今のところ、台湾だと思う。
もっと正確にいうなら、タイペイ以外はほとんど
いったことがないので、タイペイでは、というべきだろうか。

ここでは、ほぼ現地のことばで話し掛けられる。
背中にはリュックを背負い、肩からはデジタル1眼レフカメラを
ぶらさげているにもかかわらず、だ。
腹が出てるせいなのか、半ズボンのせいなのか、
腹が出てるにもかかわらず、半ズボンのせいなのか、
今後解明していきたい、と思うタイペイでの謎なのである。

ところでぼくは、タイペイに来て、半ズボンを探し始めた。
去年、この国で買ったズボンのサイズがあわないのんだ。
きつくなったのなら、まだわかるのだけれど、緩くなっている。
ひょっとしてやせたのか、
でも、ぼくに限ってそんなことはあるまい、と思うのだけれど、
現に緩いのだから、しょうがない。
ちょうど去年もそうだったのだけれど、EDWINは今時分、
バーゲンをしているのでうれしい限りだ。

しかし、残念ながら、合うサイズがめっからない。
まるで、台北にズボンを買いに来たみたいに探しているのに、だ。
きっと昨年は買ったのは、奇跡の1枚だったのだろう。

ズボンはますますゆるゆるで、今時の日本の若者のように、
パンツが見えそうなくらいずりさがってる。
あんなかっこして、ばっかぢゃないの、
とつねづね思っていたのに、
今異国で自分がまさにそれをしてるのがなさけない。
たとえ、それがファッションとは縁遠い世界の事情、
であったとしてもだ。

決してワカヅクリではないんだよ、サイズがあわないだけなんだ、
と台湾の民に訴えたくなる。

1523回目にさがったズボンをずりあげたときに気がついた。
ベルトをすれば、わざわざズボンを買わなくても
いいのではないかい?

おお、まさにコペルニクス的転回。
ふだん、ベルトというものをする習慣がないので、
でんでん気がつかなかった、自分の馬鹿さかげんがうらめしい。

世紀の発見というものは、こんなふうにうまれるのだろうな、
と最初にベルトを発明し、
量産化しておいてくれたひとに感謝しつつ、
今度はベルト探しのたびに出かけるぼくなのだった。


▼あっしがつけると、ベルトではなくまわしみたいだ、
という声も、聞こえないフリをするこのごろ。
写真は、ベルトをしても、ベルト穴がない不幸をかかえた
タイの女子大生。
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2006年8月15日 (火)

ジャニス・イアンを聴いて、、、(その2)

ジャニス・イアンのラブ・イズ・ブラインドで
もうひとつ思い出したことがある。
勝新太郎演ずる、座頭市だ。
市は人名で、座頭とは目が見えないひとのことで、
ふだんあんまり意識はしていないものの、
ザトウクジラを漢字にすると、座頭鯨となるから、
使わないことば、というわけではないだろう。

座頭市は正義のヒーローで、目が見えないハンデを持ちながら、
その実、すごい剣豪で、悪人をばったばったとやっつけていく。
映画にもドラマにもなったけれど、
勝新がパンツに隠した大麻をハワイで見つかってからあと、
そのままなくなってしまった。

もともと放送業界が今よりずっと、
おおらかな時代に初めて作られていた作品だったため、
年々、作品化が難しくなっていたうえに、
勝新が捕まり、そして亡くなり、あとを継ぐものもいないままに
今日にいたっている状況なのであろう。

ぼくもそんなにファンだったわけでもなかったのだけれど、
ひとつだけ憶えているシーンがある。

一番最近、といっても、20年かもっと前の
テレビシリーズの中の話で、
注文が来ずくさっていた、腕のいい花火師の財津一郎に、
座頭市がお金を出して、
これであっしのために花火をあげてください、
と、打上げ花火を注文する。
花火師が喜びの余り、うっかり、
座頭さん、あんた何色が好きだい、と訊いてしまい、
しまった、って思った刹那、
市が、あっしは赤が好きなんで、赤い花火を頼みやす、

っていうシーンだ。

以前、作家の筒井康隆氏が差別的な表現を使用した、
ということに対して、糾弾された際に、
断筆して、その糾弾に抗議した事件があった。

たしかに、そのことばを使わない、
ということは差別排除の一歩である、
という考え方もあるのであろう。
しかし、ことば狩りをすればすむ、
という安易な結論に至りがちなのは否めないだろう。

座頭市の初期のシリーズでも、
悪人が、市のことを、このどめくら、
と呼んでいるシーンがあって、
再放送では、このどめ●●、
と一部音声を切って、放送してたそうだ。

こんな風に一部を切れば、差別的にはならないのか。
あるいは、この目の不自由な奴め、
と言い換えれば、差別的にはならないのか。
あるいは、座頭市の放送をやめてしまえば、それでいいのか。

ことばの問題ではなく、もっと本質的なことを考えて、
物事の良し悪しを判断する、
そんな風な時代が早く来て欲しいものだ、
できれば、ぼくが生きてるうちに、
って、思う、脂性ででぶのおっちゃんなのだった。

▼でも、筒井康隆氏の最近の作品をみていると、
断筆したままでもよかったのでわ、
と思ったりするのはぼくだけですかぁ^^;

Teki

2006年8月14日 (月)

ジャニス・イアンを聴いて、、、(その1)

いつものごとく、移動の車中でiPodを聞いていると、
ジャニス・イアンの歌声が流れてきた。
彼女のことを検索しなくても知っている人は、
かなりの洋楽マニアか、でなければそれなりの年配のひとだろう。

ぼくがはじめて彼女の歌声に触れたのは、
むかしのテレビドラマだった。
グッド・バイ・ママ、という切ない内容のドラマで、
それに輪をかけて切ない主題曲だったのが、
彼女の、ラブ・イズ・ブラインド、という主題曲だったわけだ。

事故で夫を失い、みずからも余命いくばくか、
という病魔に襲われた坂口良子が、
最愛の娘を幸せのために残りの人生をかけて闘うも、
彼女ばかりか、まわりのひとたちまで不幸になっていく、
といったような話だったと思う。

ジャニス・イアンの曲は、題名からもある程度わかるとおり、
直接、ドラマの内容とはリンクしていないのだけれど、
日本人好みの曲調のせいか、大ヒットしたような記憶がある。

そしてこのころ、彼女のもうひとつの曲が、
別のドラマの主題歌に使われている。
ウィル・ユー・ダンス?、というのがその曲で、
ドラマは、岸辺のアルバム、という有名な作品だった。

残念ながら、ぼくはこのドラマは見ていないのだけれど、
当時、名作の誉れ高かった作品、らしい。

ほかに娯楽が少なかったせいもあるんだろうけれど、
このころの日本のドラマは、人々によく見られていたし、
のちのち、記憶に残るようなものが多かった、ような気がする。

ぼくがもいちどみたいなー、
と思うのも、最近のものよりは、むしろ昔のものの方が多い。

最近のドラマは、凝ってる割には消耗品、というか、
ひとびとの共通理解になりうるような、
そんな力のはいった作品が減ったような気がするんだよね。

むしろ、韓流ドラマの方がそのような立場にあるような
気さえするのんだ。

がんばれ、日本のドラマ、昔の輝きを取り戻せ、
と、古いドラマファンは思うのだけれど、
これは、単に歳食っただけなんでしょうかねー。

▼ぼくの聴いているのは、これ。

白髪頭にはなっているものの、

かのじょは、いまなお、活動はされているようだ。

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2006年8月13日 (日)

台北地下街

ぼくの、タイペイでの一番のお気に入りスポットは、
台鉄台北駅と地下鉄MRTの台北車站駅の下に広がる地下街だ。
非常に広範囲に広がっており、
場所によって、呼び名も違うようなのだが、
便宜的にこのあたりの地下街を、台北地下街、
と呼ばせていただく。

最近、どしどしできている、新興のデパートなどは、
非常にファッショナブルなお店が多いようだ。
台湾でも、今やそういうおしゃれなお店の方が、
きっと流行るのだろう。

それについて、外国人であるぼくが、
とやかくいうつもりはないのだが、
ぼくが好きなのは、そういうところではもちろんない。

これから、書こうとしている台北地下街には、
ぼくのような、関西人のおっさんを喜ばす瘴気のようなものが
まだじゃっかん残っているような気がするのんだ。

一番特筆すべき点として、この商店街には舞台がある。
昨年だったか、通りがかったときには、
目の不自由なおばさんが、カラオケで、
テレサテンをメドレーで歌っていた。
とびきりうまい、という歌ではなかったが、
なにかを感じさせるような、味のある歌い方で、
ぼくは立ち止まって、数曲を聴いてしまったほどだった。

そして、今年、またここを通りかかったら、
舞台上では、虚無僧(?)姿のプレーヤーが、
やはりカラオケをバックに、
尺八を朗朗と吹き鳴らしてるではないか。
しかも、曲目は、なぜか「潮来笠」であった。
それを椅子に座って、熱心に聴いている台湾人の聴衆たち。

頭にかぶった、かごのせいで、
プレーヤーが、何者なのか、何国人なのか、
男女の区別さえわからなかったけれど、
それは、立派な「潮来笠」だった。

ただ、着物の裾の短さをみると、日本人ではなさそうで、
おそらく台湾人なのであろうけれど、
ここが台湾であるかぎり、ここに海山音楽があるかぎり、
かれがお忍びの、ジョン・海山・ネプチューンではない、
という保証だってありはしないのだ、
昨日の同志の書き込みで思いを新たにした、
おっさんなのであった。


▼まず、正面から。
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ついで、サイドから。
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そして、見よ、聴衆たちを。
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2006年8月12日 (土)

海山音楽

台湾に来た目的は、たしかに牛丼を食べる
ということもあるのだけれど、
それ以外に、CDやDVDを買う、という目的もある。

日本だったら、買わないけれど、
こっちで安いとつい買ってしまう、というようなものを探すのが、
ぼくのひとつの喜びになっているのんだ。

たとえば、去年、タイペイで買った、
カール・ベームのモーツアルト交響曲全集のCDは、
10枚組で、7千円くらいだった。
日本で発売されているかどうかは知らないけれど、
こういうものと旅先でであえると、
せっかくだから、と買えてしまうのだ。

モーツアルトは好きだけれど、
交響曲は全集でほしいほどではない。
でも、10枚組7千円だしな、ってことなのである。

同じようにして、モーツアルトのバイオリンソナタ全集も、
ピアノ協奏曲全集もタイペイで買った。
なんか、日本より組み物が多くでてるような気がするんだけれど、
気のせいかな。

買う場所は、日系デパートか、台北地下街か、どっちかなのだが、
日系デパートには、なぜか、新光三越にも、太平洋そごうにも、
同じCD屋さんが入っている。

海山音楽、である。

この海山音楽という会社名を聞いて、
多くの日本人は、サザエさんの夫、フグ田マスオさんが勤める
海山商事との関連を考えるのではないだろうか。

サザエさんの旦那が勤める会社の関係会社なら、
安心だよねー、って思わせるために、
この会社名にしたのなら、

台湾人おそるべし、

と思いつつ、今回も、ついつい日本では買わないような、
CDやDVDを買ってしまうのであった。


▼フグ田マスオさんは大阪出身らしいが、
かれには、でんでん関西訛りがないのはなぜだろう。
血縁でもなさそうなのに、魚名のアナゴさんといい、
フネさんが、いくつでわかめちゃんを生んだのかとか、
あの家族には、触れてはいけない何かがありそうだ。
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2006年8月11日 (金)

台湾にようこそ

タイペイは、最近お気に入りの街だ。
長い休みのときは、タイに行く往復のどっちかを、
台湾経由にすることが多い。

もちろん、言葉ができるわけでもないし、
お前に台湾の何がわかる、といわれれば、
反論の余地もないのだけれど、

好きなんだからしょうがない、状態とでもいっておこうかな^^;

台湾は、基本的に中国人の国である、
ということに多くのひとが同意するだろう。
複雑な事情は置いとくとしても、
話されている言葉は、北京語かそれに近い言語だということだし、
かれらの言葉で言うと、原住民ということになるらしいが、
もともといた人たちよりも、中国人が多く、
政治・経済の支配を行っているようだ。
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かれらは、とても礼儀正しく、親切で、素敵なひとたちだ。
そして、日本の国をとても好いてくれていることは、
ぼくにとって、驚くべきことであった。
そして、さらに驚くべきことに、
かれらは、順番待ちの際、列を作る。

空港でも、地下鉄でも、かれらはきちんと列を作る。
ぼくは、関西人だけれど、きっとこの件については、
関西人は、かれらを見習う必要があるんではないか、
とさえ思えるほど、実に優雅に並んでいるのんだ。

ぼくは、長い間、中国人というのは、
そういう風習を持たない民族だ、と思い込んでいたのだけれど、
それは、ぼくが別の中国人を見て勝手に思い込んでいただけで、
決して民族性の問題、というわけではないようなのだ。

ひとは、教育によって、文明人にも野蛮人にもなるんだ、
と、ぼくはこの国の人たちをみて思ったのだった。
そして、行くたびに、この国のひとたちを好きになる。

老後の、約束の地候補として、オキナワか、タイのどっか、
と思っていたぼくだけれど、
赤丸急上昇中なのが、このタイペイなのだ。

ぼくは、中国語はでんでんならったことがないのんで、
障害がないわけではないのだけれど、
あと20年あれば、なんとかなるかなー、
と思ってみたりもする。

紙と鉛筆をつねに携行し、すべての会話を筆談で通す、
というのも、しゃべり過ぎるぼくのような男には、
逆にちょうどいいのかもな。
老後は、無口なおっさんを目指すっかな、この街で。


▼土瓶さんも、ふたを取ってご挨拶。
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2006年8月 9日 (水)

たまにはタクシーもいいもんだ

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虹を見た翌朝の那覇は、とても激しい雨が降っていた。
傘は持っているものの、折りたたみの頼んないのんだし、
駅までの10分少々、歩くのはやだな、
っていうのが第一感だった。
時間はさしせまっていないものの、
多少待ってもやみそうにないし、
近所のコンビニで、傘買っていくか、とも思ったけれど、
それもなんだかうざったい。
しかたないので、最終的手段としてタクシーに乗ることにした。

空港までは、チェックアウトのフロントで聞くと、
1000円少し出るくらいでしょう、ということで、
躊躇するような金額でもないんだけれど、
ぼくは、タクシーが苦手なんである。

もちろん、バンコクを除くと、タクシーを語れるほど、
多くの機会、タクシーに乗ったことはないのだけれど、
その乏しい経験のなかで、
タクシーにまつわる幸せな記憶がない。

残念ながら、天気さえよければ、よほどなことがない限り、
国内ではタクシーには乗らない、と決めているのだ。

よほどのこととは、
スーツケースが40キロあるとか、
救急車を呼ぶほどでない病気とか、
もうほかには交通機関がない場合とか、という感じだろうか。

しかし、もうひとつ、たくさんの電子機器を持ち歩くぼくには、
水に弱い、という弱点があったのを、
こんなところで、思い知らされるとは思わなんだ、のであった。

とりあえず、今日は覚悟を決めて、
ホテルの前のタクシーに飛び込んだ。
運転手さんは、太ったおじいさん、だった。

とても話し好きのようで、空港までの少しの間、
石垣島のそばの、ちいさな島の出身で、
もうすぐ里帰りするのが楽しみだ、
というようなたわいもない身の上話を、
かれはしてくれたのだけれど、
かれが話すと、まるで日本昔話を聞くようで、
ずいぶん楽しい時間を過ごさせてもらったのだった。

ぼくは老後、動けるうちは阪神高速のもぎりじーさんをしよう、
って長らく思っていたのだけれど、
ETCの普及で、それも難しそうだし、
それより、ここで観光客相手に語り部運転手を目指す
のもいいかな、とちょいと心が動いた、
雨の那覇なのでありやした。


▼ちゃんと飛行機は福岡まで飛んで、国際線に乗り換え、
ANAのラウンジで、タイペイ行きの時間待ちをしていたときに、
見た貼り紙。Photo_162





ICE is making now.
氷は、今を作っているところだ。
なかなかにシュールではないかい。
氷が作った寒々しい今を生きるぼく、と続けたくなるなあ^^;

2006年8月 8日 (火)

オキナワの虹

大阪から那覇に着いて感じたことは涼しい、ということだった。
遅い梅雨明け後の大阪の暑さは、
とても温帯に属する地域とは思えないほど凶暴なもので、
ぼくのように肉厚なおっさんにはとても快適には過ごせやしない。
それに比べれば、那覇の暑さなぞ、スキップでもできそうな程度、
とさえ言ってよかった。

空港でスーツケースをコインロッカーに預け、
最小限の荷物を持って、といってもけっこうな荷物を背負い、
モノレールに乗る。
ぼくが沖縄経由で台湾に行く一番の理由は、
この市内へのアクセスのよさだ。
同じようでも札幌だと、市内に出るのに時間がかかり過ぎる。

県庁前から少し歩いて、ホテルにチェックイン。
シャワーを浴びてから、国際通りをうろつく。
もう4度目であんまり珍しくもないんだけど、
デジタル1眼を使うようになってからははじめてだと思うので、
目についたものはなんでも写す。

28ミリ~70ミリといっても、このカメラだと1.5倍だから、
42ミリ~105ミリ相当のタムロンのレンズは、
全域でF値2.8と明るいのが取り柄だ。
レンズも人柄も、明るいのが基本、なのだよ。
ほんとはもう少し広角側があればいいんだろうけど、
意外と不便を感じないのは、ぼくが観光しないせいなのだろう。

国際通りをひとまわりしてる間に、4人組のお嬢ちゃんに、
シャッターを押してくれろ、って頼まれる。
おぢさんが押すと、高くつくよ、と思いながら、
コンデジ1回、写るんです1回、押してやる。

少し暗くなってきたので、県庁前のデパートに入って、
50ミリの標準レンズに取り換える。
これは換算で75ミリ相当、デジ1では望遠に近いけど、
F値1.4とさっきのレンズよりさらに明るく、
人の目に見えるものは、ほぼフラッシュなしで写すことができる。

外に出ると、雨が降って、そして、やんだようで、
県庁のうえに虹がでてる。
さすがに虹が相手ではさがっても追いつかない。
もとのレンズにあわてて付けかえる。

沖縄で、虹かあ。

前途の希望、というようなものに、縁のないおっさんでも
虹をみたら、ちょっとうれしいかな。

どん亭という吉野屋系の店で、牛丼カレーというのを食べて帰る。
カレーライスの、ご飯の部分のうえに牛肉が乗っているもの、
といえばわかるだろうか。
オキナワまで来て、カレーかよ、ってご意見もあるだろうけれど、

いいんです、おっさんだから(^^)

それに、数ヶ月ぶりに食べたカレーはおいしかったよ。
金500円なり。
ちょっと気に入った。
大阪にもあればいいのにな。

周りは松山という飲み屋街だけど、土曜ワイド劇場をみて寝る。
健全なおっさんは夜がひまだす。

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2006年8月 7日 (月)

伊丹空港にて

今回の旅の始まりは、沖縄だ。
泳ぎに行くわけでも、誰かとリゾートしに行くわけでもない。
トランジット、というのが一番近いだろう。
ANAの特典航空券を使用するにあたり、
台湾に行くのに必要な20000マイルで、
ついでに国内も旅行してやろう、というすけべ心で
沖縄経由にしてみたのんだ。
24時間以上の滞在はできないが。

ちゃんと近づいてるやん、とお思いの向きもあろうけれど、
ANAは沖縄-台湾間の運航はしていない。
明日はまず沖縄-福岡を飛び、
そして福岡から台湾に向かうことになる。

沖縄へは伊丹空港から飛ぶ。
そして、空港までは親の車で送ってもらった。
親はもうおじいさん・おばあさん、といった年齢だ。
ふたりともが元気なので、伊丹空港から出かけるときは
いつも車で送ってもらう。

最近、父親は車を買い替えた。
セダンタイプの乗用車から、軽のワゴン車にだ。
ぼくは初めて乗っけてもらったのだけれど、
お世辞にもいい乗り心地とはいえない。
商用車みたいなもんだし、仕方ないのだけれど、
そんな感想を言ったとたん、母親が文句を言い始めた。
かのじょは、この車の購入に反対だったのだ。
一度文句が始まると、なかなか終わらないのは、
母親も歳をとったのだろう。
運転しながら、何を言われても黙って聞いている父親も
きっと歳をとったのだろうな。

ぼくは伊丹空港でチェックインを済ませると、
母親と父親が待っている屋上の展望台に行った。
暑いなか、寄り添って飛行機をみているおじいさんとおばあさん。

こんな年寄りたちになるのなら、
老いていくのもわるくないかな、
とふたりの老人をみて思ったのは、
やっぱり息子の贔屓目ですかいな(^^?



▼特典航空券でも、国内線部分は、
空席があれば、アップグレード券が使用できる。
アップグレード券は、上級会員の特典で、ここのところ、
使えないまま終わる年が多かったので、
今回は使用できて、ちょっとうれしい。
軽食のたこめし、おいしゅうございました。
なにからなにまで、ロハですんません、ANAさん^^;
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2006年8月 6日 (日)

北極熊の話~村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」の『タイランド』より

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「彼は私に一度、北極熊の話をしてくれました。
北極熊がどれくらい孤独な生き物であるかという話です。
彼らは年に一度だけ交尾をします。
年に一度だけです。
夫婦というような関係は、彼らの世界には存在しません。
凍てついた大地の上で一匹の牡の北極熊と一匹の牝の北極熊とが
偶発的に出会い、そこで交尾が行なわれます。
それほど長い交尾ではありません。
行為が終了すると、牡は何かを恐れるみたいに
さっと牝の身体から飛び退き、交尾の現場から走って逃げます。
文字どおり一目散に、後ろも振り返らずに逃げ去ります。
そしてあとの一年間を深い孤独のうちに生きるのです。
相互コミュニケーションというようなものは
いっさい存在しません。
心のふれあいもありません。
それが北極熊の話です。
(村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」の『タイランド』より)

ほんとうに北極熊が孤独なのか、ぼくは知らない。
動物園で見るかれらは、けっこうワキアイアイとして、
集団生活を楽しんでいるように見えたし、
しかも、北極熊に孤独、という概念があるのかどうか、
わからないし。

まあ、それはともかくとして、この1年、ぼくは北極熊並に
孤独だった、と思う。
もちろん、北極熊に孤独、という概念があればの話だけど。

でも、最近、この孤独というやつとうまく共存できるように
なってきた、と自分では思う。
ぼくは、そういえば、ひとりが好きだったんだ。

だからといって、ぼくだって、根っからの北極熊
というわけではない。
人並みに人恋しいときだって、あろうというものだ。

しかし、そういう意思表明すると、
どういうわけだが反感を買う場合があるようだ。
ひとつには、そんな風に思うのなら、それなりの努力をすべき
だろうと、考えるひとがいるためだろう。
たしかに、そのとおり。
そのためのなんの努力もしないぼくにそんなことを言う権利は
ないのだと思う。

ただ、反論の権利があるのであれば、であるが、
こういう事情もある。
自分にぴったりした相手は、この歳になるとそうそういない。
あるいは、いたとしても、相手がひとりではない。
あるいは、いろんなところでミスマッチがあって、
およそぴったりした相手とはいえない、
という確率が高いので、努力するだけでも大きなコストがかかる。
ていうようなことは、そういう反感をもつひとたちは
あまり考えないようだ。

若いときのミスマッチは、時間が修正してくれるような気がする。
あるいは、ミスマッチをミスマッチと感じる経験や知識もない
場合だってあるだろう。
また、失敗したとしても、今のこの時代、リトライだって
できよう、というものだ。

しかし、である。
そろそろ残り時間を気にする歳になったぼくには、
主義主張や生きてきた環境のかけ離れた相手と、
長い時間かけて調整していこうと思えない。
そんな気力はとうにない。
いつだかは知らないが、タイムアウトは迫っているのだ。

こんなぼくは、淋しい、などといってはいけないんだろう。
北極熊がだまっているように。

そういえば、昔、男は黙ってサッポロビール、
なんて今では発禁モノの名コピーがあったなあ。
オトコハダマッテ、、、かあ。


2006年8月 4日 (金)

牛海綿状脳症

たまに飛行機がこわい、というひとにであう。
たしかにあんな重たそうなものが、500人からのひとやら、
やまのような荷物やらを乗っけて、空を飛ぶのは、
なんとなくこわい、って気持ちはわからないでもない。
しかし、現に飛んでるではないか、とも思う。
しかも、めったなことでは落ちはしない

それは、とても能力の高いひとを訓練し、その結果、厳選された
パイロットが、健康状態をやらいろんなことを管理した状態で、
厳重に整備された飛行機を飛ばしてるから、なんだろう。
それでも、落ちるときは落ちるんだが。

それに比べ、自動車はこわい、と思う。
空は飛ばないものの、あんなスピードが出るものが、
狭い道を犇めきあって、走っている。
最近は減ったんだろうけれど、なかには、酒を飲んだり、
どう考えても、こんな人間に免許やっちゃいかんだろう、
っていう人間が運転してたり、
あるいは、無免許で運転するやつがいたりする。
まさに交通地獄、といった状態だと思うのだけれど、
それでも、年にたった数千人しか死んでいないのだから、
めっけものだと、ぼくは思う。

最近、アメリカから、牛肉を輸入するしないで、もめている。
食の安全、ということを考えていろいろな要求をしていることは、
とてもよいことだ、と思うのだけれど、
どうも、それが最近度を超えている、ような気がするのんだ。

たしかにへたり牛を食べて、へたりおっさんになったりするのは、
できれば、避けたい、というのはわかる。
それがおっさんなんかではなくて、
将来ある子どもならなおさらだろう。
しかし、である。

リスクの計算、という観点も当然もたねばならない、とも思う。
100%の安全がどんなことにも、求められるのなら、
公共輸送機関と緊急自動車以外の自動車は禁止されるべきである、
という意見もでそうだが、今のところ、
これに賛成する人は少数派、だと思う。
なんで、牛肉にだけあんなにヒステリックになるんだ、
ってアメリカ人の感想だって、ぼくには理解できる。
現にアメリカ人は、さほどへたることもなく食べてるようだし。

とはいえ、ぼくも、某激安スーパーの、某国製野菜は買わない。
どんな農薬使ってるか、わかんないし。
でも、だからといって、その国製の野菜を禁輸せよ、
とまでは思わない。
ひとはそろそろ禁輸した方がいいな、とは思ってるけどね。

要は、ぼくにそろそろアメリカ製の肉を使った、
吉野家の牛丼を食わせれ、っていうのが今日の結論だ。



▼もうすぐバカンス、なのだが、その第1訪問国は、台湾。
なにはおいても、台北の吉野家で牛丼を食べる所存だ。
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2006年8月 2日 (水)

BOSE SOUND

バンコクに通うようになって、しばらくのころだ。
バンコクのタクシーで、ぼくが日本人だとわかると、
運転手はうれしそうにカセットテープを入れ替えた。
かれがかけたのは、なんとお経のテープだった。
大人数の僧侶(たぶん、声楽家ではなかったと思う)がいっせいに
お経を唱えている様子を録音した作品(?)だったのだ。

運転手は、日本人ならタイ人同様、仏教徒だろうと、サービスで、
このテープをいっしょに楽しもうとしてくれたわけだ。
残念ながら、さほど敬虔なブッディストでもなかったぼくは、
でも、断るほどでもなかったので、
ニコニコしながら、彼といっしょにこの作品(?)を楽しんだ。
ナンマイダー、だったのか、マカハンニャーだったか、
内容はとうに忘れてしまったけれど。

あれ、今日のお題のBOSE SOUNDっていうのは、
そういう意味ぢゃなかったんだっけ。。。

ぼくは朝、30分以上早く職場についている。
朝からばたばたするのんは、好みではないので、
よほどこんでるとき以外は仕事はせずに、
コーヒーを自分で淹れて、ゆったりと音楽を聴く。
以前は、PCのおまけについてくるような簡単なスピーカーを
iPodにつないでいたのだけれど、
こないだ、ちょっとした思いつきで、
BOSEのアンプ内蔵スピーカーを買ってみた。

正直、世界がかわった。
思えば、長いあいだ、ぼくはなんてつまらない音を
聴いていたのだろう。
ぼくは自分で自分の耳に自信がなく、
どんなもんで聴いたところでたいしてかわらんだろう、
くらいに思っていた。
iPodを使い始めたのも、それが動機だった。

でも、今まで自分はでんでん聴くべき音を
聴いていなかったのだな、
と、たった1万いくらかのBOSEに教えられたのだった。

もちろん、好みはあるだろうと思う。
このBOSEのセットは、2スピーカーで、
ウーファーがないのにもかかわらず、低音が豊かだ。
こんな音を求めないひとだっているだろう、とは思う。
最近のぼくは、大音響派ではなく、
むしろ、小さな音でしか音楽を聴かないので、
そういう状況に、この音があっているというのもあるだろう。

でも、再生されなかっただけでこんな音がiPodに入っていたんだ、
って気づくことは、悪い経験ではない、と思うのだ。

正味の話、最近買ったもののなかでは、
真の意味で一番のお買い得だったかな、
と、にわかに敬虔なBOSEファンになった、
ぼくなのでありやした(^^♪


▼職場に置いたのは、アンプ内蔵の
Mediamate II マルチメディア・スピーカーシステム。
Bosemate






気に入ったので、自宅にも1セット、BOSEを置くことにした。
1705IIパワーアンプと101MMスピーカーシステム のセットで、
こっちの方は、音楽によっては、少し低音が勝ちすぎるかな、
と思わないではなかったが、音を出してるうちに
いい感じになってきたように思う。
こういうものも、車同様、慣らし期間が必要なのだそうだ。
Bosemms1

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