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2006年6月29日 (木)

人間ドック

毎年、この時期に人間ドックへ行く。
別に医者が好きなわけでも、健康マニアなわけでも、
とりたてて長生きを希望しているわけでもないのだけれど、
いっぺん行きはじめてから、
なんとなく行く習慣がついてしまった。
結果を職場に提出すれば、
職場で健康診断を受診しなくてもいい、という事情もある。
仕事中にバリウム飲んだり、下剤を飲んだりするのんは避けたい、
という気持ちがぼくには強くあるのんで、
人間ドックは休日に行って、その日は安息日にしている。

ぼくが行く人間ドックの施設は、ホテルの中に入っていて、
受診後の昼食は、ホテル内のレストランを利用できる
ようになっている。
でも、下剤を飲んだ状態で、うろうろしたくないので、
そのときには食べたことないんだけれど。

結果はいつも褒められたものではないけれど、
とくに今すぐ治療の必要なことがらもなく、
お医者さんの総合所見も適当に相槌をうってごまかしている
のだけれど、ぼくの行っている施設には、
それとはべつに栄養士の先生による栄養相談というのがあって、
ここでは毎回、しっかり怒られる。

曰く、摂取するカロリー量を減らし、野菜を多くとり、
動物性脂肪の摂取を控えなさい。
もちろん、運動もしないといけませんね。

ぼくのできないこと、したくないことばっかり言わはるわけだ。
いつもここで、つらいつらい時間を過ごすことになるのである。

今年も同様に怒られたのだけれど、怒られながら考えた。
なんで、ぼくはこのひとの忠告を聞きたくないのだろうか。

そして、ついに、ひとつの結論に達した。
そうだ、この栄養士さんは、ぼくが元気で長生きするために
人間ドックに来てるのだ、という前提で話をしてるんだ。
だから、かみあわないのだ、と。

でも、ぼくは好きなモノ食べて、適当に生きます、
早死にしてもいいんで、ほっといてください、
なんて身も蓋もないこと言って、
ぼくをかのじょたちの正しい道へ更生させよう
としてはる栄養士さんをムゲに傷つけるのもなー、
と今年も黙って怒られて帰ってきた。

ぼくって、意外と、いいひと、でしょ^^;


▼でぶとして生きる、という確固たる信念
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2006年6月27日 (火)

たびする8月

夏の旅行の計画を立てている。
最近の傾向として、交通機関、とくに飛行機と、
宿泊施設の予約は事前に入れておくことが多い。

ひとつには、そっちの方が経済的であることが多いこと、
またひとつには、無理にでも出かけるための方策として
有効であること、が理由としてあげられる。

飛行機に関しては、ぼくがたびすることの多い、
東南アジア地域は、格安の飛行機会社がたくさんあって、
これは、一般的に言って、早く予約するほど値段が安い。

1区間の飛行機代だけだと、日本円にして千円かかからない
ことだってあるのんだ。
そうなると、気軽に予約できるし、
もし使わなかったとしても、あきらめもつこうというものだ。

もちろん、最近では保険料だの、付加燃料費だの、
チケットを上回る諸経費を負担させられたりするわけなのだが、
それでも、今までの航空代金を考えるとずいぶん安いし、
路線も拡大傾向にあるのんで、
ついついそういうたびの計画をめぐらしたりしてしまう。

また、予約が入っていると、根がまじめなぼくは、
つい計画通り行動するし、結果として、
だらだらバンコクでのたくってることが減るだろうから、
精神衛生上もその方がいいような気がするのんだ。

そういう自分の行動形式を考えると、
ホテルの予約も事前にできるし、
これも、入れておくと安心感があってよろしいのだ。

最近、バンコクなどは、ホテルの稼働率が高く、
気に入ったホテルにそれなりの値段で泊まろうとすると、
予約しておく方がいいといえる状態でもあるしね。

なんでもかんでも自分の未来の行動を決めてしまうことは、
不自由でもあるが、怠け者の自分の性格を考えると、
意外と悪くないシステムのようだ。

昨年は、大阪沖縄福岡タイペイバンコクプーケットラノーンで、
最後、ミャンマーのコートーンに でん をして、
逆戻り、というルートだったのだけれど、
今回は、もう少し複雑で、家を出てから帰るまでに、
10回飛行機に乗り、日本以外の5カ国を出たり入ったりし、
9つの異なった街で眠る予定だ。

まるで鶴亀算の問題みたいだけれど、
たびの計算式を書いてるときこそが、
自分の経験と能力のみせどころ、のような気がして、
ついつい奇抜なルートを発想し、
それが無謀でないことをを証明するために
実はたびをしているのかもな、と思ったりするのだった。


▼今回もお世話になります、エアアジア。
FDのツーレターをもつタイエアアジアだけではなく、
今回はAKで始まるマレーシアの本家エアアジアにも乗る予定。
Airasia

2006年6月24日 (土)

4年後

日本のワールドカップが終わった
ぼく的には、オーストラリア戦が終了した段階で、
すでに終わっていたから、
ブラジル戦に勝てば、という楽観的な人生観を
もてるひとたちよりは、ワールドカップは短かったかもしれない。
実際は、クロアチアチームが思ったよりずっと不出来だったので、
第2戦目まではチャンスはあったのだと思うけれど。

終わったあとで、結果をもとに
つべこべいうはぼくは好きではない。
いわゆる、たられば、というやつだ。

むしろ、今回のワールドカップは、上出来だった、
というのがぼくの本音だ。
もちろん、異論はあろうと思う。
だが、こんな悲観的な見方もあるのだ、ということで、
お許しいただくとして、書いていこう。

ぼくは、ナカムラを出さないことでいろいろ言われた
今は名前が変わったらしい、
フィリップ・トルシエ監督が好きだった。
もちろん、監督としてだ。
人柄は知らないが、人間的にはきっとやなやつだろう。

でも、日本代表チームの監督はあんな人物であるべき
なのではないか、というのがぼくの意見だ。
ワールドカップサッカーは、戦争なのだ。

勝って兵役免除がある国があれば、
負けて鞭打ちのある国だってあるのだ。

なかよく楽しくやって、勝てるほどのレベルには
日本のサッカーはいたってないと思うし、
これからもしばらくは、あるいはずっと無理だと思う。
むしろ、失敗したら、自分のクビが飛ぶ監督が、
しかし、ピッチでは専制君主として君臨することが、
勝つ、という一点においては必要なのだ、
というのがぼくの意見だ。

残念ながら、ジーコはそういうタイプの指導者には見えなかった。
そのときどきに必要な戦略もみえなかった、ような気もする。

でも、幸運にも恵まれて、ワールドカップには出場できた。
だから、上出来だった、と思うのだ。

ただ、ではかれが監督をすべきでなかったのか、
という問いに対しては、
必ずしもぼくは、同意するものでもない、のである。

なぜなら、彼は日本サッカーの恩人だからだ。
Jリーグが今のような形で定着するするために、
かれの力は非常に大きかった、と思う。
だからこそ、かれは、初代表監督としてのチャンスを
日本のような、ワールドカップに近いチームで与えられたのだ
と思う。

忘れてはいけない恩、というものがある、
とぼくは、思っている。
ジーコは、これをきっかけにかれの方法でも勝てるチームの
監督になればいいのである。

しかし、である。
そろそろワールドカップで本当に活躍する日本を見てみたい、
と思っているのはぼくだけではないはずだ。

そのための次回チームの監督は誰になるのだろうか。
今回の結果をきちんと分析して、その人事に生かして欲しい、
と心から思うのんであった。

▼タイ人もサッカーがとても好きだ。
とくにイギリスのプレミアリーグが人気だそうだ。
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とこれを書いたあと、オシムと口走ったやつがいるようだ。
むかし、逆噴射で伏せ字になったのはK機長だったけれど、
こっちのひとも、ええ歳をして
みずからをキャプテンと呼ばせてるようだ。
監督の人事のような大事なことを予定外に口走るような人間が、
トップにいていいのだろうか?

今日は、川平ジエイは降臨しないようだ。

選手だけではなく、協会も世代交代すべき時期にきてる
のではないだろうか。

2006年6月20日 (火)

ぷんぷいさん、北へ(ウドンタニ編)その2

ここで昔オリエント買ったんだけど、覚えてる?

やっぱし覚えてないようだが、しょーがない。

ねえ、オリエントはまだ置いてるかい?

あんまりびびっとくるのはなかったけれど、
安いのがあったので、つい買ってしまう。
2200バーツ、というのを、2000バーツなら買うよ、
といったら、ほんとにその値段でいい、
っていうから、ひっこみがつかなくなったのもあった。

それはいいんだけれど、ねーさん、品定めをしてるあいだ、
ぼくとの距離が妙に近いんですけど。
それも、胸があたるんですけど。
なんかそれって、わざとしてない?

時計を見てるあいだに訊いた話によると、
最初の女の子は、ここのオーナーの息子の嫁、
くだんのねーさんは、オーナーの娘、で独身だということだ。
ふたりは義理の姉妹で、歳はどっちも30過ぎ、
タイの地方では、若い、といえるような歳ではない。

ぼくのオリエントを包みにいってるあいだに、
気になってたことを息子の嫁の方に訊いてみる。
ねー、かのじょさ、おとことおんな、どっちが好きなの

2度訊いて、やっと嫁は、おんなぢゃないかな、と言った。
やっぱしなー。
ぼくに接近したのは、サービスというよりは、
気にしてなかったのね、胸ぐらいあたっても。

帰りがけ、おなべの方のねーちゃんと仲良く記念写真。
けっこう好かれてるかもしんない。
ぼくは男性的魅力よりも女性的な魅力が勝ってる?
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KFCで鶏をシバいたあと、またホテルの方に戻る。
帰りは迷わないので、早い早い。
途中、公衆電話から、電話をかけるから両替してくれ、
って、英語で言ってくるねーちゃんが登場。
ぼくは黙って1バーツやりながら、
まだこんなことしてるやついんだなー、
とちょっと感心、ちょっと呆れる。

これは昔はやった両替詐欺で、こんな風に言われると、
たいがい小銭をくれる親切なバカがいるんで、
商売になるらしい。
でも、タイでも携帯電話が普及して、
あんまり見なくなってたんだけどね。

暑くなかったら、100バーツやるから、
そこに正座して、ぼくの説教を聴け、
というところだけど、暑さのあまり、金払っちゃったよ。
たったの1バーツだけれどさ。
ねーちゃん、ちょっとかわいかったし。
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ホテルに帰り着くと、同じタイミングで帰ってきたにーちゃんが、
日本人っぽい。
なんかこっちに話しかけたそうにしてるので、
さりげなく無視する。
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話しかけたそうな人間はつい無視するくせがついてるのんだ。
このにーちゃんとは、このあと、偶然なのだけれど、
夕飯のガイヤーン屋、朝の食堂とけっこうあったのだけれど、
ことごとく無視した。
ところが、朝空港へ行くホテルのバスで、
別のおじさんと話してたときに、
話に入ってきてから、初めて話すことになる。
同じ関西人で、飛行機の便は違うものの、
バンコクで泊まってるホテルまでいっしょだとわかった。
えらい偶然。

バンコクにホテルっていくつあるのか知らないけど、
日本人が多いホテルでも100や200ぢゃきかない
ような気がすることを考えると、かなり驚くべき偶然だと思う。

でも、バンコクでは結局あうことはなかったんだけれど。

あしたバンコクに帰れば、ビエンチャン、ノンカイ、
このウドンタニの3泊4日の地方旅行はおわりだ。
ぼくのようなたびを理解できないひとの方が多いだろうな、
と思う。

観光もせず、バンコクを除くとひとっところに長居せず、
ただ通過するだけのたび。
そして、宿では本を読んでいる。

でも、そのなかでも、けっこういろんな人とあい、
ふだん考えないような、いろんなことを考えている。

楽しいのか、それで?
と訊かれても、答えはむつかしい。
今回はわりと楽しかったものの、
他の人と比べて、楽しんでいるのかどうか、わからない。

でも、ぼくのたびは、これで、これからもきっと、
こんなことを繰り返すのだろう。
そして、同じような記事をブログに書くんだと思う。

いいんです

と突然、川平ジエイが憑依しつつ、つぎのたびのことを
思うのだった。

2006年6月17日 (土)

ぷんぷいさん、北へ(ウドンタニ編)その1

メコン川にバイバイをして、重いリュックをまた背負う。
道に出て、トゥクトゥクを拾わなきゃな、
と思って歩いていると、ホテルの敷地内で、
朝から昼寝してるトゥクトゥクおやじがいたので、
せっかくだし、交渉して乗っけてもらう。
しかも、ノンカイ商工会議所の殺人許可証でももってそうな、
コードネームは007のおやじだった。
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バスターミナルが通じないので、かわりに近くの寺の名前をいう。
寺の名前なら、絶対通じるからね。

せっかくだから、ウドンタニ行きのバスに乗る前に
お寺内を散策してみる。
この寺にはネコが多い。
タイでネコはいったいなにを食べてるんだろう、
と昔思っていたことがあったけれど、
どうもふつうに残飯を食べてるようだ。
タイ料理は辛い料理が多いし、
あんな辛いもの、どうやって、という風に思うのだけれど、
きっと辛いものを食べれるネコだけがタイで
生き残ってきたのだろう。
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バスターミナルのまわりには市場があった。
これも地方都市ではよくあることだ。
とくに用はなくてもてらてら見て回る。
とつぜん、コンニチワ、と話しかけられ、ぎょっとする。
日本人?

ではなく、日本語のシャツを着たタイ人の女の子だ。
学校で勉強したという日本語がホントにうまい。
こんなに日本語がうまいのなら、
もっと違う商売を考えればいいのに、って思うほど、
達者な日本語だった。
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バスに乗ると、前の女の子がこっちに興味津々だ。
オトコマエはどこでも注目の的だ、
とちょっと棒読みで言ってみる。

ウドンタニには、1時間ちょいでついた。
バスターミナルから、トゥクトゥクで街に移動。
バス代よりその運賃の方が高かったりする。

この街には以前泊まったことがある。
そのときに泊まったホテル以外に
もう一つ立派なホテルがあるはずだ。
今回は、そっちの方に泊まることにした。
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バーンチアンホテルは、ネバダグランドロイヤルホテル、
に比べると、こぢんまりした感じはするものの、
なかなかに雰囲気のよさげなホテルだった。
1200バーツだというので即決し、うまいこといって、
フロント嬢の写真を撮らせてもらう。
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外国語だから照れずにいえるけど、
日本で日本語で、キミキレイダネ、シャシントッテイイ?
とは言えないよね。
今度から、香港人の振りして言ってみようかな。

前に来たことのある街に来ると、
ぼくはいつも、もう一度同じところを尋ねることにしている。
今回は、前にオリエント製の時計を買った時計屋のねーちゃんに
会いに行くことにした。

向こうはたぶん覚えてないだろうけれど、
ぼくが勝手に懐かしいんだから、行くんだよ。

地図を見ないで迷いながら行くのがぼくのスタイルだ。
一直線で行くよりも、往々にして時間はかかるけれど、
珍しいものに出会えるような気がするんのんだ。

たぶん、ほんとにかかる時間の3倍くらいかけて
やっとくだんの時計屋に着いた。
でも、店番のねーちゃんは、違うような気がする。
他に店員はいない?っと訊いてみる。
そしたら、奧からめんどくさそうに目的のねーちゃんが出てきた。

▼ホテルのネーム入りコーヒーカップ
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2006年6月14日 (水)

ぷんぷいさん、北へ(ノンカイ編)

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入国に比べ、ラオスのからの出国は、ビザの申請がない分簡単だ。
書類も入国の際に書いてるし。
ていうわけで、あっていう間に出国し、
昨日乗ってきた10バーツ(約30円)のバスでまた橋を渡る。
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この橋は、メコン川にかかってる2つしかない橋のひとつで、
オーストラリアの補助で作られた、ということだ。
もうひとつは、中国領内らしい。

バスから降りて、タイの入国書類を書く。
最近、新しいのに変わったにもかかわらず、
ノンカイでは古いのを渡された。
新しい書式には、年収記入欄があるのだけれど、
いったいなにに使うんだろか。
しかも、ほんとかどうか確認のしようもないし。

まずは今夜の宿に向かう。
橋から、そんなに遠くないはずなんだけれど、
トゥクトゥクのおやじは、60バーツと言って譲らない。
めんどくさくなって、OKする。

30バーツ分くらい走って、ロイヤルメコンノンカイにつく。
地球の歩き方に載ってる、一番よさげなホテルがここだったのだ。
以前、ホリディインだった時代があるようで、
あちこちにその痕跡がみえる。
Holidayinn





1000バーツ、というので、即決し、部屋に案内してもらう。
全室リバービュー、というのがこのホテルの売りらしい。
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窓からしっかり見えるメコン川は、たしかに立派だけれど、
30秒で飽きる。
どうも、ぼくには情緒というものが不足しているようだ。

何はともあれ、シャワーを浴びて、街に出よう。

道に出てトゥクトゥクを拾う。
街まで50バーツだと。
やっぱ、さっきのおやじ、ぼりやがったな。

ノンカイの街にでても、なにか楽しげなことがあるわけでもない。
アメリカの観光アンケートで、老後暮らしたい街の7位に
入ったことがあるらしいが、どういう理由か、
問いつめたいくらいなんにもない街だ。
きっとスナフキンみたいに釣りして暮らそう、
ってことなんだろな。

仕方ないから、飯くって帰ろう、と食事できそうな店を探し、
タイタイという店に入る。
この店は、従業員がこどもとおかまちゃん、という不思議な店だ。
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つい、ふらふらと入ってしまってから、
メニューに辛そうなものしかないことに気づいた。
しゃーない、がんばって食べよう。

嫌いだけど、せっかくだからと、ナマズも頼んでみる。
やっぱりほとんど残したけれど。
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ウエイトレス(?)のうち、おかまちゃんは2名、
陽気なおかまちゃんと陰気なおかまちゃんらしく、
行動は対照的であった。
陽気な方と記念写真。
暑苦しいので、載せません。
写真は、陰気な方。
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2日ぶりにネット屋でメールチェックすると、
ぼくが乗るはずだった、ウドンタニ-バンコクの昼の便が、
キャンセルになって、朝の便か、夜の便か、どっちでも好きな方に
乗りたまえ、というメールがエアアジアから来ていた。
機体整備、なんて書いてるけど、
たぶん、乗客が少ないんで、間引きしたんだろう。
ま、安いし、しゃーないな、と思う。

となると、夜便よりは早くバンコクに帰れる朝便の方がいいし、
であれば、明日の内に、ウドンタニに移動しときゃなきゃな、
と明日の予定が決まる。
ノンカイに2日もいるのはやだったから、ちょうどいいや。

あしたはウドンタニに泊まろう。

2006年6月10日 (土)

究極のゲーム

たぶん、2度目に北海道に行ったとき、
やはり北海道に来ていた妹と現地集合したことがある。
妹は、学生時代から利尻や礼文によく行っていたのだけれど、
ぼくは北の島嶼部にあんまり関心がなかったので、
声をかけなかったのだ。
ところが、実は意外と近くにいることが実家との
電話のやりとりでわかったので、
ぼくの車で、なんだったら、いっしょに行動するかい?、
と訊くと、現地で機動力がないばっかりに
行けなかったところのあった妹はいっしょに行動したい、
とのたまったのだった。
まだ、携帯電話もない昔の話だ。
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数日いっしょに過ごした最終局面、妹のリクエストで、
小樽から、神威岬を見てから、函館へ帰ることにした。
まだ抜ける道が完成していなかったので、
余市からの往復分、遠回りになる。
そして、そのあとの出来事だ。

ぼくは賭け事はしない。
どっちかというと、そういう行為が嫌いだ。
しかし、例外が一つだけあって、
それが、車に乗ってるときの、ガス欠ゲームだ。

誰かとするゲームではなく、これは自分との闘いだ。
しかも、報酬はなく、罰は重い。
これこそ、真に貴族的なゲームなのではないだろうか、
と思っている。

ぼくが当時乗っていたプレリュードは、
燃費の面ではなかなかに優秀で、2リットルエンジンで
5速ミッションということはあったにせよ、普通に運転しても、
リッター当たり10キロ走ることがしばしばあった。
しかも、そのときは北海道である。
一番燃費の良かったときで、
リッター15キロ以上走った記憶がある。

タンクはたしか60リッターで、500キロを超えたら、
ガソリンを入れた方が安全なのだが、
北海道では600キロを超えてから給油するようなことを
けっこうしていた。

そのときも調子に乗って、妹がまだ大丈夫?
と何回も訊いていたのに、無視して、給油しなかったのんだ。
北海道だし、そうそうガソリンスタンドがあちこちにある時代
でもなかった。

どっかの峠だったけれど、
突然、エンジンが止まった。
同時に電気系統も止まった。
エンジンが止まると、ハンドルが効かないのはまあいいとして、
ブレーキが効きが悪くなることをこのときはじめて知った。
ただ、エンジンが止まっているので、駆動力はない。

うまいぐあいに、登りが終わって、これから下ろうという
刹那の出来事だった。
とりあえず、惰性で動いていた先に、
今だと、道の駅、とかいうんだろう、公衆駐車場が見えた。
あっこで、電話を探して、ガソリンスタンドに連絡しようと考え、
なんとか駐車場に車を停止させることに成功した。

まだ、昼だったからよかったけれど、
夜だったら、さぞ心細かっただろう。

その駐車場には残念ながら、公衆電話はないようだった。
車を停止させた横の、ワンボックスカーの運転手に
実は、ガス欠なんで、電話のあるところまで、
乗っけてってもらえませんか、と頼んだ。

そのおじさんは、どうもその車で生活しているようで、
シガーソケットから電気をとって、ひげを剃っていた。
そして、ひげを剃りながら、
ガソリンなら、発電機用のんを持ってるからあげよう、
とこともなげに言ったのだった。

かれは、どうも車で生活をしながら、
北海道を往く、人生のたびびと、あるいは、真のたびびと、
とでもいうべき存在だったようだ。
20代後半のぼくには、10歳以上年上にに見えた。

かれの発電機用のガソリンをタンクに移してもらい、
ぼくはお金を払うとともに、最上の感謝の表現として、
六花亭のお菓子をもらっていただいた。

かれは、恐縮しながらも、喜んでくれた。

このためにロスした時間は、たぶん5分ほど。

その後の車中で、妹にがみがみ怒られながらも、
これこそが真の旅だ、
これでいいのだ
とつぶやく、ぼんぼんバカボンな、若きぼくなのだった。

▼バターサンドを愛してる。。。(-人-)ドウセデブダヨ
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2006年6月 6日 (火)

ローイエット

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タイの東北地方、いわゆる、イサン地方に
ローイエットという町がある。
バンコクで、タクシーの運転手やマッサージのねーさんに
出身地を聞くと、10人につき、ひとりやふたりは
この地名を答えるだろう。
ぼくは通過したことはあるが、滞在したことはない。
では、なんで、わざわざローイエットなんて題目にするのか
といえば、ローイエットは、101という意味で、
この記事がcocolog移籍後、101回目の記事だからだ。

冨田竹二郎先生のタイ語大辞典によると、
この地はかつて、101の属領と7の城門をもつほど
栄えた土地であったため、その名があるそうな。

ぼくがこの街を通過したのは、たぶん3年ほど前のことで、
ウボンラチャタニから、ウドンタニまで、バスで移動した、
その途上だったと思う。

前にも書いたけど、ぼくは観光を好まない。
テレビや映画、あるいは本でみることができるものの実物を
大きなコストをかけてまで、みたいとは思わない。

だから、このときもバンコクからウボンにエアアジアで移動し、
ウボンに一泊。
次の日は、朝9時にバスに乗り、夕方5時にウドンタニにつき、
ここに一泊。
次の日の昼には、バンコクに帰ってたので、
ほとんど移動してただけの二泊三日だった。

昼間のバス移動で楽しいのは、外の風景が見えることだ。
ちょうどこのころ、タイでは総選挙の直前だったようで、
バスの窓からは、たくさんの選挙ポスターが見えた。

県を越えるたびにポスターが替わる。
しかし、そのポスターの多くに登場していたのが、
タクシン・シナワットさんだ。
かれは、タイの首相で、しかも大金持ちだ。
日本で言うと、小泉純一郎と孫正義を足して
2で割ったような人物で、
ぼくが乗ってきたエアアジアもかれの会社なのである。
最近の状況をみていると、足す相手は、
ホリエモンの方が適当かもしれないが。

候補者のうしろにつねに背後霊のように写ってるのが
この人なのだった。
それから、数年、彼は今、政治生命の危機に立たされている。
このゴールデンウィークにタイに行ったときも、
かれを批判する落書きを見たりした。
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自称タイ通外国人のぼくからみると、正直、
何故かれが批判されるのか、理解できない。
今までの政治的指導者に比べると、
実に立派な人物に見える。

しかし、である。
かれは、立派にやりすぎた、のかもしれない。
タイでは、かれの政権下で、不況を克服し、
賄賂や汚職にまみれた政治構造や、官僚組織にメスをいれ、
タイをけっこうまともな国にしていく努力を重ね、
じっさい、ずいぶん、成果をあげているように思う。

そのために、自分が行なった合法だが不合理な行為を批判できる、
そんな人たちをつくりあげてしまったのんだ。

大金持ちが得をすることを当たり前だと思わないタイ人の出現。
むかしのタイを知るひとにとっては、
それは妖怪人間の出現よりもまだ不思議に感じるのだけれど。。。


▼昨年の8月、滞在していたホテルのロビーで偶然見かけた、
記者会見中のタクシン首相。
単なる滞在客だったあっしは、記者に混じって、
デジカメひとつで、2メートルまで迫った。
ちなみに社会勉強のためにサイアムのマクドで
バイトしていた娘には、50センチまで迫ったよ(^^
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2006年6月 4日 (日)

状況を楽しむ

前カノと付き合い始めたころ、
ぼくはひとつのことばを信条としていた。
状況を楽しむ、だ。

かのじょは、数少ないぼくの友人のなかで、
一番のお気に入りだった。
でも、男女としての関係に至ることは、
今流のことばでいうと、想定の範囲外だった。
なんでかは、わからない。
あくまでも、ぼくの心の中で、なんとなくかのじょとは
そうはならないような気がしたのだ。

ぼくのつたない恋愛経験のなかで、
友人関係から、恋人関係に至ったことがなかったことも、
そう思った一因かもしれない。
それまでは、恋人関係になったひとは、
知り合ってすぐにつき合うことが多かったのだった。

かのじょとの仲があやしくなってきたとき、
ぼくはぼくなりに悩んだ。
当時のぼくはずっと、一生結婚しないで、
ひとりで生きていくんだろうと思っていた。
若いし、元気だし、とくにそれでも淋しくもなかった。
ある意味、若さ故の傲慢さだったかもしれない。

もし、かのじょとつきあい始めるならば、
最終到達点は、二つしかない。
結婚するか、別れてつきあいがなくなってしまうかだ。

もし、つき合いがうまくいかなくて、
だめになってしまったら、お気に入りの友人としての
かのじょまでも失ってしまう可能性が高い。
そんなリスクを犯していいものだろうか。

しかし、結局、ぼくらは友人関係を超えてしまうことになる。

それから、ぼくは悩むことをやめてしまった。
そのときの根拠が、状況を楽しむ、だったわけだ。
どんな風に悩んでも解決できないことがある。

占い師にみてもらってり、誰かに相談したりするのは
ぼくの流儀ではなかった。
一般論や善意の第3者の意見というものが、
ぼくは嫌いだった。
利害関係のある当事者以外の意見、というものは、
結局、田中真紀子の政治的発言といっしょで、
評論家的意見に過ぎず、聞くに値しない、と思っていた。

また、問題が発生したときに、
客観的に解決できる種類のものとそうでない種類のものがあって、
借金苦なんかの現実的な問題ならともかく、
個人の心の中の問題に正解はない
というのがぼくの結論だった。

自分のルールの中で、自分なりの責任をとる。
そして、どんな状態でも、なるべく状況を楽しむ。

最初に言ったのはだれだか知らないが、

生きてるだけで儲けもの

ということにつきるんかな、と
とりあえずおっさんは結論したんだよ。。。(-人-)ナム~


▼ぼく、んもえラド。。。
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2006年6月 3日 (土)

奥様は、、、

去年の夏、福岡の空港の売店で、
奥様はフィリピーナ、という本を買った。
なかなかインパクトのある題名で、こういうのんにぼくは弱い。
最近リメイクされた、奥様は魔女、にひっかけたネーミング
なのだろう。
興味のあるひとはどうぞ。
かつて、ダーリンがサマンサと結婚したためにした苦労を
超える苦労
がそこにはある。

もう旧聞に属する話かもしれないが、
最近の韓流ブームに乗ってか、
日本人女性が韓国人の男性と結婚するための
インターネットのサイトが繁盛してるそうだ。

かつて、そのサイトにアクセスする日本人女性は
ほとんどいなかったそうなのだが、ヨン様ブーム以来、急増し、
現に結婚するひとたちが多数でてきているらしい。
まさにヨン様恐るべし、である。

しかし、とぼくは思うのだが、
彼女たちは、一生しあわせに暮らせるのであろうか。

ぼくたちはふだん意識していないものの、日本人として、
共通の文化の中で生きている。
むかし、奈良公園にやってきた外国人が、
えさをもらうために頭をさげる鹿を見て、
日本では鹿さえお辞儀をする、といったらしいけれど、
場面場面で文化的な違和感を覚えることは数多くあるのだと思う。

たしかに同じ日本人どおしでも、
個人個人によってもその文化には差異があり、
交際を通してその隙間を埋めていき、
許容の範囲であることを確認して結婚にいたるのであろう。

国際結婚の場合は、そこの差異がおそらく、
同じ文化圏同士のひとたちが結婚するよりも大きい場合が多く、
それゆえ、その差異を埋めるための手続も慎重を期し、
長い時間をかけるべきだと考えるが、
現実は必ずしもそういう風にはなっていないように思う。

幸せに暮らしてる国際結婚カップルも多い反面、
離婚にいたるカップルも多いようだ。
どっからの数字かしらないが、日本人同士だと、離婚率は3割、
国際カップルだと5割だそうである。
大きな差とも言えるし、そんなに差がないともいえる。
ただ、どっちにしても、昨年の楽天の勝率よりは高い。
そして、たぶん、今年の楽天の勝率よりも高いだろう。

ただ、傾向として、ということだけれど、
今後国際結婚はさらに増えていくだろう。
単純にいうと、ひとの移動可能距離が増えたからだ。

今から、100年か、もう少し前、明治維新より前あたりは、
たぶん、婚姻関係はほとんどがご近所でなりたってたんだと思う。
一般人の、最大移動範囲が、近所の集落止まりから日本国、
ということになってから、
じょじょに遠距離の婚姻が増えていったのだろう。

今は高校生が修学旅行で海外に行く時代なのだ。
飛行機に乗る、っていうのはねー、
昔は大事件だったんだぜー、知ってるか、君たち。

そしてまた、インターネットで自宅にいながら、
なんでもできてしまう時代だ。
いったこともない国のホテルを
あったこともないネットの旅行業者に頼んで、
実際に手元にはないお金をクレジットカードで払い、
ネット屋で決済を確認したりできるのだ。
キャンセルだって、同様に簡単にできてしまう。

花嫁だって、そのうち、こんな風に選ぶのが当たり前の時代に
なるのかもしれない。
そのとき、キャンセルや返品はどんな手続になるんだろうな(^^;)


▼まだあったこともないひとがぼくの記述をみてくれてる、
なんつうこともついこないだまでは、
夢のまた夢、だったんだよねー^^;
今や、ほんとにみんな繋がっている。。。
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2006年6月 1日 (木)

生協の白石さんについて考える

職場の女のことよく話す。
歳は親子ほども離れているものの、
お笑いに対する意見がわりと近く、
ぼく的には、若いのに、
鋭い観察眼と批判力はたいしたものだ、
と、敬意さえ払っている。

たとえば、横山ナニガシという、
もう亡くなった漫才師についての見解だ。
ぼくの、彼に対する評価はあまり高くなかった。
世間から、妙に評価されたためにだめになってしまった芸人の
典型とさえ思っていた。

たしかに、かれらの漫才は面白かった。
あるいは、久米ヒロシといっしょにしていた、
テレビスクランブルでのかれも面白かったかもしれない。

しかし、かれがアシスタントの女性と行なっていたラジオ大阪の
深夜番組などは、聞くに堪えない、つまらないものだった。

かれは、すばらしいつっこみがいて、
はじめて笑える限定的な芸人だったのだ。

猿回しと猿の関係にも似ている。
たしかに、猿のいない猿回しは、猿回しではない。
しかし、猿回しは、猿がおもしろいのではなく、
猿回しが演出をしている
のだ。
それがわからないで、猿のことを褒める人が多すぎる

ところが、かれらの生きた時代をあんまり知らないはずの、
年端もいかぬお嬢ちゃんが、
あの漫才は、西川某がいるからおもしろいんでしょ、
とこともなげにいうのだ。

いまだに、横山伝説をありがたがって信じてるような
自称評論家たちに、聞かせてやりたい、と思う批評だった。

それから、爆笑問題に関するぼくたちの見解も一致してる
のだけれど、それはまた別の機会にしようと思う。

そんなかのじょなのだが、実はけっこうミーハーだったりする。
猫村さんだの、白石さんだの、いま流行ってるものには、
その冷徹な観察眼もけっこう鈍りがちだ。

ぼくは、実は、生協の白石さん、は買ってない。
本屋で立ち読みして、やめてしまった。
おもしろくなかったからだ。

もちろん、自分が学生で、生協の掲示板に貼ってあれば、
けっこう面白がって読むかもしれない。
でも、立派な装丁の、けっこうな金額の本になるような
代物ではない、と思う。

ところが、実際には100万部にもなろうかというような、
ベストセラーなのだそうだ。
実際に、100万人もの人たちが安からぬ金額を払って、
購入したわけだ。

ぼくは、この本をけっこう熱心に読んでる別のひとに
自分の意見を言ってみた。
この本は、わざわざ買うような内容はないのではないか、と。
そのひとの意見では、この本が売れているのは、
癒し系なため、ではないかということだ。
本の内容が、である。

でも、とぼくは考えた。
本当に内容が癒し系、なのであろうか。

ぼくは、この本は、もう少しすれば、誰も読まなくなって、
古本屋にたくさん並ぶような気がする。
この本の内容に永遠にひとを癒し続ける力はない、と思う。

むしろ、この本を読んで癒されるひとは、
この本を読むたくさんのひとが癒されてる、という思いで、
癒されるひとが多いのではないか、とぼくは思うのだ。
なんというのか、プラシーボ効果、みたいな。
あるいは、集団催眠状態、というか。。。

だから、ブームが去ってしまうと、
癒されなくなって、古本に並ぶのではないかと。

なんでこの本が売れたのか、
という問の答えは、本を作ったやつの商売がうまかったから、
だとぼくは思う。

本の形をした消耗品、ともいえるのではないかな、
と、本は一生ものである、という古い考えを捨てきれない、
古いおっさんはこのような商売を許せない、のんであった。



▼タイペイのミスタードーナッツ。
なぜか30分待ちの大人気。
調子に乗って、たくさん支店つくると、
流行らなくなるに違いない^^;
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