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2006年4月10日 (月)

レナード・バーンスタイン

ウィーン国立歌劇場の音楽監督に小澤征爾が就任したときは
驚いた。
なにせ、相手は、音楽の聖地、ともいえるウィーンの、
しかも、あの国立歌劇場なのである。
日本でいうと、どういうたとえが適当なのか。
和の鉄人、道場六三郎の後継者がインド人で、
頭にターバン巻いて刺身を切っていた、以上の驚き、
という風に表現しておこうか。
それだけ、オザワは、たしかに世界的な指揮者なのだろうと思う。

かれの真の意味でのキャリアは、アメリカで始まった
といえるだろう。
オザワとボストン交響楽団は、ずいぶん長い間、
蜜月状態を保っていた。
ボストンといえば、オザワ、の状態が長かったわけだ。

そのきっかけをつくった、最大の恩人は、
おそらく故レナード・バーンスタインだと思う。
かれは、ウクライナ系ユダヤ移民の子としてアメリカに生まれた。
アメリカ人の指揮者といえば、今でも、
レニーを思い出すひとが多いのではないだろうか。
ウェストサイドストーリー』をはじめ、
作曲家としても有名なかれは、
まさにアメリカを象徴する音楽家であったと思う。

このレナード・バーンスタインとのことを
小澤征爾氏が語っているのを見たことがある。
オザワは、レニーの弟子、という風に多くの書物には書いてある。
実際、レニーがいなければ、かれの今があったかどうか、
それはわからなのではないか、と思う。

あるとき、まだ若いオザワはレニーの家に招かれた、そうだ。
個人的に呼ばれたのか、私的なパーティーの席だったのか、
どういう状況だったのか、それは忘れた。

バスルームを借りて、シャワーを使っていると、
あとから、裸のレニーが入ってきて、

ぼくのいうことを聞けば、有名にしてあげる

といったそうな。
まさに悪魔のささやき、というやつだ。

オザワは、もちろん、そのオファーを断った、らしい。
しかし、かれは自力で(たぶん^^)、
成功への階段を昇っていったのだった。

オザワはこの話を笑いながら、しゃべっていたが、
実は笑えないひとがいるんじゃないだろうか。

それは他の弟子たちだ。

レニーが亡くなった今となっては、ホントのとこは、
藪の中だけれど、
レニーの他の弟子たちを見るたびに、ぼくは、
このひとはオファーをされたのか、受入れたのか、
って考えてしまうことだろう。
Photo_13

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コメント

師匠、まいど^^

今日のお話は腐女子が大喜びしそうな内容ですね。
でも・・・オザワさんとその師匠じゃ、見た目が耽美にはなり得ませんね^^

↑マナオさん、腐女子ショックまだ続いてますね~(^^)
そんじゃ私も、
「レニーが攻めで、小沢が受けっすか~?リバもありかしらね~?」

ああこんなことでは私も腐女子だわぁ・・・。

マナオさん、まいど^^

>今日のお話は腐女子が大喜びしそうな内容ですね。
>でも・・・オザワさんとその師匠じゃ、
>見た目が耽美にはなり得ませんね^^
オザワも若いときはオザケンみたいに
けっこういけてたのかもしれませんぜ(^^
レニーもアメリカ的なオトコマエだと思うっすけどね~。
オトコの美醜は、マナオさんに聞いちゃいけないでは
なかったっすかな( ̄ー ̄)ニヤリ

同志、まいど^^

>↑マナオさん、腐女子ショックまだ続いてますね~(^^)
>そんじゃ私も、
>「レニーが攻めで、小沢が受けっすか~?リバもありかしらね~?」
>ああこんなことでは私も腐女子だわぁ・・・。
今回の同志のコメントにあっし、ついてけません・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
リバ???

佐渡裕氏もやっぱり…。
と勘ぐってしまう、自分が嫌ですわ~

cimocimoさん、まいど^^

>佐渡裕氏もやっぱり…。
>と勘ぐってしまう、自分が嫌ですわ~
誘われたかどうか、あったら訊いてみてくださいな^^

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