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2006年4月29日 (土)

空中の道中

たぶん、昨年の秋からだったと思うけれど、
バンコク行きのシンガポール航空便は昼過ぎに
大阪を出発するようになった。
以前は朝の10時ころ発のフライトだったから、
そのぶんゆっくり寝てから、関空に行けばよくなった。
帰りの時間は、変更ないので、その分滞在時間が短くなった
といえなくもない。
ともあれ、ぼくはまたバンコク行きの飛行機に乗っている。

今回は、ゴールデンウィーク期間中の約9日間、
日本を離れる予定だ。
最初の3日間はバンコクで過ごし、4日目にはタイの東北地方、
いわゆる、イサン地方行きの飛行機を予約してある。
そこから陸路でラオスに行くのが今の予定だ。
面倒になったら、行かないかもしれないが、
どっちのしろメコン川の河畔で、本でも読んでこよう、と思ってる。

今回の旅行も飛行機代は、払ってない。
シンガポール航空の特典航空券を利用した旅だ。
そうでなければ、ゴールデンウィークの初日、
4月の29日なんかの飛行機に乗れやしない。
きっと周りの日本人達はみな、10万円以上の費用を
航空券代に支払ってるだろう。
エコノミークラスの席にだ。

ぼくが今回の座席を確保したのは、去年の秋だったと思う。
シンガポール航空で貯めていたマイルの期限が
迫ってきていたためと、
特典航空券の場合は、有効期限が1年だから、
ゴールデンウィークに都合が悪くなっても、
夏休みに使用できるタイミングで、発券したのんだ。

しかも、インターネットを使ったe-ticketでの発券だったため、
通常よりかなり少ないマイル数で発券できた。
日本人の会員数の少ない航空会社のメリットを
今回は存分に使わせてもらった。

でも、全部の手続きがコンピュータ上でたんたんと進んだために
ほんとに予約されてるんだろうね、って不安はずっとあって、
こういうときにぼくは小心者だなー、つくづく思う。

ちゃんとチェックインできたあとは、少し関空を探検してみる。
まず、JCBで冊子をもらい、2階の店を見て回る。
入ってる店も変わっていて、ふーん、ちょっと見ないうちに、
なんて思ってるうちにいい時間になる。

パスポートコントロールを抜けて、免税店を流したあと、
シンガポール航空のビジネスラウンジで、ネットを使う。
無線LAN接続ができるのんで、ここは便利だ。

いつもいつも、エコノミーのチケットで
飲み食いただネットして悪いなー、と思いつつ、
その資格を与えてくれ続けている、全日空にただ感謝(-人-)

飛行機に乗ってみると、やっぱりほぼ満席で、
ぼくの隣はタイ人のおっちゃんだ。
あんまり英語ができないようで、マレー系だかインド系にみえる、
スッチーのねーちゃんも気持ち扱いがぞんざいになる。
英語系民族のやなところは、英語を理解できない人間に
やさしくない
ところだ。

でも、かなりえらいのか、年齢も重ねてらっしゃるうえに、
肉付きもけっこうよかったりされているので、
ぞんざいに見えただけかもしれないが。
そういえば、シンガポール航空スッチー伝説というがあったな。
最初に採寸した型紙でしか、制服を作ってくれないので、
サイズが合わなくなると、やめなくてはならない
カノジョを見てると、きっとうそだなー、って思う。
それとも、最初から巨大なら、いいとでも。。。

別の日本人のスッチーは、胸元がけっこうあいていて
食べ物のサーブのときなんかについ見入ってしまう。
なんかほれほれ見れ、って感じで、
実にたわわに2個実っていたことだよ。
もし、サービスの一環だったとしたら、
また乗ります、そんときもよろしくね、って思ってしまう。

巨乳に対して、一定の距離を持つことが可能である、
自身信じて疑わなかったぼくですら
現物のチカラには抗いがたいときがある。

おそるべし、乳力。

ばかなことを考えながら、もうすぐバンコクのドンムアン空港だ。
さて、夕ご飯はなにたべようかな(^^♪

▼頼もしいシンガポール航空のトリプルセブン。

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2006年4月28日 (金)

適度な劣等感

学生時代の阪急・河原町駅での出来事だ。
女子大生風3人組の前をちょっとださめの男の子がひとり、
歩いていた。
その年代の女のこにありがちなことだと思うが、
きゃーきゃー笑いながら、自分たちでもりあがっていたようだ。

そのさなかのことなのだけれど、急に前を行く男の子が振り返り、
◎◎大、◎◎大って、うるさいぞお、と怒鳴り、きょとんとする
女の子を残して、肩を怒らせて去っていったのだった。
最初、事情がわからず、立ち止まっていた女の子たちは、
その出来事のことでまた大笑いをはじめたのだった。

これには解説が必要だろう。
今ではけっこう難易度の高い有名私大になったその大学は、当時、
お笑い芸人が自分を笑うために、
さも誰でもが入学できるかのように宣伝していたがため、
その大学の学生の中には、それについて、
必要以上の劣等感をもつものがいたのだ。
それで、女の子たちがでんでん関係ない話題で笑っていた
にもかかわらず、
自分が大学のことで笑われたかのように思いこみ、
通りすがりの女の子たちを怒鳴りつけた、という次第で、
女の子たちもそれを理解して、今度は本当にそのことを笑った、
というわけなのだ。

今の時代を生きる若者たちには理解しがたいかも知れないけれど、
当時の日本には、ガクレキシャカイ、ということばがあり、
優秀な大学をでたものほど、立派な人生が送れるのだ、
という信仰にも似た、共通理解があったりしたのんだ。

だから、女性には当時短期大学に行くという選択肢があり、
彼女らが結婚相手の条件に自分よりも高学歴の男性を求めた結果、
他の点では申し分ない高卒の男性が、学歴のためだけに、
見合いの相手に選ばれなかったりする
ようなことが多々あった、らしい。

さて、現在の日本社会では、少なくても表面的にはガクレキで、
必要以上に差別される機会は減った、
のではないかなあ、とぼくは思う。
社会全体の知的水準があがったせいもあるだろうし、
日本の国が豊かになったためでもあろうし、
少子化のためでもあるだろう。

その代わりに増えたのが無意味に生きているように見える若者だ。
なにもしなくても社会の余力がかれらの生活を支えてくれるのだ。

したいことがみつからないから、働きもしないし、なにもしない。
それが恥ずかしいこととも思わない。
政府は自分たち、ニートをどうしてくれるのか
と1年生国会議員に詰め寄った馬鹿までいる。
大人になったら、自分のことは自分でなんとかするんだよ。
テレビを見ながら、つっこんだぼくなのだった。

たしかに実力とは関係のない、ガクレキ、なんてもので、
なんでもかんでも評価するのは間違っているんだろう。
しかし、である。
今のこの状況をみていると、
それを100%否定する気にもなれないのである。

人生を送っていく上で、適度な劣等感
というものは必要なのではないか。
学校に行けなかったひとは、それをバネに頑張る、
運動音痴だったひとは、勉強で頑張ってみる、
おんなにもてなかったひとは、他の分野で頑張って、
その結果、もてるようになる、
っていうのが健全な行動様式なのでは、と思うのだ。

そう、恥を知れ、恥に怒れ、若者よ、とぼくはいいたいのだ。

最近、なにもできないくせに態度や言動だけ
イチローやナカタみたいなのが多くて、
辟易するぼくのいうことなんか、
どうせ年寄りの繰り言なんだろうけれどね。


▼話とは関係ないけど、吉野屋の牛丼はまだ?
へたってもいいから、食わせれ(^^
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2006年4月26日 (水)

デュラス姉妹

朝、FMラジオを聞いていたら、
ラベック姉妹が弾く、ドボルザークのスラブ舞曲が流れてきた。
ラベック姉妹は、ぼくが若い頃デビューしたピアノデュオで、
クラシックの演奏家でありながら、
美貌の面でもよく話題になった演奏家たちだ。
元祖セクシー系姉妹といってもいい。

もっとむかしのセクシー系姉妹と言えば、
五月みどりと小松みどりかもしれないが、
みどり、がかのじょらの苗字だったのかどうか、
ぼくはいまだに知らない。

最近のセクシー系姉妹というと、
なにが正業なのかよくわからない、でも、セレブを振る舞ってる、
ほんとは姉妹なんだかどうなんだかさえわかんない、
某姉妹が有名だ。
今度、妹の方が裸体の写真集をだすらしいが、
姉の方でなくてよかった、というのが正直な感想だ。
ヨコタメグミさんのダンナさんが韓国人だったことを
つきとめた科学力で、あの姉妹がほんとに姉妹なのか、
どこの出身なのか、主な成分はなんなのか、
いっぺん調べてほしいもんだと思ったりする。

ところで、ぼくにとって、真のセクシー系姉妹といえば、
ルーサとベトールのデュラス姉妹、につきる。

デュラス姉妹、といっても、ほとんどのひとは知らないだろう。
かんじょらは、現代のひとではない。
実在の人物ですらない。
しかも、クリンゴン人だ。

クリンゴン人は、戦闘的民族だ。
名誉を重んじ、戦いで死ぬことを最大の名誉と感じる。
逆に姦計を憎み、謀略に長けたロミュラン人を嫌う。
みうらじゅんを嫌うかどうかはしらない。
今日は死ぬにはいい日だ
っていうのがご機嫌な挨拶だったりするのんだ。

ところが、本音と建前、っていうがどの世界にもあるように、
名家の血を受け継ぎながら、
かれらがもっとも嫌うロミュラン人と通じ、
謀略をもって、政権を奪おうとしたのが、
デュラス姉妹なのだった。
さすがは、戦闘民族でも上流階級ともなれば、
すばらしくセクシーだったりするわけだ。

かのじょらは、結局、エンタープライズ号を破壊しようとして、
逆に宇宙の塵と消えてしまったけれど、
かのじょらにとって、その日が死ぬのにいい日だったかどうか、
それについては、気がかりなぼくだったりすることだよ。


▼クリンゴン人の信奉者は、多い。
ドラマの中の架空の民族(?)でありながら、
言語体系も作られ、その言語を学習し、使用している人も
スタートレックのファンにはいるようだ。
冗談ではなく、クリンゴン語のGoogleもあるという話だ。
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2006年4月24日 (月)

スーツケース

ぼくはかばんにはこだわりがある。
だからといって、高いものを買う、わけではなく、
機能が極まったものが好きだ。

旅行用だと、大きなスーツケースが好きだ。
なるべく巨大で、たくさん入って、なおかつ、
軽いスーツケースが好みだ。
そんなスーツケースは壊れやすいやろ、って思うかも知れないが、
壊れるのはけっこう平気なんである。
スーツケースは、ぼくにとっては消耗品扱いで、
壊れそうになったら、また新しいものを買う。
だから、高いのんは買わない。
耐久消費財だと思ってるひとは、
かわいそうなスーツケースが空港で預けられたあと、
どういう風に扱われているか、見学にいってみるといいと思う。
アメリカの空港では、鍵さえかけちゃいけないらしいし。

なんで大きなスーツケースが好きかというと、
荷物が多いからに他ならない。
ふつう、たび慣れていくと、荷物が減ってくるというけれど、
残念ながら、ぼくにはその兆候は見えない。
むしろ、持ち歩くデジタル機器が増えた分、
スーツケースの隙間は減ってさえいるようだ。

もちろん、デジタル機器そのものは、
スーツケースに入れたりはしないものの、
それに付属する充電器や機器同士をつなぐケーブルなど、
欲張りなぼくはどんどん荷物を増やしてしまう。
結果として、でんでん使わなかった機器もでてくるけれど、
なんとなくあると安心なものはつい入れてしまうのだ。

自分が愚かだなー、と思うのは、
スーツケースにそれが入ってるのを知っていながら、
探すのが面倒で使わないときだ。
なら最初から、持ってこなければいいのだが、
スーツケースに入れるときは、そうは思わないのんだ。

旅にでるときのスーツケースの大きさこそ、
そのひとの煩悩の大きさ
なんだよねー、きっと。
ぼくは、煩悩の塊なのかもしれない。

そういえば、007のコードネームを持つオトコも
女を見れば、って感じで煩悩の塊だったな。
ジェームス・ボンノウ、なんちゃって。
おあとがよろしいようで。。。(-人-)ダジャレデオワッテスンマセン


▼カウントダウンでひとつ不覚だったのは、風車の弥七。
最初は、ウルトラセブン、と思ったけれど、
六神合体、とかぶるかな、と思って、替えたんだけれど、
どう考えても、定吉七番、であるべきだったよー(´д⊂
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2006年4月23日 (日)

姫路城で

姫路城にデートに行くと、そのカップルは別れる。
なんてことをぼくは若いとき、聞いたりした。
この手のことは、全国津々浦々にいろんな名所に、
いろんな形で存在するのだと思う。
なんの根拠もない話だ。

それで、むかしむかしの話を思い出した。
友人は、ずっと憧れていた女の子と、拝み倒すようにして、
初デートにこぎつけたらしい。
しかし、いっしょに行った動物園ででんでん盛り上がらずに、
キリンの首は長いね。」とか、
象の鼻は長いね。」とか、
そんな単発の話題に終始して帰ってきたらしい。
もちろん、2回目はなかったそうな。

姫路城だろうと、どこだろうと、
だめなものはだめなんである。

ぼくも姫路城になぜだか、いったことがある。
別に姫路城が見たかったわけではない。
しかし、自分が姫路城を別に見たくなかったことに気づくのは、
まだまだ先の話だ。

前々から、書いているようにぼくは、観光名所や遺跡、
というものに興味がない。
それは、世界のどこにいっても同じだ。
でも、若かったこのころ、まだそのことに気づいていなかった。
だから、姫路城に行ったのだ。
今なら、絶対に行かない。
行っても仕方がない。
それが証拠に、ぼくは姫路城に行ったことがあるにもかかわらず、
姫路城について、なにも覚えていないのだ。
姫路にあることは知っている。
でも、それは姫路城に行く前から知っていたことなのである。

なにはともあれ、姫路城に行った。
おおむかしの話だ。
当時、つきあってた女のこといっしょに、である。

そのときに、いやでも目についてしまう、カップルを目撃した。
ひとりは、着慣れない背広を着た、ちいさなにーちゃんだった。
トミーズ健、をさらにぎこちなくしたような存在だった。

おんなのこは、猫背で地味な感じの、
見るからに話のはずまなそうなタイプの女の子だった。
しかも、猫背なのにもかかわらず、背はにーちゃんよりも高く、
横幅もたぶん大きかった。

あれ、たぶん、見合い後の初デートじゃない、
とかのじょは言った。
みるからにそんな感じだわね。

ちいさなにーちゃんは、はしゃいでいた
舞い上がっていたのか、盛り上がろうとしていたのか、
ぼくにはわからなかったけれど、
とりあえず、まわりの風景からは浮いていた。

女の子の方は、たぶん頷いているんだろう、
でも、後からみた感じでは楽しげには見えなかった。

ある意味、拷問に近いなー。
本人たちは、いいかもしれないが、見てるぼくがなぜかつらい。
ぼくは、かれらをみなくてすむように
そうそうに姫路城を立ち去ることを提案した。

明石で玉子焼きでも食べよう。

きむらやで玉子焼きを食べながら、
カップリング、ということばを想ったぼくだった。


▼ちなみにゴモラが壊そうとしたのは大阪城。
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2006年4月21日 (金)

苗字の変更

そうとおくないむかしに、離婚した友人の話だ。
相手の苗字から、自分の苗字に戻すとき、
その友人は、きっととても幸せそうにみえたのんであろう、
銀行の窓口で、
ご結婚ですかあ、おめでとうございますぅ
と窓口のおねーさんに、精一杯の祝福を受けたそうだ。

たしかにその友人は、あんまり不幸にそうには見えない、
という外見的特徴をもっていたかもしれない。

そして、きっとその窓口のねーちゃんは、
わたしは、このたび離婚して苗字を戻すんです
と客に言われるまで、離婚した客を祝福し続けたに違いない。
数多くの想定外を持ち続けるひと、というのはいるものだ。

昭和の最初の方に活躍した棋士に、
易二郎(こん・やすじろう)名誉九段、というひとがいた。
かれも、さっきの銀行員のねーちゃんと同様、不用意なひとで、
娘にうっかり、たま、という名前をつけしまったらしい。
娘が嫁にいって苗字がかわったとき、
かれは安堵のため息を漏らした、ということだ。

最近は、犯罪がらみで、苗字を変えるおとこもいるらしい。
担保無しでお金をかしてくれる金融機関が
今はけっこうあるけれど、そういうところからお金を借りて、
しかも、返さなかったりすると、個人情報がどっかに登録されて、
それ以上お金が借りれないようなシステムがあるらしい。
ところが、苗字を変えることで、そのシステムの盲点を
つくことが可能らしいのだ。
借金するために苗字まで変えてしまうのんがすごいけれど、
方法というのは、あるものだと思う。

むかし、タイにハーレムを作ったことで有名な
チェンマイの玉本というひとも、
パスポートに関して、同様のテクニックを使ったということだ。
今は知らないが、当時、パスポートの発給に必要な書類の中に、
名前の読み方を証明する書類が不必要なことを利用して、
タマモト、ではなく、ギョクモトという名前のパスポートを
発券したのんだ。
厳密な意味で、偽造旅券と呼べるのかどうかは知らないが、
本人は、本当はギョクモト、というのだ、と主張しているらしい。
そして、間違って使っていたパスポートをただしただけだと。

そして、タマモトトシオ、あらため、ギョクモトハルオ氏は、
むかし放逐されたタイに、今住んでいるカンボジアから
出入りしていたらしい。

かれが、特別に有名な人物でなかったなら、
でんでんばれなかった可能性もある、と思う。

苦肉の策、なのかもしれないが、
悪事にではなく、もっといいことに頭はつかえよな、
とついつっこみたくなるよねー、まったく。



▼タイペイの靴屋さん。少年様とはいったい何(^^?
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2006年4月18日 (火)

三毛猫の不思議

こどものころ、うちの母親がその母親から聞いたという話で、

三毛猫には雄はいない

という話が妙にこころに残っていた。

うちの母親の話は、いつも正しいとは言い切れず、
これも判断がつかないままに、
なんとなくおぼえていたのだけれど、
大人になるまでのどっかの段階で、
どうも正しいらしい、ということがわかってきた。
しかし、なんでそうなのか、ということについては、
依然しらないままだった。

ところが、数年前、偶然そのメカニズムが新聞の文化欄に
載っていて、
感動のあまり、記事をみずからテキスト化してもっていたのを、
久しぶりに実家の古いPCに電源をいれてみて、
再発見したのであった。

この記事をみた当初、ぼくは感動のアマリ
友人たちにメールで内容をしらせたりしたんだけど、
その反応はあまりビビッドなものではなかった。

むしろ、それがどうした、とのことだった。

それをいっちゃーおしまいよ、
きみたちには知的好奇心というものがないのかい、

と今でも、友人たちの反応の冷淡さが理解できない、のだけれど、
普通の人間は、あんまり関心がないものかもしれない。

簡単に要約すると、ネコの毛色をつかさどる遺伝子は、
白・黒・茶と3種類あり、白は常染色体黒と茶は
性染色体のうち、X遺伝子
上にどっちか1個が乗っている。
通常、性染色体については、♀はXをふたつ、
♂はXとYをひとつづつもっているから、
Xの性染色体を理論上ひとつしかもたない♂には三毛猫はいない、
というこうなるわけだ。

でも、絶対いないというわけではなく、
なんらかのエラーが発生したときは、
♂の三毛猫も創造されうる、というわけなんである。

また、その記事にはクローンネコのことも触れており、
たしかに同じ遺伝子をもったクローンネコでも、
色の出具合は、いっしょではなかったそうな。
つまり、まったく同じ遺伝子をもったからといって、
景色は同じとは限らず

それは遺伝子情報が同じことと、それがどう発現するかは
また別の話しなんだそうな。

って書いたけど、もう誰も読んでなかったりして。。。

いいんだよ、だから、三毛猫にいないんだよ(-_-;)


▼呼んだ?
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2006年4月16日 (日)

日曜のできごころ

最初はちょっとした出来心だった。
久しぶりに萬流コピー塾を読もうと思って探し始めたのだけれど、
探せども探せども現物はでてこない。
どうでもいいような本は出てくるのに。
ぼくは、あきらめてネットで買おうと思って探してみた。
全部は見つからないけれど、けっこう揃いそうだ。

しかし。

ほんとうにそれでいいのか、ぼくは考えた。
も一度、探してみないであきらめるのか。
これは一種の天啓だったのだろうと思う。

そこで、禁断の間、となっている玄関横の2部屋を
当たってみることにした。
ほとんど、物置としてしか機能していない。

やっぱし、出てこない。
しかし、もっと重要なことがわかった。

ここままでは、部屋は腐海に沈んでしまう

ぼくは、決心して片付け始めた。
途中、いろんなものが出てきた。

たとえば、ケンコードットコムで注文して
そのまま行方不明になっていた洗顔料。
ぼくはユゼ、という会社の洗顔料がお気に入りで、
ずっと使っているのだけれど、
なかなか売っているところがない。
最初は、実家そばのダイエーで買っていたけれど、
つぶれてしまった。
今度は、ナンバのスーパーで買っていたが、そこも
つぶれてしまった。
そこで今は通販で買っているのだけれど、
けっこうな数を買わないと送料免除にならない。
べつに腐るもんじゃないので、たくさん買ったのだけど、
最初の1本を使ってる間に残りのたくさんが
行方不明になっていたのだ。

そして、2ヶ月ほど前、あきらめてまたけっこうな数を
買ってしまっていたので、
結果として今、ものすごい数のユゼの洗顔料が家にある。
もう失くさないようにしないと。

10個ほどの段ボール箱を潰し、
10個以上のゴミ袋を作って捨てた。
ゴミ袋を運んでる途中、近所のこどもに笑われた。

ごみの集積場所以外には出かけなかったけれど、
なかなか有意義な休日だった。
本棚を注文して、本とCDとDVDとカセットテープを並べよう。
そのうち、本も見つかるだろう^^


▼数えたら、11個ありました^^
けっこう隠れファンが多いみたいで、
ケンコードットコム売上ランキング288位、だそうっす。
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2006年4月15日 (土)

ダリ

ぼくは絵画、という芸術分野において、
とくに強く誰かの創造物に惹かれた経験を持たなかった。
もちろん、ヒラリーさんのペイント作品は別として。
長く生きてきた間には、いわゆる名画、
というものに触れる機会はあったと思うけれど、
残念ながら、他人事にようにそれらに接してきた。

ところが、このあいだ、テレビでたまたま見かけた、
ダリの絵に非常に強いインプレッションを受けた。

かれについては、その作品よりも、奇抜な言動で
なんとなく認知していて、
どっちかというと、妙なパフォーマー、
という認識だったのだけれど、
初めてみるかれの作品群に、ぼくはとても感銘を受けたのだった。
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しかし、その作品だけにぼくが興味をもったのか、
と聞かれれば、そうではなかった。

かれは、生涯を通じて、妻であるガラを愛し、崇拝し、
作品のモチーフとして、かのじょをもちいた

かのじょは、もともと友人の詩人の妻で、10歳年上で、
しかも、控えめにいっても、生涯を通じて、
淫売、と呼ばれるにふさわしい女だった。

ダリもそんなかのじょの行動を知っていながら、
それでもなお、崇拝し、芸術的昇華の原動力として、
かのじょを使い続けてたのだった。

ただし、かれが芸術家として、生きていうちに
その名声を手に入れることができた背景には、
かのじょのセンスやアイデアの力も大きかったようだ。

経済的にはかれは恵まれた芸術家だった、といえると思う。
また、愛した妻に裏切られ続けたことが
その芸術的動機付けになっていたのなら、
その芸術的成功もまた、妻であるガラのおかげであった、
といえなくもないだろう。
かのじょが貞淑な妻であったなら、
かれのいくつかの作品は生まれなかったかもしれないのだ。

成功した芸術家であったかれが幸せだったのかどうか、
ということについては、ぼくは知らない。

でも、かれの作品の数々を眺めていると、少なくとも、
この時間中だけは、あの淫売に感謝しなくちゃいけないんだろな、
って思うのだった。
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▼よおく考えると、ダリとの最初の出会いは映画だったようだ。
イングリッド・バーグマンが好きだったぼくは、おおむかし、
大毎地下だか、祇園会館だかで、
レベッカ」といっしょに「白い恐怖」を見た。
この美術担当が、ダリだったようだ。
久しぶりに見た「白い恐怖」、面白かったっす^^
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2006年4月13日 (木)

10.0

そこそこ長い人生のなかで、生のスピンターンを
2度見たことがある。
スピンターンとは、運転しながら急角度に
車の向きを変えるテクニックで、
念入りに練習しないとなかなかできるものではない。

1度目は、九州の熊本県上津江村にあったオートポリス
というサーキットでのことだ。
当時の日本は、空前のF1ブームで、
年1回ある鈴鹿サーキットでのグランプリのチケットは、
ほんとうにプラチナチケットだった。
でも、ぼくはどうしても生でF1を見たかった。
そのころ、まだ海外への渡航経験のなかったぼくは、
国内でF1をみることしか思いつかなかったし、
海外にF1のために行くなんて、あんまり現実的な方法
とは思わなかった。
そこで、今度新設され、翌年にはF1が開催されるという
話がでていた、
オートポリスの会員になって、F1を見ようと考えたのだ。

オートポリスの会員権は20万円
そのほかに20万円分の債権を買わされたような気がする。
当時のぼくは、プライベートであんまりおもしろい
ことがなく(不遇なときが多いな)、
仕事も忙しく、あんまりお金を使うこともなかったので、
そんなお金を出す気になったんだろうと思う。

ある日、オートポリスから
天才たけしの元気が出るテレビのロケで、
ネルソン・ピケロベルト・モレノがゲストで来るので、
会員には優先して、参加してもらいます、きませんか、
という案内がきた。

正直、果てしもなく遠いところに思えたけれど、
ネルソン・ピケが見たくて、オートポリスまで出かけていった。
そして、オートポリスはその後しばらくして経営破綻し、
結果的に、ぼくがオートポリスにいったのはその1回きり、
もちろん、F1はきやしなかった。

ネルソン・ピケは、F1で3度ワールドチャンピオン
なったおとこで、
口の悪い人にいわせると、3度ワールドチャンピオンに
なってしまったおとこ、である。
たしかに一流のドライバーではあったけれど、
天下を3回も制したのは、かなり運と巡り合わせがよかった
といえるかもしれない。

ロケでの登場は、ふたりのF1ドライバーのスピンターンだった。
まず、ピケが自信満々に登場し、ついでモレノが少し自信なげに
あらわれた。
やはり、ピケの止まり方の方が、豪快で頼もしかった
ような気がしたのだけれど、
モレノには、たぶん、ピケに対する遠慮もあったのだろうと思う。

そして、2度目は、数年前の雨の日の近畿自動車道だった。
雨とはいえ、4車線あるし、なかなか快適な道である。

数百メートル前で、荷物を運ぶコンテナをつんだトラックが
スピンしていくのが見えた。
事故だ。
けっこう長いトラックで、いくら4車線あっても、
あれが横向きになったら、1車線残るか、残らないかだろうな、
たぶん、自分は止まれるだろうが、後の車はどうだろう、
と思いながら、ぼくは、トラックが道路上を
すべっていくのをみていた。
ぼくは妙に冷静だったし、
まるで、すべてがスローモーションのようだった。

制御を失っていたトラックは、ちょうど半回転して、
こちらにフロント部分をこっちに向けた状態で、止まった。
そう、スピンターンをしたような感じで、左から2車線目に
ちょうど逆向きに止まった状態で完全に停止したのだ。

たぶん、偶然だったのだろうと思う。
しかし、完璧だった。
その豪快さ、美しさ
しかも、トラックで。
ネルソン・ピケを超えていた。

ぼくは、スピードを緩めたまま、その一つ右の車線を
無事に通り過ぎた

助かった。
ぼくは、事故に巻き込まれたなかった奇跡に感動した。

あのあと、あのトラックがどうやって方向転換したかは知らない。
たぶん、いっぺん流れを止めないと、無理だと思うのだけれど、
その日のニュースでとくに事故の話は聞かなかったので、
うまくやったのだろう。

家に帰ってからも、現実に起こったこととは思えなかった。
とにかく、あのトラックの運ちゃんのスピンターンに、
ぼくは、10.0をあげたのだった。


▼オートポリスは現在またむかしの名前で営業してるようだ。
もちろん、経営母体は、違うだろうけど。
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2006年4月10日 (月)

レナード・バーンスタイン

ウィーン国立歌劇場の音楽監督に小澤征爾が就任したときは
驚いた。
なにせ、相手は、音楽の聖地、ともいえるウィーンの、
しかも、あの国立歌劇場なのである。
日本でいうと、どういうたとえが適当なのか。
和の鉄人、道場六三郎の後継者がインド人で、
頭にターバン巻いて刺身を切っていた、以上の驚き、
という風に表現しておこうか。
それだけ、オザワは、たしかに世界的な指揮者なのだろうと思う。

かれの真の意味でのキャリアは、アメリカで始まった
といえるだろう。
オザワとボストン交響楽団は、ずいぶん長い間、
蜜月状態を保っていた。
ボストンといえば、オザワ、の状態が長かったわけだ。

そのきっかけをつくった、最大の恩人は、
おそらく故レナード・バーンスタインだと思う。
かれは、ウクライナ系ユダヤ移民の子としてアメリカに生まれた。
アメリカ人の指揮者といえば、今でも、
レニーを思い出すひとが多いのではないだろうか。
ウェストサイドストーリー』をはじめ、
作曲家としても有名なかれは、
まさにアメリカを象徴する音楽家であったと思う。

このレナード・バーンスタインとのことを
小澤征爾氏が語っているのを見たことがある。
オザワは、レニーの弟子、という風に多くの書物には書いてある。
実際、レニーがいなければ、かれの今があったかどうか、
それはわからなのではないか、と思う。

あるとき、まだ若いオザワはレニーの家に招かれた、そうだ。
個人的に呼ばれたのか、私的なパーティーの席だったのか、
どういう状況だったのか、それは忘れた。

バスルームを借りて、シャワーを使っていると、
あとから、裸のレニーが入ってきて、

ぼくのいうことを聞けば、有名にしてあげる

といったそうな。
まさに悪魔のささやき、というやつだ。

オザワは、もちろん、そのオファーを断った、らしい。
しかし、かれは自力で(たぶん^^)、
成功への階段を昇っていったのだった。

オザワはこの話を笑いながら、しゃべっていたが、
実は笑えないひとがいるんじゃないだろうか。

それは他の弟子たちだ。

レニーが亡くなった今となっては、ホントのとこは、
藪の中だけれど、
レニーの他の弟子たちを見るたびに、ぼくは、
このひとはオファーをされたのか、受入れたのか、
って考えてしまうことだろう。
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2006年4月 9日 (日)

893

ある日の阪神高速でのできごとだ。
けっこうすいた道をぼくはご機嫌で走っていた。
追越し車線をぶんぶんと。
前の走行車線にいかつい車がみえた。
なんというか、いかにもそういう筋のひとが
乗ってそうな車だった。
しかも、プレートナンバーは893だった。

ほんとうのほんものは、893なんてナンバーは
つけたりせんだろう。
ぼくは、そう思って追越し車線から追越しざまに
ドライバーの顔をみてみた。
向こうもこっちをみていて、目があった

ほんものだった。

あっしは、とりあえず逃げることにした。
追いかけてはこなかった。
ほんもんさんは、目があったことに関しては、寛容だったようだ。
あるいは、ぼくの目が怖かったのかもしれない(嘘)。

家に帰ってから、いろいろと考えてみた。
人相的には、まちがいなくほんもんだった。
ずばりいうおばさんでも、このひとの職業は、
保育士、とか、ハウスマヌカン、とかはいわないと思う。
他人にモンキッキ、という名前はつけるような能なし
だったとしてもだ。
顔が欠格条項にひっかかっている。

もし、ニセ者なら、ほんまもんと遭遇したとき、
どう対処するんだろう。
おどれ、893をなめとったら、承知せんどー、
って展開だって充分ありえるだろうし。

ゆえにニセ者ではなく、ほんまもんの可能性が高いだろう。
運輸局に無理に割り当てられたのでないとすれば、
けっこうお茶目さんかも知れない。

ぼくのような、根性無しと目を合わせて楽しんでるのだろうか。
人生はやっぱり謎に満ちていることだなあ、
とそのときもまた、感じいったおっさんであることだよ。


▼覆面パトカーのナンバープレートが、全部110番なら、
安心なのだけれど(^^♪
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2006年4月 6日 (木)

親切なおじさん

昨日、天王寺のことを書いて思い出した。
もう、20年以上も前の話だ。
ぼくと、高校時代のご学友だった面々は、
天王寺のどっかで飲んでいたのだろう。
あるいは、もっと別の場所から流れてきたのかも知れない。
とりあえず、天王寺に酔っぱらった状態でいたのだった。

そのなかのひとりが、トビタはどっちじぇい、と叫んだ。
かれは、当時、もうすでに絶滅の危機に瀕しながら、
でんでん保護の対象になっていなかった、文学青年だった。

江戸時代、あるいはそれ以後も遊郭や風俗地帯として名をはせた、
飛田新地の名前をいってみたかったのだと思う。
いわゆる、酔った勢い、というやつだ。

ぼくらは、どっちかというとおんな方面に関しては、
あかんたれの集団だった。
男ばっかりでつるんでいて、なおかつ、人畜無害で、
穴の空いた箱でも持っていようなら、
通りすがりのおばさんが100円玉ほおりこんでくれるような
そんな健全なやからの集団だった。

文学青年は、飛田新地の名前を出すことで、
仲間内で、相対的に威圧的な地位を出そうと
もくろんだのかもしれない。
そんなとこに行けるような、そんなぼくたちではなかったのだ。

叫んだ場所は、天王寺の橋のうえだったと思う。
眺めがいいと、ひとは気持ちが開放されるのだ。

その直後のことだった。
50前くらいの、いわゆるすだれ禿のひとの良さそうな
リーマン風のおじさんが、
飛田いうのはな、ここからやとこういって、ああいって、、、
と親切にも行き方を教えてくれたのだ。

ぼくらは、一瞬展開についていけなかったが、
もともとがよいこ集団なもんだから、
橋の上で、全員直立不動で行き方を教えていただいたあと、
ありがとうございました、と礼をいったのだった。

そのあと、ぼくらは残念ながら、飛田に行くことはなかった。
チャレンヂングスピリットの欠如、といっていいのかどうか。
そして、いまだによい子をやめれない、ぼくなのだった。


▼天王寺の橋のうえ、といえばミドリガメ売り。
写真は、タイペイのすっぽん屋さんの看板。
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2006年4月 4日 (火)

日曜の午後は、、、

日曜日の午後、出かけるのなら、2時だ。
しかも、車じゃないといけない。
fmosakaで山下達郎がしている、
SUNDAY SONG BOOKを聞きたいからだ。

家ではラジオを聞かない。
ポリシーとかではなくて、家にはラジオがない、、、
ような気がする。
最近は、ネットでも聞けるらしいけど、
なんとなく違うよな気がするのだ。
ラジオを聞くなら、ラジオじゃないと。
こうなると、やっぱりポリシーの問題か。

番組が終わるころ、大阪市内に着く。
最近は、ヨドバシか、天王寺に行く。
おとといは、天王寺だった。

近鉄百貨店で3000円だか買い物をすると、
3時間分の駐車無料券をくれる。
用がすんだら、天王寺をくるりとみまわしてみる。

天王寺には、大阪の繁華街のなかでも、
とくに濃いひとびとが多いような気がする。
それをみてるだけでも、なんとなく来た甲斐があった、
というものだ。

地下の広場では、毎度みるひとびともいる。
あやしげなおっつあんたち。
たぶん、自分を売ってるおばさんたち。
この街では、ちゃんと商売として成立すんだろうな。

おとといは、そのまま地下鉄に乗って、難波にでた。
道具屋筋で茶瓶を買って、ついでに100均にも寄ってみる。

いたいた、タイ人の家族連れ

こんにちわ。
観光客ですか。

聞けば、バンコクからの旅行者だった。

大阪はどうですか。
寒いんじゃないですか。
タイ語は日本で勉強しました。
このみせ、サイアムスクエアにもありますよ。

3分ほど話して退散する。
たまにはタイ語も話さないと(^^
ストリート・ファイト

100均やドラッグストアは、タイ人をはじめ、
アジアからの旅行者がけっこういる。
たまにタイ人観光にいったりするのんだ。

ビックカメラも軽く通過し、
日曜日のお買い物はおしまいだ。

地下鉄の動物園前駅の壁に貼り付いてる、絵の動物たち。
なんとなくらくだに好意をもった。   
偶蹄目らくだ科らくだ属

そういえば、「らくだ」って落語があったなあ。
らくだっていう極道モンが死んでるところから話が始まる、
不思議な話だ。
しかも、かれは死んでるわりにはアクティブだった。
踊ったりなんかしてね。

さて、駅に着いた。
家に帰ろう。


▼天王寺の空には、こんな方も飛んでたりする。
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2006年4月 2日 (日)

おんななんてそんなもん

読売テレビで放映していた、
「キスだけじゃイヤ」という番組が終了するらしい。
いろんな意味で、なかなか刺激的な番組で、
ぼくは楽しみにみていたんだけれど、
この手の番組は、毎週毎週放送するのは
むつかしいのかもしれない。

もっとも、「あいのり」の工作員混入説と同様、
この番組も劇団員混入説なんかの噂が絶えなかったけれど。

ぼくはこの番組の中で、
あっけらかんと浮気を告白する女の子が多いのに、
実は違和感を持っていた。

自分の最愛の人間を実にあっさりと裏切れる、
そんな女のこが、普通にたくさん存在して、
テレビの前で、そのことをのうのうと公開できる、
そのことが不思議だったのだ。

そんな感想をつきあってるときに、
前カノに対して、漏らしたことがあったのだけれど、
そのときのかのじょの回答は、

女なんてそんなもんよ

であった。
ぼくが、じゃあきみもそうなの

って訊いたら、
わたしのことは信じてほしいけど、
でも、女なんてそんなものなのよ
とかのじょも自説を曲げるつもりはないようだった。

そういえば、ドイツでだったか、
父親が自分のこどもについて、
ほんとに自分のこどもかどうかを簡単に調べることができる、
という商売を誰かがしようとしたら、
それは人権侵害だかなんだかの不法行為に当たるのでやめろ、
って大規模な反対運動が起こった、
って話を最近、聞いたような気がする。

いったい、誰が誰の人権を侵害してるのだろう。
実際、かの国では自分の遺伝子をもっていないこどもを、
そうとは知らず育ててる父親がけっこういるらしい。

いろいろな都市伝説に混じって、こんなものもある。
たしかにセカチューよりも、よほど泣けるなー。


▼ドイツでの話は、托卵(たくらん)
ということばを思い起こさせる。
んで、托卵からは、郭公(かっこう)を、
郭公からは、ノックエアを思い出した^^
Nokair


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