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2006年3月31日 (金)

くまもとのこうのさん

最初にいっとくけど、今日の話は一家団欒向きではないと思う。
もちろん、家庭にもよるだろうけど。
以前、別のとこでタイではコーヒーは大声で連呼すべき
ことばではない
、と書いたことがある。
まあ、その手の話だ。

ボクサーでユーリ・アルバチャコフというロシア人がいた。
かれは所属しているジムの関係で、
リングネームに海老原(エビハラ)を入れることを強要されたが、
ぜっったいにいやだと拒み、
最後にはジムと袂をわかってしまった、ように記憶している。

たしか、エビというのは、ロシア人にとって、
とても人前で口にできるようなことばではなく、
よりにもよって、そんなものを自分の呼び名にせよ、
とはとても承伏できる要求ではなったようだ。
よく、ロシアからやってきた漁船員が、北海道でタクシー代を
カニで払おうとした、なんて話を聞くけど、
そんなかれらも、エビには弱いようだ。

このてのことは、けっこうあって、
ぼくさえ生まれていないような大昔、
ボボ・ブラジルというプロレスラーがいたらしいが、
九州巡業のときだけは、ポポと濁音が半濁音に変わったらしい。
ボボ、というのもあっち方面では、いけない言葉らしい。

まだ、楽しみが少なかった時代、
きっと九州の家庭では、一家そろって、
ちょっとつらい空気の中で、プロレス中継をみていたのだろう。

たしか落語の枕で言ってた話だったと思うけど、
むかし、大阪の演芸場で芸人の湯茶の接待をする女のこのことを
お茶子(ちゃこ)さんといったらしいのだけれど、
淡路島ではこれがもろのことばだったらしい。
あるとき、淡路島からでてきたばかりの女のこが、
演芸場に就職して、仕事はなんですか、と尋ねたら、
お茶子、という答えが返ってきて、
びっくりして、トンで田舎に帰ってしまった、らしい。
どんな仕事だと思ったことだろう。

コーノ、というのはスペイン語ではやはりかなりもろのことばで、
スワヒリ語で、くまもと、というのは、
ホットなそれを意味するらしい。
だから、熊本の河野さんは、おちおちジブラルタル海峡も
渡れないくらい
、露骨な存在なのだそうだ。

これらは、偶然の産物だ。
どちらかといえば、しようのない事象に属する事柄かと思う。

しかし、である。
だれが意図的に行なった陰謀としか思えない、存在がある。
それは、おこめ券だ。
しかも、なぜかひらがなだし。
そのうえ、主食だし。

バンコクの中心でコーヒーと叫べるひとたちも、
心斎橋のお米ギャラリーの前で、

おこめ券

と叫べるだろうか、ひらがなで。

首謀者はだれか知らない。
しかし、このネーミングこそ、われら関西人類への、
ことばのテロリズム
ではないか、とさえぼくは思うのだ。

▼これが、関西人類への最終兵器、

おこめ券だ( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
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2006年3月29日 (水)

古い友人からのメール

ぼくはあまりまめな方ではないのだけれど、
年賀状だけはなるべくちゃんと出すようにしてる。
最近は、宛名を書く必要もないし、
内容も印刷だから、手間がかからない、
ってこともあるんだけれど、
なによりも、ブログをはじめるまでは、
年にたった1回の、撮った写真の発表会、
って意味あいもあったのだ。

ぼくの撮る写真は、まともな人間にはなかなか理解されない。
真の大人だけが、その深い志をわかってくれる、
と信じて、妙な作品を年始早々送り続けている。
まだ、面と向かって苦情を言われたことは、1回しかない。

年賀状の効用は、写真作品の理解者を求めることだけではない。
たまに音信不通になっていた友人から、
とても生きている返事が届いたたりするのんだ。

ついこのあいだもらったメールは、
インドネシア人の男性と結婚した女の子からだった。

かのじょとは、カルチャーセンターの
インドネシア語のクラスでいっしょだった。
もちろん、ぼくはインドネシア語なんか
でんでんできないんだけれど、
タイ語を一生懸命勉強していたころで、
近隣諸国のことばも挨拶程度できた方が便利なんではないかな、
と思って、参加したのんだ。
タイの南にはマレーシアがあって、
インドネシア語とマレー語は、方言程度にしか違わないし。

かのじょとは、席が隣あわせたことがきっかけで、
なんとなく話すようになった。
かのじょは気さくな女の子で、ぼくがクラスを3ヶ月で
リタイヤしたあとも、メールで連絡を取り合ってりしていた。
当時のぼくは、たぶん暇だったのだろう、
けっこうな頻度でかのじょとメールのやりとりをしていたようだ。

そして、そのかのじょが、インドネシア人の彼氏と出会って、
結婚にいたる経緯をほぼライブで聞いていた、みたいだ。
というのは、今、古いメールを読み返すまで、
薄情なようだけど、そういうやりとりは、
記憶のかなたにいっちゃてたのんだ。

そのメールのやりとりのなかで、
ぼくは、一応、相談のようなことを受けていて、
その返答をみると、ずいぶんひどいことを書いている。
ぼくなりに一生懸命には書いているんだけど、
今読むと、こんな書きようはないよー、って赤面してしまう。

国際結婚は難しいといわれているし、
結婚するまでにそのかれとは2、3回しかあってないし、
当時のかのじょは、かなり舞い上がっていたのんで、
多少きつくても、真実を書いてやる人間が必要だと
ぼくは思ったのだ。

ごめんよ、
でも、もし今ダンナとうまくいってるなら、よしとしてくれー、
って、思うぼくなのだった。



▼国際結婚ならぬ、星間結婚カップルが登場するドラマ、
スタートレック。
未来の話だからいいんだけれど、実際のところ、
ひととチンパンジーが、遺伝子レベルで3%しか違わなくて、
交雑するのが無理なのに、宇宙人とこどもをつくるなんて、
ありえない、ことだそうな、今のところ。
Ds9

2006年3月27日 (月)

関西人の証

♪ぐっと かみしめてごらん
ママの 暖かい心が お口の中に しみとおるよ~、パルナス
甘いお菓子の お国のたより おとぎの国の ロシアの
夢のおソリが 運んでくれた
パルナス パルナス
モスクワの味 パルナス パルナス パルナス♪

初めて海外旅行に行ったのはマレーシアだった。
はっきりいって、海外旅行には興味はなかったけれど、
そのときの友人は強引だった。
なんでも今までいっしょに旅行にいっていた友人が結婚するので、
今回は参加してくれそうにない。
頼むから、いっしょにいってくれということだ。

当時、まだ海外旅行は、パック旅行が普通だったけれど、。
その手の旅行は、ひとりで参加するには障害が多い。
ゆえに友人は、どうしてもたびの道連れがほしかったのだろう。

しぶしぶぼくはいっしょに行くことにした。
そうやって行くことになったペナン島で、
ふたりの関東地方の女の子と話す機会があった。
たぶん、パックについている市内観光かなにかのバスで
いっしょになったんだろうと思う。
そして、どんなシチュエーションだったかは
憶えていないのだけれど、ぼくは当時、よく言っていた冗談を
かのじょらにも言ったのだった。

大阪の幼稚園では、朝、先生が儲かりまっか
と挨拶すると、園児たちは、声をそろえて
ぼちぼちでんな、と先生に挨拶するんだよ。

へーそーなんだ、とかのじょらは答えた。

あのー、そこは納得するんじゃなくて、
そな、あほな、ってつっこむところでしょ、
ってぼくがいうと、
あら、東京じゃ初対面のひとにそんな冗談いわないから、
てっきりほんとのことかと思った、とのことだった。

普通に通じる日本語で話し合いながら、
その実、理解し合えないぼくらたち。

この人たちは、ショスタコービッチの交響曲第5番「革命」
第4楽章冒頭部分を聞いても、「部長刑事」を思いださないし、
もちろん、パルナスのうたも歌えない、んだなー、と
改めて思ったりした、こてこての関西人のおっさんなのであった。


関西人としてのアイデンティティを何に求めるか、
という命題
はいまだに解決されていない、今日的な問題だ。
関西的の象徴として、よくとりあげられる、
くいだおれ人形こと、たろう
しかし、意外と店には行ったことのない、関西人も多い。
あっしも実はまだ。。。(^^ゞ
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2006年3月25日 (土)

運命的な出会い

20代の半ばのことだったから、
平成のはじめころじゃないかと思うけど、
高校時代、同級生だった男から、
結婚式の招待状が届いた。
たしかに当時、年に数回、
飲み会で会っていたかも知れないけれど、
結婚式に呼ばれるほど親しかったかな、と思いつつ、
同じ飲み会のメンバーに連絡を取ってみたところ、
やっぱり同様に招待状が届いてることがわかった。

呼ばれたからには何とかしてやらねば、ということで、
2次会などの段取りをどうしよう、
と相談を仲間内ではじめたところ、
もう、2次会の場所も押さえてある、
という情報が本人から入った

段取りいいのはいいけど、それって、ふつう自分ですんのかな、
と思ってるうちに、なんか雲行きが怪しくなってきた、
と言う情報がまた入ってきた。
相手が結婚式を延期してくれ、と言ってきたとのことだ。

かれの方は、もう上司・親戚その他にも全部話がいってるし、
結婚まで1ヶ月を切ってるし、どうにか式だけは挙げて欲しい
と説得したところ、それがかえって仇となって、
そのまま破談になってしまった
という連絡がきたのんは、結婚式の2週間前のことだった。

その後、しばらく情けない状態のかれを慰める係に、
仲間内からぼくが任命され、しかたなく、話を聞いたりした。

かれによると、かのじょとは運命的な出会いだった、という。
そこにどんな物語があったのか、詳しく訊くと、
共通の友人の紹介だという。
独身の男女がお互い共通の友人をもってて、
しかも、紹介されるなんて、なんて運命的
なんだ、
と、黙って頷いてやれるほど、
当時のぼくはまだ大人ではなかった。

なんでだめになったの?
って訊いたら、かれには自分自身でも納得できる心当たり
はなさそうだった。

でも、家計簿を複式簿記でつけろ、
といったのはよくなかったかも知れない
、とかれは答えた。

家計簿?
複式簿記??

おそらくかれは、ぼく同様、まだひとりで生きていると思う。
だれか、かれのために家計簿を複式簿記でつけることのできる、
独身の女性はいませんか(^^?


▼タイペイのけっこう表通りで見かけた、最愛ホテル
こっちでいう、ご休憩は、早場休息、というらしい。
ちなみに580元は、約2000円。
立地を考えると安いかも知れないが、
あっしにはあんな人目につくとこで、入場する根性ないです^^;
ま、相手もいませんが。。。
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2006年3月23日 (木)

北の湖の

お相撲さんは強い、とむかしは思っていた。
筒井康隆さんが書いた小説に、走る取的、というのあって、
その影響かな、と思う。

あるとき、電車で相撲取りと乗り合わせた男が、
その相撲取りに誤解され、どこまでも追いかけられたあげくに、
最後には張り手か何かでつぶされてしまう、って話だったと思う。
相撲取りがひたひたと距離を詰めてくるさまが、
なかなかにおとろしかった記憶がある。

ところが最近では、
もと横綱がコメディアンに勝てなかったりして、
相撲取りの強さに関する評価は、ライブドア株のようなありさまだ。

しかし、お相撲さんに関する認知度は、
海外でもけっこう高いようで、
タイでは、メンバー全員がお相撲さんというサッカーチームと
闘うことになった相手チームが、最初はのろまだと思って
お相撲さんチームを馬鹿にしていたのだけれど、
ボールを奪いにタックルにいっても相手にならず、
逆にお相撲さんチームのテクニシャンが
バイスィクルキックでゴールを決めるという、
そんな洒落のきいたペプシのCMをみたことがある。
お相撲さんは世界中で愛されてるのんだ。

そういえば、別の愛され方もしているという話を聞いたことある。
アフリカで現地の友人から、相撲取りのピンナップを
見せられた日本人がいたそうな。
日本の女のこの、すばらしく美しい、半裸の写真を、
日本人の友人であるきみにはみせてあげよう、
ということだったらしい。

日本人は非常に悩んだ末に真実をいったそうだ。
きみがみている裸体の日本人は、実はおとこで、相撲取りだと。
自分がおとこの裸に興奮していたことを知った
アフリカ人の友人の落胆ぶりは、目を覆うばかりだったという。

むかし、インドネシアの駐在員に送られた大相撲雑誌は、
北の湖の乳首が塗りつぶされていたらしい。
塗りつぶされればみてみたい、そんな気もするぼくなのだった。


▼真に大横綱といえるおとこ、北の湖敏満
でも、インドネシアではこのざまだ。
2

2006年3月21日 (火)

こびとのしわざ

ぼくはもう10年以上ひとりで暮らしている。
だからといって、家事が堪能だというわけでない。
むしろ、究極の合理主義に貫かれた
怠け者生活を送っている。

たとえば、ぼくは炊飯器をもっていない。
最初は持っていた。
当時出たばかりのIHインバータジャーで、
たしか3万円くらいはしたと思う。

買って5年間で、2回しか使わなかったので、
結局、実家に置いてきた。
家でごはんを食べるときは、サトウのごはん、を食べている。

電子レンジも、そうとういいものを買った。
当時流行の、さしみが解凍できる機能のついたオーブンレンジで、
値段も最先端にふさわしく、10万円近かったんではないかな。
でも、サトウのごはんを温める
以外の機能はあんまり使ったことはない。
もちろん、さしみを解凍したことだってない。
有能な電子レンジ君は、能力が発揮できない、
自分の不運を嘆いているだろう。

ぼくが一番お世話になっているのは、
実はオーブントースターなのだが、
2千円くらいのものを買う。
そして、あんまり念入りに掃除しない。
汚れてきたら、新しいのを買って、古いのは捨てる。
いらぬ家事はしないのだ。

さて、そんなひとり暮らしが長いぼくだが、
気になることがある。
動かした記憶のない、備品の位置がたまに微妙にずれてる
と感じることがあるのんだ。
それから、朝浴びたシャワーでぬれた風呂場の床が
仕事から帰ってきてもまだ乾いてなかったり、
あるときなどは、家の鍵をあけると、ひとの声が聞こえた。

そおっと家に入って行くと、テレビがついていた。
きっと、うっかり朝消し忘れたんだろうけれど、
ひょっとして、ぼくが暮らしてるウラの半分の時間
ぼくの代わりに暮らしてる奴がいたりしてなー(^^;)、
なんて思ったりもする。
かわいいこびとだったら、いいんだけれど。

そんなことを考えていたら、
むかしつきあってた女のこのことを思い出した。

その日、ぼくは仕事だったので、◎時頃帰るから、
さきに来て待っててよ、って鍵を渡してたのに、
玄関には女のこの靴はなく、
あれ、遅れてるのかな、っと思ったけれど、
なんか普段と空気感が違うように感じたのだ。

まだ、越してきて間もなかった頃だったので、
ものも少なくて、空いてるスペースもけっこうあった。

ぼくは、あっちこちの扉をあけてみた。
トイレ、風呂場、奧の部屋のクローゼット、、、

果たして、女のこは和室の押入の上の段から出てきた。
両手には、両足の靴を持っていた。

その女のことは、その後すぐ別れたけれど、
たまに押入を開けて、

誰でもいいからでてこないかな、と思ったりする。

残念ながら、あれからなんにも出てきたことはないんだよな。


▼サトウのごはんが食べても食べても減らない。
さては、これもこびとのしわざかあ^^;
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2006年3月19日 (日)

教え上手

かれは、日本人ならみんな知ってる大銀行に勤めていた。
なんでか知らないが、そこをやめて、
ぼくの後輩として、勤めることになったのだ。
おまけに学部は違うものの、大学も後輩だった。

当時ぼくがいた部署では、はいったばっかりの人間は、
よその部署から届いたいろいろな伝票類を処理し、
支払いを行なう手続をする、そんな仕事をあてられた。
上司の決裁が得られれば、そのまま支払いがなされるわけだ。

その当時は、小さな金額でも現金で払っていた。
給与支払いの際にいっしょに振り込んだり、
給与口座に振り込んだり、いろんな方法があったと思うのだが、
伝統的に立替金は、現金だった。

一説には、給与口座に振り込むと
奥さんの手に渡って返ってこないので困る
という苦情に配慮していた、
という噂があったものの、真実はわからない。

現金で支払うとなると、ひとりひとりの分を1回ずつ出金する
というわけにはいかないので、
ある程度まとめて出金することになる。
なんせ数十円という出金さえあるのんだ。

そこで、一件一件の出金にあわせて両替された現金
引き出しが必要になってくる。
なんのことはない、銀行の払い出し伝票の金種欄に、
1000円札23枚、500円玉15枚、云々と、
記入するだけなのだけれど。

ところがかの元銀行員君は、そのやりかたがわからない、という。
教える方に問題があるんじゃないか?
ぼくはある夜にかれ担当の同僚に言い放った。
ぼくが、やり方を説明してやるよ。

◎◎くん、こっちきな。
ぼくは、当時一般的だったNEC製のPCの前で
かれを呼び出した。

当時、まだPCは、ウィンドウズの時代ではなかったものの、
そのPCには、簡単な表計算ソフトも入っていた。
そして、それには、金額さえいれていけば
勝手に金種分けされる機能もあって、
ちゃんとマニュアルも存在した。

まず、電源を入れる。
つぎにこのソフトを起動して、、、、

ぼくと元銀行員くんのまわりには、
おもしろがってひとが集まってきた

終わるときは、こうやって、最後に電源を切る。
これがひとつ目の方法。

つぎにふたつ目の方法として、
たとえば、354円という金額をみたら、電卓に4円といれる。
つぎに1248円なら、3円といれる。
これを繰り返して、1円玉が何円分いるか、
5円玉が何円分いるか、出していって、
最後に全金種分を合計して、出金金額と同じなら、OK、
どうだ、簡単だろ、わかったかい

ぼくは自信満々に尋ねた。

しかし、日本人なら誰でも知ってる銀行の元行員だったかれは、
弱々しく首を横に振るのだった。

わしはわかったで、と後の方から声がした。

みれば、いつの間にかひとの輪の中に入って
話を聞いていたらしい、夜間清掃業務員のおじさんだった。
あんた、いつから、そこにいたんだよ。。。
っていうか、勝手にひとんちの業務をわかるんじゃないって^^;

数ヵ月後、元銀行員くんは、
金種わけを理解しないままにいなくなった。
今日は、どこまでいったやら。。。


▼ホーチミンで見かけたバンコクバンク。
この銀行も、タイで一番の民間銀行でやんす(^^
Bangkok_bank

2006年3月17日 (金)

♀運

運が悪い人間というのはいるものだ。

むかし、ホテルニュージャパンという東京のホテルで、
火事があった。
経費を押さえるための、スプリンクラーを設置してなかった
とかで、かなりの人数が被害にあった痛ましい事件だった。
しかも、謝罪に出てきた、社長のヨコイヒデキ氏が、
蝶ネクタイを締めていたので、変に印象に残っている。
なんとなく、謝罪、という行為と蝶ネクタイの取り合わせ
しっくりとこなかったように感じたものだ。

この火事のすぐあとに日航機が羽田沖に墜落する事故があった。
精神を病に犯されている機長が、
着陸前に逆噴射したのが原因だった。
機長、なにをするんですか、は当時の流行語になった。

聞いた話では、この両方の事故にあった、
というひとがいるそうだ。
出張できていた東京でこの火事にあい、
出張用の書類を消火の水で水浸しにしてしまい、
書類の用意のため、地元に帰るのに、
この機長の事故前のフライトに乗り、
次の朝、東京に行くときにまたこの機長の飛行機に乗ってしまい、
その機長とともに羽田沖につっこんだらしいのだ。

しかもである。
結果として、このひとは助かった、というのだ。

こうなると、運がいいのか悪いのか、わからない。
でも、水難の相は出ていたんだろうな、きっと。

いわゆる、都市伝説というやつで、
ほんとがどうかは知らないのだけれど、
あってもおかしくない話ではあると思う。

ぼくは、勝負運が弱い、と思う。
むかし勤めていた職場で、よく昼食を大人数で食べに言った。
人数は一定ではなかったけれど、
5,6人から、10人近くになることもあった。
そして、食後ぼくたちは、よく缶コーヒーを賭けて
じゃんけんをした。

確率から言うと、そうそう負けるわけはないのだけれど、
ぼくは、2~3回に1回負けて、
全員分の缶コーヒー代を払っていた。
店のオバサンは、気の毒そうに、

まいどおおきに

とぼくに言うのだった。

おまえ、勝負運よりも、おんな運が悪いんと違うか
って声が聞こえてきそうだけれど、

ぼくはおんな運が悪いんじゃなく、
おんなを見る目がないだけだ

わかった(^^?



▼1982年当時、流行語大賞というものはまだなかったようだ。
昨年度の対象受賞作の作者が、今年度は檻の中、
っていうのは、みんなの想定の範囲外だったんでわ^^;
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2006年3月16日 (木)

車庫に住むひと

数年前のことだ。
ぼくは普段より遅い時間に自宅のマンションに帰ってきて、
車を車庫に直そうとした。

車庫は2段式で、ぼくのは地下に格納するようになっている。
だから、車の出し入れのときは、かならず車庫の操作が必要で、
地上にでている他人の車を空中にいったんあげて、
自分の車を格納したあと、さらにまた地下にしまうのだ。
面倒くさい反面、つねに地下に車があるので、
車上荒らしにあったりする可能性はほぼない。
でも、大雨があったりすると、水没の可能性はゼロではないし、
どっちがいいかはむつかしいところであるが、
賃貸ではないので、現状を受入れるしかないのだ。

ふとみると、ぼくがこれから空中にあげようとする、
車の中に男の人がいた。
ふいをつかれてぼくは驚いたものの、
かれを車内に置いたまま、車庫を動作させるのもどうかと思って、
いちおう、一声かけて出てもらい、自分の車を格納した。
当然の権利なのだから、自分でもおかしいとは思うのだけれど、
いちおう、感謝のことばを残してぼくは、自宅へ去った。

次の朝、出勤のためにふたたび車庫を訪れたとき、
ぼくは、かれがまだそこにいるのを発見した。
たぶん一晩中、そこにいたんだろう。

ぼくは、わりと自宅に帰ってくるのが早いので、
夜にであうことはあんまりなかったものの、
朝はけっこうかれにであうようになった。
どうも、かれは夜間、そこに住むことになったようだ。

あるとき、ぼくの車庫に管理組合からポスターが貼られていた。

たばこの吸い殻を捨てないでください

ぼくは吸わないんだけどなー、
と自分が叱られたような気分になって、
ぼくはじゃっかんブルーになった。

それから、しばらくして、車庫に住んでたかれはいなくなった。
住まいだった、ファミリーユースのワゴン車とともに。

そして、またしばらくしてから、
そこには軽自動車が置かれることになった。
管理組合のポスターもいつのまにかなくなっていた。

闇に消えていった、車庫のおとこ
ぼくは、おなじく闇に消えていったペガッサ星人のことを想った




▼ペガッサ星人は、こんな外見です。
地球人類に恨みをもっています。
見かけたひとは、親切にしてあげてください。
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2006年3月14日 (火)

変節漢

どっかで読んだか聞いたかした話で真偽のほどは知らない。
頑固で有名なラーメン屋の主人がいたそうだ。
そのおやじは、牛骨でだしをとり、
おいしいスープができたときは、店を開くが、
できが悪かったときは、待ってる客がいようが、
スープを捨ててしまって、店を開かないような、
そんなおやじだったそうな。

んで、あるひとが、ここんとこ狂牛病騒動で
ご無沙汰だったその店に行ってみると、
店はちゃんと営業していたという。
どうですか、この騒動で困ってるんじゃないですか、
って、そのおやじに訊いたところ、かれは、
うちは今、だし取るのに牛つかってませんから
って答えたということだ。
おいおい(^^;)

大学時代のゼミの授業中だったと思うのだけれど、
ぼくはどっかの先生が書いた論文をもとに
なにかの発表をしていた。
そのなかに、スキャラワグ(scalawag)、ということばが出ていて、
変節漢、という注がどっかにふってあった。

その、スキャラワグ、ということばを使うたびに、
うまく舌が回らなくて、つっかえてたせいだろう、
ゼミの先生は、スキャラワグってなんや、とぼくに尋ねた。

ぼくは、自信をもって、変節漢、と答えたが、今度は、
変節漢てなんや、って訊かれて、ぼくは答えに窮してしまった。
あんまりなにも考えずに使ってたことがばれちゃったのんである。

そんなことがあったせいか、このことばが
20年以上たったいまでも妙にこころに残っている。

スキャラワグとは、相手をおとしめることばで、
もともとは、ならずもの、とかいう意味らしいけど、
その論文は、アメリカの南北戦争における
なにかのテーマについて書かれたもので、
この時代には、北部の共和党に協力的だった南部人に対して、
同じ南部人がかれらを非難して呼ぶときに
この言葉を使ったらしい。

つまり、戦後意見を変えたやつは、
意見を変えないものからみれば、
ならずもの呼ばわりされるべき存在だったんだろう。
論文を書いた人は、変節漢、という風に意訳したわけだ。
でも、当時のぼくは、その変節漢がわからなかったんだから、
ものを知らないということは悲しいことだ

ところで、最近、簡単に自分の意見を変えてしまうやつ
が多すぎないか、と感じる。
ついこないだまで、時代のヒーローみたいな扱いをしてた人間を
袋だたきにしたりするのになんの躊躇もない

まず、自己批判しろ、おまえたち

と時代遅れの信念のおっさんは、遠吠えるのであった。


▼タイでラーメンというと、8番らーめん。
バンコクではあちこちでチェーン展開してる。
日本じゃみないけど、どっかに店あるんだろか(^^?
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2006年3月13日 (月)

やっぱし

血液型について、占いのようなことがはやった時期があった。
すべての人間をたった4つの分類で判断しようとする試みで、
あんまり論理的ではないと思うのだけれど、
若かったぼくは、けっこうはまり、たくさんの本を読み、
いろんな有名人の血液型を調べたりしたものだ。

ぼくはAB型で、過去に読んだ書物によると、
知的で変わり者が多い、とのことだ。
A型は、慎重で農耕民族型の人間が多く、
O型は、リーダーシップを取りたがる狩猟民族型
B型は、我が道を行く芸術家タイプだ、
と書いてあったように思う。
そして、B型とAB型については、あんまり好意的ではない
記述もあったような記憶がある。

ぼくは、知り合ったひとに自分の血液型をいったりすると、
けっこうそうだと思った、といういい方をされることが多い。
そういう意味ではティピカルなABなんだろう。
もちろん、かれらのなかのAB型像がどういうものであるかは
知るよしもないのだけれど。

ひどいときになると、
最初にB型?、って聞かれ、
じゃあ、O型ですか?と聞かれ、
まさか、A型じゃあないですよね、と聞かれ、
AB型です、って答えるにいたってから、
やっぱし、なんていわれるしまつだ。
そう思うなら、最初からAB型か?って訊けよ、
って思うのだけれど、
不思議とこんなことを平気でいうひとが、
けっこういたりすんのんだ。

血液型による相性診断なんていうのもあったような気がする。
ぼくのAB型は、B型と相性がいい、といわれてて、
そういえば、うちの両親もそうだし、
ぼくが若いときにつきあってた女の子は、
選んだわけでもないのに、なぜかB型だったこと考えると、
当たってるのかな、と思ったりしたこともあったのだけども、
最近はB型以外傾向だったりして、
やっぱりあんまりあてにならんなー、とも思う。

結果としては、だれともうまくいってないのだから、
どんな血液型とも相性が悪い、
あるいは、うまくいった血液型がないのだから、
相性がそもそもない
と最近はちょっと開き直り気味なおっさんなのだった。


▼本家の占いは、こちらから(^^
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2006年3月12日 (日)

犬も歩けば。。。

犬も歩けば、猫はコタツでまるくなる
ぼくが座右の銘としていることばだ(嘘)。

それはともかく、偶然の出会いは、どこでも起こりえる。
ぼくは、タイのバンコクでもカンボジアのポイペト
(といってもどこにあるかは知るまい)ででも、
知り合いと出会ったことがある。
犬棒的出会いは、どこでもあるもんだ。
ましてや、大阪でわ^^;

今日は外へ出かけた。
いつになく、活発にいろんな場所を巡ってきた。
ヨドバシ、ビックカメラ、そして、ナンバに新しくできた
ヤマダ電機だ(←どこがいろいろだ^^;)。

しかし結局、なにも買わないで、車をとめた場所まで
とぼとぼ歩いていた。
とある橋の上から、もう日も暮れた
大阪の風景を眺めたりしながら。

そしたらば、向こうの方から、
なにかが両手を広げながら走ってくる。

事態が飲み込めず、ぼくはその場に立ち尽くした。
走ってくるのが、ゴジラでもぼくは動けなかっただろう。
やっぱりぼくは、瞬間的な判断力がないらしい。

ぼくが同じように両手を広げなかったから、
その物体は、ぼくの目の前で止まった。
前カノだった。

約束したって会えないのに、こんな道端であうなんて。
どこかに行く途中だっていうから、
結局、そこまで車で送ることに。

なんなんだろーね、まったく。




ぼくは問う。
神よ、あなたはぼくに何をさせたいのですか?




あ、しまった、ぼく、仏教徒だった。。。




▼タイのどっかのお寺で、犬と寝てみるひと。
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2006年3月11日 (土)

日めくり

ぼくはタイで毎年必ずカレンダーを買う。
普通のカレンダーではなく、
いわゆる、日めくり、と呼ばれるものだ。
しかし、タイでは通常、日めくりは使わない。
毎日めくらないかんような、しんきくさいもの、
めんどくさがりのタイ人に受入れられるわけがない。
日めくりはタイの中華街で買ってくるのんである。

タイという国は不思議な国だ。
どんな国でも華僑なり、印僑なりはいるのだが、
通常、孤立して、もともとの文化を維持して暮らしている。
ところが、タイではたしかに中華街もあるのだが、
どっちかというと、タイでの華僑は、
タイの文化と融合して、存在しているような気がする。
これも、タイの恐るべきところかもしれないし、
また、タイの支配層は中華系が多いことを考えれば、
国ごと乗っ取られたといえなくもない。
あえていうなら、細胞とミトコンドリアの関係
似ていなくもないかもしれない。
どっちにしても、タイらしい状況だと思う。

はた、と気づくともう3月だけれど、
そういえば、今年は買ってきた日めくりをまだめくっていない。
なんとなく、ぼくもタイ人化してきてるよな気がするな。

今年は、プノンペンにいったときに、
カンボジアでも日めくりを手に入れた。
タイと同様、現地語であるカンボジア語と、
使用者言語である中国語で書かれたものである。
よくみると、ベトナム語でもなにやら書いている。

日本広しといえども、毎日タイ語とカンボジア語の
日めくりをめくれる男は、ぼくくらいだろうな、
と自慢にもならないことに自信満々なぼくなのだ。
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これはカンボジア版

2006年3月 9日 (木)

香水

とくににおいフェチというわけではないと思うのだけれども、
実は、おんなのひとがつける香水のにおいが好きだ。
おおっぴらに公表しにくい雰囲気があるのか、
ぼくはまだ積極的に香水のにおいが好きだ、
という男のひとにであったことがない。
逆に香水のにおいは、だめだ、っていう意見はよく聞くけれど。

しかし、けっこうな値段のするあの液体を
世界のみんなが嫌ってるのなら、
誰も買ったりはすまい、と思うのだ。

ぼくはいままでたくさんの香水を買ってきた。
以前につきあってたかのじょにはもちろんのこと、
職場のおんなのこたちなんかにもお土産にけっこう買った。

それをもらって喜ばないおんなのこは、いなかったように思う。
やっぱりみんな好きなんじゃないかなー、と思うんだけどね。

しかし、じゃあ、どんな香水でも許されるのか、
というと、そうでもない。

香水の風呂に入ってきたんじゃないか、
と思えるような、すんごい匂いをさせてくる女の人は、
さすがのぼくでもどうかな、と思う。

以前、ボスが女性だったことがある。
このひとは、けっこうな歳のひとだったのだけれど、
大量の香水をつけていた。
かのじょはふだん、個室で仕事していたので、
あんまりかのじょの香水を気にする必要がなかったのは
ラッキーだったかもしれない。

そして、そのとき同じオフィスにいた若い女性従業員も
負けずにしっかりと香水をつかっていたが、
仕事の接点がなかったため、これも気にはならなかった。

ある日、他の部署から、全従業員中、一番化粧が濃い
といわれていた女性が、うちのオフィスに来ていた。
もちろん、かのじょも限度を超えた香水を使用していた。
うちのボスに用があったらしく、彼女の部屋に入っていき、
それをみた若い女性従業員が、来客用のお茶を入れて、
その部屋に持っていった。

そのときだ。
何の罪もないぼくが部屋に呼ばれたのは。

職場で香水がもっともきつい3人の女性がつどっている
部屋に入ったぼくは、たしかにそこに、
かのじょらから立ち上がる妖気をみた。
気の弱い犬なら、即死しそうな環境だった。

書類の説明が終わって、ぼくがその部屋からでていったあとも、
その3人は、ながながと個室から出てこなかった。

まだ、ぼくたちの知らない科学反応があそこで起こっていて、
妖怪人間でも発生してなきゃいいけど
と若きおっさんは思ったのだった。



▼写真はイメージです^^;なんつって
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2006年3月 7日 (火)

チャンスに弱いおとこ、ピンチでは。。。

前にチャンスに弱いと自分のことを書いた。
でも、チャンスに弱いおとこがピンチにも弱いとは限らない
これは表裏一体のものではないのである。

むかし、めぞん一刻という漫画のなかで、
主人公の五代君が、おなじ下宿の一ノ瀬さんに、
あんたくらい毎年正念場をむかえてるおとこも珍しいね、
といわれていたが、
人生におけるピンチとはなんだろう。

たぶん、その問題の処理を誤ると、その後の人生に
大きな問題や負の影響が長期にわたって残るような出来事、
ってことになるんだろうけど、
たとえば、付き合ってるおんなのこに生理がこない
なんていうのはけっこうピンチだったりするんだろうな。
でも、これはチャンスをものしてるひとのみに許された
ピンチなんだけれど。

ぼくがちょっとピンチだな、って思ったのは、
大学4年生のとき、最終学年になっても
教職科目の単位が全部取れていなかったことだ。

当時教員志望だったぼくは、
卒業単位はでんでん大丈夫だったのだけれど、
それとはべつに大量の教職資格のための単位を取得せねばならず、
科目によっては、あんまり興味をもてないものもあり、
ずるずると4年生まで、残してしまった科目を落とせば、
卒業はできても、教職資格だけが得られない、
というややこしい事態に陥る可能性があったのだった。
けっこうまじめで、学校にまじめにいくだけが取柄
のような学生だったぼくにとっては、
アイデンティティにかかわる危機でもあった。

その科目はたしか人文地理学だった。
この先生は、大のタイガーズファンで、
毎年毎年1回目の授業のときに、今年タイガーズが優勝すれば
ここにいる全員に喜んで単位をさしあげよう
といっているらしかった。

しかし、タイガーズはここ20年優勝しておらず、
そういう意味ではけっこう自虐的なネタでもあったわけだ。
先生の年齢を考えると、1回だってタイガーズ優勝の恩恵に
預かった人間はいなかった
だろうし。

ぼく自身も、3年生のときもこの先生の科目を登録して、
タイガーズが優勝できなかったせいもあって、
単位がもらえなかった。

しかし、である。
なんということでしょう(加藤みどり風に)。
その年、すなわち、1985年
タイガーズは21年ぶりに優勝してしまった
そして、ぼくはちゃんと単位をもらうことができた。
もちろん、試験の答案に、先生が最初の授業でいったこと、
よもやお忘れではありませんよね
脅迫添え書くことは忘れなかった。

次の年、ぼくが産休講師のような形で
教職につくことになったことを考えると、
この優勝は、ぼくの人生にとって、意義深いものであった。

そして、その次にタイガーズが優勝するには、
さらに18年の歳月が必要だったことを考えれば、
ぼくはなかなかにピンチに強いおとこだったのではなかったか、
と思うのだけれど、どんなもんだろうか。


▼18年間、タイガーズが優勝できなかったのは、
道頓堀川に沈んだカーネル・サンダース人形の呪いなんて、
言われていたけれど、最近の様子をみていると、
無事成仏されたらしい。やっぱり。。。(-人-)合掌
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ケンタッキー@タイペイ

2006年3月 5日 (日)

ハナレイ・ベイの法則

「女の子とうまくやる方法は三つしかない。
ひとつ、相手の話を黙って聞いてやること。
ふたつ、着ている洋服をほめること。
三つ、できるだけおいしいものを食べさせること。」
(村上春樹「東京奇譚集~ハナレイ・ベイ」より)

ぼくは自慢ではないが、もてる方ではない。
べつにもてたいとも思わずに
ずるずる人生を送ってきてしまったため、いまだに独身だ。
これに関しては、後悔はしていないものの、
最近、少しさみしさを感じたりするのんは
歳のせいもあるんだろう。

ただ、もてないからといって、
人生をずっとひとりで過ごしてきたわけでもない。
とくに最近までつきあってた女のことは、
柄にもなく、結婚することになるんだろうな、と思っていた。

でも、相手はそうは思っていなかったようで、今はひとりでいる。
ただ、これもそういうだったのだろうな、と今では思ってる。
いや、ほんとうに^^

それはさておき、ぼくが女のことうまくやれないは、
ハナレイ・ベイ・ルールに従うと、
ひとつめの条項違反である可能性が濃厚だ。

ほかのふたつの項目は、努力しだいでなんとかなるような
気がするのだけれど、
残念ながら、ぼくは人の話をだまって聞いてやる器量がない。

最近、あるひとがカウンセリングの極意について
書いていたのを読んだ。
そこには、

カウンセリングの極意は、相手が言った
<ことば>の語尾を繰り返すことだという。

という一文があって、
ぼくは、なるほどなー、って感心してしまった。

ぼくは、自分の意見を述べることしか興味がなかったな、
って、深く反省したしだいなのだ。

そういえば、おおむかし付き合っていたおんなのこに
面と向かっていわれたことがある。

わたしは愚痴を聞いてほしいだけで、
あなたの意見が聞きたいわけではないの。

それから十数年、ぼくはまだよい聞き手にはなれてはいない。

むかし、先輩に連れていってもらった、カウンターだけの
バーのマスターは、みごとな相槌をうつオトコだった。
先輩の、たいしておもしろくもない話をすごく興味深そうに、
ほー、とか、なるほどー、とか言いながら、聞くのだった。

そのうちに先輩は、マスターに意見を求めた。
◎◎は、これからどうなるんだろうね?
しかし、マスターはあいかわらずなんておもしろい話なんだ、
ってカオをして、ほー、って相槌をうっていた。

実はでんでん話を聞いてなかったのんだ、そのマスターは。

でも、先輩は、その店で話をする(?)のんが
とても好きらしかった。
ぼくは、かれに聞き手としての最終解脱形を見たような気がした。

世界はよい聞き手を求めている。
もてたいかどうかは別にして、ぼくの残りの半生は、
よい聞き手になることを目標のひとつにしたいと思うことだよ。



▼シンガポールスリング 発祥の地として知られる、
ラッフルズホテルのLong Barにむかし行った。
こんな長いビールもメニューにあったりする。
もちろん、飲んだのはあっしではないよ(^^
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よわい男とポカリスエット

土曜の午後に電話が鳴る。
電波の向こうからは、泣き声の女だ。

おなかが痛い、とその声はいう。
といわれてもね、医者でもないんだけど。

なんなら、あとで行こうか、と、よわい男が答える。
なにかほしいものはある?

ポカリスエットがほしい。
そういえば、病気のときはいつものんでいたな。

でも、ちゃんとすこしあとに正気に返った女からの連絡がある。
おかあさんが来てくれることになったから。。。

そお、お大事に。
医者じゃないおとこがまた答える。

夜になってから、メールが入った。
今日はごめんなさい。
だいぶよくなったから。

よわい男は、
ポカリスエットはもういらない?
と返事を書く。

もうだいじょうぶかな、心配をかけました。

ポカリスエットはともかく、ぼくがいらないんだろ(^^
とぼくはこころの中で笑った。
もう1年かあ。

さて、あしたはなにしよう。
たまには外にでてみるのもいいかな。

2006年3月 3日 (金)

酔っ払いの不思議

ぼくはお酒を飲まないのは何度か書いた。
決して飲めないのではない。
甘党のぼくにはあまりおいしいと思えないだけだ。
無理して飲まねばならない理由も今のところないし。

人間ドックに行ったとき、肥満傾向と尿酸値が高いことから、
総合所見担当の若いお医者さんに、
お酒を控えなさい、と言われたことがあった。
飲まないんですけど、どうしましょう?
ってつい答えたら、ほなええわ、と逆切れされた。
怒らんでもええやん^^

こんな光景をみたことがある。
同じ宴会にでてたおじさんと、けっこう飲んでた若い男の子、
といっても20代半ばくらいだったけれど、
を残して、ぼくは自分の駅で降りた。
そして、お見送りのためにプラットホームで
扉のしまった電車のふたりをみていた。
扉のしまってしまった電車からはなんの音も聞こえない。
突然、空いた電車のなかで異変が起こった。
酔っ払った男の子が、口から緑色の液体を吐いたのだ。
どんな風にしたら、あんな色の液体が体内で生成されるんだろう。
安全地帯で他人事のようにぼくは思っていた。
大騒ぎのパントマイムをよそに電車は行ってしまった。

また、べつのときだ。
何かの宴会後に、顔くらいしか知らない同じ職場のおじさんと
同じ電車で帰ったことがある。
かれはもうすっかりできあがっていて、
でも、根はひとなつこいんだろう、なにかと話をしたがった。

ところで、きみはどこの高校出身や?
おじさんは、尋ねた。
○○高校です。
ぼくは、答えた。
うちの嫁はんといっしょやないか、おじさんは驚いて言った。
ええ、出身は○○市で、云々て話をいう話をしているうちに
おもむろにおじさんはぼくに尋ねた。

ところで、、きみはどこの高校出身や?
○○高校です。
ぼくは、答えた。
うちの嫁はんといっしょやないか、おじさんはやはり驚いた。

また、少ししたあと、
おもむろにおじさんはぼくに尋ねた。

ところで、、、きみはどこの高校出身や?

3度目はもう次の展開が読める。
ぼくは、だいぶこの会話に飽きていた
ちょっと展開に変化がほしいところだ。
そこで話をしなから、次におじさんの頭の針が飛ぶ瞬間を待った。

ところで、、、、、

ところで、◎◎さん、ひょっとして、
奥さんは○○高校の出身じゃないですか?
ぼくは言ってみた。

な、なんできみがそんなことしっとんのんやあ?
このときのおじさんの驚きようといったらなかった。

次の日、ぼくはおじさんに念のため、聞いてみると、
昨日は、ちゃんと家には着いたらしい。
でも残念ながら、ぼくといっしょに帰ったことは憶えてなかった。

酔っ払いって、不思議な生命体だなあ^^。


▼カンボジアで見かけた、金力士酒。ほんとにワインなのか(^^?
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知らぬが仏

世の中には知らない方が幸せなことがあるようだ。
たとえば、ある種の、

あ、知りたくないひとは読まない方が、、、^^






もういいかな、
.
たとえば、ある種の着色料の原料は、だったりするのは、
虫が苦手なぼくのようなものからすると、
知らねばよかった事実である。
しかし、天然原料由来のものはまだしも、
工業的につくられ、国によっては発ガン性がある可能性が高い、
という理由で使用不可能なものが別の国では使用可能だったり
するのんも、あんまり知りたくない事実であろう。
.
また、若いとき、ぼくがよく食べていた食品に
輸入された食用みみずが使用されていたらしい、
というのを聞いて、
ぼくはその食品を食べることができなくなってしまった。
それは一種の都市伝説だったんだけれど、
その後の人生の中で、それを裏付ける証言を聞いてしまった。
どうもほんとっぽいようだ。
今は知らないけどもねー。
.
しかし、あとでそれを知ることになったのは、ある意味、幸せだ。
後悔してもくっちまったものはしかたがない。
ほんとうに不幸なのは、食べている最中に気づくことだろう。
.
わりとインパクトのあったのは、タイ伊勢丹6階の
紀伊国屋書店の前にむかしあったレストランでたべた料理だった。
その店はいまはこの場所からは撤退してしまった。
.
ぼくは、ここの料理が好きで、わりとしょっちゅう通っていた。
あるとき、けっこう食べ進んだあとで、
料理の中に日本ではキッチンなんかによくいる
がいるのを発見した。
なんですぐに気がつかなかったかというと、
それは、あんかけ風の料理のなかで、その虫が料理と
イッタイとなっていて、虫とはわからなかったのである。
すっかりとろみがついていた
.
とりあえず、皿をさげてもらうことにした。
いくらなんでも、それをみてはもう食べれない。
実は、そのときぼくは興味津々だった。
気持ちは悪かったものの、タイ人のウェーターが
どんな態度をとるか、ってことに関心があったのだ。
.
まいぺんらい伝説、というのんがタイにはある。
まいぺんらい、はタイではしょっちゅう使われることばのひとつで、
英語のyou are welcomeに似た意味だ。
.
しかし、喫茶店でお水をこぼしたウェイトレスが、
こぼされた客に、こーとーと(sorry)ではなく、
まいぺんらい、と客より先に言った、なんて笑い話があったりする。
実はこのことばは、なかなかに奥が深く、
no problemに近い感じの使われ方もする。
.
ウェーターがこの状況で、
まいぺんらいを使うかどうか、興味深かったのんだ。
.
しかし、かれはワイ(合掌)(-人-)をしながら、
タイ人がそうしたのんを今までみたことのくらい、
深々とおじぎをした。

まあいいや、このウェーターが作ったわけでもないし

かれは、もう一回この料理を作り直すかどうか、ぼくに尋ねた。
ぼくは、もういい、食べたくないよ、って答えた。

会計をすませて、ホテルに帰ってから、気づいた。
そういえば、あの料理分の料金はちゃんと払わされてたな。

うーん、恐るべしタイ人(-_-;)

▼ちょっとみにくいけど、虫の揚げ物の屋台。
タイでは、虫食の伝統があり、正直、
とろみのついた虫くらいで騒ぐな、って感じかもね^^;
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