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2006年2月28日 (火)

チャンスに弱いおとこ

チャンスに強いおとこの代名詞となっていたのは、
現役時代の長嶋茂雄選手だった。
その当時、けっこう気合の入ったタイガーズファンだったぼくは、
なんどかれの勝負強さによってえらい目にあわされたことだろう。
.
有名なのは、展覧試合に村山投手から打った
サヨナラホームランだけど、残念ながら、さすがのぼくも
その当時はまだこの世に存在していない。
.
でも、ここぞ、っていうときの長嶋選手は、ほんとにすごかった。
しかも、必ずここぞ、ってところで、かれが登場するのんである。
そういう意味でも、かれは天に選ばれし存在だったのだと思う。
.
とくにぼくが今でも忘れられないのは、
上田次郎投手のノーヒットノーラン未遂試合だ。
.
その日の上田投手は、すばらしい出来だった。
ジャイアンツの打線は、9回2死までノーヒット
わずかに四球が2つあっただけだったのだと思う。
しかしこのとき、上田投手は、もうすでに
運命の神から見放されていた

ケンシロー流にいうと、

おまえはもう死んでいる

状態だったのである。
.
なんでか?
次のバッターは、3番サード長嶋、だったからだ。

ウグイス嬢のそのコールを聞いたとき、
上田投手のノーヒットノーランを信じて疑わなかった
すべてのタイガーズファンの脳裏にじゃっかんの不安が生じた。
子供だったぼくでさえ、感じたのだ。
だいじょうぶ、今日の上田投手なら、
長嶋選手だって打てはしまい、ぼくは思おうとした。
.
しかし、長嶋はやっぱり長嶋だった。
せっかくの上田投手の大記録も、
あと1死で届かぬ夢と消えたのだった。
.
そして、おそらくチャンスに強いおとこの数だけ
チャンスに弱いおとこ、というのもちゃんと存在する。
同時代の野球選手でいうと、タイガーズの藤田平選手は
地味にチャンスに弱かった。
.
かれのバッティングセンスは、とにかくすばらしかった。
とくに左打席からレフト方向に流し打つその打球の美しさ
といったら、勝負の世界の出来事であるにもかかわらず、
風雅といいほどの芸術的高みに到達していた。
それほど、かれの流し打ちは美しかった。
.
しかし、ランナーがいるとき、
かれは滅多にその芸術をだそうとはしなかった。
とくに1死ランナー1、3塁のとき、
かれは内野フライを打った。
か、な、ら、ず、といっていいほどの確率だったんではないか、
と今でも思う。
しかも、内野ゴロでゲッツー、おわり、ではなく、
内野にインフィールドフライを打つのんだ。

ほんとに地味にチャンスの弱かったなあ、と思う。
.
しかし、現役選手としての晩年、
かれはけがから復活したあと、がんがんヒットを打ち出した。
それはもう、チャンスでないときはもちろん、
チャンスのときでさえ、遠慮はなかった
結果としてその年、かれは首位打者になった。
地味にチャンスに弱いおとこは、
最後にチャンスをものにした
のだ。
.
かくいうぼくも、藤田平選手並みに
チャンスに弱いおとこだと自認している。
とくにおんな偏に属する事象については、
スコアリングポジションにランナーがいるときの
藤田選手よりも頼んない、まさに、とほほ的にだめなのだ。
.
まだ、若いときだ。
以前勤めていた職場で、そのとき、ぼくはコピーをとっていた。
コピー機などは別室の小部屋に集められていて、
人口密度が高い仕事部屋から離れた位置にあった。
.
突然、同僚の女の子が泣きながら入ってきた。
そして何でもいいから、泣いてる自分を受けとめてくれる存在
を求めていた。
そこにはコピー機とぼくがいた
.
かのじょは、ぼくの方を選んでぼくの胸で泣こうとした。
しかし、ぼくは思わずあとづさってしまい、
寄る辺をなくしたかのじょは、しかたなく空中で泣いていた
.
数年後、かのじょはぼくたちの同僚と結婚したが、
あのときひしと抱きしめてあげれれば、
ひょっとして、、、

まあ、そんなことはないだろうけれど^^;、
チャンスに弱いおとこ、というものは、しかし、
過去のチャンスをちゃんと憶えているものなのだ

.
.
.
▼あっしにとってのタイガーズの背番号6は、
タイガースでその野球人生をはじめ、そして終えたかれなのPhoto_40 だ。


おすそわけ

ぼくは気のちっさい男だ。
なんかいいことがあると、それを埋め合わせるために
同じだけ悪いことが起こるんではないかな、と思ってしまう。
.
だから、いいことがあると、とりあえず厄除けではないけれど、
なにかの方法で、幸せのおすそわけを考える。
幸せを独り占めするやつはゆるさんぞ、
って、神さんからバチをあてられてはかなわん、と思うのだ。
.
ぼくにとっての、一番のふってわいたような幸せは、
航空会社都合による、座席のアップグレード、
いわゆる、インボランタリー・アップグレードといわれるものだ。
.
最近は、年に数回しか飛行機に乗らないし、
それもほとんどが無料航空券なので、
インボラのアップグレードは望むべくもないのだけど、
たった1回だけ、無料航空券でアップグレードされたことがある。
ベトナムのホーチミンから成田への深夜便に乗ったときのことだ。
.
空港には早い目についた。
できればチェックインをして、荷物を預けてから、
もいちど、空港近くをぶらぶらしたかったからなのだけれど、
残念ながら、ホーチミンの空港は、チェックインすると、
そのまま出国まで一直線で、もいちど、
外に出てはこれないようだった。
.
スーツケースをもって、へろへろ街を歩くわけにもいかず、
少し早いけど、チェックインすることにした。
そのときに、
本日はビジネスのお席を用意させていただきました
という、幸せなセリフを聞くことになったのである。
.
ぼくのそのときのかっこうときたら、
Tシャツに迷彩柄の半ズボンで、
ビジネスマンらしい姿でも、かといって、軍人らしい姿でもなく
アップグレードされる根拠はなにもなかったのだけれど。
しいていえば、その会社の上級会員だったことと、
ほぼ1番にチェックインしたことくらいだろうかな、って思ってた。
.
でも、後日帰ってから、よく考えると、
往路でチェックインされた座席の、
周りの乗客がすべてベトナム人で、
大声で話すかれらのあいだで、辟易してたぼくのことを
スッチーのおねーさんがえらく同情してくれてたことを
思い出した。
ひょっとすると、それが関係あったのかも知れない。
.
とりあえず、ボーディングカードを受取ったら、こっちのもの
半分くらいスキップしながら、出国し、
デューティフリーに向かったのだった。
.
そこで、ぼくは当時付き合っていたかのじょのために
ペンダントを買うことにした。
頼まれていたお土産はすでにもう手に入れていたし、
それとは別に買わないと、
真の意味でのおすそわけ
にはならない、
というのが、ぼくのルールだった。
ほんというと、アップグレードしてくれた航空会社にも
少しお返しするために、機内の免税品を買う方が
よりおすそわけルールに適合しているのだけれど、
往路で見た機内誌には、あんまり購買意欲をそそるものは
なかったのんだ。
.
その免税店のベトナム人のねーちゃんに、
そのペンダントみせて、といって、商品を出してもらった。
みてもいまいち感じがわからないのんで、
反則かな、と思いつつも、
そのねーちゃんに試しにつけてもらった。

ねーちゃんがつけると、そのペンダントは値段よりも高く見えた。

じゃあ、それ、って言って、日本に持って帰ってはきたけれど、
ペンダントごとかのじょに逃げられた今となっては、
あのベトナム人のおねーちゃんにあのままあげてもよかったな、
とそれこそ、罰当たりなことを思ったりしないでもない、
おっさんなのであった(^^
.
.
.
.
▼ベトナムいいとこ、一度はおいで^^
Photo_39

2006年2月27日 (月)

ぷんぷいさん、タイのイサン地方をたびする(その2)

次の大きな街は、ナコンラチャシマである。
ナコンラチャシマは、別名コラート(高原)と呼ばれ、
イサン地方の玄関口になる。
また、数時間バスに揺られ、コラートを目指す。
コラート行きのバスは、少し立派だ。

コラートについたら、少しはまともなホテルもあるのだけれど、
それは、街の両端に別れて存在している。
そして、バスターミナルはまんなかだ。

バスターミナルそばのBigCというスーパーマーケットの、
ミスタードーナッツポンデリングを食べながら、
ぼくは考えた。
どっちかのホテルに泊まるとしても、
また街なかまで出てこねばならないし、
それなら、少しグレードは落ちても、
この辺のホテルにしてもいいかな、と。
地球の歩き方で見る限り、そんなにひどくなさげだし、
コラートはけっこうでかい街だから、大丈夫だろう

というわけで、ぼくは、泊まろうと思った街3番目の
高級ホテルに向かった。
地図では近く見えたけれど、暑いなか、けっこうな距離を歩き、
ついたホテルは、とても怪しかった

平常心なら、とても泊まろうとは思わないホテルだったけれど、
もうこれ以上、ホテルを探して移動する気力もなく、
ぼくは、チェックインすることを決めたのだった。

値段は、500バーツ(約1500円)で、
スリンのホテルよりもさらに安く、バスタブはなかった。
ホテルの廊下を歩いていると、
自分が監獄にいるような気さえした。
窓に鉄格子が入ってないのは、とりあえず救いだった。

もう地方にいるのはいやだ、あしたはバンコクに帰るぞ、
とぼくは決意した。
ホテルの紹介業者に電話して、
あしたのバンコクの予約の依頼をする。

監獄ホテルでシャワーを浴びると、多少は気が落ち着いて、
そとに散歩に行くことにした。

この街には、一度来たことがある。
コラートは、かつてはバンコクから、タイ航空の、
一番近く、一番安い便が飛んでる街だったので、
修行に使っていたのんだ。
でも、1回みたら、もういいや、と、
それからは、空港で自分の乗ってきた飛行機に
再度乗って、そのままバンコクに帰っていたので、
街に出たのは、一度きりだったのだ。

歩いているうちに、むかし歩いたところを思い出す。
このKFCで鳥しばいたなー、とか、
このスエンセンズで、アイスクリーム食べたなー、とか。

おおむかし、タイを外国の軍隊の攻撃から救ったという、
救国の女性、タオ・スラナリーの像もそのときにみたからいいや、
と横を素通りし、屋台の集まった公園をへろへろ歩く。
公園では軍隊なんだろうと思うけど、銃の展示会
(即売はさすがにしてないだろうけど)をしてたりする。
Photo_38




タイの田舎は、ほんとにしょぼいなー、と思う。
これでも、イサン地方で一、二を争う大都市なんだけどね。

結局、ネットを2時間ほどして、ホテルに帰る。
監獄ホテルが、本当の監獄と違う点は、
娯楽施設があることだろう。
1階は、ホテルの規模からすると、ずいぶん立派なバーで、
ロビーをけばけばしい、でもとてもきれいな
ねーちゃんが横切っていった。

こういうところのシステムは、きわめて簡単かつ合理的だ。
客は飲みに来る。
飲みながら、ねーちゃんを物色する。
気に入ったねーちゃんがいれば、部屋に持ち帰る。
用が済むと、ねーちゃんは、店に帰り、また働く。

思わず、立ち止まって見とれるほど
きれいなねーちゃんだったけれど、
ぼくはバーに入る気にはなれなかった。

かっこをつけるつもりはないが、ぼくは女は買わない

でも、そういうシステムを否定する気もない
むしろ、おんな(場合によってはおとこ)を
売って商売することは、誰かに強制されているのではない限り、
自由ではないか、とぼくは思っている。

管理売春は、絶対悪に分類されるひどい行為だと思うし、
なくなればいいと思うけれど、
自発的意志にもとづく、売春行為は供給と需要があるかぎり、
通常の商行為同様、容認されるべきである、
という立場にぼくはいる。

もちろん、許されるべきではない、という意見も理解できる。
否定するつもりはない。
そこには、意見の一致がないだけだ。
結論はない、というのがぼくの結論だ。

ただぼくは、愛のないそういう行為はしたくないのでしない、
という立場にたっているのんだ。

監獄ホテルの娯楽には目もくれず、部屋に帰ってとりあえず眠る。
寝ることしか、自分が監獄にいることを
忘れる方法はなかったのんだ。

ちゃんと次の日の朝はきた。
ぼくはなるべく早くチェックアウトして、
バスターミナルに出かけた。
早くバンコクに帰りたい
考えられることはそれだけだった。

しかし、バスターミナルにはたくさんのひとが集まっていた。
そうだ、今日は1月3日、
田舎に帰っていたひとがバンコクに帰るのだ。
でも、タイの仏歴による本当の正月は、4月13日だし、
混んでるといっても、たかがしれてるさ、
絶対バンコクに帰るぞ、とぼくは再度決意した。

広いバスターミナルを迷いながら、
バンコク行き切符売り場にたどり着き、
5分ほど並んで、切符を買って、バス乗り場に行くと、
バス数台分と思える人間がすでに待っていた。

切符をみると、ぼくの乗るべきバスは、ずっとあとのようだが、
いまいちシステムがわからない。
係員と思われるマイクをもったにいちゃんの、
秘書役みたいなねーちゃんに切符をみせると、
いすに座って待つようにいわれる。

まもなくバスが来たが、ぼくの切符に書いてある番号とは違う
バスだったので、ぼー、と待ってると、
客がひととおり乗り終わったあと、
ぼくと近くにいた別嬪さんに、乗るように指示がでた。
どうも、空席が2席でたために、待ってる中から、
扱いがめんどうそうな外人のぼくと、別嬪さんが選ばれたようだ。

さすがはタイ、西洋的な合理主義ではない、
べつの合理主義にもとづいた人選だな^^;
数台分の待ってる他のお客さん、すんません。

外人だから、という理由で、ぼられることも今まであったけれど、
多少ぼられても、もう文句いいません

けっこうな距離をバスは快適に入っていく。
3時間弱で、バスは、バンコクに着いた。
やっぱりバンコクはいいなー、
と便利な都会じゃないと生きていけない、
かよわいおっさんは、思うのだった。

2006年2月26日 (日)

ぷんぷいさん、タイのイサン地方をたびする(その1)

新年はバンコクで迎えた。
衛星放送で紅白歌合戦を見たあと、
2時間後にタイではお正月となる。
うっかり新年になる前にいったん寝て、
打上げ花火の音で起こされる。

新年の朝は、6時に起きた。
9時20分発の国内線の飛行機に乗る予定なのだ。
朝ごはんをパスして、7時にホテルをチェックアウトする。
ほとんどの荷物はスーツケースに入れて、
このホテルに預けておく。

乗る飛行機は、まいどおなじみエアアジア、
ウボンラチャタニ行き。
ウボンはタイの東北地方、バンコクから600キロほど離れた、
カンボジア国境まであと数十キロという田舎町である。
Photo_34






今回の飛行機は片道で、
タイの端っこに自分を捨てて
そっから、バスでバンコクに帰って来ようという試みなのだ。
もっとも、一直線にバスに乗って帰ってくることも可能なのだが、
それではなんのために行ったかわからないので、
途中3泊ほど、田舎町に泊まってくる予定だ。

1月1日は、ウボンから2時間ほどのシー・サケットという町で
泊まる予定にしていた。
以前、ウボンには来たことがある。
そのときは、一泊したので、この街のことは、多少知っている。

空港から、空港タクシーでバスターミナルに移動し、
すぐにバスに乗る。
タクシーはけっこう立派だったが、
バスはエアコンもない、おんぼろだ。
しかも、タイ人仕様の座席なのでぼくが座ると窮屈だ。
それでも、座席があるだけ、喜ばないと。
ほんとは、立ってたのだけれど、
若いにーちゃんがさっと立って、席を空けてくれた。
たびの途上で、外国人であることは
プラスである場合もマイナスである場合もある
今回は、お得の方だった。
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バスはちゃんとシーサケットに着いた。
地球の歩き方で紹介されている、街一番のホテルに行ってみる。
が、入るのがはばかられる門構え。
ここが一番だとすると、あとどうなるんだろう。

ということで、シー・サケットはパスして、
まだ、日が高いことを頼みに、次の大きな街に向かう。
夕方5時、スリンという街に着く。
ここは、象祭りで有名な街だ。

ここでも、街一番のホテルに向かう。
外からみると、すんごい立派だ。
フロントもけっこうちゃんとしてる。
Photo_36






今夜、部屋はありますか?
一泊、いくらですか?

立派な外観にもかかわらず、
一泊810バーツ(約2400円)との答え。
朝ごはんも込みの値段だ。

部屋に入ってみて、理由がわかった。
きれいな外観には、お金をかけてるいるが、
内装は開業以来手をつけてないでは、と思わせる古さ、だった。
なるほど、そうきたか

しかし、ほかに選択肢はないし、すでにお金も払ってる。
今日のお宿はここなのだ

象の街、ということで、街をてらてら歩いてみる。
たしかに駅前に象の像はあったけれど、
そのへんを野良象が歩き回ってるわけでもないようだ。
結局、出会った象は一頭だけ。
これなら、バンコクの方がよっぽど象は多いじゃないか、と思う。
Zou








ホテルのそばの、こましなレストランで食事。
なんとなく魔が差して、seabassなんつうものを頼んでしまう。
でも、海のそばでもないのに、
こんなものを頼んだばちがあとであたった

夜中の12時、外からの大音響で目が覚める。
ガーデンレストランで、大宴会が始まったようだ。
そして、気がついた。
左手が、赤く腫れている。
どうも、じんましんのようで、あのさかなかー、
って思いつつ、また寝る。
幸いなことに、翌朝起きてみると、腫れはひいていたけどね。

で、腫れはひいていたけれど、
机の上においていたポッキーには、ありが群がっていた
ここ、8階なんだけど。
なかなか予想外の出来事が起こってくれるもんだね、まったく。

男らしくポッキーを捨てて、バスターミナルに行く。(つづく)


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2006年2月25日 (土)

走性

中学生のときだったか、高校生のときだったか、
走性ということばを習った。
ゾウリムシだか、ミドリムシだかは、光を感じると、
光のある方に向かいます。
これは、光に対して、正の走性があるということになります、
っていうようなやつだ。
逆に反対側に行こうとするのんを負の走性というのだと。
.
人間にも、ミドリムシ同様、走性があるような気がする。
ぼくは、どっちかというと、なにごとにつけても、
負の走性をしめす人間だと思う。
ふだんやらないようなことはなるべくせずにすまそうとする。
いい悪いはべつにして、そういう習性が身についてる
なんでかはしらんけど。
.
学生時代だったと思うけど、仲良しクラブっていう、
いしいひさいち氏の4コママンガを読んだ。
大学(おそらくは、東淀川大学^^)に入学したばかりの新入生が、
クラブに入ろうといろんなクラブを見て歩いてる。
そのなかで、仲良しクラブっていうクラブがあって、
ここってなんだか楽しそうだ、って思って、
その新入生は、入部することに決める。
そして、先輩らしき人に、もう一人の新入生に引き合わされて、
きみはこの山田君となかよくしてもらおうかな、
どんなことがあっても仲良くするんだぞ、
って怖い顔ですごまれるのである。
.
ぼくは、その当時、このマンガの趣旨がわからなかった。
どこに笑いどころがあるんだろと。
しかし、その後、就職してその意味がわかる。
大人の世界では、この「仲良しクラブ」状況というか、
人間関係というか、そういうことが多々生じることを。
.
ぼくは、その後、数十年、仕事ではこの
「仲良しクラブ」的状況を必ず受け入れることにした。
なぜならば、仕事だからだ。
その代わり、プライベートでは一切受け入れないことにした。
プライベートでは無理しない。
公私ともに無理をしては、きっといつか破綻するだろう、
と考えたからだ。
.
それ以来、ぼくは、どっちかというと、
というよりは、かなり、付き合いの悪い人間として、
その人生を過ごしてきたのだろうと思う。
おかげさんでいまだに独身だし、
友達はいないし、
親戚は寄りつかないし、
ケイタイ電話は鳴らないし、
メールはスパムばっかりだし、
郵便物は、主にDM請求書だ。
.
しかし、あんまり悩みのない人生を送ってきたようにも思う。
もっとアクティブな人生を過ごしたとしても、
同じ結果だったかもしれないが、
過ごしていない人生のことなんか、誰にもわかんないのだし。
.
これかもぼくは、いろんなことから、逃げ続けるんだろうな。
.
.
.

▼ちなみにあっしはネコに目がない。
対ネコには、正の走性があると確信している^^
Photo_33

2006年2月24日 (金)

ホテルの騒音

ひとはいろんな理由でホテルに宿泊する。
仕事での出張や観光で遠隔地に来ているため
というのはもちろん、
たとえば、雑事から逃れて仕事に没頭するためだったり、
たとえば、日常から逃れて、
ひとときの贅沢を味わうためだったり、
たとえば、なんらかの事情で自宅に持ち帰れない
愛欲をはらすためだったり、
それにはいろんな状況や事情があり、
また、その状況や事情が複合的だったりするのんだ。
.
ホテルの方では、その特性に合わせ、
客を喜ばせ、また来てもらうために、みずから研鑽・努力する。
出張族が多ければ、障害者用施設をつぶして、
喫煙コーナーにしたり、
贅沢好きが多ければ、家具調度品にお金をかけたり、
夢見るおねーさんが多ければ、ベッドの上に天蓋をつけたり、
連れ込みの客が多ければ、時間単位での、いわゆるご休憩
という料金システムを考案したりする。
.
そういえば、今でもあるかどうか知らないけれど、
むかし、難波でみた、古風な連込み旅館の入り口には、
料金表がわかりやすく掲示されており、
ご宿泊以外のメニューが、ご休憩ではなく、ご商談だった。
その直接性を排した奥ゆかしさと、暗示的ないいまわし
(まさにご商談的に使用したカップルもいたろうし)に
ちょっと感動した覚えがある。
.
その「ご商談」ということばは、
憤死」「またぎ」「巨乳属」なんかとともに、
ぼくのお気に入りのことばリストに載っている。
.
とはいえ、その努力にも限度があったり、
客とホテル間のミスマッチがあったりは、
ある程度、仕方のないことだ。
いろいろな文化的・経済的背景をもったひとが、
集合して一カ所にいるのんだ。
無理がでるときだってあるだろう。
.
ホテルでの騒音を経験したひとは多いと思う。
ぼくは、音に関してはあんまり敏感な方ではないと思う。
多少うるさくても、がまんできる。
むしろ、日本人は、騒音に対する
耐性がなさすぎる
のではないか、とさえ思う。
.
そういえば、宿屋仇、という古典落語があった。
安眠せんがために、武士が機転を利かせて、
うるさい隣の部屋の宿泊客を静かにさせる話だ。
むかしから、日本人は音に敏感だったのかもしれない。
.
しかし、昨年の夏に那覇のホテルで経験した騒音には
ぼくも困惑してしまった。
そのホテルは、那覇の松山と言うところにあって、
いわゆる繁華街、というか、飲み屋街に近いところに
位置しているホテルだった。
.
そこには以前にも泊まったことがあり、せまいのがまんすれば、
値段のわりに清潔で、ぼく的には必要最小限は満たしている
ホテルといえた。

チェックインして、エレベーターに乗り、
自分の部屋がある階で降りた。
エレベーターを降りた瞬間から、そこは野生の王国だった。
廊下には、まるでのそれのような、女性の大声が響いていた。

???

最初、それがなにを意味するのか、わからなかった。

自分の部屋を探しあてると、その声はどうもぼくの前の部屋から
聞こえてくることがわかった。
自分の部屋に入り、ドアを閉めても、まだ声は聞こえていた。
荷物を置いて、シャワーを浴びて、出てきてもまだ続いていた。
.
そうとうな時間がたってから、ふいに声がやんだ。
不思議なもので、声が聞こえなくなると逆に心配になったりする。
ぼくが、自分の部屋のドアを開けてみると、
前の部屋から、シャワーを浴びる音が聞こえてきた。
たぶんシャワールームのドアを閉めずにいるんだろな。

夏草や 強者どもの 水の音

松尾芭蕉のふたつの句を同時に口ずさんだりする、
ひとりものなのであった。
.
.
.
▼そして、彼らが乗務するD型エンタープライズ号。
スタートレックネクストジャネレーションでは、冒頭、
エンタープライズが宇宙空間を滑空(滑宙?)する様が流される。
でも、宇宙空間なのになぜか風切音が。。。
これも一種の騒音、かな^^;
D

2006年2月23日 (木)

ぷんぷいさん、タイの女の子を語る

ぼくは、自惚れの強い人間ではではない、と思う。
むしろ、自分に対する判断をするとき、
客観的な立場よりはやや悲観的なところに
立ってるんじゃないか、とすら思ってる。
しかし、そんなことを思うことがすでに公正に
自分を見れていない証拠
だ、
と言われれば、そんな気もしないではない。
でも、今日は禅問答がしたいわけではない
ので、先に進む。
.
最近、タイの女の子を見ていて思うのは、
かのじょらもずいぶん啓けてきたな、ってことだ。
外国人の男の人と、なにげに付き合ってる風の女の子を
バンコクなんかだと、普通に目にする。
.
たしかに昔だって、そんな女の子はいた。
でも、一見して水商売風だったり、
訳あり風だったりしたものだ。
.
ところが、最近、目にするのは、
なんの変哲もない普通の若いタイの女のこが、
ふつうに外国人の男と付き合ってる姿なのである。
.
ぼくがこのあいだ、記事にしたホテルの食堂係の女のこは、
なかなか素敵なこだった。
きつそうだけれど、整っためはなだちで、食堂係とはいえ、
外国人の宿泊客の多い一流ホテルで働いている。
英語が話せることが条件だろうから、
そこそこ立派な学歴もあるんだろうと思う。
タイは、日本なんかよりずっと気合のはいった学歴社会なのだ。
.
そんなかのじょと写真を撮ってもらうときに少し話した。
自分の話だ。
.
今日帰るから、記念に写真撮らせてよ(^^
いいわよ、でも、いっしょに撮りましょう。
ところで、なんでタイ語が話せるの。
じーさんになったら、タイで暮らすんだ。
どーせ、ひとりだし。
なんで、ひとりなの。
去年まではフェーン(恋人や妻)がいたんだけど、別れたんだよ。
なんで、別れたの?
さあ、相手にきいてくれ^^;
.
その会話以降、その食堂係のかのじょは、
あきらかにぼくに興味をしめしていた。
とても忙しい状況だのに、帰りがけには別れを惜しんでくれたし、
ぼくが、5月にまた来るけどまだいる?、って訊いたら、
転職する予定だけど、5月まではいるようにするわ、
ってほとんど愛想だろうけど、いってくれたりもした。
むかし、タイの普通の女の子は、
そんな露骨な態度をみせたりはしなかったものだ。
なんというか、女子としてはしたない態度なわけだから(^^)
.
そういうのんが、うれしいような悲しいような
古きよきおっさんではあるのだったことだよ。
.
.
.
▼エンタープライズ号の機関部主任、ジョーディ・ラフォージ大尉。
ライカー副長とは逆に女の子にはなぜかもてない
でも、のちにはエンタープライズ号のエンジン設計者、
リア・ブラームス博士と結婚した(はずだ)。
Photo_9

2006年2月22日 (水)

アメリ(その1)

おまえはあした死ぬことになった。
死ぬ前に1本だけ、映画をみせてやる
っていわれたら、何を選ぶ?

ぼくは、フランス映画の「アメリ」を見て死にたい、と思う。
Photo_8










数年前、この映画が日本で公開されたとき、
気にはなったものの、若い女の子に人気があるということで、
おっさんひとり、映画館に行くことはようしなかった。
映画館は、女の子ひとりでは行きにくい場所だ
とはよく聞く話だが、ある場合は、おっさんひとりでも
行きにくかったりするのんだよ。
.
だから、初めて見たのは、レンタルビデオで、
付き合いはじめたばかりの、前カノといっしょにだったと思う。
.
この映画には幸せがいっぱい詰まってる
いつ見ても、何回見ても、違うところで、ほんわかできる、
そんな映画なのだ。
.
こんなシーンがあった。
ある日、アメリのお父さんのところに
かれが庭に置いて大切にしていたのに、
盗まれてしまった人形の写真が届く。
その写真には、モスクワの風景といっしょに
写っている人形の姿があった。
そしてそれから、全世界の観光地から人形の写真が届くのだ。
.
映画では、おかあさんが死んでから家に閉じこもってばかりいる、
おとうさんを気晴らしに旅行にでも行かせようとする、
娘のアメリが、スチワーデスの友人に頼んで行なう、いたずら
なのだが、このエピソードは、実際にあった話のようだ。
.
たしかアメリカでの話で、
いなくなったのは、カエルの人形だったと思うけれど、
同じように、家の庭からいなくなった人形が、
世界中から記念写真を送ってきて、
最後に一人で(?)、ハイヤーに乗って帰ってくる
.
という内容だった。
この話の真相は知らないけれど、
なかなかしゃれのきいたひとが世の中にはいるもんだと思う。
.
ぼくは、この映画を何回も何回も見た。
BGM代わりにしてたときもある。
残念ながら、フランス語は一言だって、わからないのだけれど、
意味はわからなくても、フランス語の響きがとてもすてきなのだ。
.
死ぬ前にこのアメリをみていれば、
生まれ変わったら、フランス人になれるかもしれないし。
関西弁じゃなくて、フランス語で女のこをくどけるなんて、
それだけで、成功率も3%くらいは高まるような、
そんな気がするんだけど、気のせいっすか^^;
.
.
アメリ(その2)へ続く
.
.
▼エンタープライズ号の副長、ウィリアム・ライカー中佐。
艦内で、女をくどかせてこの人の右に出るものはいない。
しかし、映画「メネシス」ではカウンセラー・トロイと結婚。
ひとの心が読めるかのじょと結婚するなんて、
稀代のプレイボーイも年貢の納め時、なのかな^^
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2006年2月21日 (火)

ぷんぷいさん、死について語る

最近、歳をとったせいか、死についてよく考える。
もちろん、死にたいとか、そういうことではなく、
人生の終着点としての死について、
自分の残された時間について、
考える機会が増えた、ということである。
.
自分の年齢を考えると、たぶん、
人生の時間のなかで、半分は使ってしまっているだろうと思う。
ひょっとすると、もう3分の2を過ぎているのかもしれない。
もちろん、まだ折返し地点に達していない可能性もないではない。
.
生きることの難儀なところは、
自分がいつ死ぬか、予想がつかないことだ。
いろんな条件から、推察するしかない。
親や親の親戚の生存状況や病歴なんかが参考にはなる。
しかし、病気や衰弱によって死ぬとは限らないし、
ほんとのところはわからない。
.
そういえば、今はゴールデンゴール方式とかいうらしいけど、
サッカーの延長戦で、時間いっぱいするのではなく、
得点が入ったところで勝負がつくやり方を、
むかし、サドンデス(突然死)方式、といったな。
人生は、そもそもサドンデス方式だ
.
どんな生命体も死ぬ。
それは、死んで子を残す方が生命体として、有利だからだ。
.
原初の生命体は、DNAだか、RNAだか、
そういうようなものだった。
しかし、そういうものがむき出しで存在していると、
生存競争に不利だから、生命体は自らを硬いからで覆いはじめ、
生命の多様化と複雑化が始まった。
.
環境の変化などに対応するために、単純なコピーではなく、
自分のコピーに変化を持たせる戦略として、
遺伝子を混ぜ合わせる方向に生物は変化をしていった。
男女の性ができたのは、そういうことだったらしい。
.
カタツムリなどの生物が雌雄同体なのは、
動きの鈍さゆえ、生殖相手にあえない可能性への
リスクヘッジとしての進化だったのだろう。
雌雄同体であれば、であった相手とはかならず生殖可能だし、
最悪でも自家生殖が可能らしい。
.
それはともかく、どんな生命体も死ぬことで、
自分をより有利な形で残そうとしているわけだ。
.
ある意味、生まれたのんは、死ぬためである
といってもいいかもしれない。
ぼくのように、婚姻もせず、子孫も残さず、
死んでいくだろう存在でも、
妹や、パーセンテージは少ないが、いとこたちが子どもを
残してくれることで、リスクヘッジが機能している。
.
あとはいかに残された短い時間を有意義に過ごしていくか、
最近の課題は、そっちかな、って、おっちゃんは思うのだ。
.
.
▼エンタープライズ号の保安主任、ウォーフ中尉(のちに少佐)。
クリンゴン人であるかれは、戦闘での名誉ある死を尊ぶ。
クリンゴン人のご機嫌な挨拶は、
今日は死ぬにはいい日だ」、なのである。
Worf

2006年2月19日 (日)

中島敦の「山月記」

隴(ろう)西の李徴は博學才穎(さいえい)、
天寶の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、
ついで江南尉に補せられたが、
性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、
賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。

.
.
高校生のころだったか、中学生のころだったか、
現代国語の時間は大好きだった。
センセイがなんかしゃべってる間、
ぼくは教科書をぺらぺらめくっては、
適当に書いてある話を読んでいた。
国語の教科書というのは、実に楽しい代物だ。
適度な長さの、含蓄のある、話がたくさん載っている。
.
坂口安吾の「ラムネ氏のこと」や芥川龍之介は、
とくにお気に入りで何回も読んだ。
最近の教科書には、村上春樹さえ載っているらしい。
やれやれ
.
中島敦の「山月記」に出会ったのも、
現国の教科書だったと思う。
なんだか漢字の多い、むつかしい文章だな、と思ったものの、
話の内容にはひきこまれた。
.
秀才でとおっていた、李徴というおとこが、
当時の出世コースである、役人の試験に合格し、
勤めていたものの、
自分の才能を無駄に使ってるような気がして、
後世に名を残すべく、詩作の道に身をささげたが、
うまくいかず、役人に戻ったものの、
自分より、才能のない人間がすでに役人として出世しており、
これを無念に思う心をもちながら、
下級の役人として働いていた。
しかし、まだ詩作の方にも未練の心を持ちつづけている。
そうこうしているうちに、当人が失踪してしまった。
.
その後、李徴の友人の役人が人食い虎のでるという地方を
仕事で移動中、その虎に襲われるも、
寸前のところで虎は、李徴の友人を食わなかった。
その虎は、実は李徴のなれの果ての姿であった、
というような話だ。
.
高校生であったぼくが、感じ入ったところは、
中途半端な思いをひきずったあまり、
人とも獣ともわからぬものになってしまった、
李徴が、だんだんとほんものの獣におちていく
この部分だった。
.
しかし、その、人間にかへる數時間も、
日を經るに從つて次第に短くなつて行く。
今迄は、どうして虎などになつたかと
怪しんでゐたのに、
此の間ひよいと氣が付いて見たら、
己(おれ)はどうして以前、
人間だつたのかと考へてゐた。
之は恐しいことだ。今少し經(た)てば、
己(おれ)の中の人間の心は、
獸としての習慣の中に
すつかり埋(うも)れて消えて了ふだらう。

.
このようなことは、きっと自分にも起こるだろう。
自分は、ずっと獣ではなく、
人として立派に生きていけるだろうか、
当時のぼくは思ったものだ。
思えば、ピュアな心を持った、昭和の少年だったのだ。
.
今の自分が、あの当時の自分に恥ずかしくなく、
生きているかどうかは、とりあえず別にして^^;、
夜中のコンビニの前で、たむろってる、
今の腐れがきどもに、こんな気持ちはきっとわかるまいな。
.
.
.
▼エンタープライズ号のカウンセラー、ディアナ・トロイ少佐。
この人ほど、ひとの気持ちがわかるひともいない。
半分は、心の読める種族のベタゾイド人だし^^
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2006年2月16日 (木)

昆虫類の通達

ぼくは論理的な人間だ。
占いなどを信じる人間は非論理的に見える。

名前の字画や手のひらのしわで、
その人間の真実や未来がわかれば、
とても便利だとは思うけれど、
それはとても難しいことのように思える。

少なくとも、繁華街で寒さに震えながら、
机ひとつで商売してるような人間には
たぶん無理なんではないかなー、
ということだけは確かだと思う。
それほど難しいことのわかる人間は、
そんな割の合わない商売をしないだろう。
.
しかし、ぼくがすべての非論理的なことを否定する、
というわけでもない。
論理的には解明できないけれども、存在するかもしれないこと、
というのはあるかもれない、と最近は思わないでもない。
それは、虫の知らせ、というやつだ。
.
タイに滞在しているときだ。
ぼくは、なぜか実家に電話しなきゃ、と思った。
時間はタイの時間で、夜11時。
かけたときは、2時間の時差だから、日本は9時、
と思ったのだが、ほんとは、逆で、午前1時、だった。
でも、そのときはそんな初歩的な間違いに気づかず、
実家に電話をしていた。
しかし、誰も出なかった。
あとで時間の間違いに気づき、深夜だものなー、と思い、
そのまま、電話しないままに数日後に帰国したら、
父親がけっこうな病状で入院していた。
電話した日は、まさに父親が倒れた日で、
母親は父親に付き添って、病院に泊まっており、
だれも電話にでなかったわけだ。
.
最近は、こんなこともあった。
以前に使っていたブログで知り合った友人から、
会合があるから来ないか、という親切なメールが、
会合の2日前である木曜日に届いた。
この会合の件は、かれのブログの記事ですでに知っていたけれど、
仕事と重なる可能性があったので、
エントリーをしていなかったのだ。

しかし、メールが届いた段階ではすでに
仕事の件はほぼ解決していて、
その会合にぼくがいけない理由はなかったのだけれど、
ぼくはそのメールに対して、行かない旨の返事をした。
.
なんでだろう、気が進まないのは、と考えたのだけれど、
理由はわからなかった。
でも、気が進まないときは無理をしないのがぼくのやり方だ。
仕事なら、そんなわがままはいえないが、
プライベートでは無理をしないことを、
ぼくは自分のルールにしている。
.
返事を出したその日である金曜日の夜、ぼくは母親から電話で、
かのじょの姉のだんなさん、ぼくからいうと、
義理の伯父さんにあたる人が亡くなって、
翌日の土曜日に、通夜があることを聞かされた。
.
この伯父さんたち一家とは、子供のころから親しくしていて、
いとこたちとは、兄弟姉妹同然に育ったし、
なにより、伯父さんはぼくの将棋の好敵手で、
とても親しく面倒を見てもらったひとだった。

最近は、家が遠くなったり、歳をとったり、
みんな一家を構えたりして、
ぼくといとこたちとは疎遠にはなっていたけれど、
伯父さん夫婦とうちの両親は、リタイヤした同士、
けっこう頻繁な交友があったようだ。
.
伯父さんの通夜の時間は、ちょうど会合の時間と重なっていて、
伯父さんが、友人たちとの会合ではなくオレの通夜に来いよ
って、どっかでぼくにメッセージを送ってたから、
ぼくは理由もなく、会合を断わる気になったのかな、
ってことにすると、
それなりに美しい物語になるような気もするだけど、
そんな非論理的なことは、
ぼくはやっぱり信じたくないんだな(^^;
.
.
.
▼エンタープライズ号の科学仕官、アンドロイドのデータ少佐
虫の知らせ、を昆虫類の通達、と表現したかれのセンスは、
愛猫スポットのことを歌った詩にみごとに結実している。
その詩については、下の記事を参照してね(^^
Data

2006年2月15日 (水)

スポットに捧げる

以下はデータ少佐による、台詞および詩の朗読
.
.
かのキーツからジョーカモに至るまで、
詩人はみなかれらの人生に大きな影響を与えたひとに
詩を捧げています。
この伝統に則って、次の詩を私のネコに捧げます。

タイトルは、”スポットに捧げる”

”フィリス・カタス”
それがお前の正式な学名

四足歩行の動物
生まれながらに肉食

おまえの視覚、嗅覚、そして聴覚は
狩猟能力と防衛に
非常に役に立つ

お前たちネコの、声にならないのどの振動は
コミュニケーション法として非常に興味深い

気まぐれという定説を覆すように
リズミカルに背中をなでると
振動で愛情を示す

アクロバットの才能には
そのしっぽは欠かせない

優れた平衡感覚
敏捷性もしっぽゆえ

動きの一助として
使われていないときには

しっぽは感情をあらわす道具として
使用される

おお スポット
お前の複雑な行動様式に
よく発達した認識システムを想う

ひとの言語を解さず

スポットよ

意思は伝わらないが、
にもかかわらず、お前は
本当の
大切な友人だ

(スタートレックネクストゼネレーション第6シーズン
第131話 「謎の第3次亜空間」冒頭部分より)



Throughout the ages,from Keats to Jorkemo
poets have composed odes to individuals
who have had a profound effect upon their lives.
In keeping with that tradition
I have written my next poem in honor of my cat.


I call it "Ode to Spot."

"Felis catus
is your taxonomic nomenclature
"an endothermic quadruped,
carnivorous by nature

"your visual,olfactory
and auditory senses
"contribute to your hunting skills
"and natural defenses.

"I find myself intrigued
"by your subvocal oscillations
"a singular development
of cat communications

"that obviates your basic
hedonistic predilection
"for a rhythmic stroking of your fur
"to demonstrate affection.

"A tall is quite essential
for your acrobatic talents.
"You would not be so agile
if you lacked its counterbalance.

"And when not being utilized
to aid in locomotion
"it often serves to illustrate
the state of your emotion..."

"Oh, Spot, the complex levels
of behavior you display
"connote a fairly well-developed
cognitive array.

"And though you are not sentient,Spot
"and do not comprehend
I, nonetheless, consider you
a true and valued friend."

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2006年2月13日 (月)

呪いのことば

こどもの頃から、ぼくはまわりのひとたちに
呪いのことばを吐かれるのが常だった。

そのことばとは、

おまえは将来きっとはげる。

ぼくは、子どもの頃から、額が広かった。
髪の毛も、量は少なくなかったが、
太い髪質ではなく、細い方だった。

そうか、はげるのか、

ぼくは広い自分の額をみながら思ったものだ。
.
大人になり、就職し、数年がたった頃、ぼくはまわりの人たちの
髪の毛に変化が起き始めているのに気がついた。
あるものは、ぼくよりも額が広くなり、
あるものは、あたまのてっぺんに新たな額ができていた。

にもかかわらず、ぼくの額と髪の境界線は、
38度線のように
固定されたままだった。
.
そしていま、ぼくの髪は、もう相当白くなりつつあるが、
本数そのものは、ひとからはげている、と言われるほどには
減っていないように思う。

はげの呪いは、うち破られたのだ。

きっと、ぼくが眠ってるあいだに、
はげの呪いをとくことができるお姫様が
ぼくの頭に祝福のキスをしてくれていたんだろう。
お姫様が代わりにはげてなきゃいいが。
.
お姫様のキス以外にも、
ぼく自身努力していたことが、いくつかある。
まず、絶対パーマをあてなかった。
パーマをあてていた友人たちの毛根は
20歳代に死に絶えていた。合掌(-人-)。
それから、まめに髪を洗っていた。
毎日、洗髪するのは当然として、
最近は、冬でも朝のシャワーの際の洗髪はかかさない。
.
洗髪はしすぎると、いけないんでないかい、
っていう意見もあるのだが、
ぼくはなんせ脂性だし、まめに髪を洗わないと、
頭皮が死ぬのでは、と思ってる。
ちなみにシャンプーは、ずっとチャンリンシャンのメリット。
ぼくの場合は、まめな洗髪は正解だったようだ。
.
驕れるものは、久しからず、、、とか、
ひとのはげみてわがはげなおせ、とか、
教訓めいたことばを、ちょっとは自慢げに言ってもいいかな(^^;)
.
.
.
▼エンタープライズ号のジャン・リュック・ピカード艦長
この素敵なスキンヘッドにも賛否両論があったようで、
シリーズ開始までは、カツラをかぶせる、
という案もあったらしい。
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2006年2月11日 (土)

眠りのなかに、、、

寝る子は育つ、ってちょっと育ちすぎかな。
.
高校時代の数学の試験の前など、
ふだんからでんでん勉強していないので、
前の晩は一夜漬けであろうとも、
絶対にちゃんと勉強しなくてはならないのだが、
なぜかそんな日に限って、とても眠い。
こんな眠いのだし、勉強も進まないだろうから、
とりあえず、2時間くらい寝てから勉強しようと、
まず昼寝
する。
.
起きたら、いよいよ勉強しなくてはならないが、
しかし、起き抜けに勉強するのもなんだからと、
ぐずぐずしていると、いい時間になる。
ほんとに勉強しなくては、って思うと、また睡魔がやってくる。
そして、昼寝したにもかかわらず、
またふだんより早く寝てしまうのだ。

摩訶不思議な現象だな、って思っていた。
.
これに限らず、いやなことがあると、ぼくは寝た
実によく寝た。
朝7時に起きるのに、夜7時に寝たのでは、
目覚まし時計がかけられないので、
夜は8時まで我慢して、そして寝た。

人生の節目節目に大いびきをかいていた
.
心配で寝れないとか、よく聞く言葉ではあるけれど、
こういう反応ばっかりの人間ではないそうだ。
いやなことがあると、自分を守る回路が働いて、
それ以上いやなことを考えずにすむように、
起きている回線を切ろうとするのも、自然な反応らしい。

眠りのなかに逃避する、ということなのだそうだ。
.
ぼくの数学の試験は、眠ることで、解決されなかったけれど、
なかには、それで救われることだって
たくさんあったような気がする。
.
そういえば、亡くなった桂枝雀師匠もよく眠る方だったらしい。
ぼくがはじめてライブでみた落語は、かれのだったと思う。
たしか「いらちの愛宕詣り」という演目だった。
ハローナショナルショールーム、という、
今をときめく角淳一さんという毎日放送のアナウンサーが、
司会をしていたラジオ番組で、
梅田阪神百貨店での公開録音を見に行ったときのゲストが、
枝雀師匠だったのだ。
.
当時のかれは、悩みからの解脱を達成して、
ナニワの爆笑王への階段を昇り始めたころで、
ほんとにすばらしくおもしろかった。
.
しかし、究極的にはかれの悩みは解決できていなかったんだろう。
あっちの世界へ自ら逝ってしまった。
.
枝雀師匠が、今はずっと眠りを享受されているのか、
それとも、あっちで爆笑をとっているのんか、
それが気になって眠れないような、今日この頃でございます(^^
.
.
.
▼「桂枝雀のらくご案内―枝雀と61人の仲間」(ちくま文庫)
では、枝雀師匠の思想や、かれを取り巻いてる状況が、
かれの得意ネタ60編をとおして、軽~く語られていやす^^
お好きな方は、もちろん、そうでない方も、気軽に読める、
落語の本っす(^^

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2006年2月 7日 (火)

らふまにのふノぴあのこんちぇると

残念ながら、マンション住まいであるがゆえに、
あんまり大きな音で、音楽を聴く機会はないものの、
ゴージャスなピアノコンチェルトが好きだったりする。
.
ピアノコンチェルトは、ピアノと管弦楽のための音楽で、
ふだんは、オーケストラにいないピアノが、
独奏楽器として音楽に参加する。
比較的小編成な、モーツァルトの心なごむ作品もよく聴くし、
むかしむかし、グレン・グールドがピアノを弾いた、
バッハの協奏曲も好きではあるけど、
大編成のオーケストラとピアノの競演もとてもいいのんだ。
.
最近はショスタコービッチシェーンベルクといった、
どっちかというコンテンポラリーな音楽に分類される人たちの
CDを聞くことが多かったのだけれど、
実は、ラフマニノフのピアノ協奏曲が昔から好きだった。
.
このひとは、ロシア出身の音楽家で、
時代的にはわりと最近のひとなのだけれど、
ロマンチックな音楽をたくさん残したのんだ。
.
そのなかでも、2番目と3番目のピアノコンチェルトは有名で、
とくに2番目のものは、あっちこっちでよく使われていて、
それと意識しなくとも、
耳にしたことがあるひとが多いであろうと思う。
最近では、トリノオリンピックに選ばれた、
男子のスケート選手がこの曲を使用してたんではなかったかな。
.
映画音楽としては、マリリン・モンローの出た
7年目の浮気」で使われていて、
これは有名な映画だから、けっこうみたひとも多いと思うけれど、
もう一つ、たしか白黒だった「逢引き」という
イギリスの映画でも、この曲が使われていた。
.
この映画をみたのは、ずいぶん昔のことで、
テレビの雨傘番組かなにかだったと思う。
阪神戦が中止になった夜のサンテレビの放送ではなかったかな。
.
人妻であるヒロインが、偶然に素敵な男性医師と知り合う。
そして、2~3回逢ってるうちにお互いに好意をもつ。
といっても、昼間に節度ある逢瀬を重ねてるんだけど。
んで、こんなことをしていてはいけない、と思った男性は、
南アフリカのヨハネスブルクに行く、もし本気であるならば、
ついてきて欲しい、とヒロインの人妻に申し出る。
人妻は、悩みながらも、結局ダンナのもとに戻る(?)、
って話だった、と思う(うろおぼえ)。
.
最後に一心不乱にクロスワードパズルに打ち興じていたダンナ
ヒロインがナミダながらに謝って、
ダンナは意味不明な謝罪に戸惑いながら、
って感じだったと思う。
.
こんなものを不倫呼ばわりしてた古きよき時代が懐かしい、
おっさんなのだけれど、
今だったら、映画として成立しないねー^^;
.
.
.
▼こちらは、マリリンじゃなくて、ベティちゃん
Betty

2006年2月 5日 (日)

人生は謎に満ちている

この世は謎に満ちている。
少しでもそれを解き明かしてから、
死にたいものだ、とつねづね思っている。
.
最近、解明されつつある謎は、
おかまちゃんは男女どっちのトイレに行くか
っていうことである。
ついぞ、男子トイレではみたことがないのんで、
おそらく女子トイレに行っているのであろう、
と推論しているところではあったものの、
まだ見ぬ第3のトイレの存在がこっそりあるのやも知れず、
断定をできずにいたのだが、
ついに女子トイレからでてきた、
おかまちゃんを目撃するにいたり、ぼくの謎のひとつは、
解明されたのではないかという結論にいたった。
.
しかしながら、サンプル数はまだわずかに1、
今後のフィールドワークにおいて、
その根拠となる目撃例を増やして行きたい、
と考えるところである。
.
さて、いつのことだったろうか、
負け犬街道驀進中の友人のうちの誰かが、
なんで男は、若い女が好きなんだ?、とのたまった。
実は、これはぼくの中ではすでに解明済みの問題であった。
とある生物学者の受け売りだけれど、
これについて、彼女の疑問に答えたい。
.
仮にある男が、60歳以上の婦人にしか、
興味をしめさなかった、とする。
かれは、子どもを残せるだろうか。
おそらく、無理であろう。
すなわち、60歳以上の婦人にしか、
興味をしめさなかった遺伝子は、ここで途絶えることとなる。
.
では、別の男が40歳以上の婦人にしか、
興味をしめさなかった、とする。
かれは、子どもを残せるだろうか。
おそらく、無理ではなかろうが、
たくさんの子どもをもうけることはできないだろう。
すなわち、40歳以上の婦人にしか、
興味をしめさなかった遺伝子は、たくさんは残らないことになる。
.
では、若い婦人に興味をしめす男は、どうか。
きっと、たくさんの子どもをもうける可能性が高いことだろう。
こうやって、若い婦人に興味をしめす遺伝子が
大量生産されることになるのんだ。
すなわち、ぼくたちの大半は、若い婦人に興味をしめした
男の子孫
だ、ということなのだ。
.
聞いたところによると、ある種のサルは、
メスが高齢の方がもてるらしい。
その種類のサルは、妊娠可能期間が長く、
高齢でも出産が可能であるのだそうだ。
そして、若いメスは、出産・育児の経験がないため、
最初の方のこどもは、ちゃんと育たない可能性が高いらしい。
そのため、そこでは高齢のメスザルがちやほやされることになる。
もちろん、人間の場合と理屈は同じだ。
.
もちろん、今のぼくたちは、妊娠・出産のみを考えて
女のこのことを好きになったり、
求愛したりしているわけではないけれど、
生物が発生してから、最初の99%以上の期間は、
いかに子孫を増やすか、ということのみが関心事、というか、
それのみが目的であったわけで、愛、だの、恋だの、
なんてことが発生したのんはつい最近のことなのである。
それ以前の長い、長い長い期間は、ただ本能にしたがって、
自分と同じ遺伝子をもった存在を増やし続けてきた
わけである。
そして、ぼくたちは、その勝利者の子孫であるわけだ。
.
そんなわけで、ぼくたちの大半は、本能的に若い女のこを
好きになるようにプログラミングされてるし、
それゆえ、一般的に男は、老いも若きも、
若い女の子をちやほやしたがるわけだ。
.
もちろん、この手のことには、すべて例外があるし、
また、人類はほかの生物とは違い、
文化というものをもっていたりするんで、
必ずしも、理屈どおりにはいかないこともあるんだけれど、
一般論としては、男が若い女のこにより関心をしめすのんは、
無理かならぬことである、とご承知おきいただきたい。
.
むかし、石原都知事が老齢の婦人に対して
吐いた暴言(いわゆる、ばばあ発言)
も、
生物学的には必ずしも間違ってはいないのだけれど、
かれは残念ながら、都知事であって、生物学者ではないことを、
発言する前に思い出すべきであったんだな^^
.
.
.
▼こんなこと書いてから、書くといいわけがましいけど、
ぼくは、最近はおんなじ歳くらいの女性といる方がいいな。
前カノもそうだったしね。
写真は、キュートなおかまちゃんとの記念写真^^;
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2006年2月 1日 (水)

王様のレストラン

ある男の人が道を歩いていたら、
前からおじいさんがやってきました。
そのおじいさんは、頭の上に赤い洗面器を乗せてました。
そして、その洗面器の中には水がたっぷり入ってました。
で、その男の人は聞いたんです。
「もしもし、おじいさん、どうして、頭の上に洗面器、
乗せているんですか?」
そしたらおじいさんは答えました・・・

(王様のレストラン第7話「笑わない客」より)
.
.
実は三谷幸喜脚本のドラマが好きだったりする。
でも、かれの作品であれば、なんでも受け入れられるほどの
信者でもない。
むしろ、かれの場合は、傑作の数だけ、駄作がある
当たり外れの多いひとだと思う。
自分に合わないものは、我慢しても見ていられない。
.
かれのドラマでは、古畑任三郎(全部ではない)や、
振り返れば奴がいる、も好きだけれど、
なんといっても好きなのは、王様のレストラン、である。
.
バブル崩壊後のフレンチレストランが舞台のこの作品は、
登場人物がみんな、少し間抜け(千石さん役の松本幸四郎さん
は除く)だけれど、いいひとたちで、力をあわせて、
店を以前のような立派なレストランにしていく、という
へたをすると、少年ジャンプでも読めそうな、
むかしからよくあるストーリーではあるんだけど、
一貫して、ほのぼのしているのんが、とてもいいのんだ。
このドラマでは、敵役の金貸しや大臣さえ
とても人間的で、いいひとなのである。
.
しかも、この作品の三谷さんの台詞まわしは、
いやみがないうえに、とても冴えていて、
ぼくは、何回見ても飽きないだよ。
.
このあいだの正月に、古畑任三郎の新作が3作放映されていて、
それに西村雅彦が出演していて驚いた。
三谷さんと西村さんは、仲たがいしてしまって、
もういっしょに仕事はしない、と聞いていたからだ。
.
ただ、新作での今泉慎太郎は、妙に自信ありげなのが、
ぼくにとっては少し違和感があって、
仲たがいの後遺症、って思ったんだけれど、ちゃうかなー。
.
でも、西村さんが三谷作品にでれるんならば、
その後のベルエキップの話をまたみたいもんだ、
って思ってるんだけど、これは無理かなあ。
.
ところで、赤い洗面器の男の話
オチ知ってるひとはいませんか(^^?
.
.
.
▼ナレーションは、機関車トーマスと同じ森本レオ
機関車トーマスについても、書きたいが、
これはまた、別のはなし。
Photo_27

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