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2005年12月30日 (金)

ぷんぷいさん、プノンペンを去る

2日目の夜はプノンペンでの最後の夜だ。
当初では、もう一日いる予定だったのだけれど、
ブルネイのバンダルスリブガワンのことを思い出し、
弱気にも、2泊3日にしたのだった。

でも、またカメラをフル装備で来ようという気持ちが強いので、後悔はない。
むしろ、今回はこれくらいの方が、次回に楽しみが残るってもんだ。

Photo_19 夜、近所のガソリンスタンドの併設ストアに買い物に行こうとしたら、
ホテルのレストラン前で、どうしたわけかコック姿のバンドが演奏してる。

ギター・ギター・ドラムス(というよりは太鼓?)・マラカスという編成で、音楽はのりのりだ。
ぼくは、曲と曲のあいだに、すかさず女の子の間にはさまって、記念撮影。
ひょっとして、コックが演奏して客引きしないといけないくらい、暇なのか。

Photo_20 ガソリンスタンドの併設ストアには、タイ製品が多くならんでいる。
この国には、まだコンビニはないようだ。
こんな風にガソリンスタンドの併設ストアが比較的こぎれいな品物が並んでる。
凡ちゃん印(named by マナオさん)もあった。
でも、やっぱりぼくは、やしきたかじんの方を思い出すなー。

Photo_21 コンドームがレジ前に置かれているのもタイと同じ。
でも、タイだと、DUREXとかいう外国の会社のんしか、置いてないが、
プノンペンでは、OK印があって、日本人としてうれしい。
でも、5ドルもするもの、誰が買うんだろ。
日本人用?

.
.
早寝して、5時台に起きる。
今回の旅行は、飛行機の都合で、つねに移動日は早起きだ。

朝ごはんを食べて、チェックアウト。
プノンペンホテルさん、お世話になりました。

空港までは、バイタクで行く。
2USドルで即決。
たった13キロしかないとはいえ、申し訳ないなー、とつい思う。

空港には、20分くらいで、ちゃんとついた。
チップを少しやって、笑顔をバイバイ。
たまには、ぼくもいいことするよ。

プノンペンの空港は、けっこう芸術系で美しいが、空港使用料は25USドルもする。
行きのビザ代とあわせて45USドルも払ってるが、
ま、仕方ないなー、と思う。

立ち去る国がどんないいとこでも、タイに帰るときはほっとする。
やっぱどこよりもタイはいいだよな^^

Bon_voyage

ぷんぷいさん、プノンペンに親しむ

プノンペン2日目。
8時前に起きて、朝食。
西洋人に混じって、中華系のひとが目立つ。
この街の看板には、カンボジア語のほかに、
漢字、フランス語が併記されていることが多い。

フランス語は、旧宗主国だから、まあ当然としても、
漢字がまるで、タイの中華街のように書かれているのは、
この国での華僑の経済力の強さのせいなんだろう。

朝食は、はなから期待してなかったが、
予想通り、たいしたことはなかった。
それなりに数はそろってるようなんだけど、味はもひとつ。
しかたがないので、お粥を食べる

ネット屋に寄ってから、今日はまず離れた市場まで、バイタクで行く。
思った以上に無茶な運転。
よくぶつからないなあ、とびびりながらも感心

Photo_15 別名ロシアンマーケットという名のある、市場に着く。
アンコールビールのマグカップと、カンボジアの国旗シールを買う。
国旗シールを売ってたねーちゃんの写真を撮らせてもらう。
弟、って言ってたけど、ほんとかな^^;

そっから、えんえん歩く。
暑いと、いくらでも歩ける。
祖先は爬虫類だったのかも。

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Natiional シアヌーク通りに入り、果物屋屋台をいくつか抜けると、電気屋街。
なかに気になる、メーカーが。
本物?偽物?
ナショナルのフランス風綴りかな、とも思う。

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Photo_16 昨日のカフェで一休み。
今日はサンドウィッチを頼む。
帽子は、昨日道端で買ったもの。
2USドルなりけり。

ぼちぼち歩きながら、帰り道、ワットプノンという寺による。
入場料に1USドルって書いてあるけど、普通に入れる。
どんどん上っていくと、一番上で徴収される。

Photo_17 この寺には、野生のサルがたくさんいて、けっこうひとに慣れている。
箕面のサルみたいに悪さもせず、けっこうな距離まで寄ってくるし、
近づいても逃げない。
頭の毛がみんな、妖気を感じたみたいにとがってるのんは、
おんなじ散髪屋にいってるせいか。

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帰り際に中学生くらいの集団にあったのんで、1枚撮らせてもらう。
日本の中学生だったら、よう頼まんな、からまれそうで。

Photo_18

ちょうど、デジカメの電池が切れた。
4時過ぎだが、ホテルに帰って充電しよう。
電池もぼくも。

2005年12月29日 (木)

ぷんぷいさん、プノンペンにつく

朝、腕時計のアラームで目覚めてしまう。
やっぱ行く運命のようだ。
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寝過ごせば、行かずにすむなー、と思いつつ、昨日、寝たものの、
予定をそんなちゃらんぽらんな理由でとばしたことは一度もない。
実は、きっちりした男なのだ。
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用意も昨晩のうちにすませてある。
4時半に過ぎにはチェックアウトもすんで、空港行きのタクシーを拾う。
途中、けっこうな事故を見る。
朝から、憂鬱な気分になる。
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Photo_8









乗り込んだエアアジアFD3612便は、思いのほか、いっぱいだった。
同じ時間帯にバンコクエアウェイズもプノンペンへ飛んでいる。
みんな、プノンペンに何をしにいくのだろう。
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20~30分遅れで、ちゃんと飛行機は着いた。
エアアジアでこれくらいは、ディレイとは言わないだろう。
まず、ビザを申請する。
乗客のほとんどは、ここでビザをもらうようだ。
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一番端のねーさんに申請書とパスポートを渡し、
10人くらい向こうのおじさんから、20USドルと引換えに、
ビザシールの貼られたパスポートを返してもらう。
その間の10人は、流れ作業でビザを作成するんだろうか。
まず、シールを貼って、必要事項を記入して、それを検査して、、、
だめだ、3段階しか、思いつかない。
これでは、あとの7人が働いてないことになってしまう。
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けっこう気分よく、手続きがすんで、ホテルへ行くためにタクシーに乗る。
みんな7USドルというのんで、我慢して乗る。
5USドルでも乗れるはずなのだが。
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Photo_9

ホテルにつく。
プノンペンホテルという、そんまんまの名前のホテルだ。
プノンペンでは、中の上、くらいのホテルかな。
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フロントのねーちゃんは気はきつそうだが、ちょっとかわいい。
手続きがすんだ後、なんでか知らんけど、なんかかんかと話しかけてくる。
カンボジアは、初めてですか?
アンコールワットは、行ったことありますか?
アンコールは、きれいですよ。
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いつまでも話してるわけにもいかんので、
きみもきれいだよ、って言って、部屋に向かう。
どーせ、おやじだよ。
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ちょっとへんな造りで、部屋になかなかたどり着けない。
途中、エレベーターで、いかにも、ってねーちゃんといっしょになる。
まさかひとりで泊まってるのではあるまい。
宿主は、今日は留守なのか。
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間が悪いからか、ここのホテルのプールはいいよ、
泳ぐの?
って聞いてくる。
泳がない、っていいつつ、エレベーターを降りる。
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部屋に着くと、荷物をおろして、外に行く準備。
タクシーから見える、街の風景は悪くなかった。
バズーカ砲を下げて歩いてる奴もいなければ、
射殺されているひともいなかった。
けっこう大丈夫そうやん。
早く街を歩きたい、って気分になっていた。
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とりあえず、歩く。
バンコクと違ってしっかり暑い。
今日は、歩みが軽い。
いくらでも、歩ける。
やっぱ熱帯はこうでないと。
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バイタクのにーちゃんたちが入れ替わり、立ち替わり、
声をかけてくる以外はとてもいい感じだ。
この街、気に入ったかも知れない。
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モニボン通りを南下し、デパートメントストアという名のデパートメントストアに入る。
驚いたことに、中が暗い。
客が来ないせいなのか、節電されているようだ。
これじゃあ、ますます人が来ないんじゃないかなー。

Photo_10






道を反れて、セントラル・マーケットにいく。
星型の大型市場だ。
ホーチミンなんかの市場より、よっぽど巨大で楽しい。

Photo_11

 

 




そのままノロドム通りを下り、独立記念塔のところから、シアヌーク通りに入る。

昼過ぎたので、通りを見渡せる、2階のカフェで休む。
テラスを吹き抜ける、風がさわやかだ。
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Photo_13





ずいぶん素敵で、女の子が喜びそうなとこだな、
って思って、見回すと、日本人が経営にかんでるようだ。
アイスコーヒーとパンケーキをやっつけて、店を出る。

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実際に来るまでは、プノンペンは、
もっとぶっそうなとこだと信じて疑わなかったぼくだけど、
本当のこの街は、思ったよりずっときれいで、とても居心地のいい街だった。
ぼくの見たところは、ほんの一部分だし、夜はホーチミンなんかよりずっと暗くて、
一見の外国人がへらへら出歩けるような感じではないのも確かなんだけれど。
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それでも、もし、前カノとまだいっしょにいたのなら、
きっと今度はふたりで来ようと、思うようないい街だった。
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いないひとのことを言ってもしかたがないから、
今度はちゃんとした一眼レフカメラといっしょに来ようかな^^;

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▼お坊さんだって、たまにはあいあい傘

Photo_14

2005年12月26日 (月)

ぷんぷいさん、足がとまる

今日は、サイアムスクエアに新しくできた、サイアムパラゴンという、ショッピングモールへ行ってみる。

BTSのサイアム駅の北側、昔のサイアムインターコンチネンタルホテルのあったところにつくられ、今月上旬に開店したらしい。

ひとことでいうと、エンポリウムデパートを大きく、豪華にしたような感じ、だろうか。

でも、ぼくにはあんまり用のないものばっかり並んでたんで、見るだけ見て、なにも買わずにでていく。

なかで、展示されていたフェラーリやランボルギーニやベントレーの写真は、なんとなく撮ってたけどね。

やっぱり今回は買わないで、次回以降まわしっていうことで^^;

タイを知らない人は、なんでそんな車、売ってんねん、と思うかも知れないが、タイという国には、数は少ないが、大金持ちがいるのんである。

日本のように、大企業の雇われ社長と社員の給料が一桁くらいしか、変わらないような、やわな社会ではないのんだ。

最近は中産階級のような存在が少しずつ、バンコクを中心にできつつあるような気もするが、

ぼくがバンコクに来はじめたころは、国民の1割に満たない人間が、富の大半を所有している、と聞いたような気がする。

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夕方、いったんホテルに帰り、シャワーを浴びて、また駅まで歩こうとした矢先、なんか歩けない。

マッサージでも行こかな、って思ったのに、思うように足が進まない。

たびびとも、ボクサーも、足が止まったときが、すなわち、死ぬときである。

駅前のショッピングモールで、休憩するが改善しない。

むしろ、冷凍庫のようなクーラーの存在がさらに症状を悪化させているような気さえする。

立ち上がって帰ろうとしたら、どういうわけか、右半身にしびれが来た。

げっげー、まさか脳梗塞、って思って、自分の名前を唱えながら、寒くない外の道で座っていたら、10分ほどで治った。

単に運動不足のうえに、寒すぎるところに急に動いたんで、筋肉痛になったらしい。

ああ、こわい^^;

MISTER DUNUTで、ポンデリングを買って、ホテルに帰る。

なんか食べないと、尿酸値のクスリ、飲めないしね。

10時過ぎに一の瀬さん(仮名)から電話。

どっかの階段から落ちて、ひざが痛いらしい。

今日は、このへんで足に問題が生じるひとの多い日だ^^

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▼むかし、F1中継では、真紅の跳ね馬、と表現されていたけれども、F1カーも実際はこんなオレンジがかった色らしいっす。

Photo_7

2005年12月25日 (日)

ぷんぷいさん、キュートなおかまちゃんに出会う

朝から、一の瀬さん(仮名)が朝ごはんを食べにくる。
タイのホテルは、部屋いくらっていう契約が多いので、
最近、2名でチェックインした形にして、
一の瀬さん(仮名)と、朝ごはんをいっしょに食べることが多い。
といっても、一の瀬さん(仮名)はまもなく日本に帰るので、
今回が最後になるだろうけれど。

このホテルの朝ごはんは、可もなく不可もなく、
ってところだ。
塊から切り出してくれるハムのみ見どころがある
朝食のために追加料金を払うなら、ここでは食べないだろな。

それでも、しっかり食べたあと、
一の瀬さん(仮名)のネールアートに付き合う。
近所のBTS駅そばにその店はあった。

一の瀬さん(仮名)は、50バーツ(約150円)の図柄を選ぶ。
両手指のつめ、10本の値段である。

その作業をしてくれたのんが、
細い細い棒みたいなおかまちゃんであった。
店の女主人は、ぼくらが日本人とわかると、
おかまと、かのじょ(?)を紹介する。
おかまという日本語は、市民権を得てるようだ。

かのじょ(?)の許可を得て、写真を撮らせてもらう。
最後にいっしょに記念写真も撮る。
なかなか可憐な、おかまちゃんだった。

その後、散髪に行く。
美容院で、一の瀬さん(仮名)と別れ、
おなじみMBKセンターへ行く。
MBKは、タイで一番有名なショッピングモールのひとつである。
ここにいつもPCをつながせてもらってる、
ネット屋さんがあるのだ。

1時間ほどいて、さて、どうしようかな、って思っていると、
一の瀬さん(仮名)から電話。
夕飯の相談だ。

結局、MBKで合流し、早い目の夕飯をMKで食べる。
MKは、タイすき、という鍋料理のチェーン店で、
タイ全土に180店舗あるそうだ。
しかも、けっこういつもこんでいる。

夕食後、MBK隣のホテルにトイレを借りに行くと、
持ち物検査をされる。
適当もいいとこで、チェックのにーさんは、
冗談ばっかり言ってたが、テロ対策の一環か。
それとも、ホテルにVIPでも来てるんだろうか。

Photo_6ホテルには、クリスマスということで、
見事な羽を背中に背負った、天使ねーさんが、
しょざいなげに立っている
せっかくだから、記念写真を撮らせてもらう。

 

あと、一の瀬さん(仮名)に昨日撮った、
サンタ服の写真をコピーして渡す
一の瀬さん(仮名)のデジカメはSDカード用だし、
ぼくのPCには、CDドライブはないけど、
SDカードリーダ/ライタはついている

一の瀬さん(仮名)は、SDカードには
写真のフィルムみたいな機能しかないと思っていたらしい。
だから、どんなファイルでもフロッピーやCDみたいに、
読み書きできるんだよ、って言ったら、驚いていた

んで、ぼくがSDカードをPCにさしたとたん
PCからウィルス警告が出て、SDカードに潜んでいたんだろう、
ウィルスを削除しました
っていうメッセージが出て、今度はぼくが驚いた。
どーも、一の瀬さん(仮名)がプリントを頼んでる、
写真屋のPCにいたやつらしい

今日は、いろんなもんに出会う日だったな。

2005年12月24日 (土)

ぷんぷいさん、たびにでる

朝、4時半に起きる。
5時半に駅に向かって家を出る。
遠くの方で、ほら貝を吹く音が聞こえる
寒いのにご苦労なこった。
途中、空き缶拾いのボランティアの老夫婦に
お早うございます、と挨拶される。
こちらには寒いのにご苦労様だなぁと、多少丁寧な感想を持つ。

6時少し前にバスの出る駅に着く。
6時10分の伊丹空港行きに乗る。
6時半過ぎには着く。
送っておいたスーツケースを受け取り、
バンコクまでチェックイン。
その後、このあいだまで職場にいたひとに偶然あう。
職場でもめったにあわんかったのに。

伊丹→成田は2階席。

成田空港のセキュリティ検査、むちゃむちゃこんでる。
ラウンジに寄る間もなく、すぐに搭乗口へ。
前の方だけど、一番前ではない。

機内で、ごはんを食べたあと、うとうとして、ふと見ると、
目の前の通路に女の子が倒れていて、スッチーが介抱してる。
ぼくが目をつぶってるあいだに何があったんだろ。
スッチーと女の子の話によると、
昨日寝てないのに、機内でワインの小瓶を3本も飲んだらしい
そりゃ、倒れもすっだろ。
女の子の連れは、ファラン(西洋人)で、
女の子の手を黙って握ってる。
こういうとき、言葉が通じにくいと不便だな。
例の放送が流れたが、結局、医者や看護士はおらず、
その後、女の子は後部へ運ばれていった。
やっとトイレにいける。

バンコク・ドンムアン空港から、ホテルへ。
しばらくして、一の瀬さん(仮名)が来た。
頼まれてたサンタ帽を渡す。服もセット。
一の瀬さん(仮名)、その場で着て、
ホテルのツリーの前で記念撮影。
途中、ファラン(西洋人)に笑われる。
仕方ないので、メリークリスマスと言ってみる
タイに来て、たった3時間でもう罰ゲームかよー。

一の瀬さん(仮名)のなじみの中華料理屋で、
ペキンダックや海老の塩焼きほかの料理を食べる。
ふたりで4千円弱。
日本だったら、いくらすっだろか。
こんな贅沢は、日本じゃできない。

今年のタイは、異常に涼しい。
シャツ一枚で歩いてるのは、外人ばっかりだ。

というわけで、無事つきやした(^^)v

▼目的地まであと32時間25分。どこまで行く気だぁ^^;

Photo_5

2005年12月22日 (木)

わんこの立場@タイランド

むかし、タイで知り合ったトリニダードトバゴ人の女の子は、
タイ人の食生活に偏見を持っていた
かのじょ自身はベジタリアンだったのだけれど、
タイ人は犬を食べてるに違いない
と断定していた。
たしかに韓国や中国、あるいはベトナムには
そんな地域もあるようだけど、
タイ人は基本的には食べないと思う、って話した記憶がある。
虫を食べるのが好きなひとは、多いけどね^_^
.
.
タイ人のあいだで、最近、ペットとして、
犬を飼うひとがでてきたのは、
西洋的な価値観をもったひとが増えてきたせいだろう。
もともとタイ人のあいだで犬は、
あまり敬愛されていない動物
だった。
.
タイ人は、チューレンというあだ名みたいなもので、
お互いを呼び合う。
身体的特徴だったり、果物や花の名前だったり、
意味のないものだったり、いろんなチューレンがあるものの、
イヌ、というチューレンを持ったタイ人にはあったことがない
鶏(ガイ)ネコ(メーオ)豚(ムー)という
チューレンのタイ人はよくいるのんで、
これらの動物よりも、明らかに地位が低い、ということだろう。

あるとき、タイ人に聞いたところによると、水牛(クワーイ)
イヌ(マー、またはスナックともいう)は、馬鹿なのだそうだ。
なんで馬鹿なのかというと、水牛は、動きがにぶくて、頭悪そう、
イヌはひとの言うことを聞くのんが、馬鹿なところらしい。
タイでは、ひとに嬉々として使われるような存在は
尊敬されないらしい
のだ。

それに、たしかにタイのイヌは、暑いせいかいつもだらっとしてるし、
そのわりにはメス犬みたら乗っかろうとするし、
道端で働きもしないで、だらっとしてる、
ある種のタイおとこたちを思い起こさせる存在ではあるな。

そういえば、戦前にアジア地域で、
国家として独立をしていたのんは、日本とタイだけで、
日本は、持ち前の勤勉さで西洋化し、
かれらと同じ方法論で行こうとして破綻し、
でも、戦後、また民主主義と資本主義を主人として
頑張って国を立て直した。
タイはというと、戦争中でもつねに強そうな方に味方して、
あっちついたり、こっちついたりで乗り切ってきたんだった。

日本人のように、主人に対して忠実な存在に
尊敬や親しみを感じる感性と、
タイ人のように、ばっかじゃないと思う感性と、
国民性みたいなものを強く感じてしまう。

ま、どっちにせよ、ぼくはネコが好きなんだけどね^^

.

.

▼日陰で眠るにゃんこ。きゃわいい(^^♪

Photo_4

2005年12月21日 (水)

ぷんぷいさん、きょんきょんを聴いてふと思う

心の隙間に 優しい雨が降る 
疲れた背中を そっと湿らせてく
群れをなす魚たち 少し楽し気に 
駅に向かって走ってく
こんなに普通の毎日の中で
出会ってしまった二人
降りしきる雨にすべてを
流してしまえたらいいけれど…
あなたの知らない誰かと見つめてた 
遠くに揺れてる街はダイヤモンド
ひとつずつ消えて行く 
夜の静けさに 息をひそめて見守るの
運命だなんて口にするのなら 
抱きしめて連れ去ってよ
私のすべてに目を反らさないで 
はじまってしまったから…
こんなに普通の毎日の中で 
出会ってしまった二人
雨が止む前に抱きしめ合えたら 
あなたについてゆく
はじまってしまったから…
(詞:「優しい雨小泉今日子
.
きょんきょんのこの曲が好きだ。
運命論とそこはかとないさみしさというか、
悲しみがにじんでるのんがいい。
.
おそらく、不倫などのわけあり状況のふたりが
恋に落ちていく様を美しく描いた歌詞なんだろうと思う。
.
でも、実際の不倫はそんな美しくもなく、
運命論的でもない
、というのがぼくの意見だ。
結局、自分の状況を棚に上げた、
エゴとエゴの結びつきでしかない
と思う。
.
もちろん、確信犯的に相手が妻(夫)子持ちでも
(むしろ妻(夫)子持ちだから)、
つきあいたい相手とつきあうという人もいるだろう。
レストランで、他人の皿に乗った料理を
つまみ食いして、食べたいから食べるんだ、
というのとあまりかわらないと思うのだが、
日本では、それよりは許される行為として、
容認される傾向にあるようだ。
ぼく的には、同等以上に下品な行為だと思うのだけど。
.
もちろん、不倫している当事者が、
配偶者に対して、許可を得ている場合は別
である。
結婚の際に、わたしは、君以外の女(男)を作ることは
きっとあると思うが、
それでも幸せにするので、結婚してください、
という約束のもとに成立している婚姻であれば、
問題ないと思う。

わたしは、このひと以外におんな(おとこ)を
つくることもありますが、それでも結婚させてください、
と言って許してくれる親の存在も必要だけれど。
.
よく使われるいいわけに、
たまたま好きになった人間が妻(夫)子持ちだった
といって開き直る人間がいるけれど、

たまたま好きになった人間が幼女誘拐強姦殺人犯だったら、
そのまま好きなままでいるだろうか。

という例を考えてしまう。
.
ほとんどの人間は、そうではなかろうと思う。
つまり、妻子がいながら、ほかのおんなとつきあう行為は、
上記のような重大な瑕疵ではない
という判断を不倫をする人間が下しているのんである。
結局、容認しているのだから、
そのいいわけはいいわけでしかないのではないか、
と思うのだが。
.
なかには今の配偶者と離婚して、自分と結婚するという約束で
つきあうようなひともいるかも知れないが、
結婚するときに結婚相手とした、幸せにしますという約束を
簡単に反故にできるような人間の約束を信じて
いいものかどうか、
すこし賢い人間なら、わかりそうなものだが、
残念ながら、自分に有利なことは信じたい、
という心理がひとには働くようだ。
.
また、仮に約束が守られて、不倫相手と結婚できたとしても、
同じことをまたしないという保証をどのように形で得るんだろう。

ぼくが信じてることに、
病気は治療すれば、治る可能性があるけれど、
性格は治らない

ってことがある。

浮気は、病気でなく、性格なのだ。
クスリでは治らない
.
でも、結局のところ、愛情関係は理屈ではないんだろうね^^;

2005年12月19日 (月)

帰ってきた日本人

タイのラノーンからプーケットタウンに向かう
バスの中での話だ。
通常、バスの中では客向けなのか、
それとも、乗務員の娯楽なのか、
音楽のCDVCDをかけていることが多い。
CDは、いわずと知れたコンパクトディスク、
VCDは、コンパクトディスクに映像信号と
音楽信号を記録した、ビデオディスクである。
LDと似ているが、記録方式が違うのであろう、
互換性はない。
もちろん、両方の記録方式に対応したLDデッキでは、
VCD
の再生は可能だ。

日本ではVCDは発達しなかった。
もっと正確に言うと、メーカーが発達させなかった
なぜなら、CDと同じく複製がPCで簡単にできる
からだろう。
でかすぎて、また、デジタルでなかったLDに替わる
規格としては、DVDが日本では選ばれ、
VCDの存在は無視された
のだった。

しかし、日本以外のアジア諸国では
VCDが重宝された

テレビの見たい番組をビデオ録画してみることが
ビデオ機器の使用法の主流だった日本と違い、
アジア諸国では、みたいものは買う方が普通だった。
でも、高ければ、だれも買わない。
安いものを売るためには、ビデオテープよりは
VCDが有利だったのだのだろう、
アジア諸国では今日にいたるまで、
ゆるぎない地位を保っている

最近、DVDデッキが普及してきたせいか、
じゃっかん、DVDが売られるようには
なってきてはいるけれど。

さて、そのとき、バス内では、タイの流行歌の
ミュージッククリップというのか、
カラオケ用のVCDが流されていた。
普通にかければ、歌手の歌が入り、左右どっちかの
チャンネルをしぼれば、カラオケになる、というものだ。
もちろん、タイ語と、翻訳ではなく、タイ語の発音を
英語方式で書いただけの歌詞も出る。

見るともなしにみていると、そのビデオクリップのテーマは、

旅でタイの田舎町を訪れたコンジープン(日本人)が
タイの別嬪さんと恋に落ちるが、
やがて汽車に乗って去っていく。
タイ人の別嬪さんが悲しんでいると、
気持ちを変えた日本人の青年が田舎町に帰ってくる、
めでたしめでたし

っていう内容のようだった。

これじゃあ、まるでお伽噺だな、って思う。

このあと、日本人とタイ人の別嬪さんは、
田舎町で末永く暮らしましたとさ、
って、それはいいけど、タイ語も話せない、
日本人がこんな田舎町でどうやって暮らしていくんだよ、
仕事は何すんだ、って思わずつっこみたかったんだけど、

カラオケビデオにそんなこと言ってもしょうないよね^^;

2005年12月18日 (日)

ぷんぷいさん、お買い得について考える

むかし、誰の本だったか忘れたけれど、
バックパッカーの話を読んだことがある。
そのバックパッカーは、ずいぶん重そうなバックパック
を背負っていて、
なにが入ってるの?って聞いたら、
電池をたくさん荷物の中に入れていたそうな。
なんでこんなに電池を持ってるの?
って聞いたら、海外では電池が高い
って聞いたもんで、って答えたらしい。
いちおう、筋が通ってるような感じはするのだけれど、
そのバックパッカーは驚いたことに、
ウォークマンやカメラなど、
電池で動く機器をなにひとつ持っていなかった
ということだ。
.
.
ぼくはお買い得品、というものに弱い。
値段が安いとつい買って、そのまま忘れてしまったりする。
こういういひとはけっこういるよねー、ぼく以外にも。
.
むかし、おんなのこが家に来て、
缶コーヒーが入った段ボールがあるのを見て、
驚かれたことがあった。
一回一回コンビニや自販機で買うより安いし、
冷蔵庫にある方が安心やん、
という風には思わないらしい。
.
前カノが家に来たときも、
備蓄してあったティッシュの在庫をみて、
あのひとはティッシュのためにひと部屋使ってる
と友達に吹いてまわられて、困ったことがあった。
ほんとうは多くても10パックくらいしか、
なかったはずなのに。
.
.
でも、今回、自分がしてしまったことは、
正直、ちょっと反省している。
ETCの前払い金のことだ。

ETCは、わりと早くから導入した。
5万円のハイウェイカードがなくなって、
ETCなら、同様の割引が受けられる
というのが一番の理由だった。
長い目でみれば、お買い得のはずだ、ってことだ。
.
ところが、最近、ETCもマイレージ制度に変わり、
実際によく高速を使うひとにサービスをする、
という形になったようだ。
おまけにぼくがよく使う阪神高速道路は
マイレージの率が悪そう
だ。

そこで、今のうちに前払い金を積み増ししておこうと考えた。
ホームページから、自分の残高をみる。
1万円と少し。
最高で20万円までか。
ということは、5万払うと、5万8千円分入るから、
15万円だと、17万4千円か。
今の残高あわせても、ここまではOKだな。
じゃあ、5万円を3回積み増し。
メールが来た。
完了。

でも、翌日によく考えたら、この半年ほど、
ほとんど高速に乗ってないことに気づいた。
たぶん、年でも1万円は超えないだろう。
ということは、今の残高だと、
使用に18年以上かかる
計算だ。

そのあいだ、このETC用のクレジットカードも解約
できないのかな。
年会費が残高を超えるなー^^;
ほんとうにお買い得だったのか、
も一度、考え直してみようと思うのだった。

.

.

▼今度タイにいったら、この「しょぐね」というスナックを
買い占める予定。変においしいし(^^

Photo_3

2005年12月13日 (火)

ぷんぷいさん、医者に行く

もう仕方ない、医者に行こうと決めたのは、
土曜の昼だった。
なんとなく通風の発作が迫って来てるような、
そんな気がしてきたのんだ。

尿酸値が8点台をマークするようになってもう数年、
最高点は、9.1だった。
人間ドックでこんこんと説教されても、
まだ大丈夫と思って、放置を決め込んでいたものの、
とくに痛い思いをするのんが好きだ
というわけでもない

どっちかというと、かなり嫌いな方だと思う。

だから、ここんとこのからだの状況を考え、
わざわざ通風の発作を経験するよりも先に、
薬を飲んで、とりあえず今の状況を回避しよう
と考えたのんだ。

でも、ぼくが行こうとした病院は、
土曜の午後は休診だった。
しかたない、月曜の夕方、仕事がひけてから行こうと、
思ったものの、せっかく決意したのに、
日曜とか、月曜の朝に発作が来て、痛い思いをしたら、
情けないことだなあ
と急に弱気になったりしたのだった。

でも、なにごともなく、月曜の夕方になってみると、
ほんとはまだ行かなくてもいいんじゃないか、
とも思えてくる。
でも、ここで行かないと結局、ずるずると行かないで、
後悔することになる、と決めて、
医者に出かけた。

その病院は、大病院ではないものの、
一応、外科病院を名乗っており、
内科ほか、その他いくつかの診療科をもっている
ようだった。
夕方6時について、名前を呼ばれるまで30分、
まず、女性の看護師さんに血圧や熱、体重を測られる。
つぎに検尿、そして、いったん待合室に戻る。

7時前に初めてお医者の先生と対面し、
人間ドックの成績表をみせて説明する。
ここで、適当にはいはい、って言っとけば、
話は早かったのんだけど、つい正直に
関節というよりは、、、みたいなことを言ってしまったので、
腰が悪いのかも、X線写真を撮りましょう、
っていうことになる。

そういえば、ここは本来は外科の病院で、
この先生もたぶん、専門は外科なんだって思い出す。
ぼくは、尿酸値下げるクスリが欲しいだけ
なんすけど
^^;

ずいぶん待たされて、腰のレントゲン写真を撮る。
技師のひとに、今日はどうされました
って訊かれたけれど
どうなってるか、ぼくが訊きたいくらいだ
と心の中で、毒づいてみる。
この技師さんには、罪はないんだけれどね。

ズボンを半分下げて、寝台の上でいろんなポーズをとらされる。
AV女優の気分、などと思ってみる。

また、待合室で待ってから、先生の診断結果を聞く。
驚いたことに腰の骨にも異常があるようだ。
でも、ほっといてもいいそうだ。
どっちやねん

尿酸のクスリはちゃんと出た。
とりあえず、2週間分。
薬局でクスリを受け取ると、8時を回っていた。

おなかすいたよ~。

.

▼このクスリをもらうために苦闘2時間。
ちゃんと飲みますとも^^

Photo_2

2005年12月11日 (日)

アルトゥーロ=ベネデッティ・ミケランジェリ

車の中で、iPodから流れてきた、
ミケランジェリの弾く、
ショパンマズルカを聴いていたら、
切ない気分になった。

それが、マズルカのせいなのか、
ミケランジェリのせいなのかは知らない。
たぶん、その両方なんだろう。

アルトゥーロ=ベネデッティ・ミケランジェリは、
偉大なピアニストだった

かれの音楽を聴くために、
みんな喜んで、レコードを買ったし、
馬鹿高いチケットを買って、
遠方からでも出かけていった。
それがしばしば、キャンセルされると知っていても、だ。

高校生だったぼくは、
かれのドビュッシーの前奏曲集が好きで、
TDKのカセットテープに入っていた、
それをよく聴いたものだ。

それから、数十年、今はiTunesから聴いている。
昔のように、近所迷惑な大音響ではよう聴かんし、
それに、耳だって、遠くなった。

でも、かれの弾く、
亜麻色の髪のおとめはまだおとめのまま
だし、
沈める寺だって、沈んだっきりだ(^^

自分にとって、変わらない何かがあるのんはいいもんだ、
と、たまに思う。

それにしても、今日はからだの節々が痛い。
尿酸値が悲劇的な数字を更新しているし、
そろそろ通風の発作を心配しなきゃいけないな。

ところで、西風はいったいなにをみたんだろう。

Photo

ドビュッシー:前奏曲集第1集
1. デルフォイの舞姫
2. 帆
3. 野を渡る風
4. 音と香りは夕べの大気のなかに漂う
5. アナカプリの丘
6. 雪の上の足あと
7. 西風の見たもの
8. 亜麻色の髪のおとめ
9. さえぎられたセレナード
10. 沈める寺
11. パックの踊り
12. 吟遊詩人

2005年12月10日 (土)

ペットとしてのタイおとこ

戦後日本の教育を斬る、みたいな^^;

タイに通いはじめたころ、免税店で
激怒する
日本人のオバサンをみた。
興奮して、大声でさけぶオバサンの話を離れたとこから
聞いていると、おつりがちがうということだ。
820バーツの買い物をして、100バーツ札で
おつりを貰うためなのか、1020バーツ払ったのに、
正しい金額が返ってこないとかいう話らしい。
いくら大声で叫んでも、日本語じゃ通じないだろし、
相手がタイ人の女のこだったせいだろう、
ずいぶん口汚くののしっていた。

そのときぼくが思ったことは、
ここがシャルルドゴール空港で、
相手がパリジェンヌでもおんなじことを
あのオバサンはしただろうか、ってことである。

ここがドンムアン空港で、
相手がタイ人のお女中だからこそ、
あのオバサンはあのような下品な振る舞いが
できたのではないか。

そういう風に考えると、戦後の民主教育は、
その部分については成果をあげているのかも知れない。

というのは、以前、タイの女の子に文句(?)を
言われたことがある。
なんで日本の女のこは、誰とでも寝るのって。

タイは階級社会である。
ハイソな女の子は、自分に見合った男の子とつきあう。
お金持ちの日本人の女の子が、彼らの区分で言うと、
日本人に見合わない階層の人間と寝たりするのんが
理解できないようだ。

でも、ぼくに文句言われてもなー^^;

タイで学生をしている友人()によると、
彼女のまわりにいる日本人の若い女のこは、
ほぼ全員タイ人のおとこがいるらしい。
ただなぜか、そのタイカレを人間としては信用していない
と言うことだ。

だから、病気のときや問題が発生すると、
自分のおとこではなく、友人()を頼ってくるそうなのである。
ものがなくなると困るから、おとこには合い鍵は渡さないものの、
その友人()には鍵を預けても大丈夫と思ってるらしい。

でも、そんなおとこといえども、つがっているのだ。
けがらわしいものに対するかのように
怒鳴り散らすさっきのオバサンとは大違いだ。
おとこがいないとさみしい、というのがその主な理由らしく、
扱いは、交尾可能なペットのようなのであるけどね。

ぷんぷいさんの感性が古いのはわかってる。
でも、なんか間違ってないか、おまえらぁ、
といいたいのやけど、やっぱり古いのか、なー^^

▼記事とはとくに関係のないタイ人のにーさん。
ちょっとダウンタウンのまっちゃんに似てる?

Photo_1

2005年12月 8日 (木)

アユタヤ

アユタヤの遺跡でも、日本人のおっちゃんと
タイ人の
ねーちゃんのカップルをみることができる。
墓の下で、山田長政も驚いてるかも知れないなー。

遺跡で有名なタイの街、アユタヤには何度かいっている。
バンコクから、バスや電車で2~3時間の距離だし、
なんとなく行くこともあって、一度宿泊もしたことのある街だ。
宿泊したときは、前カノといっしょだった。
手長エビの料理ががすんごくおいしかったのを憶えている。

ここの遺跡群のなかに、大きな石の寝仏があって、
屋根もなく、むき出しなのだが、黄色い僧衣を着ていらして、
前には、土産物屋が何軒かならんでいる。
ここの土産物屋にはおもろい店員がいて、
そのうちのひとりのおっちゃんは、日本人がくると、
あっ○はらしょーこー、あっさは○しょーこー、
と叫ぶのが特徴だ。
これで笑おうものなら、かれにターゲットロックされて、
買うか帰るまで放してくれない
このおとこは、むかしは日本人のアイドル歌手の名前を
さけんでたような気がするから、
今は別の名前にバージョンアップしてるかも知れない。

それから、これは10歳くらいのおんなのこなのだけれど、
絵はがき売りの娘で、見事な日本語で息継ぎなしに
30秒ほどの売り文句をいいながら、ついてくるのんがいる。
それはそれは見事な日本語なのだけれど、
話してみると、日本語はできないっぽい。
口上だけをそんまんま憶えたんだろうが、
日本人でもあんなに流暢には、話せはしまい、って感じだ。

この寝仏のそばの土産物屋ではないのだが、
500円玉を出してきて、これいくら
って日本語で聞くタイ人もいる。
親切に500円っていうと、コインは両替できないから、
両替してくれ、って言ってくるのである。
この男も最初は悪意はなかったのだろうが、
親切な観光客が、1バーツ3円を、
1円3バーツと勘違いしたのだろう、
かれに1500バーツもの大金を渡してから、
この男の商売はこれになってしまった(経緯は推定)。

200バーツの価値もない500円玉が
1500バーツに化けるのであるから、
一回成功すると、数日分の稼ぎに相当する分の金が
手に入るのだし、元手は200バーツ弱、
しかも普通に両替したとしても、損はしないのだ。
こんないい商売はないとぼくも思う。

残念ながら、ぼくはこの手口を知っていて、これいくら、
って聞かれたときに、タイ語で、マイルー(知らない)、
って答えたら、その男は仲間に笑われていた。
でも、めげないで、これいくら、ってしつこく聞いてくるのんで、
50円って答えたら、さすがに自分からこれは500円だ、
っていうのははばかられたのであろう

あきらめて帰っていった。

アユタヤでは、遺跡よりもこんな奴らの相手をしてる方が
おもろい、と思うのはぼくだけであろうか。

Photo

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