塊魂
誰であれ、魚を水から自由には出来ない。
(金儲けの秘訣 ・第153条)
塊魂、というゲームがある。
これのPS3用、塊魂TRIBUTE、
という名称だったと思うが、そこそこ長い人生で、
はじめて最後まで到達できた、ビデオゲームだ。
最後の面をクリアすると、
マツザキシゲル氏の朗々たる歌唱が流れる。
だからどう、というわけではないが。
とくにうれしくもないし。
そもそも本来ゲームを趣味でするわけでもなかったのんだ。
ところで、人生もまた、ゲームのごとき、
1面ずついろんな課題をクリアしていくような側面がある。
ぼくがゲームをしないのも、この達成感、とでもいうべきものに、
あまり意味を見出せないゆえかもしれぬ。
普通の男子なら、結婚や配偶者の出産、子供の入学卒業受験就職、というようなことがそれにあたったのだろうが、
縁がなかったもので。
また、そんなステップが自らにとって、とても重要である、
とか、とても必要である、とか、思えなかったせい、
でもまたあるのだろう。
ただ、そういうステップと完全に無縁に生きていく、
ということもまた無理だろう。
とくに、人生の半ばをたぶんすでに迎え、これからのぼくは、
けっこうそういう節目が増えていくように思う。
ぼくにとって、最近迎えたひとつの節目は、
年金加入期間が25年を超え、受給権を取得したことだ。
年金制度について、破綻するかもしれない、というのが、
ひとつの合言葉になって久しいが、破綻するかもしれない、
ということは、破綻しないことが前提である、ということだ。
しかも、税金とは、別に掛け金を取って維持させるべく
作られた制度が破綻する可能性がある、ということは、
それ以前に、税金などで、維持されようとしている
各種福祉制度は、まず現状同様、維持できない、
と考えるのが正しかろうと思う。
さすれば、年金制度が破綻している日本の社会は、
歳を取ったぼくたちにとって、
どんな風になっているのだろうか。
また、税金による福祉は破綻しても、年金制度だけは、
掛け金をとっているのだから、細々とでも存続している、
という可能性もあろう。
むしろ、ぼく的にはそっちの方が自然に思えるし。
それゆえに、とりあえず年金の受給権を得ることのできる期間、
働き続けることができた、ことは、ぼくにとっては、
1面クリア、という感慨ヒトシオだったわけだ。
そしてここ数年のうちに、
これに類するいくつかの節目がやってくる。
今の職場であとどれだけ働くことができるのか、
正直わからないけれど、
マツザキシゲル氏の朗々たる歌唱が聞こえる、そのときまで、
とりあえず自らにもう一鞭、というところなんだろうかな。
▼さてぼくがなんでこんなにも老後を望んでいるか、というには、
働くのがが嫌い、ということもあるが、最近、体力が失せてきた、
というのも、その大きな理由のひとつである。
以前は立つときだけ必要としていた、よいしょ、という掛け声を、
ここ数年は座るときにもしている、らしい。
知的能力や肉体的能力がひとそれぞれであるように、
老化のスピードも、ひとそれぞれ、なんだよな。
▼ネコはいーなー、寝るのが仕事、でさ。
でも、向こうのタイ人女子も寝るのが仕事???





